医者になるために 前編
「グリーンオイルストーリー~空の少年たち~」の登場人物クレア=ポーターを主人公にした外伝。
クレアはダン・ポーターの養女となり、医者を目指して勉強に励むのだった。
マークは医療学園都市の医科大学病院で勤務する医者で、ミランダは小児科病院の看護士だった。
ふたりはたびたび、医学生を受け入れてきたが、男子ばかりだった。
少数の女子生徒は寮に入ることが多かったのだが、ミランダ願望の女子学生・クレアを受け入れることができて、大喜びしていた。
一方、クレアはミランダの屈託のない接し方や愛情表現に辟易していて、1ヶ月もしないうちから、遠ざけるようにしていた。
ミランダは避けられていることに気づかないままに過ごし、気づいていて不憫に思っていたマークはただ波風立たないようにと祈りばかりだった。
医療技術高等学校は5年生制度で、1回生2回生には夏期休暇が普通にあった。3回生以降からは課題や研修があって、夏期休暇は名ばかりになっていた。
クレアは1回生の夏期休暇をスタンドフィールドドックで過ごすことに決めていた。
その旨、マークには話していたが、ミランダはクレアとリゾート地に旅行へ行こうと考えていて、ひと波乱あった。
クレアは5年もテレンス家でお世話にならなくてはいけないので、トラブルは起したくなかったのだが、ミランダの母親気取りが鼻について我慢できなくなっていた。
そして、クレアはミランダに言ってしまった。
「あなたはわたしの母親じゃないんですから。休暇の予定まで決めてしまわないでください。」
休日は、ふたりでショッピングにいくことを楽しみにしていたミランダだったが、クレアは勉強があるからと部屋にとじこもって、ミランダと出かけようとしなかった。
休暇がくれば、ふたりでお出かけできると決めつけて考えていただけにミランダは悲しく思った。
「ご、ごめんさい。わたしったら、女の子を預かることがうれしくてたまらなくて・・・。」
クレアはその言葉を受けて、敢えてこう続けた。
「わたしは医療技術を身につけるために医療学園都市に来たのです。
勉強する環境が維持できない状態であれば、これ以上ここにはいられません。」
ミランダは目に涙をためてこぼした。
クレアはそれでも、ミランダを凝視していて、態度を改めようとしなかった。
そんな様子にマークは耐えられなかった。
「私が悪かったんだ。ちゃんとミランダに話しができていなかった。
ここは私に免じて、許してもらえないかな、クレア。」
クレアはマークから引き下がれるように促されたと思い、だまってうなづいた。
「ごめんなさい。クレア。わたしはあなたと仲良くしていきたいわ。
どうしたら、できるのかしら。せめて、お話だけでもしたいの。」
クレアは、眉間にしわを寄せて、お話だけでもって会話ならご主人のマークとすればいいのにと思っていた。
「クレア、ミランダは母親気分を味わいたいとかじゃないんだ。家族のように会話がしたいんだ。
男の私とかできない話しだってあるだろう。」
マークがミランダの助け舟をだしたつもりだったが、クレアは押し黙って、黒目を一方に寄せて、目を合わせないようにしていた。
「いいわ、クレア。無理にとは言わない。しつこいようなことはしないから、聞かれたことは話してちょうだい。お願いだから。」
ミランダは涙を拭いて、クレアに懇願した。
(いままでだった、世間話ぐらいしたのに。なにが不満だっていうの。普通の女の子みたいにおしゃべりなんてできない。)
クレアは黙ったまま、思っていた。
そして、顔を上にあげて、首を手に当て、言葉にできないもどかしさというしぐさをした。
「まぁ、今すぐにとは行かないだろう。夏期休暇はスタンドフィールドドックで身につけたいことがあるのだろう。
もどってから、その土産話でも聞かせてくれればいい。そこからはじめよう。」
マークの言葉に、クレアは腕を組んでうなづいて見せた。
なんて面倒なとクレアは思ったが、口にだせばもっと面倒なことになるだろうと言わなかった。
クレアがスタンドフィールドドックにいっている間、テレンス夫妻は二人だけでリゾート地でバカンスを過ごした。
クレアはスタンドフィールドで、エアジェットに乗れるようにしたかった。
義父のダンがそうであったように、エアジェットで急患が出ても駆けつけていけるようになりたかったからだ。
ドックではマーサがいてて、クレアにとって彼女の存在がいまさらながら、大きく感じた。
ミランダのように、存在をアピールされるのではなくて、距離をとりつつ、さりげなくスキンシップをとってくれて、肝心なときにアドバイスをしてくれる。
マーサはジゼルを娘のように可愛がっていたが、自分の子供ではないことを意識していたので、クレアにも自然と同じように接することが出来たのだろう。
