昏い森と紫竜
――日が完全に沈みきった森の中を、ユウとリリアは沈み腰で進む。
「暗いですね……」
「あぁ、そうだな。月明かりも木で邪魔されてるし……もう少し開けたところで戦闘できたら良いんだが」
リリアの言葉に短く応えたユウ。
そんな二人の頭上を浮遊するミハエルは、幽霊とは思えないくらい暗がりを作る森にビクついていた。
「な、なぁユウ……本当に、あんな大見得を切って大丈夫だったのかよ? 今からでも引き返して、やっぱり無理でしたって言おうぜ?」
二の腕を摩りながら言うミハエルに、ユウは嘆息した。
「何回も説明させるなよ……勝算が無かったら大見得なんて切らないさ。それに、リリアが言うにはこの依頼は破格の額なんだろ? そしたら受けない理由なんて存在しないって――」
――以下、数時間前のできごとの回想。
慌ててギルドに飛び込んできた男曰く――ある富豪が冒険者に、一つの依頼をしたらしい。
この季節になると美食家の間では一つの素材がとても重宝されるのだ。
それが、飛竜の無精卵。
正規のルートで流通することは無く、それを食そうとするのなら冒険者に頼むしかない。
そうなれば相場は決まって高くなるのだが、一度口にしてしまうと、そんなことは気にならなくなるほどの絶品なのだそう。
秋を終え、冬の厳しさを迎えようとしているこの時期は、そんな飛竜たちの産卵の時期になる。
いわばそれは、美食家にとっては少し遅い美食の秋であり、冒険者にとっては、冬前の稼ぎ時でもあった。
飛竜は、無精卵を奪取する分にはそこまで深追いはしてこない。
流石に、自分たちの巣へ侵入してくる阿呆を撃退するために攻勢にはなるが、自分の縄張りの外へ出た者には基本的に無関心になる。
『――それで、有精卵を持って帰ってきちまった馬鹿野郎のせいで、ミッドレイの外れにまでドゥクライが来ているんだ!』
「なるほど……事態は分かりました。それは早急に対応しなければ、ミッドレイに被害が出てしまいかねませんね」
男の話を聞いて、カウンターで相対していたギルドの上層部の男は低い声色で頷き、そっと息を吐き出した。
飛竜種・ドゥクライ。
別名を、紫焔竜。
その名の通り紫色の外殻を持つの飛竜だった。
鱗にある棘と爪には神経毒が含まれており、巨躯を生かした体当たりや、連発こそしないが炎のブレスを履くことも出来る。
ミッドレイの外れにある森を抜けた、森の麓に生息する比較的大人しい飛竜であるのだが、こちらから攻撃や縄張りに侵入をしない限りは好戦的にはならない。
しかし、一度逆鱗に触れようものなら、手がつけられないほどに獰猛になるのが特徴だ。
「それでは、緊急の依頼を発令いたしましょう」
そう言うと奥へ何人かの職員を連れて引っ込み、数分後。
「ドゥクライの撃退および討伐を、今ここにいる冒険者に依頼いたします。報酬は――金貨十五枚です」
即席の依頼書を掲げながら、職員らしき男が戻ってくる。
その依頼書に書かれた金額に、辺りにいる冒険者は驚きの声を上げた。
同時に、沸き立つような熱狂の渦に包まれる。
――異世界から来訪した、ユウを除いて。
「なぁ、リリア。一つ質問をしたいんだが、いいか?」
「な、なんでしょう?」
リリアは、少し興奮気味の視線をユウに向けながら答える。
「金貨十五枚って、そんなにすごい金額なのか? 周りの反応を見る限りはすごい高額なんだろうけど……どれくらいの金額なのかピンとこなくてさ」
ユウの質問に、顎に指を添えて考える素振りをリリアは見せる。
「そうですね……少なくとも三年は遊んで暮らせる額だと思います」
「それは凄いな」
頷きながらのユウの言葉に、リリアは付け加えるように続けた。
「はい。稼ぎの良い冒険者でも、一回の依頼はこの金額の半分くらいですし――破格の金額には間違いありません」
と、そんな会話に割って入ってきたのはドヤ顔のミハエルだった。
「俺の全盛期の時は、一枚の絵でそのくらいの金額が付いたぜ!」
「へぇ、よくわかんないけど……ミハエルの絵ってすごいんだなぁ」
「相棒、てめぇ、絶対にそんな風に思ってないだろ! もっと尊敬しろ、崇めろ、讃えろ、奉り賜れ!」
