懐かしき日々(2) 後編
やっとできた……。
どんな擬獣を相手にしても勝つ自信がある。
どんな敵に相対しても倒れない自信がある。
退かず、倒れず、負けない事。
【レギオン】の唯一の武力であり、剣である事。それこそがデュランの大切な役目の一つ。
後ろに守るべき物があるから。
だからこそ、己の力にデュランは誇りを持っている。
持っていた。
が、
(ど、どうすれば……)
擬獣より恐ろしいモノに挟み撃ちにされ、デュランはだらだらと冷や汗を流す。
前からはキス魔タコと化して襲い来るナタリア。
後ろからは春先に登場する露出狂と化して迫るアリス。
有体に言って、絶体絶命のピンチだった。
「誰か! マジで助けてくれ!」
>デュランはいのりをささげた。
>いのりはてんにとどかなかった
「って俺はロ○ザかよ! もう何でも良いからヘルプ! ヘルプ! すたっふー!」
イケメンデュランは声を振り絞って叫んだが、救いの手は何処からも差し伸べられる気配がなかった。当然スタッフも出てこなかった。
その間にも刻一刻とタイムリミットは近付いてきている。
おもにナタリアの顔とか、生命の終わりとか。
頭の中に浮かぶ三枚のカード。
『紳士的』 『速攻』 『無理』――カードの切り方が人生だ。
(って、どうする俺、どうしちゃうのよ?!)
「か、かくなる上は……」
片手でナタリーの頭を抑えつけたまま、デュランはもう一方の手を背中に密着するアリスの体へ打ち込む。
狙うのは肋骨の別れ目からやや下。
不随意筋へ打ち込む命令信号。すなわち人為的な脳内血量の操作。
その際手が何か柔らかいものを鷲掴みにしたような気がするだとか、今は気にしない。
(絶対後で殺されるけどなー……)
泣きたい。
いや、泣かされるだろう。
が、一応謝っておく。
「アリス、すまん!」
「うっ……」
バチッと音がして、アリスの体がデュランの体にもたれかかるように崩れ落ちる。
こちらの背をクッションにして一度受け止め、頭を打たないように気をつける。
「なんまいだぶ、くわばらくわばら、じゅげむじゅげむごこーのすりきれぱるぷんて」
思いつく限りのまじないを唱えつつ、デュランは上着を脱いで、見ないようにしながらそっと後ろに倒れているアリスの上に掛ける。
「風邪引くなよ。まったく、何でこいつは毎回脱ぐかなぁ……で、次はナタリーか、って」
「すぴいー……」
「おい」
いつの間にかプラーンと頭を掴まれた姿のまますやすやと眠ってるナタリアに思わず突っ込みつつ、デュランは溜息を吐く。
「よくこんな姿勢で眠れるな……首おかしくするぞ」
これも一応抱き直して床に寝せ、ついでに「むはむは」と何と無く気になるが幸せそうな笑みを浮かべて夢の国に旅立っているナタリアのよだれを拭いてやり、デュランはやれやれと肩を落とす。
「何ていうか……無駄に疲れた」
どっかとその二人の間に腰を下ろし、デュランはうなだれる。
どっと疲れが押し寄せてきた。おもに精神面に。
先程まで【外】でやっていた命のやりとりなど鼻で笑ってしまうほど、さっきの状況は過酷だった。
(生還おめでとう、俺……誰も誉めてくれないから自分で誉めてみたんだよ悪いか)
さすがにちょっぴり気分がやさぐれたりささくれ立ったりしてるデュラン。
それでも一応いざってテーブルに近寄り、ビーカーの一つを手に取る。
万一解毒の方法が確立されてない場合、この混沌たる事態を収拾できるのはデュランしか居ない。
ビーカーを顔の傍に寄せ、そっと手で仰ぐようにして匂いを確認し、デュランはその刺激臭に顔を顰める。
「えーと、どの辺の神経系に作用するんだったかな……」
「仕事熱心ですね、デュラン」
「うわ! 脅かすなよレメク……何時から居たんだ?」
「最初からですよ」
カチリ、と縁なしの眼鏡を中指で押し上げ、レメクは小さく唇の片端を吊り上げる。
端正にして怜悧、氷の貴公子と名を取るレメクはこの場にあって顔色に紅一つ差していない。
しかしその手に持っているグラスに満たされた琥珀色の液体は確かに「アレ」だ。
(まさか、レメクまでキスを迫ってきたり、脱ぎだしたりしないよな……)
それはなかなかぞっとしない話だ。
が、見た所異常は感じられない。
(もしかして個人によって耐性に違いがあるのか?)