エアジェットに乗れるようになると、ロブが負けたくない一心で、競争をもちかけられることがたびたびあった。
しかし、ロブの父ゴメスが快く思わないことを知っていたので、ロブの挑発には乗らなかった。
そんな、ある日、グリーンエメラルダ号がドックに着岸した。
艦長のハートランド准将が軍の管轄下にある空挺を私物化しているために、気まぐれに飛行し、クルーには軍人以外の人間を加えていた。
准将の姪レテシアがその人間のうちのひとりだった。また、レテシアの兄ガルシアがいてスカイロード上官育成学校卒業生の少尉で、クレアより5歳年上で、目は妹のレテシアに似ていて大きくて澄んでいて、容姿は中肉中背の美青年だった。
グリーンエメラルダ号が着岸した後、クレアはフレッドやディゴたちと一緒に空挺を見に行った。
フレッドとディゴが、ガルシアをみつけ、挨拶をしていた。何度かドックに来ていたので、顔見知りだった。
フレッドがガルシアにクレアを紹介した。
「ダン・ポーター先生の養女になったクレアだよ。医療技術高等学校で医者になるために勉強しているんだよ。」
「はじめまして、クレア。僕はガルシアだ。よろしくね。女医さんて、あまり見かけないから、大変だろうけどがんばってね。」
クレアがガルシアに初めて会った時、意識しすぎて、なにも言葉にできなかった。
ガルシアのさわやかな笑顔に差し出された手に握手することもできなかった。
そんな様子に戸惑っていたガルシアだったが、フレッドのそばにいたロブに気がついた。
ロブはグリーンエメラルダ号に向かって手を振っていたのだ。
ガルシアがロブをみているのをフレッドは気がついて、ロブをガルシアに紹介した。
「ガルシアはロブと会うのは初めてだったな。」
ロブはフレッドのその言葉に、手を振るのをやめて、フレッドの方を向きなおした。
「ロブ・・・。ああ、フレッドの弟だね。」
「そうだ。俺の弟のロブだ。
ロブ、こちらがグリーンエメラルダ号のハートランド艦長の甥でガルシア=ハートランド少尉だ。」
「初めまして。」
ロブはフレッドに紹介されて、頭を少し下げて挨拶をした。
「初めまして。しかし、ほんとゴメスさんやフレッドに似てないんだね。でも、いい目してるね。
飛行士の目だ。キラキラしてる。」
ガルシアは苦笑いしたかと思うと、ロブの目をみて、妹のレテシアの目を重ねて見ていた。
ロブは照れくさそうにしてフレッドの後ろに隠れた。
そして、ロブはグリーンエメラルダ号を指差した。
「あそこにいている女の子は誰なの?」
その場にいた人間がいっせいにロブの指した方をみた。
エメラルダグリーン号にいくつかの窓があり、そのうちのひとつに女の子が窓に両手をついてみていた。
「ああ、妹のレテシアだよ。艦長から空挺から出ちゃいけないって言われたんだ。」
ガルシアはいつものことだからという風に言った。
「あの女の子なんだ、さっき、背面飛行していた。」
ロブがそういうと、周りの人間が驚いた。
「ええええ!!」
ガルシアは顔色変えずにこう言った。
「だから、叔父さんに出ちゃいけないって言われたんだ。仕方のない子だな。」
「背面飛行を平気でやる子なのか。」
フレッドがガルシアに聞いたが、空を飛ぶのが好きで、四六時中飛んでいたら、背面飛行ができるようになったと言われた。
ロブはレテシアがいる窓をずっと見ていた。
「ねぇ、あの女の子、ほっぺが真っ赤になっているよ。」
ロブが言った言葉に、ガルシアは怒りをあらわにした。
「叔父さん、酷いな。なにも女の子の顔を殴らなくてもいいじゃないか。」
フレッドがガルシアの様子をみて、クレアに言った。
「クレア、悪いが父さんに許可をもらって、グリーンエメラルダ号にいてるレテシアの手当てをしてやってくれないかな。」
クレアは、造作もないと即答して、その場から立ち去ろうとした。
「クレア、すまない。よろしく頼むよ。」
冴えない笑顔でガルシアはクレアに言ったが、クレアは目を閉じて軽く会釈する程度で返した。
先ほどから落ち着きない様子のロブがクレアのあとについて回ったが、クレアがゴメスに話をして乗り込もうとしていてあとにつづくロブをゴメスが捕まえた。
「お前は行かなくていい。」
拍子抜けをくらったロブはそこで不機嫌そうに引き下がった。
クレアはその様子をみて、思った。
(こいつ、レテシアに会いたいのか。)
ゴメスはロブがレテシアを気にしている理由を知っていた。
レテシアの背面飛行にこころを奪われているのを知っていたからだ。
まだ、子供だからとゴメスにはそれ以上詮索することはなかったが、下手にグリーンエメラルダ号でうろうろされても困ると思っていたからだった。
