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支配の終焉。

 重苦しい空気の中、アルフレッド殿下はゆっくりと言葉を紡いだ。


「まずは、ロザリン嬢に関する一連についてだ」


 アルフレッド殿下の言葉に、ラリッサは薄く微笑みを浮かべながらも、その瞳は鋭く光らせていた。


「無視をし、噂を流し、わざとぶつかる──幼稚な行動だな⋯⋯」

「それは、単なる学園の騒動ですわ。わたくしの関与はありません」

「その騒動は、君が友人と呼ぶ者が繰り返したものだ。証言は一様に「ラリッサ嬢の指示があった」と示している」


 アルフレッド殿下の声は冷静ながらも、厳しさを増していく。


「リアーナ嬢については、彼女がそんなロザリン嬢に手を差し伸べたから標的にされたようだな」

「あら、そうなのですか?」


 ラリッサは小首をかしげて、あくまでも無邪気な顔を装った。


「解決の策もないまま出しゃばったから、反発を受けただけかと。身の程をわきまえずに人前に出るから、余計な反感を買ったのではなくて?」


 その声音には同情も反省もなく、まるで当然の帰結と言わんばかりの冷淡さがあった。


「何もせずにいれば、わざわざ苦しむ必要などなかったのですわ」


 その場の空気が、すっと冷えた気がした。


 誰が見ても、ラリッサの言葉は自分の非を微塵も認めることなく、むしろ正しさとして押し付ける暴力にほかならなかった。


 アルフレッド殿下は、わずかに瞳を伏せると、静かに息を吐いた。


「君は、やはり自分が何をしたのか、何一つ分かっていないようだね」


 それでもラリッサは、まったく揺るがなかった。


「わたくしは、何もしておりませんわ。周囲が勝手に過剰に動いた結果まで、わたくしの責任にされては困りますわね」


 その言葉に応じるように、アルフレッド殿下はエルンストを振り返り手を差し出した。


「では、君が関係ないと言い張る件についてだ」


 エルンストが手にしていた封筒を渡し、アルフレッド殿下が頷いて言葉を継いだ。


「舞踏練習会当日──リアーナ嬢とロザリン嬢が控えていた部屋のドレスが引き裂かれていた。これは偶然ではないと判断し、当日の会場周辺の動きを調査した」


 ラリッサが、わずかに表情を動かした。


「調査を行ったのは、エルンストの配下だ。その者は不審な行動をとった令嬢の一人を特定している」


 アルフレッド殿下が視線を上げた。


「それがどうかしましたの? その子が勝手に──」

「その令嬢は、事情聴取に応じ、自らの行動を認めている。君のご友人から「ラリッサ様の意向です」と命じられた、と証言している。逆らえば次は自分が何をされるか分からないとも」


 ラリッサの口元がぴくりと動いた。


「そのような脅しは──」

「していない、と君は言うだろうが、彼女は「皆が知っていた」と言った。ラリッサの一言は誰にとっても「命令」だったと。公爵家の令嬢であるラリッサに逆らえば、自分たちの家まで不利益が及ぶ。だから従ったのだと」


 誰もが口を閉ざし、息を呑んでいた。その沈黙を、アルフレッド殿下の静かな声が破る。


「そして、見過ごせない事件がある」


 アルフレッド殿下が帳面に視線を落とすと、エルンストが一歩前に出た。

 彼は低い声で報告を始めた。


「ロザリン嬢が階段から転落し、怪我を負った件について。これは事故とされているが、当日現場付近にいた生徒の行動に不審な点があり、記録と証言をもとに調査を進めた」


 私の隣でロザリンがわずかに震える。けれど、それでも彼女は俯かず、まっすぐ前を見ていた。

 エルンストは続ける前に一瞬、ロザリンの方へと目を向けた。その目には、問いかけよりも気遣いの色が強く滲んでいた。


「ロザリン嬢。当時、階段の付近に他の生徒は?」


 ロザリンは、少しだけ目を見開いたのち、丁寧に、はっきりと答えた。


「いつもなら、他にも通る生徒がいるのですが、その日は誰の姿も見えませんでした。廊下も、階段の上も、静かすぎるほどで⋯⋯違和感はありました」


 その答えにエルンストは頷き、再び記録帳をめくった。


「複数の生徒が、「あの日は、階段付近には近付かないようにと言われた」と証言している。曖昧な表現だったが、場の空気で、人払いがされていたと考えられる」


 私は、ロザリンの手を握り直す。

 そして、エルンストの声がさらに静かに落ちた。


「調査を続ける中で、ラリッサ嬢のご友人の一人が、ロザリン嬢を階段から突き落としたと自白した。彼女たちは、「ラリッサ様の意向だと思った」と証言している。懲らしめるべきだと、断れば我が身が危ういと。そう、口を揃えて語りました」