「なぁ、レメク。もしかしてお前、まだ酔ってないのか?」
「酔う……あぁ、アルコールによる脳細胞のマヒの事ですね」
「そうそう、それだよ」
「そんな事はどうでもよろしい」
「へ?」
あっさり却下された。
「私は常々言いたい事があったのですよ」
「あ。あぁ、そうなんだ……でも今はまずこの状態をどうにかしないと」
「デュラン」
「……おお」
「どうして何時も貴方ばかり、女性にもてるのでしょう」
「……はい?」
もてた覚えが欠片もありません。
そう今この場で真顔で答えて良いだろうか? 多分駄目だろう。
(いや、そう言われてもな……)
女性陣に玩具や実験台やら技の試し撃ちやらに頑丈で便利だからと引っ張り出された事はあるが、あれを「もてる」にカウントするのは人として何か間違っているだろう。
あとはいわゆるご高齢のご婦人の皆さまか、生後数カ月のお嬢さん方にはやたら引っ張りダコにされた覚えはある。
あれもまた「もてる」にカウントして良いのかは相当微妙なラインだが……。
「さっきも前後に二人を侍らせて楽しそうでしたね」
「必死だったろ?! どう見ても必死だったよな? 俺!」
てか助けろよ。
デュランは心の中で強くそう思った。
てか助けろよ、見てたなら。
そんなデュランの内心の呪詛に気付く様子も無く、レメクは「それに引き換え私と来たら……」と暗い笑みを浮かべてグラスを握る。
「えぇ、そりゃあ分かってますよ。私の仕事なんて地味ですしね。地味なんですよね? 地味ですよ。えぇ本当に。君みたいに派手じゃないですからね。えぇ。下手をするとそのうち忘却の彼方へ葬られるんでしょうよ。あぁ、それは無いですかね。何せ私は皆さんに注意を促す役割ですからね。そりゃ小言を言うような事は私だって好きでやってるんじゃないんですよ。でも必要だからやっているんですよ。それなのにまともに話は聞いてくれないし、君と言えばどんどん新作を破壊してくれますし、アリスは服を脱ぎ散らかしたままにしますし、ナタリアの言う事は訳が分かりませんし、ユーディスは利益よりもシキを優先しようとするし、シキはシキであれほど健康管理をしろといっても倒れますし、ザイオンの研究費は馬鹿にならないですし……良いですか、お金は勝手に生まれたりはしないんですよ? えぇそりゃあ貨幣制度を復旧させたのはほかならぬ私ですけどね? だからと言って私が勝手に金を作り出せる訳じゃないんですよ? 錬金術じゃないんですから。大体経済がやっと回りだしたこの時期にそんな事出来るはずが無いでしょう。やっと流通ルートやら造幣のめどがついてきた時期にそんな無茶出来るはず無いでしょう。というかそれが分かってますよね。皆さん本当は分かってるんですよね。つまり軽い嫌がらせですか? えぇそりゃあ小言ばっかりの私は皆さんにとってめざわりでしょうけどね。だったら言わなくてもいいようにしてくださいよ! 私が好きで言ってると思ってるんですか! 元老院との交渉まで私の所に回ってくるし、外交として愚痴も言えないし、苛めですか。そうですかそんなに私は嫌な奴ですか。私だって、私だって……」
「ま、まぁまぁ……泣くなよ、な? 泣くなって……」
「どうせ空が黒いのも私のせいですよ。作物の伸びが悪いのも、実験の成果が思ったように出ないのも、白髪が白いのも、ダイエットが上手くいかないのも、信号が赤なのも、機械系統のトラブルも、擬獣が出るのも、胃が痛むのも皆私が悪いんですよ。うぅぅ」
「……ご、ゴメン、そんなに思いつめてるとは」
「うぅぅぅ……どうせ、どうせ私なんて……」
「何かゴメンな」
首を強引に抱き込んだ状態で号泣するレメクに、デュランは今度もう少し仕事の割り振りを見なおそうと心に決めた。
考えてみれば彼らレギオンが研究に専念できるのはレメクが外交を一手に引き受けているお陰なのだから、もう少し今後は感謝の念を持つべきなのかもしれないし。
「苦労かけてるんだよな……」
「うぅぅ……」
「って俺の肩がびしょぬれだよ。あー、だからレメク、悪かったってば。な?」
「……本当にそう思ってます? 心から誓えます? というか私が本気で言ってるのに貴方はこの期に及んで自分の肩の心配ですか。そうですか。私は貴方の肩ほどにも価値が無いと。えぇ、そりゃあ分かってますよ。私の仕事なんて地味ですしね。地味なんですよね? 地味ですよ。えぇ本当に。君みたいに派手じゃないですからね。下手をするとそのうち忘却の彼方へ葬られるんでしょうよ。あぁ、それは無いですかね。何せ私は皆さんに注意を促す役割ですからね。そりゃ小言を言うような事は私だって好きでやってるんじゃないんですよ。でも必要だからやっているんですよ。それなのにまともに話は聞いてくれないし、君と言えばどんどん新作を――」