クレアがレテシアに会いに行ったとき、レテシアは頬に濡れたタオルを当てていた。
レテシアは栗色の髪がウェーブがかかっていて腰の辺りまであり、白い肌が紅潮していて、目頭には泣いた後があった。
大きな澄んだ瞳がガルシアの妹であると照明しているかのようだった。
「あんたが、レテシアかい。」
レテシアは声のする方へ顔を向けると、そこに黒髪の眼鏡をかけた痩身の女性が立っているの知った。
「そうですけど、あなたは?」
「あたしは、クレア・ポーター。医療技術高等学校の生徒なんだ。ちょっと顔を見せてもらっていいかな。」
レテシアは濡れたタオルを頬から放して、お辞儀をした。
クレアはレテシアの顎に手をあて、左右に動かした。
「口をあけて見て。」
レテシアが口を大きくあけると、腫れている右側の奥をクレアは覗き込んだ。
「口の中が切れていて血が出ている。口内をうがい薬で洗い流して、ばい菌が入らないようにしなさい。」
レテシアは口をあけたまま、はいと返事をした。
「こういうことは幾度もあるわけ?」
クレアは口を閉じて、しばらく考え込んだ。
「してはいけないと言われた事をすれば、殴られるのはわかっていたから、わたしが悪いの。」
クレアはため息をついた。レテシアはクレアのその様子に不思議そうに見ていた。
「レテシア、あたしの聞きたいことはそういうことじゃないんだ。
スタンドフィールド・ドックの責任者であるゴメスはよく息子を殴ることがあるけどさ、それは男の子だから、いいんだよ。
あんたは、女の子だ。殴るにしても、顔を殴っちゃいけない。」
レテシアの大きな瞳が潤んでくると、粒となって滴り落ちた。
(オイオイ、すぐ泣くのかよ。)
クレアは、右手を頭に抱えた。
「艦長は言うの。じゃじゃ馬娘を野放しにしてきた以上、もう甘やかしてはいられない。
言うことが聞けないのなら、殴るしかないって。」
涙ながらにレテシアは言った。
このとき、クレアは自分がなぜレテシアのところへ行くようフレッドに言われたのか、理解していなかったことに気がついた。
「ただ、空を好きなように飛んでいたかっただけなんだけど、つい、やってしまって・・・。」
クレアは腕組みをして、考えた。
医者になるといっても、ただ患者の治療をするだけが医者じゃないんだと。
「お兄さんが心配していたよ。顔を殴らなくてもいいのにってね。
もう、殴られるようなことはしないよね。」
レテシアは黙ってうなづいた。
「ドックに来たのは初めてなのかな。」
「はい。」
「腫れが引いたら、ドックの食堂においで。甘いものは好きかい?」
「ええ。」
「ゴメスの奥さんマーサがドーナッツを作ってくれるから、一緒に食べよう。」
「はい。」
レテシアは元気良く返事をした。泣いていた顔から笑顔へと変わってきて、クレアは安心した。
「あ、でも、艦長から・・・」
「艦長にはあたしから、お願いしておくから、心配いらないよ。」
クレアはそういうと、レテシアがいた部屋から出て行った。
クレアは、すこし、ミランダの事を考えた。ミランダは看護士だし、子供が入院している病院に勤務していて、笑顔を絶やさず安心させる心のケアをしていかなければいけない。
クレアはもどったら、ミランダに謝ろうと思った。
クレアは食堂にいき、マーサにレテシアのことを話した。
マーサはすぐにドーナッツづくりを始めて、ジゼルも手伝いをした。
食堂に、ロブたちが集まってくると、ある程度頬の腫れが引いたレテシアがガルシアと一緒に食堂にあらわれた。
マーサが作ったドーナッツをみんなで食した。
ロブはレテシアにへばりついて、背面飛行の話しとか聞き入っていた。
クレアはそのロブの様子を遠めで見ながら、思った。
(ロブがレテシアの気を惹こうとしたなら、ゴメスおじさんはどうするかな。)
クレアはフレッドの方をみて、ロブの様子をどう思っているか聞こうかとおもったが、クレアの視界にガルシアが入ってきた。
ガルシアはレテシアが嬉しそうにロブと会話する姿を微笑みのまなざしで見ていた。
兄としても、妹が悲しんでいるより楽しそうにしている方がいいのだろう。
だったら、フレッドも同じ事を考えているだろうとクレアは思った。
ロブとレテシアの様子をほほえましく思っているフレッドとガルシアは、ふたりの姿を長くは見守ってはいられなかった。
ガルシアはその後、グリーンエメラルダ号からホーネットクルーに移動になり、他国の襲撃を受けて戦線に向かった時に戦死した。
フレッドは、父ゴメスの死後、アレキサンダー号の艦長として飛行した際、黒衣の民族の襲撃にあい、亡くなった。
ガルシアの戦死は、レテシアがスカイロード上官育成学校に入る前のことで、クレアがその訃報を聞いたのは、2回生の夏期休暇で、二人に初めて会った時から1年後のことだった。