激闘、ドゥクライ
――ドゥクライは、比較的すぐに見つけることが出来た。
「見つけた……」
ズン、ズンと地響きが腹の底をに響く。
目の間の巨体を茂みの中から見ながら、俺は少し声の冷たさを混ぜながら呟いた。
木々の隙間から漏れた月光によって照らされた紫の巨躯。
その巨体を揺らしながらの歩行は、まるで山が動いているようにも見えた。
「……予想以上にデカいな」
聞いていたサイズ――っていっても、この世界の大きさの概念とかは分からなかったからおおよそで考えていたのだが、それでも俺の想像は軽く裏切られた。
とにかく巨大だ、ということは聞いていたが――四足を地に付けた、目の前にいるドゥクライは……目算の概算で体長は十五メートルくらいはありそうだった。
圧倒的な威圧感。
一言で表すのであれば、目の前の巨躯にはそれが適切だった。
怒りなのか、激情で震える外殻と口の端から漏れ出す焔。
低い唸り声を上げながら歩を進める様は――異形そのものだった。
まさに飛竜。
これが、食物連鎖の頂点。
だとしても、臆してばっかりではいられない。
掌の中の汗を握りしめながら、己を鼓舞するように笑みを浮かべた。
「……ふぅ」
意識を研ぎ澄ますように息を吐き出す。
こうした大物との戦闘は初撃が重要だ。
相手がこちらに気が付いていない状況で、相手と自分の地力の差埋めることができるか、それが重要なのだ。
そう、所詮はどれだけ鍛えたところで、人間一人の力なんてものは高が知れている。
たった一人の力では、竜はおろか魔王なんて倒せるわけは無い。
だから人は徒党を組み、知恵を捻り、戦略を立て、自分よりも強大で尊大な敵に立ち向かい続けてきたのだ。
「ふっ――」
――俺は走り出した。
音を立てずに地面を蹴り、剣の柄を柔らかい力で握った。
握り込むと無駄な力が入って、咄嗟に体が動かなくなってしまう。
走り出した、と同時に抜剣。
暗がりが作られた森の中に差し込む月光を跳ね返す――銀の刀身。
「ハッ!」
空を薙いだ。
問題なく動く体から放たれた、渾身の一撃。
衝突の瞬間に柄を一気に握り込み、ドゥクライの右アキレス腱に向けて強烈な一閃が叩き込まれる。
ザッ――
『――グガッ!?』
派手な音は無く、ただ肉に裂傷が付けられる音が静かに響く。
突然の攻撃に、飛竜は驚いたように唸り声を上げた。
(――浅いっ)
踏み込みと攻撃のタイミングが、一瞬だけズレた。
それは些細だが、致命的なズレでもあった。
体は、前にいた世界と同じように動く。
しかし、慣れ親しんだ装備で無いことや、未知の敵に対する畏怖の感情によって、剣の軌跡をブレさせてしまったのだろう。
視線が、絡まる。
『グガアアアアアアアアアアアアアァァァァッ!!!』
「――ッ!?」
攻撃された場所から敵の位置を割り出した飛竜が、俺の方へ激高の視線を向けた。
と、同時に凄まじい音圧の咆哮を上げ、静かだった森全体の空気を容赦なく揺らす。
人間には到底出すことの出来ない、根源的な恐怖を呼び起こす絶叫。
まるで爆弾の炸裂音にもにた咆哮が、咄嗟に距離を取ったのにも俺の体を直撃する。
あまりの音圧に頭蓋が軋んだ。顔を顰め、少し揺れる視界と体に活を入れる。
「……だからって、退くわけにはいかないんだよな」
笑みを深め、俺は再び咆哮を上げるドゥクライへ駆けだした。
三連撃。
地を蹴って、踏み込んだ勢いを相乗させて剣を振り抜く。
しかし、その攻撃は堅牢な飛竜の鱗によって阻まれた。
人間離れした膂力。
前回の異世界での旅で獲得した、体内を循環する魔力を使った『身体強化』は、この世界でも使用することが出来るらしい。