「嫌だよ、お前臭いし」
ミハエルは、ユウの言葉にムッキーという擬音語を背後に出しながら怒る。
そもそもの話なのだが、幽霊に体臭があるところにツッコミを入れたいのだが、そんな余地が今のミハエルには無い。
「臭くねぇよ! なぁ、嬢ちゃんは俺のこの、ダズの花みたいな香りを理解してくれるよな?」
「いえ……その、大変申し訳ないのですが、ダズの花の臭いではないかと思います……」
と、そんな雑談をしているのに割って入るように冒険者の男が声を上げた。
荒々しさはなく、ただ問題提起をするようなそんな口ぶりであった。
「でもよ、飛竜――しかも、ドゥクライを追い払えるような実力者は、今のミッドレイに残ってないんじゃないのか?」
その言葉に、ギルド内は思い出したような喧噪に包まれる。
なんでも、今のミッドレイには飛竜を相手取って、生還できる猛者がいないとのこと。
遠方での依頼をこなす者、故郷へ帰省をしている者、不倫がバレて逃亡している者など――理由は様々。
それまでの、報酬金に対しての狂乱から一転、バケツをひっくり返した喧噪の中、ユウはふと一つの結論に至った。
(――もしかして、これはチャンスなんじゃないか?)
今の彼は無一文だ。
それに、この世界での自分の実力がどれほどのものかを把握するのには、この上ない相手だとも言える。
そうして、渋い表情を浮かべルギルド職員の方へ歩み寄る。
背後で、リリアとミハエルが訝しみ、止めたような気配を感じながらも、ユウは歩く速度を緩めなかった。
「その飛竜、俺が倒しますよ」
――と、これがユウが飛竜退治に来ることになった経緯だ。
その後は、自分が遠い地で竜を退治した経験があることを説明し、武器を支給され、今いるミッドレイの外れの森へと赴いているのだった。
どうしても同行したいというリリアと、一悶着(主にミハエルとリリアの言い合い)あったが――最終的には、依頼を受けるためには二人以上でないといけないギルドのルールにより、リリアは同行することになったのだった。
そんな、少し問題もありながらも、しかし一行は順調に森の中を進んでいた。
飛竜らしき足跡を追いながら、森の奥へと進んでいく。
「……そろそろだな。二人とも気を引き締めてくれ」
足跡の真新しさを確認したユウが、二人の方へ振り返って言う。
「私は、ユウさんが飛竜をこの辺りから引き離している隙に、飛竜の巣へ卵を返しに行く。その後、この『信号弾』を打ち上げて、合流場所へ向かうという手順で、良いんですよね?」
その信号団には、飛竜にしか感じ取れない匂いがあるらしい。
ギルドの職員曰く、
『その匂いが、どこから香っているのを悟った瞬間、例えドゥクライといえど、すぐさま巣に帰還すると思われます』
と言っていたことを、ユウは脳内で反芻する。
彼は、その間の時間稼ぎ役を行うという役割分担だ。
「おれっちは、嬢ちゃんに何かあったときのための、連絡係だよな?」
リリアは、ユウが背負う卵――人の胴体にもなる大きな、紫色のある卵へ視線を向けながら言った。
これがドジを踏んだ冒険者によって飛竜の巣から持ち出されてしまった、飛竜の有精卵だった。
リリアとミハエルの言葉に、ユウは頷く。
「あぁ、それが最低条件だ。余裕があれば、そこから無精卵を――何の斑点も無い卵を、持って来られたなら報酬は倍額になる」
「あの金額から更に倍になるって、とんでもねぇ話だよな。まあ、だとしても無理は禁物だよな?」
続けて言うミハエルに、リリアは決然とした表情を浮かべる。
「はい、無理をしないように頑張ります」
「そんなに気負わなくてもいいさ。正直な話、俺の方がこの世界でどのくらい実力が通じるかなんて分からないし、無理をしなきゃいけないのは俺の方かもしれない」
苦笑を浮かべながら言うユウは、それまで背負っていた卵を地面へと下ろす。
軽くなった体に、何か問題が無いかを確認するユウへ、リリアは心配そうな視線を向けた。
「あの……その、死なないでくださいね」
「あぁ、心配すんな。これでも一応は元・勇者だから」
そうして、作戦に移るべく、それぞれの持ち場へと歩き出した。