 ラリッサの表情から、わずかに血の気が引いたのがわかった。


「⋯⋯ばかげてますわ。わたくしは、そんな命令など──」

「命令していない、と言うのかな」


 アルフレッド殿下の声音は、冷えきっていた。


「だが彼女たちは、ラリッサが一言「厄介ね」と言っただけで、どう行動すべきか分かったと──。それほどに、ラリッサの言動は、行動の合図として受け取られていたということだ」

「わたくしは、直接──!」

「命じたか否かは、もはや問題ではない」


 殿下は静かに告げる。


「ラリッサの一言が、人を動かした。そして、結果として一人の令嬢が怪我を負った。それが事実だ」


 ラリッサは何かを言いかけたが、その唇は小刻みに震えていた。


 アルフレッド殿下は、再び帳面に目をやる。


「事件を重く見た各家の当主たちは、すでに対応を始めている。関与したラリッサのご友人の令嬢たちは、全員が謹慎処分となり、今後の社交界活動からも一定期間退くこととなったと報告が上がっている」


 その言葉は、ただの通達ではなく、明確な「断罪」の第一歩だった。


「これが導きの結果だ。君が誇っていた秩序の実態だ。ラリッサ」


 アルフレッド殿下の声音が、さらに低く静かに落ちる。


「君が振るったのは、責任ある導きなどではない。支配だ。力によって従わせ、恐怖をもって秩序をつくりあげた」


 それでも、ラリッサの瞳に揺らぎはなく、むしろ、その顔に浮かんだのは怒りだった。

 ラリッサに押し殺していた激情が、言葉と共にあふれ出した。


「違いますわ。違います! 公爵家であるこの私に逆らおうというのが、そもそも間違っているのです!」


 高い声が、響いた。


「身の程を弁えぬ者が、己の立場をわきまえずに口を挟もうとするから、秩序が乱れるのです。わたくしに従っていれば、苦しむことも、問題になることもなかったのです!」


 そこにあったのは、正しさを語る者の冷静さではなく、拒絶された者の逆上だった。


「上の者に従うのが当然なのです。それが貴族というもの、家柄というもの。公爵家の娘に逆らうなど──どうしてそんな不遜な考えが許されると思って?」


 あまりの物言いに、思わず私は目を見開いていた。

 けれど、アルフレッド殿下はあくまで冷静だった。深く、静かに一度だけ目を伏せ、やがてその視線を真っ直ぐにラリッサへと向け直した。


「それが、君の正義か」


 ラリッサは、なおも顔を紅潮させながら続ける。


「従わないほうがおかしいのです。素直に従っていれば、何も問題は起きなかった。意思など持たなければよかったのです。目立たぬように振る舞えばよかった。そうしなかったから──わたくしの意を損ねたのですわ!」


 アルフレッド殿下は、静かに目を細めた。


 私は、自然と拳を握っていた。


──この人は、自分が何をしてきたのか、本当に何もわかっていない。


 ロザリンのことも、私のことも、ただ従わなかったという理由で、苦しめる対象として当然だと信じている。

 ラリッサの言葉は、ただの強弁でもなく、彼女の中にある揺るぎない価値観──公爵令嬢である自分こそが正しいという、絶対の正義だった。


 ラリッサの言葉が静かに消えたあと、しんとした沈黙が落ちた。


 その沈黙のなかで、アルフレッド殿下は、ただ一つ、深いため息をついた。


「ラリッサ。君はまだ、自分がなぜここに呼ばれているのかも理解していないのか」


 声は静かだったが、鋭い怒りがその奥に潜んでいた。

 ラリッサは、その言葉にすら怯むことなく、まっすぐに私を見据えた。


 その瞳は、冷たい敵意に満ちていた。


「すべては、あなたのせいですわ、リアーナ」


 名を呼ぶ声には、明確な憎しみがこもっている。


「子爵家の娘のくせに、黙って控えていればよかったものを。目立ちたくないそぶりをしていながらなぜ余計なことをしたの?」


 ラリッサの唇がねじれた。


「何もできないあなたがロザリンなんかを助けようとしたから狂い始めた──身の程をわきまえず、意志などというものを持ったから自業自得なのよ」


 彼女はまっすぐに私を指さすようにして、声を強めた。


「何もできない。何もしていない。ただ、アルフレッド殿下とエルンストに守られているだけ⋯⋯なのにまるで、あなたが正しいかのように!」


 その言葉に、胸がきゅっと痛んだ。


 私は──。


 確かに、自分では何もしていない。ただ、誰もが目を逸らす中で、ただ一言声をかけただけ。ほんの少し、勇気を出しただけ。


 それだけで──まるで許されないことをしたかのように、私はラリッサに標的にされた。


 けれど、間違っていたとは思わない。


 あのとき見た、俯いていたロザリンを、私は見過ごせなかった。誰もが目を逸らし、通り過ぎていくあの場所に、自分の昔の姿が重なって見えたのだ。胸の奥がざわついて、見て見ぬふりをすることのほうが、ずっと苦しかった。


