こうして世界は救われたのでした
静寂に、なった。
「やっ、た……、っのか?」
絶え絶えの呼吸をしながら、俺は目の前で起こる景色に視線を向けていた。
禍々しい、という表現が適切とも言える王室。
紫を基調にして、この世の混沌というものを、更に混沌という鍋で煮込んだような、そんな王室には影が三つと、噴煙のように巻き上がった爆発の残滓だけだ。
砕け落ちる天井の破片の、最後の一つが地面に落ちていくのが、視界の端に見える。
それまでの剣戟や魔術による攻撃が一斉に鳴りを潜め、辺りは耳鳴りがするほどの静寂に包まれていた。
そこにさっきまで、魔王がいたなんて嘘みたいだった。
「そう、みたいね……」
現状を確認して、やっとこさ俺の問いかけに反応したのは、魔術師のマリアだった。
身に纏っているお気に入りのローブは煤まみれになり、袖の部分は破れたりもしている。紫色の水晶みたいな髪も、ボロボロだ。
自身を自信満々に、完璧にして潔癖の魔術師だと豪語し、戦闘に置いて汚れることを嫌うマリアらしからぬ姿だが……いや、それほどまでに強大な敵と戦った証でもあったのだろう。
そんな彼女はへなへなと座り込みながら、まだ把握はしながらも理解はできていない風な、乾いた笑みを浮かべながら言った。
いつもであれば、勝ち気に「ほら見なさいユウ、私のお陰で万事が快調ってやつね! 感謝しなさい! フハハハハっ!」とハイテンションで恩を着せてくるのだが、流石に今はそんな元気はないみたいだ。
「……はっ、ははっ。倒したのか、倒せたのか――俺たちが、魔王を!!」
「あぁ……倒せたみたいだな……」
興奮気味に言うのは、前衛も務められる頼れる拳闘士のリックだ。
元は落ちこぼれの拳闘士であり、それを理由に故郷を追い出されてしまった。
そんなこんなで田舎町の酒場で自暴自棄となりながら酒をで俺たちと出会い、あれよあれよという間に意気投合。
闘うため、一度は諦めた闘士としての道を再び歩むこととなった。
そこからは、文字通り血の滲むような努力の末に、リックの部落で当代随一と言われた拳闘士を打ち倒すまでに成長した。
まさしく努力の男。いや漢だ。
普段は明るくがさつで、涙もろく、隙あらばマリアと言い合いをしているが……戦闘となれば、どんなに強敵を目の前にしようが『絶対に倒れない男』と、他国からも畏敬と賞賛の声が上がるほどだ。
そんな頼れる男ことリックは、徐々にテンションを上げていきながら、ついには最高潮とも言えるトーンで言い放った。
そんなリックの様子を、マリアは涼しげな視線を向けた。
「何よ、さっきまでそこら辺でへばってたくせに……あれなの、馬鹿なの? 馬鹿なのかしら? 馬鹿なのね……いいえ、きっと貴重な回復薬をその無駄なハイテンションに使う愚か者なのね」
「マリア……俺は愚か者じゃない! お調子者だ――ぐバッ!?」
自分の胸を叩くリックは、その衝撃でむせる。最強の盾とも言われるに体に、最強の矛の拳をぶつけるとむせるんだな……なるほど、勉強になった。
マリアはむせるリックに、冷ややかな視線を向けた。
「どっちも変わらないわよ。馬鹿って言う点ではどっちも同じだもの」
「ねぇ、何回も何回も、馬鹿って言わないでくれる!? 俺いい加減、本当の馬鹿になっちゃうよ!?」
マリアは、いつもの調子に戻ったように笑みを浮かべた。
ほらね、いつもこんな感じだ。飽きないのがすごいよ。
「私の意見だけじゃ不十分っていうなら、ケイに聞いて――」
そこでマリアの言葉が止まる。
それは、これまでの習慣みたいなものだ。今までであればここで、
『えぇ、私に聞くのそれ……?』
と、優しい返答と供に、パーティーの癒やし役にして目の癒やしでもあった、治癒術士のケイが、苦笑いを浮かべていただろう。
しかし、今はそんな優しい笑みも、柔らかい表情も――この世のどこにもない。
俺たちの視線の先には、ボロボロになった三角帽子と、稀代の天才と云われた彼女にしては質素な、木製の杖が倒れるように落ちているだけだった。
「――ごめんなさい、私……そんなつもりじゃなくて……っ! ……ごめんなさい」
「いや、誰も悪くないよ、悪くない……悪くないんだ」
節目がちに謝罪の言葉を言うマリアに、俺は吐き出すように言った。
彼女は――ケイは、魔王の攻撃によって重傷を負った俺を、戦線に復帰させるために最上級の回復術を使った。
回復術とは、使用者の魔力を媒体として、治癒術士のみが扱える『奇跡の祝詞』を詠唱することによって対象者の傷を癒やすのだ――とその昔、ケイは言っていた。
先ほどの戦闘の中で、魔王の最大出力の攻撃を受け止めた俺の体は、右半身がほぼ原型を留めておらず、左腕は吹き飛び、心臓は停止する一歩手前だったようだ。
そんな状態で、呼吸していることが奇跡なレベルだったらしい。
その時の俺の惨状は、目覚めたときにマリアに聞いた。
かろうじて意識はあったが、その時に覚えていることと言えば、遠くなっていく意識の中で、ケイとマリアが何か言い合っていることだけだった。
『ユウだけは、私が絶対に死なせないから』
意識が途切れかける一瞬前で、俺の耳にはっきりと聞こえたケイの声。
そうして目が覚め、状況を理解させられ、再起し、魔王を打ち倒した――それがさっき起こった現実だ。
「……倒せたよ、ケイ」
