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短編集

青色と緑色

作者: 汐見かわ


 俺は三軒目の文房具店に来ている。探している物は見当たらなかった。気持ちばかりが焦ってしまい、試し書きの用紙を引きちぎり床に投げつけた。


「青色と緑色のボールペンで氏名を書かないと一時間後に貴方は死にます。熱で消えるタイプの物はダメです」


 ステッキを持った黒いスーツの男にそう告げられ俺は文房具店に来ている。頭のおかしい男なのだろうと思ったが、顔が青白く口から見える舌が異様に長かった。そいつが口を開く度に舌がべろんと腹の辺りまで垂れてきて、しゅるりと巻き取るのだ。それを何度か繰り返す姿を見て俺は震えた。

 男の話によると俺はつい最近、神の怒りに触れてしまったらしい。何をしたのか聞いても「恐ろしくて言えません」と舌をしゅるりと巻きながら、詳しい理由を何一つ言わなかった。

 わけもわからず唖然としたが、男の舌を巻く音は鮮明で「早く名前を書かなければ死ぬ」とその部分だけはすんなりと受け入れることが出来た。

 男はズボンのポケットより懐中時計を取り出し、時間を見て「あと55分です」と告げた。そして上着の内ポケットより一枚の用紙を取り、差し出して来た。


『氏名』


 真っ白な紙にただそれだけしか書かれていない。こんな紙切れ一枚で、俺の生死は決まるのか。


「さぁ、早く書かないと死にますよ」


 男に急かされ、どうすれば良いか考える。いや、待て。鞄の中に四色ボールペンが入っていたはずだ。何かで使いそのまま入れっぱなしになっていた。鞄を逆さに持ち、小銭入れやらティシュやらガムやら全ての物を道端にばら撒くと、思った通りに四色ボールペンがころんと出てきた。震える手でボールペンを持ち、カチと青色の芯を出す。

 男は腰を折りそっと紙を道に置いた。ボールペンを紙に押し当てると、びりと穴が空いた。コンクリートの小さな凹凸で少し破けてしまった。俺は今、死ぬのか。


「あ、書きにくいでしょう。そこ」


 どうやら紙が少し破けたくらいでは死なないらしい。背中に嫌な汗をかいたじゃないか。

 男はステッキの先でコツンと道を叩くと辺りを見渡した。


「あそこはどうですか? 自動販売機の側面なんて」


 ステッキの先で指された自動販売機に駆け寄り紙を側面に当てた。ブルブルとした電子的な小刻みの揺れはあるものの、凹凸は無く書きやすそうだった。カチリとボールペンの青芯を出し、「氏名」と書かれたその下にペンを走らせる。

 が、インクが出ない。

 カチリと緑色の芯を出し、ペンを走らせるがインクが出ない。俺はペンを自販機に投げつけたかったがこらえた。インクはある。だが出ない。インクが固まっているのだろうか。


「なかなか使わない色ですからね。替えの芯でも買ったらどうです」


 男はにやにやとしながら言った。その時にべろんと舌が垂れて、ぷらぷらと舌を揺らしながら笑っている。腹が立つ。

 こうして、駅前の文房具店を三軒見て回ったが、青色と緑色の替え芯は売っていなかった。その間も、スーツの男はずっと俺のすぐ側で手許を覗き込んでは「無いですね」「残念でしたね」などと言う。その度に舌がべろんと垂れて、しゅるりと巻き取るのだった。それを繰り返していた。


「あと40分です」


 俺は考えた。新宿に出よう。あそこなら大型の文房具店がある。あの店で売っていない文房具はないだろう。本店とうたっているのだから。電車に乗り、20分もあれば新宿に着く。駅に着いてから迷わず店まで走り、文房具コーナーに行けばあるのではないか。画材や文房具を豊富に取り扱っている店なのは知っている。

 そうと決まれば俺は急いで電車に乗った。電車で揺られている間も、スマホで店の場所を確認する。駅構内の地図も確認し、改札を間違えずに出て走れば5分もあれば店に着く。俺が一生懸命スマホで調べている間も、男は隣りに座り時々手元を覗いて来てはだらんと舌を伸ばし、しゅるりと音を出して巻くのだった。音がたまらなく不快だった。

