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雑談――わんことご主人様の場合

一応正月の話だけれど、まったく正月の要素が見当たりません。

「貴方」

 ふわりと鼻をくすぐる香ばしい出汁の香り。

「起きて、貴方」

 カーテンの隙間から差し込む朝の光は清々しく澄んで、まだまどろむ彼の体を柔らかに照らす。

 それに少し眉をしかめて唸った彼の額を、つんと何かが優しく突く。

「ん……」

「おはよう、お寝坊さん」

 甘い声にからかうように囁かれ、彼はうっすらと金色の目を開きまだ合わない焦点を辺りに彷徨わせる。

「朝食にするか? それとも先にシャワーを使うか? それとも」

 わ、た、し?

 脳髄まで甘くとろかすような声。

 柔らかく耳たぶを食まれたかのような感触にセシェンの意識は一気に覚醒する。

 一気にクリアになった視界には何とも美しい白い顔が何か面白い玩具を見つけた顔で彼を覗きこんでいた。

 紫色の目。

「へへへへへへへいかっ!?」

「そんな妙な役職になった覚えはないが」

「も、申し訳ございません!」

 主人より後まで寝ているなんて。いや、それよりも先程の台詞は。いやいや、それよりも耳のアレは――

 あわわわわ、と普段の冷静沈着な執事ぶりを返上する勢いで焦って挙動不審になっているセシェンの鼻に、むぎゅ、と何かがおしつけられる。

「うばっ、ちゃっ、た」

「は?」

 ぱくぱくぱくっ、と目の前で王の声に合わせて動いたパペットを茫然と見つめ、間の抜けた声を上げるセシェン。

 それに王はその子犬型パペットを自分の顔の横に引きつけ、その口をまたぱくぱくとさせる。

「起きて貴方、ご飯よ」

「……陛下、それは一体」

「うん? お前専用ポチ子ちゃん人形だ。さっきお前に話しかけていただろう」

「……恐れながら、先程からわたくしの耳などにちょっかいを出しておられたのは」

「これだな」

 ぱくぱく、とデフォルメされたパペットの口を動かす王。

 ついでに手の部分もぱたぱた、耳もぴこぴこさせてみせる。

 セシェンは思わずがっくりとうなだれた。

「えぇ、陛下がそう言ったことをなさる方とは重々承知しておりましたが……」

「何だ、嬉しくないのか。折角お前が寂しくないようにもう一匹犬を連れて来てみたというのに」

「陛下……恐れながら二点ほど修正が」

「言ってみろ」

「第一にそれは犬では無く、ぬいぐるみでございます。第二にわたくしも犬では無く、ドラゴンでございます」

「別に照れて誤魔化す事は無いぞ」

「照れても誤魔化してもおりません!」

「まぁセシェン落ちつけ。とりあえず着替えたらどうだ?」

「こ、これは……申し訳ございません」

 未だに自分が寝台上で寝巻のまま主人を立たせて話していることに遅まきながら気付き、セシェンは慌てて転がり落ちるように寝台から降りる。

 しかし何故主人である魔王ディアヴォロス・デュランがここに居るのか。そして何故こんなに食欲を誘う香ばしい匂いがするのか。

 そんな疑問が顔に出たのか彼の主人はパペットをもっていない方の手、に持っているお玉で部屋の片隅を指す。

「節料理だ」

「陛下がご用意くださったのですか!?」

「まぁな」

 と当然のようにお玉でスープの味見をしながら答える魔王。

 よく見ればいつもの純白のいでたちと思いきや、主人が来ているのは純白の割烹着だ。

 羞花閉月の中性的な美貌の持ち主だというのに、庶民的な割烹着にポニーテール姿が何故かやたらに良く似合う。しかも味見や調理する姿が妙に板について居て、セシェンは新年早々少し泣きたくなった。

 白銀狼なのに、何で主人に世話を焼かれているのだろう。

 種族アイデンティティの揺らぎを感じつつ、セシェンは既に用意されていた服を片手に隣りのの部屋に引っ込んだ。

 流石に主人の間で着替える訳にはいかなかった。


 着替えて気持ちを落ちつけてみれば、ここはどうやらセシェンの部屋でも王の部屋でもなく、秋離宮に大量に余っている客室の一つのようだった。

 良く良く思い出してみれば、あの後(・・・)部屋に自力で戻った記憶も無い。

(……。まさか、陛下に運んで頂いて……?)

