最終話 色とりどりの絵画のような冒険――恋に落ちた夫婦の物語
人生100年時代に入り、人々は残りの人生をどう生きるかを考えざるを得ません。後半戦に入ると、これまで家族や会社、国のために働いてきた人々が新たなステージに立たされ、戸惑うこともあります。周りにはさまざまな人がいます。趣味に没頭し、新たな活動や興味を追求する人もいますし、車中泊で日本一周の旅をする人もいますし、過去の役職や肩書きに固執し、それが自己の価値観となっている人もいます。さらに、田舎暮らしを楽しんでいた人が都会に戻ってくるなど、人生の選択肢は多岐にわたります。
激務の時代が終わり、古希が過ぎた今、少しばかりの余裕を手に入れました。人生を振り返り、真の幸せとは何かを考えています。家族との時間、夫婦生活、あるいは独りで静かな生活を送ること―。様々な形がありますが、何が本当の幸せなのか、それは自分自身で見つけていくしかありません。自分で感じるものなのですから。そう思っています。
円高の時、老後を物価の安い海外に移住して悠々自適な生活をする、という生き方もちょっとは考えましたが、「食」に大きな問題があるのでやめました。なんと言っても、「食」は米であろうが魚であろうが、ラーメンであろうが、日本が最高です。
若い頃は、お皿の上にある一番の好物を最後に残していましたが、「明日病に倒れるかもしれないし、そうなってからでは遅いのよ。食べておけばよかったと後悔したくないでしょ」と言われてから、今は最初に食べています。楽しみは後に残しません。
人生には予想外の出来事が起きるということがありますが、それは深刻には考えていません。何が起こるかわからないことを心配してもしょうがりません。そうなったらその時考えることにしています。考えて解決できることは考えますが、考えても解決できないことは考えません。もしそんなことが起きたのなら、ケ・セラ・セラです。好転するのを待つだけです。
かつては子供も授かりましたが、生まれてすぐ病に冒され、小さな命が散ってしまい、深い悲しみに包まれました。その日から子供のいない日々を歩んでいます。周囲からは、「子供がいなくてどうするの?養子を迎えたらどうだろう?」と将来の不安を指摘されることがしばしばありました。耳を閉じたくなるような、突き刺さるような言葉でしたが、善意でなされる言葉であることを理解していましたので、「天からの授かりものだから二人では決められないの」と笑顔で答えていました。
近所で同じような立場に置かれた夫婦と知り合いになりました。その夫婦も子供なしで過ごしており、私たちと同じような質問を受け、心が傷つき、人と会うのが嫌になったそうです。共通の悩みを抱えた者同士で、新たな一歩を踏み出すことができました。お互いの体験を分かち合う中で、他人の意見に振り回されない価値を見いだしたのです。気がつけば、幸福の尺度は子供の有無だけではなく、各々の人生には異なる喜びが潜んでいることを感じるようになっていました。そんな日々を送っています。これを平和な生活というのでしょうか…
外はまだ暗闇の世界。遠くからバイクのエンジン音が聞こえ、徐々に近づいてくる。エンジン音が静かに響く中、バイクスタンドを下ろす音、新聞配達員の階段を上がる軽やかな足音が聞こえる。これを合図に、由里子が眠っている横で、彩人はそっと起き上がり、襖を開けて台所へと向かう。「健康の秘訣は朝のいっぱいの水から」と、コップ一杯の水を飲み干す。
水を飲み終えると、歯茎に良いとされる歯磨き粉をたっぷりつけて、電動歯ブラシで隅々まで丁寧に磨く。磨き終えた後は、歯の隙間に糸を通し、隅々まで清潔にする。
その積み重ねが実を結んでいるのか、彼の歯は歯医者も驚くほど真っ白だ。いつもの棚から霧吹きを取り出し、可愛い植木に霧を吹きかける。
「早起きは三文の徳」などという言葉があるが、午前3時は早起きというよりは深夜に近い時間だろう。彩人はこの静かな時間を好むようだ。
由里子の成長と変化は、この長年の共同生活の証だろう。朝の静寂が窓から差し込む光とともに、部屋に包まれる。彼女はゆっくりと目を開け、眠りから覚める。まだ頭はぼんやりとしていて思考も曖昧なままであるが、寝ぼけた頭を振り払いながら、キッチンへと向かいコーヒーを淹れ始めると、その香りが部屋中に広がる。この瞬間に彩人は幸せを感じる。この二人の時間がずっと続いてほしいと祈りながら、コーヒーを飲み干す。
6時半になると、由里子は雨が降らない限りどんなに寒くても公園に行ってラジオ体操をする。由里子のいない数十分、マグカップを持ってベランダに出て深呼吸する。このひとときが心地よく、彩人は好きなのだ。