 それだけで、こんなふうに怨まれ、憎まれるのだとしたら──。


「⋯⋯矛盾してます」


 思わず、ぽつりとつぶやいた。

 ラリッサの目が、ぴくりと動く。

 私は、視線を彼女に向けたまま言葉を続けた。


「何もしないくせに、と言ったと思えば。自分で何かしようとしたから問題なのだ、と言う。結局、あなたは従うことしか許していない。ただ、黙って、従順に、あなたの思う通りに動いていれば、それでいいと──」


 私は、ふっと目を伏せた。


「ただ、思考を奪って、支配したいだけです」


 ラリッサの顔が悔しさと怒りに染まっていくのが分かった。紅潮した頬と見開かれた瞳は、感情の揺らぎを隠せずにいた。


「これは──これは、公爵家を貶めようとする茶番ですわ!」


 ラリッサは、ついにグレイ公爵へ縋るように声を上げた。


「お父様、どうかおっしゃってくださいませ! 身分の低い者が王家の威光を笠に着て、我が家の誇りを踏みにじろうとしているのです! 公爵家の名を貶め、格の違いもわきまえぬ者が、王子に取り入ってまで我が家を陥れようとしている──こんな理不尽、決して許されてはなりませんわ!」


 その声音は、激情に染まり、ついには殿下に向けて吠えるように続いた。


「殿下は、公爵家と王家が結ぶ婚姻の重みを、本当に理解なさっているのですか? それはただの縁談ではありません。国の安定を担う柱──その礎になるべきもの。わたくしは、その覚悟を持って、身を捧げようとしていたのです」


 唇を震わせ、ラリッサは視線を私に向ける。


「王家がその程度の娘を選ぶのなら、この国も、たかが知れておりますわ。下賤な者に振り回される王族に、何が導けるというのです?」


「ラリッサ」


 その名を呼んだ声が重く落ちた。

 静まり返る空間に響くのは、グレイ公爵の低く、澱みない声音だった。


 ラリッサがその場で凍りついたように動きを止める。

 ゆっくりと振り返り、その目を見つめた。

 訴えるような瞳に、しかしグレイ公爵は一片の情も見せなかった。


「王家と貴族の関係は、国を支える大切な柱だ。そのとおりだ」


 厳然たる声音が、響く。


「だがな──その柱とは、私のことであって、お前ではない」


 静かに、けれど確かに言い放たれたその言葉に、ラリッサの顔から血の気が引いた。


「公爵家の名に泥を塗ったのは、他でもないお前自身だ。王家への侮辱とは、お前が口にする言葉そのものだ」

「……っ」

「お前に求められていたのは、振る舞いと責任だ。それを忘れ、自らの思いだけで突き進んだのなら、今の結末は当然だ。⋯⋯責任は、常に伴うもの。貴族とは、そういうものだ」


 グレイ公爵の目は、ただ冷ややかだった。


 その瞳には、親としての情よりも、公爵としての覚悟と矜持が宿っていた。

 ラリッサはその場でかすかに身を震わせた。

 声を失い、目を泳がせながらも、父親の厳しい言葉を真正面から否定することも、素直に非を認めることもできず、ただその場に立ち尽くしていた。


 視線を泳がせながら、なおも口を開く。


「それでも、わたくしは納得しておりません。お父様の御言葉とて、殿下のご判断とて⋯⋯それが正しいとは、思えませんわ」


 その声に、まだ自分は間違っていないという意地が滲んでいた。


 けれど、アルフレッド殿下の眼差しには、一片の迷いもなかった。


「ラリッサ。君には、王族の一員となる資質がない」


 その言葉は、刃のように鋭く、決して揺るがぬ決断として響いた。


「王族とは、身分で尊ばれるのではない。民と貴族を等しく守り、導く責務を担う立場だ。だが、君はその立場を使い、他者を押さえつけ、恐怖で秩序を作ろうとした。君の行いは、導きではなく、支配だ」


 ラリッサの顔が引きつり、口を開こうとする。

 アルフレッド殿下はそれを制するように、静かに言葉を継いだ。


「ラリッサを婚約者候補から除外する。今後、王家は君と一切の婚姻関係を結ぶ意思がないことを、ここに明確にする」

「⋯⋯っ、そ⋯⋯んな⋯⋯!」


 彼女の声は、もはや呟きのようだった。認めたくない現実を前にして、言葉はかすれ、目は大きく見開かれていた。

 アルフレッド殿下の宣告は静かに空気へ溶け、もはや誰の心にも揺るぎない結末として深く刻まれた。


 そして、長い沈黙ののち──


「行くぞ、ラリッサ」


 グレイ公爵の低く重い声が、空気を切るように落ちた。


 ラリッサは、呆然と父に目を向けた。


「お父様!」

「言葉はもう要らぬ。お前が背負うべきものは、今日ここで示された。立て」


 それでも、ラリッサは動かなかった。公爵が一歩前に出たとき、ようやく重い足を引きずるようにして彼女は立ち上がった。


 肩を揺らしながら、唇を噛みしめて。

 誰も、その背を追いはしなかった。

 静寂のなか、二人は広間をあとにする。


 扉が静かに閉まり、その音が、すべての終わりを告げた。

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