「……」
振り出しに戻る。
頭の中でそんな言葉が明滅するのを感じつつ、デュランはその一つ向こうで知らぬ顔でぐい飲みを煽っているザイオンに目を向ける。
「なぁ、ザイオン……お前普段レメクにあんな無茶言ってるのか? 見ろよ、泣いてるぞ」
「私の子達の為には必要な事だ。例えば、【アッシュール・バニ・アプリの図書館】」
「あー……うん、まぁ分からないではないけどな」
シキのお気に入りの玩具、L・O・Aを思い浮かべてデュランは苦笑する。
扱い切れるのは今の所シキだけ、生みの親であるザイオンですから辛うじて一部言う事を聞くだけというモンスターは、予算の半分以上を食いつくす暴食者でもある。
もっともそれ以上に生産性もあるのでコストパフォーマンスとしては安いものなのだが――そう言えばあれはまだ稼働しているのだろうか。
(確か不在時も動けるように今度何か管理者を作るとか誰か言ってたな……えーと、確か何だっけ? 何かドールだとかそんな感じだったよな。名前が可笑しいとか可笑しくないとか言ってたけど)
「って、そう言えばお前は酔って無いのか? あれ飲んだだろ?」
「あれ、とは?」
「その辺に並んでる試作品だよ……今お前が注いだ奴」
「ああ、コレの事か」
杯を傾け、ザイオンは無表情に呟く。
「それなんだけどさ。飲んでこう……体に違和感とか、つまり酔っているって感じはないか?」
「私が酔っている、か?」
「あぁ、これらの液体には共通点があって、確か脳の線条体、報酬系だったかな。いや、大脳新皮質、網様体……」
「和足しが四って居る……」
「は?」
「渡しがよっ手入る……ふ、ふふふふ」
「ザ、ザイオン? もしもーし?」
思わず顔の前で手を振るデュラン。
しかし、ザイオンは無表情のまま声だけで低く「くっくっくっ……」と笑っている。
はっきり言おう。
見てて恐ろしく怖い。
「何がそんなにおかしいんですか? 私が可笑しいですか。そうですか。そりゃあ滑稽でしょうね。えぇ、君達のような優秀な人は良いんですよ。でも私は研究以外の事で時間を取られてるんですよ? 私だってですね、私だってですね、もっと時間があれば色々やりたい事もあると言うのに雑事やら書類整理やら法律の草案やらで……」
「ショル威勢りやら、なんてね……ふ、ふふふふ」
「葬られるんでしょうよ。あぁ、それは無いですかね。何せ私は皆さんに注意を促す役割ですからね。そりゃ小言を言うような事は私だって好きでやってるんじゃないんですよ。でも必要だからやっているんですよ」
「ふ、ふふふふふ……」
「……この事態を俺にどうにかしろって言う事なのか?」
泣き続けるレメクと、笑いつづけるザイオン。
それらを交互に見て、デュランは思った。
無理だ、諦めよう。
(シキを連れてこよう……一刻も早く皆を解毒しよう)
同僚の知りたくも無い一面を知りつつ、デュランは一瞬の隙をついてレメクの腕を抜け出す。
振り返ってみるとレメクは相変わらず、今度は目の前の壁に向かって嘆き続けており、ザイオンはまだ一人でクスクスと笑いつづけていた。
「……」
デュランは黙って合掌しておいた。
「さってと……気分を切り替えて、っと。お、居た居た。ユード」
「デュランさん……」
机に突っ伏していたままだった顔を上げ、とろ、とした眼差しを向けたユーディスにデュランは「ごめん」と苦笑して、「シキを知らないか?」と尋ねる。
「シキ……」
「そうだ。お前なら分かるだろ?」
「シキ……」
「うーん……やっぱり思考が酔いで可笑しくなってるか……」
「君も……」
「ん?」
「君もシキのこと、言うんだね……」
「……」
何だろう。
物凄く嫌な予感がする。
デュランは今からでも回れ右して帰ろうかと思ったが、上目遣いのユーディスの眼差しが妙に迫力があって逃亡を許さない。
「皆シキ、シキ、シキばっかり……」
「いや、そんな事は……」
「シキって良い子だから……シキは優しいから、綺麗だから、そうやって皆シキの優しさに付け込んでくるんだよね、あの(ピー)で(ピピー)で(バキューン)なウジ虫どもが」
「……お、おい、ちょっと」
大丈夫かこの子?