この5階建ての白い市営住宅に住んでから、早6年が経った。南向きの窓からは暖かな陽射しが差し込み、ベランダからは朝日が見える。そこに折りたたみ式の小さな椅子と小さなテーブルを置き、コーヒーを飲みながら目の前の梅の木、夏みかんの木、冬桜の木、ポプラの木を眺めながら、ちょっとした優雅な気分、ちょっとした贅沢な気分に浸っている。
朝のニュースを見ながら朝食を食べ終えたばかりだと言うのに、由里子が真顔で「お昼は何にしようかしら?明日の朝食は何にする?」と訊いてくる。それが最近では三日先のことまで訊いてくる。そんなことを今言われても、なにを食べたいかわかるわけがないし、たとえ言ったとしても覚えていられるわけがない。
朝の後片付けが終わり、日当たりの良い場所に座椅子を置き新聞を広げている由里子、恒例の意味不明なつぶやきが始まる。
「こんな政治家は情けない。欲の虜になってはまともな政治なんて無理よ。あらあ、あの名優亡くなったのね。悲しいわ本当にいい役者さんだったのに。あらあら、円がまた安くなっているわ。どこまで安くなるのかしら」
「世の中に関する情報かぁ。もう私には関係のない記事だな。興味もないよ。」
「彩人、だめよそんなことでは。高齢者になったからこそ、政治や経済、世の中の仕組みや社会、世界情勢に関する知識も、少しはもっていないと。」
「確かにそうだなあ。社会のあり方は、二人の人生にも、影響を与えるからなあ。それにどんな社会の中で生きているのかを知るって大事なことだからなあ。確かにそうだ。由里子の言うとおりだ。人生は恋愛や婚活、お金、だけでなく、世界情勢や、社会情勢についても、学んでいかないと。」
そんな時間が過ぎると、掃除、洗濯の時間だ。掃除機で掃除をするのは彩人の役目で、洗濯は由里子の役目である。
「何度言えばわかるんだ。 床に物を置くなら棚に上げておけ!」
「うるさいわね。ちょっと置いただけよ!」
「邪魔なんだから。掃除機をかけるときに!」
「だったら自分でどければいいじゃない。」
そんな楽しいやり取りをしながら掃除が終わると、今度はトイレに入る時間。彩人が入れば、30分間は出てこない。その後は由里子の番で、二人合わせてトイレの時間は1時間。これを済ませないと安心して外出できない。このゆったりとしたトイレ時間を大切にしている。「そんなに急いでどこに行くの?」と、お互いに言い合う言葉が、彼らの絆を示しているように思える。
「今日の買い物どこに行く?」
「今夜、何食べたいの?」
「そんなのわかんないよ。店に行ってから決める。しいていえば刺身、魚を食べたいな。」
「魚?魚より今日はステーキにしましょ。確かカクエツは肉の特売日だから。」
「そうだな、カクエツまでは往復5キロだ。距離的にもちょうどいいな。」
「その前に公園の鉄棒にぶら下がってからね。筋を伸ばさないと肩こりしてるから。」
「わかった。運動も大切だからな。そうしよう。」
公園で鉄棒にぶら下がったり、屈伸運動をしたり、軽く腰を回したりします。その後、スーパーカクエツに向かいました。還暦の時まではステーキ350グラムを食べていたのに、古希が過ぎた今、二人で200グラム、量より質に変わり食費は大幅に削減できている。
買い物を終えて家に帰ると、冬の夕日が沈み始めていた。彩人は早速、ステーキに塩と胡椒を振り、室温で数十分寝かせる。その間に、フライパンを煮え立つほどの熱で加熱し、肉を入れるとジュージューという音が聞こえ、食欲をそそる。肉に焦げ目をつけたら、アルミホイルで包み、さらに数十分寝かせる。待つ間にサイドディッシュを用意し、ステーキを再度焼き直す。最後に、特製のニンニク玉ねぎソースと絡めて完成だ。
「由里子、焼けたぞ。」
「美味しそうに焼けたわね。」
「美味しそうじゃないわ。美味しいんだ。間違いなく。」
「はい、はい、わかりました。」
テーブルには取り皿が二つと、赤ワインのカベルネと赤ワイン用のグラスが二つ並べられています。4時半から始まった夕食を終えて、ベランダに出て月を眺めながら穏やかな時間が過ぎていきます。
勤め人時代には、仕事場に行き、業務に取り組んで帰宅していました。休日は家で昼食をとり、同じ場所で夕食をとりました。くつろいだ部屋着で酒を飲んだり、テレビを見たりし、そしていつもの部屋で眠りにつきました。そのような日々のルーティンが繰り返されていました。派手さはありませんが、真っ当に会社勤めをし、定年退職して今はまったりとのんびりと過ごしています。今働いている人には申し訳ないと思いますが、こうして生活ができるのも社会に貢献してきたご褒美なのだと受け止めています。こんな日常的な生活を由里子と共に過ごしている。これこそが幸せな人生なのだと思います。そう感じるのも歳を重ねたからでしょうか。