ユウは、全身に魔力を回し、同時に体内で細かく魔力を調節していく。
凄まじい量の魔力を、針の糸を通すような正確さでコントロール。
一歩間違えれば、魔力の供給過多で筋繊維がはじけ飛ぶ程の――ある意味、自殺行為のような所業だった。
『魔力の真髄は、体の外側へと向かっていく”無色の力”よ。』
甲高い金属音、それと視界で弾ける火花。
右掌から伝わってくる鈍い衝撃に顔を顰めながらも、ユウは止まらない。
剣を振り抜いた姿勢――から一気に反転、即座に体勢を立て直す。
『グガアアアアッ!』
と、先ほどまでユウの立っていた場所へ、凄まじい勢いでドゥクライの尻尾が振り下ろされる。
ユウの胴回りの何倍もの太さの靭尾は砕音と土煙を巻き上げた。
そのあまりの衝撃に、近くの木々が地面の陥没に巻き込まれて、倒れていく。
「……やるじゃねぇか」
攻勢から、警戒態勢へと戻るドゥクライと視線を交えながら呟く。
同時に、熱を持った空気を排出し、頬を伝う汗を拭った。
今の攻撃は確実に、ドゥクライの肉が表出している間接部に直撃しているはずだった。
しかし、実際は咄嗟のところで身を捻ったドゥクライによって弾かれ、カウンター気味に尻尾で攻撃を仕掛けてきた。
――誘われた?
『グルルルゥ……』
油断の無い竜の瞳と視線を絡めながら、そんなことを考える。
たった数回の攻防から、ユウの得意とする剣戟の軌道を読み、敢えて弱点を曝け出して、ユウの一瞬の油断を誘ったのだろうか。
そうなれば厄介極まりない。
しかし、その思考はあくまで『目の前の敵を殺す』場合だ。
ユウ達の目的は殺すことでは無く、ミッドレイから追い払うこと。
そして今の自分は、その任務を果たすために時間稼ぎをすることだ。
だったら、問題はない。
(だからといって、油断したら一瞬で戦況を持っていかれる)
ユウは鋭く息を吐き出し、剣の柄に込めていた力を緩める。
無駄な力が入らぬように、だが、一部の隙無く剣を構えた。
「――ッ!」
『――ガッ!』
駆けだしたユウに応戦するように、その強靱な尾を振り回す。
先ほどの攻撃で遮るものが無くなった靭尾が、走り出すユウに向かって横薙ぎの軌道で近づいてくる。
その攻撃を横目に眺めながら、ユウは――跳んだ。
軽やかに中空へ飛び出す、服を裂く尾の棘、揺れる空気と一瞬だけ静止した世界の中で、色濃くユウの脳内に残る。
すぐに元の速度を取り戻した時間の流れ。
地面にほぼ滑るようにして着地したユウは、軋む体を気にせずにそのまま地面を蹴った。
それを迎撃するように、飛竜はすぐさま尾の軌道を修正。
斜めからの軌道で振り下ろされるそれを、ユウは刀身を滑らせるようにして受け流す。
右腕を通じて、凄まじい衝撃がユウに襲い掛かる。
「――っ、くッ!?」
体勢を落とし、受け流すと言うよりも、どちらかと言えば衝撃の少ない方へ逃げるように攻撃の軌道を受け流した。
それでも、両腕に凄まじい衝撃が走った影響で感覚が鈍くなる。
思わず表情に苦悶が混じるユウに、ドゥクライの気配が変わった。
それは、獲物に攻撃の隙が生じたことを直感した、狩人の気配。
『ゥグ――』
「っ!」
なんとか体勢を立て直したユウの視界の先で、飛竜が身を低く構えるのが見えた。
(……あ、これはヤバイな)
何をしようとしているのか――と、考えたと同時に結論が出たユウの背中に冷たい感覚が這った。
脊髄の辺りが反射的に身震いする。
『――ガアアアアアアアアアアッッ!』
全身の力を全て、余すこと無く使った突進。
人間と飛竜という明確な体格差を見事に利用し、ユウの視界の全てを紫色の鱗が覆った。
当たれば、即死こそしないものの、しばらく立ち上がることは困難になるだろう。