いや、絶対大丈夫じゃないだろう。
無音声で見ていればまるで天使のごとく無邪気で罪の無い笑顔を浮かべているのに、何だろうこのさっきから聞こえる「お聞かせできません」のオンパレード。
「皆、皆、シキを食いものにするクソ害虫ども……」
「も、もしもーし? ユーディ、いやユーディさん? ユーディ様? 戻って来てくれないかな?」
「シキにたかってくる害虫は僕が駆除しなくっちゃ」
「いやいや、それは拙いだろう」
「どうして? あんな(バキューン)なんて、(ピー)を××して、それから△△して、(ピピー)を根元から一寸五分刻みにして、それを(ピー)な(ピー)に(お聞かせできません)してあげようかな……」
「あげないでくれ」
と言うか聞いているだけで怖い。
これ以上傍にいてはいけない気がする。飛び火してきそうだ。
デュランはそっと傍を離れた。
ユーディスにはどこか知らない場所で幸せになって貰おう。
「……って、これで全滅か」
とりあえず、まともに話が出来るのは誰も居ない事は分かった。
酒って怖い。
デュランはしみじみとそう思いながら一先ず事態の収拾を諦めて外にでようと扉へ向かった。
ラボに行けば多分、解毒剤があるだろうし無ければ自力で作るしかない。
(最悪簡易版でも注入するかな……けど、あれあんまりやりたくないんだよな……)
と、目の前で扉が開く。
ふわっと流れ込む新鮮な空気にアルコール臭で淀んでいた空気が揺らぐ。
「あ……」
「おや」
目が合う。
「デュラン……どうしたんだ?」
「シキー!!」
「え? え?」
「シキー、待ってたー! 俺らの救世主!」
「……は?」
きょとんと瞬いたシキの両手を握り、デュランは「良く無事で……」とちょっと泣きそうになった。
◆◆◆
「大体さ、俺渡した時に言ったよな? 酔うようなシステムは抜きにしようって」
「あぁ、そうだな」
「はい」とデュランへサンプル二十一番を注ぎながらシキは微笑む。
それを「どうも」とあっさり受けてデュランはさらりとそれを水のように飲み干す。
「で、それがどうしてこうなるんだ?」
目の前は相変わらず死屍累々、阿鼻叫喚、混沌でもまだ足りないぐらいの酔漢地獄が繰り広げられている。
まぁ、既に大半は潰れて今起きているのはザイオンが一人虚空に向かって何か呟いては無表情に笑い声だけ立てている状態だが。
「あぁ、それなら……アリスから提案があってな」
その様子をまるで遊び疲れて眠る子犬でも見ているかのような優しい微笑みを浮かべて眺めながら、シキは返された杯を受け取る。
とはいえ、器が足りないのでデュランは茶碗、シキが持っているのは食器ですらない。メートルグラスだ。
それの縁に口をつけて小さく舐めるように飲んで、シキは目を伏せる。
「アルコールによる酩酊状態にも利点はあるのでは、と。それで、一先ずそのままの状態で出してみた」
「またアリスか。あいつロクな事しないよな。その上素っ裸って……はぁ」
「……また脱いでいたのか?」
「おー……まったく勘弁してほしいよな。何で毎度毎度」
「アリスにはアリスの理由があるのかもな」
「素っ裸になる理由ねぇ……」
ぐっ、とまた一杯呷り、デュランは胡乱な眼をオレンジルームの天井に向ける。
「そんなものあるか? ってそうじゃなくて、それでこのまま出したって言う事か? 俺との約束破って?」
「ん……それは、その……ごめんなさい」
「はぁ……頼むよ」
「すまない、検証してみたくなって……」
「この実験馬鹿」
「ごめんなさい」
しゅん、と肩を落としたシキにデュランは厳しい表情を改めて苦笑する。
「まぁ、張り切るのは分かるけどな。でも、これは作り過ぎだろ」
「ごめん、作ってたらつい……」
「ま、お前はそう言う奴だよな。解毒剤、あるんだよな?」
「あぁ、ここに」
「じゃあ、後で皆潰れてから投薬するか」
「にぇへへー」
「うわっ! ナタリー!」
いつのまにやら復活してきたナタリーに飛び付かれ、デュランは前につんのめって危うく机に額から激突しそうになる。
