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懐かしき日々(2) 前編

リクエスト企画「酔っ払い話」です。

思ったより長いので、分割して挙げる予定です。

 一体何がいけなかったのだろう。


 デュランはただ呆然とその場に立ち尽くしたまま、その言葉だけを頭の中で繰り返していた。

 それはいつもと変わらない日常の続きとなるはずだった。

 いつものように【外】で制限時間ぎりぎりまで擬獣を狩り続け、そのせいで浴びた体液をシャワールームで洗い流し、採取した断片をポッドへ投げ込み、今回使用した武器の試験データを保存し、これでやっと一息つけると上層階に昇ってきた。

 そこまではいつもの日常の続きだったと言うのに。

 自動扉の向こう側に広がっていたのは非日常の光景だった。


「……これは、一体」


 ツンと鼻孔を突く異臭。

 よどんだ空気の向こう側には変わり果てた同僚達の姿があった。

 誰一人無事な者は見当たらない。

 その事実にデュランはすぅと全身の血が冷えてゆくような恐怖を覚えた。


「一体、どうしてこんな……」

「うぅ……っ」


 微かなうめき声。

 それを耳で捉え、彼は視線を眼前の惨状から逸らし足元へと落とす。

 そこには入口近くで力尽きたのか、扉に片手を伸ばした姿でぐったりと倒れ伏す同僚の一人、ナタリアの姿があった。

 その様に彼は一瞬躊躇い、それから何かを決意したかのように唇を引き結ぶと彼女の顔の脇に膝を着き、浅く呼吸を繰り返す彼女のその頬を手の甲で軽く叩く。


「しっかりしろ……ナタリー、俺が分かるか?」

「う……ん……」

「説明してくれ。一体何があったんだ。どうしてこんな事に……」


 焦点の定まらぬ目をのろのろと開いたナタリアに彼は苛立ちと焦りを抑えてデュランは尋ねる。


 頭の中では既に結論は出ている。

 追いつかないのは感情。

 辿りつかないのは理解。


(一体何がいけなかったのだろう)


 こんな事になるはずでは無かったのに。


『シキ、前に文献にあった例の物、発見したぞ』


 無造作に差し出したあのサンプルが、まさかこんな事を引き起こすなんて――。


『神経系への毒性があるのが難点だけどさ、ここさえ克服すれば問題ないと思う。一応検証しておいてくれないか』

『あぁ、分かった。やっておこう』


 そうして無造作に渡したあのシャーレ。

 恐らく発端はそこだ。

 それがこんな結末を引き起こすとは、あの時点で予測すらしなかった己の不明を恥じるべきか。

 

「ぅ……」

「ナタリー?」


 ゆっくりと開いた水色の眼がデュランの顔へ焦点を結ぶ。

 普段よりも赤みを帯びた唇が開く。


「あー……ウランちゃんらー」

「俺は十万馬力の妹じゃないぞ」


 こつんと額をつつき、デュランは大きく溜息をつく。


「酒くさ……」


 酔っ払い集団の中で一人素面のデュランは虚ろな目をしてぼやいた。





◆◆◆




「うらんちゃーん」

「デュ、ラ、ン。あとちゃん付け止めてくれって言ってるだろ」

「えへへー。うらんちゃんはぁー、うらーんなのれすー」

「あー、誰だこんな事したのは。てか何で酔ってるんだよ。まだ俺は酵母もどきを見つけただけだったってのに何で既にここまで完成してるんだ……って、こんな事出来るのは一人しか居ないか」


 涼しげな容貌の天才の姿を探してデュランは視線を左右に向けるが、どうやらこのオレンジルームには居ないらしく姿が見当たらない。

 可能性としては未だ研究室にこもっているのか、既にダウンして運び出されているのか。

 前者であってくれ。

 デュランは切にそう願った。

 あれは【レギオン】の最後の良心――の、はず、だ。

 若干天然が混ざっているので、イマイチ言いきれない辺りが悲しい。胃がしくしく泣きそうな程度に悲しい。


(あいつに限って解毒薬作ってないなんて事無いだろうなぁ……誰か無いと言ってくれ)