そうなれば一貫の終わりだろうし、そんな自分を助けてくれる頼もしい仲間も今はいない。
これはまずい状況――
「――だからって、死ぬわけにはいかないってな」
小さく呟いたユウは――笑う。
それは、今までにこれくらいの――命の一つや二つが、軽く消し飛ぶような場面は、嫌と言うほど経験してきたからだ。
これの程度で消し飛んでしまう命であれば、世界を救う英雄になんてなれはしない。
魔王なんて倒せるわけも、これから飛来するであろう隕石だってどうにかすることは出来ない。
――思考の歯車を、一段階加速。
同時に全身から余計な力を抜き去り、自然体へと巻き戻す。
魔力は、全開放。
「っ!」
ユウの体が、勝手に動き始める。
余計な思考、感情、情報を全て削り出し、戦闘に必要な情報だけを反射神経に伝えた。
そうして伝えられた情報が、これまでの――三年間の戦闘経験によって培われた、洗練された動きへと昇華される。
向かってくる巨体に、光の点が見える。
それは命の危機にまで追い込まれたときに脳が弾き出す打開策。
これに沿って歩を進めれば良いと、直感がユウに告げた。
迫り来る巨体の外殻を駆け上るように、同時に襲いかかる衝撃を全身で押し殺しながら――
「――」
歩くように、軽やかに、無駄なく、しかし激しい舞踏のように、ユウはその光点をなぞる。
人間の限界を超えた挙動に肺が、脳が、全身が詰まった呼吸の影響で酸素を求めるように軋音を響かせる。
しかし、歩みは止まらない。
「――っ……はっ」
気が付けば、ユウは宙にいた。
加速してた思考が、急速に元の速度に戻っていく。
同時に、止まっていた呼吸が吹き返し、全身が酸素を追い求めて呼吸を荒げさせた。
同時に、現状を理解するべく呼吸を落ち着けながら、視界から得られる情報を可能な限り収集していく。
眼下には、消え去ったユウを探すドゥクライと、飛竜に巻き込まれた土木石が倒れ、舞っていた。
遅れて攻撃による破壊音の残滓が、微弱な振動として鼓膜を揺らした。
体に、重力が戻った。
空気が揺れる音と一緒に、ユウの体は真下にいるドゥクライの元へ吸い込まれるように落ちていく。
右手に握っていた剣を、両手に握り直した。
「はっ!」
『グガアァッ!?』
落下による推進力と膂力の全てを使って、ドゥクライの首元に剣で斬る――というよりは、半ば殴るような形で攻撃を加えた。
金属と硬い異物がぶつかり合う、鈍くも高い撃鉄音。
同時に散った火花が視界を焼いた。
思わぬところからの攻撃に、ドゥクライは驚愕とも苦悶とも取れる呻き声を上げた。
打ち付けた剣に生じた反作用で、ユウは地面へ投げ出されるように転がる。
回る視界で、なんとか体勢を持ち直し、紫の巨体へ視線を戻すと、同時目の前から紫色の巨体が消えた。
「――っ、くッ!?」
ユウの攻撃に驚愕しながらも、すぐさまに全身の筋力を使って、体勢を立て直したドゥクライ。
そのまま、背中の翼膜をはためかせ、空へと躍進。
巨体を支える強靱な双翼によって押し出された空気の塊はちょうど真下にいたユウに、まるで重圧のようにのし掛かった。
「――ガアアアアアアアアァァァァッッッ!!!」
耳を劈く咆哮。
すぐに状況を嚥下したユウの視界の先では、人間を丸呑みできるくらいに顎門を開けた飛竜の姿。
それはさながら、地獄への門のようだった。
そして肺に貯め込まれた空気を触媒にし、チリチリと口端で青白い火花を散らす。
ユウの全身が、色濃く危険信号と『死』を直感し、全身から冷たい汗が噴き出した。
焔――紫炎のブレス。
(――マズい)
そう、理解したときには、もうユウの視界は紫の光に包まれていた。