バンと手を着いた拍子に卓上に並んだサンプルが一斉に跳ねて音を立てる。
「あ、危な……」
「にゅへへー、しーちゃーん、うらんちゃーん」
「その設定は続行なのか……って、だからちゃんは止めてくれって言ってるだろ」
「うーん……えへ、うちゅー」
「うぇぇっ?! またぁっ?!」
「しーちゃんもうちゅー」
うにゅー、とタコ唇で迫るナタリア。
それにシキは小さく笑って頭を引き寄せ、
「はい」
額に軽く口づける。それに「おかえしなのですぅ」とナタリアも頬に口づけを返す。
「にゅへへへー、ちゅーしちゃった、です」
「……え? それだけ?」
「無理に拒むからこじれるのでは?」
「シキに説教される日が来るとは……」
「……デュラン、軽くひっかかる内容のような気がするんだが。はい、ナタリア。口開けて」
「うにゃ?」
「あーん」
にっこりと女神の微笑みのシキ。
「あーにゅ」
へにゃーとエンジェルスマイルのナタリア。
その開いた口の中に笑顔のままシキはポイと何かを押し込んだ。
数秒の沈黙。
「みぎゃ?!」
四肢を突っ張らせてそのまま後ろ向きに倒れたナタリアにさすがのデュランも青ざめる。
「い、今の……」
「解毒剤だが?」
きらきらと、罪の無い優しげな微笑みを浮かべたシキに、デュランは青ざめたままの顔をナタリアに向ける。
白目を剥いていた。
「……シキ、後でちょっとこの薬について話し合おうか」
「?」
「まぁ、どうせお前の事だから効率優先でいったんだろうがな……」
「何か拙かったのだろうか……」
「まぁ、不味かったんだろうな……きっと」
デュランは溜息を吐いて、目の前のサンプルを取って一気に煽る。
「デュランは酔わないのか?」
「んー? んー、そうだな。どうも【報酬系神経伝達制御端子】の影響で勝手に解毒されてるっぽいな。シキも平気っぽいのは多分そのせいだな。この前の改良版が利いてるんだろ、多分」
「そうか……」
「何で残念そうなんだよ」
「いや、ほら、皆楽しそうだろう? だから私もやってみたかったんだ……」
「楽しそう、ねぇ……」
(ある意味面白過ぎる事態にはなってるけどな……)
まぁ笑えない事の方が圧倒的に多かったが。
遠い目をするデュランの隣で頬杖を着き、シキは微笑する。
「アリスが言っていた」
「ん?」
「アルコールによる中枢系マヒには確かにマイナスの面は大きいけれども、暗黒期以前の文明では一種の娯楽やストレスの軽減、治療、或いは創作活動の補助としても使わてれいたそうだ」
「あー、何かそんな話は聞くな」
「その面を軽々に無視して、完全に削除することが果たして私達のやるべき事なのかどうか……そう言われてな」
「ふーん……で、見てみてどうだ?」
「そうだな」
シキは周囲を暫く見回し、
「……レベルを落とした方が良いかな?」
「そうしてくれ」
ちょこんと首を傾げたシキにデュランはがっくりと肩を落として苦笑いした。
◆◆◆
後日談。
この後デュランが発見した酵母以外にも三十四種類の新種の酵母が発見され、あの場の「第一回試飲会」の場で提供された物は酩酊レベルを八段階ほど落として、うち四種類が実験的に一部で公開される事となった。
ちなみに第二回についてはデュランの聞くも涙、語るも涙の努力の末に中止、凍結された。
その後の製酒法、飲酒規制法の制定など実際に稼働するまでには様々な思考錯誤と討論が【レギオン】の中で、繰り返されることになるのだが――彼らが最も優先して力を注いだのは、あの「死にそうなほどに不味い解毒薬」の改良だった事は秘密、である。
【作者後記】
色々トラブルも挟んだ為に大幅に遅れましたが、須田様リクエストの「酔っ払い話」でした。
お待たせいたしまして申し訳ございませんでした。
あ、ちなみに日本の法律では未成年者の飲酒は禁止されております。
お酒はルールを守って愉しく、迷惑をかけず、脱いだりキスを迫ったり絡んだりつまらないギャグに自分で受けちゃったり脅しちゃったり呪っちゃったりせずに飲みましょうね。
作者拝