ケイはその才覚故に、長く治癒術士協会の監獄塔に幽閉されていた。
その中で、半ば無理矢理、回復術を行使させられ、奇病に掛かる王族や貴族たちを治していたらしい。
しかしその病の原因が、治癒術士協会の金策のための自作自演だということが世間バレてしまった。
王国はケイのいる治癒術士協会に謀反の疑いを掛け、討伐隊を編成し、教会の上層部の者たちを抹殺した。
そんな中、監獄塔の抜け道を使って逃げ出していた彼女は、そんな逃亡の果てに俺たちと出会い――そして、なんやかんやあって、一緒に旅をすることになったのだ。
『私はね、ユウ。病気になった人とか、怪我をした人とかみたいに、物事が起こった後にしかその役目を果たせないの。対処療法みたいなものだよ。私には、怪我は治せても、怪我をさせた元凶を倒す力は無い。だからね――』
記憶の中のケイは、なぜかいつも笑っていた。
どんな時だって笑顔を絶やすことはなく、いつも傷ついた誰かを治すためにボロボロになっていた。
多分、これからの世界に必要なのは、俺みたいなやつじゃなくて、ケイみたいな優しい女の子だったのだろう。
でも、死んだ人間は元には戻らない。
「――死なせない、か」
それは決意でもあり、呪詛のようでもあり、彼女の全てだったのだろう。
でもそんなの、自分が死んだら意味ないだろうに。
全ての魔力を使い果たし、座り込む俺は、最後の一撃で吹き飛んだ天井を――青空を見上げた。
そういえば、青空を見たのはいつ以来だろうか。
数ヶ月前に、魔王が使った魔術の影響で、世界から青空は消え去った。紫色になった空が広がっていたそこには……今は群青の空となっていた。
きっと大陸全土を快晴が包み込んでいるのだろう。
こんな平和な光景を見たい、と誰よりも祈っていた筈なのにな。
「ユウ、お前――それ、どうしたんだよ?」
「ん?」
俺の体に指すリックに、釣られるように視線を下に向けた。
と、そのまま俺の体は淡い光を発しながら宙へと浮かぶ。
俺の存在そのものが消えかかっているような、そんな感じだった。
「もう時間、みたいだな」
呟くように言った俺に、マリアはハッと息を呑んだ。
「もしかして、ユウが出会った頃に言ってた、元の世界に戻るっていう、あの……?」
マリアは、俺が言っていたことを思い出したのだろう。
その時は、面白くない冗談と笑えない真実は嫌いなの、と一蹴していた。
しかし、今自分の目の前で起こっていることを目の当たりにして、ようやく実感したのだろう。
俺は、マリアの言葉に頷く。
「元々、俺はこの世界の人間じゃないしな。この世界を救ってこいって、女神に言われたから、必死こいて世界を救ってみただけだ」
なんとか笑みを作った俺に、マリアは再び泣き顔になる。
「何よそれ! そんなの……そんなこと、信じられるわけ無いじゃないっ!」
「そ、そうだよユウ! お前がいたから、お前が一緒に戦おうって言ってくれたから――俺たちはここまで戦ってこれたんじゃないか!」
泣き顔を見られたくないのだろう。俯きがちに言うマリアに、感情を昂ぶらせ、瞳に涙を浮かべるリック。
俺はそれに応えるように、静かに頷いた。俺にできることはきっともうない。
「なあ、なんとか言ってくれよ、ユウ! 最初からそうだった! お前は、いつも全部、全部を見透かしたような感じで、それがいけ好かなくて……俺はっ」
「俺もさ――」
俺はリックの言葉を遮る。
「――ここまで別れが辛くなるなんて、思ってもいなかったんだ」
「……ユウ?」
顔を上げるマリア。
リックは言葉を止めていた。
「俺は、ずっと他所者だった。どこに行っても、誰と会っていても『俺の居場所はここじゃないのに』なんて思ってた。だから、なるべく感情移入しないように、世界を救う事だけを考えてた」
俺は、視線を上げて二人を見る。
もう光は強くなっていて、俺の視界には二人の輪郭だけが浮かんでいるようにしか見えない。
見えなくなってしまっていた。
もしかしたら、この声も聞こえなくなってしまっているのかもしれない。
でも、それでも言わずにはいられなかった。
「お前らと出会って、マリアやリックに、もちろんケイだってそうだ。こんなことを言うのはめっちゃ恥ずかしいから、言えずにいたんだけどさ――」
俺は今まで、胸の内に隠していた本当の感情の引き出しに、そっと指を掛けた。他所者の俺を、本当の仲間だと言ってくれた。
こんなの、物語の中の決めゼリフみたいだけど、言わずにはいられない。
「辛いこととか、やめたくなることとか、たくさんあった。だけど、それでも俺はお前らと冒険できてよかった! 本当に、本当に楽しかった!」
冒険とは、辛く厳しいものだ。
ましてやそれが、世界を救うためとなればなおさらだ。
自分よりも遙かに強大な敵を打ち倒すためのものなら尚更。熾烈なんてレベルでは収まらない。
常に研鑽を怠らず、強敵と相対し、生き延び、泥と辛酸をすすりながら、喜劇のように泣き、悲劇のように笑い、時には何かを失い、信頼した者に裏切られ、それでも世界の果てを目指した。
そして、今。
「みんな、ありがとな!」
俺は、俺なんかを信じて付いてきてくれた仲間に、感謝の言葉を述べる。
もう二人の声は、光に飲まれて聞こえなくなっていた。
世界は残酷だ。
だからこそきっと、こんな別れが美しく見えるのだろう――