 何度も頭の中で電車を降りてから改札を出て、店までの道順を反芻する。その時、ガタンという大きな揺れと共に電車が停車した。よく聞こえないボソボソとしたアナウンスの後に、


『お客様にご案内です。ただ今、緊急停止ボタンが押されました。確認をしておりますので、そのまましばらくお待ち下さい』

 何だってこんな時にふざけるなよと、俺は自分の膝を力いっぱい叩いた。周りの乗客はちらりとこちらに視線を向けて、そのままスマホをいじっている。


「救護人ですかね。見て来ましょう」


 スーツの男はすっくと立ち上がると、連結部のドアを開けることなく、そのまますり抜けてどこかへ行ってしまった。

 何だってこんな時に。スマホを持つ手が震える。恐怖か興奮か。気が立っている。

 ほどなくして、スーツの男が再びドアをすり抜けて戻って来た。舌をぷらぷらとさせ、愉快そうに笑っている。


「救護人のようです。大丈夫、もう直ぐ動きますよ」


 言葉通り、ガタンと電車が動き出した。ゆっくりと走り、次の停車駅で再び何分か停車をする。

 待ち構えていた駅員に担架に乗せられ運ばれる人がいた。お前よりも俺の方が大変な事態に巻き込まれているんだぞ。怒鳴ってやりたかったが、取り乱せばすぐ横で立っているスーツの男が喜ぶ気がして何とか堪えた。


「なかなかついてないですね。あと20分です」


 懐中時計をしまうと、スーツの男は今度は座らずに、流れる窓の外の景色を眺めていた。


 新宿に着くと電車から勢い良く飛び出し、人を掻き分けるようにして東口を目指した。エスカレーターを駆け降り、途中たらたらと歩く会社勤め風の女にぶつかった気がしたが、そんなことに構っていられない。俺の生きるか死ぬかがかかっている。早く青色と緑色の替え芯を買わなくては。

 改札を出て、新宿通りへと出る。アルタが目の前に見えてそのまま右へと進む。駅に向かって歩いて来る人の波を乱暴にすり抜けて、文房具店へと駆け込んだ。

 スーツの男は既に店の中にいて、ファンシーな女児向けのコーナーに佇んでいた。舌はだらんと垂れていた。


「文房具コーナーは1階ですよ。あと6分です」


 ステッキの持ち手に付いている銀色の獣の顔を少し傾けて、男の指し示す方にはボールペンだけが陳列された見事な棚がある。

 棚の前には先客のサラリーマンがいたが、押し退けるようにして棚の前に立ち、替え芯の引き出しを漁った。「XB-0.5G」それが俺の持つボールペンの替え芯の種類だ。メーカーの名前を見つけ、そこにある替え芯を手あたり次第に引き出しから出す。床には赤色や黒色の芯がばら撒かれた。サラリーマンは「何だこいつ……」と声を出してその場から離れて行った。


「替え芯が無えじゃねぇか! ざっけんなっ」


 いくら引き出しを漁っても「XB-0.5G」の青色と緑色の替え芯は無かった。

 店員が何事かと慌てて様子を見に来た。


「別に替え芯にこだわらなくても良いんじゃないですか。あと3分です」


 替え芯にこだわらなくても良いのか。それを早く言ってくれ。ペン立てに綺麗に入れられている4色ボールペンを掴みとり、俺はレジへと走った。ちょうど俺の前にいる客が支払いを済ませたところで、店員が袋に商品を詰めているその横に4色ボールペンを出した。


「早くしろよ、早くしろって!」


 客も店員も驚いたような顔をしている。丁寧に商品の入った袋を客に手渡し、次いで店員は俺には何も言わず、ボールペンのバーコードをスキャナーで読み取った。


「564円です」

「スマホ決済で」

「現金のみの取り扱いです」

「は?」


 頭が真っ白になった。

 しゅるりという舌を巻き取る音ばかりがいつまでも耳に残っていた。




2021年6月作成。

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