 思いついた最悪の可能性にセシェンはがっくりとその場に膝をつきそうになり、寸でのところで留まる。服は支給品。主人からの頂き物を簡単に汚すわけにはいかない。

 溜息をこらえつつタイを締め、セシェンは鏡で身なりを確認する。

 本来ならば目出たい年の初め。しかし鏡に映ったセシェンの顔は暗く曇り、目の下には隈が出来ていた。とても主人の前に出ていけるような顔では無い。その己の顔を見ることで昨晩の失態を思い出し、セシェンの顔はますます暗くなる。

 返す返すも自分の不明が悔やまれてならない。

 主人に見当違いのことで意地を張って、心労をかけ、さらに寝床の世話までされるとは。

(合わせる顔が無ありません……っ)

「下らんことを考えている前にさっさと来い、いつまで俺を待たせる気だ」

 頭を抱えた所を後ろからスカーンと景気良く「ポチ子さん」で叩かれ、セシェンは目を白黒させて「陛下?」と振り返る。

 そこには花の顔も麗しく、腕を組んで仁王立ちし、呆れた眼差しでセシェンを眺めている王が居た。

「いつまでも出てこないと思ったら鏡の前で一人ぐねぐねして……面白いが、やるなら俺の見える所でやれ。つまらん」

「いえ、陛下……これはその」

「で? 何時まで俺はお前を待たねばならないのかな? それとも昨日のように抱き上げて運んでやろうか」

「結構でございます!」

「ならさっさと這って来い」

 言って王は踵を返して最初の寝台のあった部屋に戻ろうとし、それから振り返って固まっているセシェンに苦笑して「本当に這うなよ?」と真剣に悩んでいた生真面目な青年にフォローを入れたのだった。


 本当に奇妙な年明けになった。

 落ちつかない気分で席について料理を頂きながらセシェンは思う。

 まさか、白銀狼の自分が貴き方――全ての魔族の王にして己が主の手料理で新年を迎えるとは夢にも思わなかった。

 通常、王が料理をするなどと言うことは無い。

 それは王が多忙であるという理由もあるが、王の出身が基本的に四大卿の血筋であるからというのも大きい。貴族の中でも頂点に当たる、始原王デュランに従った四人の魔族の血統を引く彼らは自ら料理をすることは無い。それは、貴族として仕える者の仕事に手を出さないのが、家人達に対する敬意であり尊重であるからだ。

 だが、四大卿の血筋では無い、魔族の位で考えても白種の中の下にあたりディアヴォロスである今上聖王デュランは平気で自分で身の回りのことをやろうとするし、料理も作る(しかもやたらに美味い)。昔軍属だったから、大抵のことは自分で出来るようになったのだという話を何かの拍子にぽつりと漏らしていたが、少なくとも目の前に並ぶ料理は軍で作るような野戦炊飯では無い。

 盛り付けまでプロの料理人のように美しい節会料理を前に、セシェンは何となく箸をつけるのを躊躇う。

 主人に仕え、主人の役に立つことこそを最上とする白銀狼としてこんな正月で良いのだろうか。

 勿論セシェンはこの食事が昨日のいざこざに対する王なりの謝罪を込めているのだというのは分かるのだが、主人に尽くすならともかく尽くされるというのはどういうことなのだろう。

 セシェンはそっと視線を動かし、王の様子を窺う。

 相変わらず美しい。

 この王の存在を知って傍に居るようになってからけっして短く無い時間が経っているが、何度見ても色褪せない玲瓏たる美貌、そして麗容にはただ感嘆の溜息しか出てこない。殆どが謎に包まれている異色の王ではあるが、その分かっている部分だけを拾い上げてみても相当に血腥い経歴の持ち主にも関わらず、その白いおもてには一種犯しがたい気品というか清々とした無垢な雰囲気がある。