「るらるらーん」

「どんどん原型が消えてってるけど俺の事だよな?」


 首筋に腕をまわしてぶら下がってくる相手の頭をよしよしとしてやりながらデュランは「取り合えず解毒が先だな」と溜息を吐く。

 目の前の円卓に乱立する瓶の山を見る限り、状況は最悪に近い所まで進んでしまっているようだが。

 中にビーカーやら試験管が混じっているのは単純に容器が足りなかったせいだろう。


「張り切っちゃったんだな、多分……」


 見れば誰の作品か分かる。

 この味もそっけもないシールに成分表としか思えない説明書き(ラベル)、ありとあらゆる調合を余すところなく網羅しているやり込みっぷりは明らかに――


「う、あ、ん、ちゃらーん」

「……こん平?」


 難しい顔をしている処をぷに、と指先で頬をつつかれ、デュランは思考を首筋にコアラよろしくぶら下がっているナタリアに戻す。


「って近ぁっ?!」

「にへへぇー、うにゃんちゃーん」

「俺は猫かよ……」

「ちゅーしよー」

「はいはい、良いから大人しく……は?」


(ちゅー? ……って、何だ?)


「うちゅー」

「だあぁっ!! 近い近い! ナタリー落ちつけ!」


 慌てて寄ってきたナタリアの頭を咄嗟に掴み、デュランは精いっぱい胸を逸らし青ざめた。

 そりゃデュランだって健全な青少年だ。

 ナタリアのような美少女に言い寄られてキスを迫られて嬉しくない訳ではない。

 が、


(これは違う、何かが違う……っ!)


 少なくともこういうのはもっと違うもののはずだ。

 もうちょっと夢とか、希望とか、男のロマンとかがあるはずだ。

 断じてアルコール臭百二十パーセントの息を吹きかけられながら、タコ唇で迫られるものじゃないはずだ。

 きっと違うはずだ。

 違ってて欲しい。


「デュランー、えへへー、かくごー」

「覚悟が必要な事なのか?!」


 いや確かに必要かもしれない。

 応じたが最後、デュランの明日は絶対無事ですまない。

 その事に思い当たり、デュランはさらに青ざめ、更に必死に離れようとする。


「ナーターリー! はーなーれーろー!」


 さすがに頭蓋を掴んだままではうっかり加減を間違えて握りつぶす可能性がある。

 ので、掴む場所を肩に変更して押し離そうとする。

 が、


「にゅふふふふー」

「ええー?! 何でだー!!」


 本来白兵戦特化のデュランに他のレギオンのメンバーが純粋な力で勝てるはずがない。

 はずがないのに、ナタリアの手足はまるで軟体動物のように絡んで外れない。


「ぐっ……このっ、正気に戻れー!!」

「うちゅー」

「い、嫌だぁー!!」


 うっかり応じたら死ぬ。殺される。

 その思いの一心でデュランはナタリアの絡んでくる体を押しのけようともがく。

 もはや絡んでくるついでに感じる体の柔らかさとか、匂いとか、体温とか、その他もろもろアレが当たってるとか、そんなものを自覚する余裕も無い。


「外れねぇー!!」

「さけはにょめどもにょまれるにゃー」

「お前は既に呑まれてる!」


 某北斗神拳継承者の海賊版のような台詞を返して、デュランは一歩下がる。

 ナタリアが一歩詰め寄る。

 デュランが一歩下がる。

 ナタリアが更に一歩詰める。

 デュランが一歩下がる。

 背中に何かが当たった。


(い、行き止まり?)


 絶体絶命だ。

 かくなる上は覚悟を決めて壁を破壊してでも逃走するべきか?

 デュランがその決意を固めて振り返ろうとしたその時、


「デュラーン? なぁに楽しそうな事をやってるのかしら? んんー?」


 背後の壁が喋った。

 否、壁では無くデュランの退路を断ったそれが喋った。

 聞き覚えのありすぎる声に、デュランの関節がギギィと音を立てた。


(振り返るべきか、振り返らないべきか、それが問題だ)


 某王子に匹敵するほど深い悩みと逡巡の後、デュランは取り敢えず眼前の脅威に視線を向けたままにする事を選択する。

 

「えーっと、アリス……だよな?」

「ゆっくりお話ししましょうか? デュラン」


 絶対零度もまだ温かい。

 そう思わせるほどに冷たいアリスの声にデュランは一瞬、死とは何かを悟った。





◆◆◆




「ア、アリス。お前……」

「はーい、ストーップ」


 振り向こうとした瞬間、後ろから回された手がデュランの眼を塞ぐ。

 ついでにグキッという音と共にデュランの頭は強制的に前を向かされた。


「……」

「……」

「……えーっと、何をしてるんだ?」

「あんたこそ何をしてるのかしらねぇ? ずいぶん楽しそうじゃなぁい?」


 ぎりぎりと眼球にかけてくる圧力にデュランの背筋に寒気が走る。

 言うまでも無いが、眼球は人体の急所の一つである。

 そこを破壊されればデュランとて痛い。


「ナタリアと何しようとしてたのかしらねぇ?」

「って誤解だ! てか見ればわかるだろ! この状況で襲われてるのはどっちだ?」

「うにゃははははー、うちゅー」

「もう頼むから、お前も離れてくれよナタリー……お前タコみたいになってるぞ」

「うにょー?」

「絶対関節が妙な事になってるだろうっていうかどうやったらこんな風に曲がるんだ俺でも無理だぞ」

「ううーん……えへー」

「だぁっ! だから止めろって!」

「……楽しそうね」

「どこがっ?!」


 突っ込もうとしてまた強制的に前を向かされる。


「い……っ!」

「前を向きなさい。首をもいだわよ」

「えぇ? 実行済み?!」

「デュラハンに改名ね」

「微妙に上手い……」

「ちゃんとマ抜けになってるのがポイントね」

「嫌なポイントつけられた!」


 軟体動物のようにぐにゃぐにゃと絡んでくるナタリアの体を防ぎつつ、デュランは叫ぶ。


「そんな間抜けに問題よ」

「間抜けがいつの間にか名前に!」

「違うわ。ただの真実よ」

「……それはそれで嫌だ」

「ところで、今私脱いでるんだけど」

「また脱いだのか!」

「前を向きなさい」

「い、痛い! 髪を掴むな、抜ける!」


 若禿げの恐怖におののくデュランにひたりと後ろから身を寄せ、アリスは見えてないだろう顔に笑みを刻む。


「ここで問題です。あたしは何処まで脱いでるでしょう」

「っ?!」

「だからあなたは前だけ見てなさい」

「もげたはずの首が痛い?!」

「で、どうなの?」

「何でこんな質問に答えなくちゃ……ってってててて! 目! 目が壊れる!」

「で、どうなの?」


 淡々と繰り返された言葉にぞっとし、デュランは「うーん」と近寄ってくるナタリアの頬を押しのけながら考える。


「え、えーと……上着だけ、とか」


 希望的観測を述べてみた。


「残念、ハズレ」

「そ、そうか……」

「正解は……ぜ、ん、ら、よ」

「今すぐ着ろ!」

「何よ、喜びなさいよ」

「この状況でどうやって?!」


 叫ぶついでに振り返りそうになり、デュランは慌てて前を向く。

 背中に当たる二つの突起が非常に気になるが、今振り返ってはいけない。

 そりゃデュランだって健全な青少年だ。

 正直言って女性の体に興味がゼロという訳ではない。

 が、


(これは違う、何かが違う……っ!)


 少なくともこういうのはもっと違うもののはずだ。

 もうちょっと夢とか、希望とか、男のロマンとかがあるはずだ。

 断じて生命と髪の危機にさらされながら脅されて目撃するようなものではないはずだ。

 きっと違うはずだ。

 違ってて欲しい。


(ってこんな事さっきあったような……てか、何だこの状況じごくは)


 前門のナタリア、後門のアリス。

 進めば地獄、下がっても地獄。

 逃げ場がない。


「だ」


 ごくり、と唾を飲み込んでデュランは顔をひきつらせる。


「誰か、誰か助けて下さい――っ!」


 世界樹の中心で叫んだ声に、取り合えず愛はこもっていなかった。

 

 

 

【作者後記】

と言う事で第一段、須田様から頂いたリクエストの酔っ払い話でした。

(一部の)男の夢を叶えているのにさっぱり幸せそうでないデュランですが、まだまだ続きます。


作者拝

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