 その顔には今でもうっすらと微笑が浮かんでいるが、表情が抜け落ちた時は直視するのが恐ろしい程整っていることをセシェンは知っている。

(陛下)

 心の中で、セシェンは王を呼ぶ。

(陛下。我らの王よ。貴方は一体我らに何を望んでおられるのですか)

 いったい、何故わたくしを傍において下さるのですか。

 セシェンは目の前に用意された節会料理を見下ろす。

 けして特別に凝っている訳ではないが、美しく盛りつけられた料理は味覚と嗅覚が他一倍鋭いセシェンに配慮してか薄めの上品な味付けになっている。そんなところに普段はわざとに分かり難くされている主人の思いやりが見え隠れするようで、セシェンは胸が詰まるような思いを覚える。

(貴方の為に、わたくしは何か出来ておりますでしょうか)

 押しつけるようにして王の元に留まり、理由をこねて仕事を作ることで王の元に居る理由を作っている自分の姿を、セシェンは理解していない訳では無かった。

 セシェンが魔族で唯一ここに留まることを許されたのは、ただ王が寛容であったというだけのことだ。

 セシェンが白銀狼の中で特別に――例えば兄のように優秀だったからではない。

 王は世間の噂とは違い、本当はとても寛容な人だ。

(仮に)

 セシェンは目の前の皿を見下ろして想像する。

(今ここで、この皿を床に叩きつけて陛下が手ずから作って下さった料理を踏みにじったとしても……この方は笑って許すだろう)

 王の白い横顔を見上げ、セシェンは思う。

 仮に、セシェンがこの場で立ちあがって王の頬を打っても、王はそれを許すだろう。古の哲学者のように反対の頬をも差し出すことさえ厭わないだろう。

 それは王としては誉められた行為ではない。

 王はもっと傲慢で、もっと峻厳でなくてはならない。

 王として、この方はあまりに寛容すぎて、甘過ぎる。

 命令に背いて我を通した配下に対してその首を落としても本来は咎められるどころか当然と評されてしかるべきなのに、それを叱責するでもなく、まして仲直りの食事を手ずから拵えるなど――笑ってしまいたい程甘過ぎる。

 けれども、そんな主人がセシェンはどうしようもなく好きだった。

(陛下。わたくしの陛下。わたくしの、大事な大事な、かけがえの無い大切なあるじ様)

 見つめられていた視線に気づいたのかまじりけの無い紫の瞳がセシェンを捉え、不思議そうに小さく首を傾げる。

 その様子にセシェンは思わず笑みを誘われる。

「陛下」

「どうした」


「……ありがとうございます」

「何だ、おかしな奴だな」

 紫眼を少し和らげて笑った王にセシェンはひそやかに思う。

 きっと本当は、この美しい人には誰も必要な相手などいないのだ。

 それでも、自分はこの方の為に生きたい。


 口に入れた魚の身はほろりと崩れて、甘く優しいバターの香りがした。

 


【作者後記】

あけましておめでとうございます。

今年の作品第一弾は、魔界の御正月(陛下とワンコ)になりました。

節会料理は思いっきり内容をぼかして書いてますが、和風おせちではございません。魔界には正月を祝う風習はあってもおせち料理みたいなのはありません。

地域や種族によって異なりますが、大抵パンとスープと魚料理一品だけです。この時だけは貴族であっても質素な食事の方がむしろ好まれます(ヴァンパイアになると質素な中に如何に「美」を詰め込むかみたいな、シンプルイズビューティフルを追求した料理になりますが)。


ちなみに陛下が作ったのは野菜入りコンソメスープと白身魚のムニエルでした。


ちなみに前日談として「魔王様家出する」「わんこの大掃除」「長さん、家出少年を匿う」の三話があります(笑)

最後の話に関してはいつもご感想を頂いている某方に捧げ済みです。


それでは、本年も宜しくお願い致します。

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