今朝は静かな雪が穏やかに舞い降りています。窓の外には白い雪が積もり、静寂な景色が広がっています。昔はこの静寂な美しさに心が落ち着く余裕などありませんでした。タイヤをスタッドレスに履き替え、チェーンを装着し、玄関先と車庫前の雪かきに追われていました。雪は綺麗でも何でもなく、ただただ迷惑な存在でした。その中で過ごした時間が、今では懐かしい思い出として心に残っています。
暖かい部屋で、床暖房にゴロゴロと横になり、本を読んでいます。5ページくらい読むと眠くなり、起き上がっては猫のように背筋を伸ばし、あくびをしてまたゴロリと横になります。不思議ですね。こんなに雪が降っているのに、なぜ洗濯をしなければならないのでしょう。由里子はどんな状況でも自分がやりたいと思うことはやってしまわなければならない性格です。言ったところで、「はい、そうですか、じゃやめます」と言うわけがありません。言うだけ無駄なので黙っています。
さっきから嫌味を込めているかのように、本を読んでいる私の頭の上を行ったり来たりします。天井を眺めれば、部屋中に洗濯物がぶら下がっているのが見えます。
「由里子、聞いていいか?」
「何よ、今忙しいの。見ていてわからない?」
「雪が降っているのに洗濯かい」
「そうよ、洗濯物が溜まっているからよ」
「乾くかい?」
「だから部屋の中にぶら下げているんでしょ」
「乾燥機買ったら?」
「終活なんでしょ、必要ないじゃない」
「それはそうだな」
「さあ、行くわよ」
「どこに?」
「洗濯が終わったから散歩兼ねて買い物よ」
「この雪の中?」
「そうよ。だって冷蔵庫は空っぽなの。食べるものがないの」
散歩を兼ねた買い物に、1900円で買った雪道対策のブーツを履いて行きました。今日のスーパーカクエツは客もまばらで静かで、鍋物のセットが格安で並んでいました。我が家の献立は、格安になっているもので決まります。そんなわけで、今夜は鍋にしました。 鍋に必需品の白菜と大根一本を買いました。これって意外と重いものです。ビニール袋が指に食い込んで痛くなっています。実はこの5円のビニールの買い物袋を買ったことで、由里子を怒らせてしまいました。
「あれほど言ったのに、忘れるなんて信じられないわ。」
「しょうがないだろ、バックに入れたと思ってたんだから。」
「もう頼まない。これからは私が確認するからね。」
「何も買い物袋ぐらいでそんなに怒らなくてもいいんじゃないか。」
「そういう問題じゃないの。無駄なの。無駄。無駄は好きじゃないの。」
「その割には着ない無駄な服を買ってるよな。」
「なんですって!なんか言った?」
彩人は家に着くなり、早速始めました。戸棚から漬物を作るケースを取り出し、塩と砂糖、酢、昆布、少しの一味を入れて、一週間待てば美味しい漬物の完成です。それを北側のベランダの日陰に置きます。この季節は大型冷蔵庫をもう一台持っているようなもので、そこにはビール、白ワイン、野菜なども置いてあります。ビールはキンキンに冷えて、風呂上がりには最高です。
「ねえ、白菜と大根どこに置いたの?バタバタ準備するのは嫌だから今から準備するわ。」
「鍋?ああ、そうだった。鍋だったんだな。忘れてた。さっき漬物にしちゃった。」
「漬物?また作ったの?こんなにあるのに。何考えているの?まったく…」
「あのさ、私が漬物作っているのを見ていたよね。どうしてその時、言わなかった?」
「……」
「そうか、由里子も今思い出したんだな。今夜は鍋だってことを。忘れていたんだろ。」
「彩人の悪い癖ね。そんなどうでもいいことを言うなんて。まあいいでしょう。これはイーブンにしてあげる。」
窓の外の景色は雪化粧で、キラキラと光ってとても美しいです。白菜もネギも、それどころか野菜ひとつ入っていない鍋を食べ終えて、体も温まっています。
「由里子、外、綺麗だよ。ベランダに出てみない?」
「気持ちいいね。」由里子はベランダに落ちてくる白雪を手のひらで感じています。
「寒いけど、この冬の季節もいいね。」
「出会ったあの時も雪だったね。待ち合わせ場所を間違えて、お互い別の場所で1時間も待ったことを覚えてる?それも雪の中で。」
「今だったら携帯があるからそんなことありえないんだけどね。でもそれはそれでよかったね。」
「そうだな。何でもかんでもすぐ連絡が取れるのも、これまた情緒というか、なんというか。」
彩人と由里子は雪景色を眺めています。その美しい景色の中で、過去の思い出も蘇ります。明日もまた、この雪景色の中で当たり前の日々が続くのでしょうか。この穏やかな日常こそが、本当の幸せなのかもしれません。
彩人と由里子は高齢者無料診断を受けにやってきました。医師が厳粛な表情で彼に語りかけます。「高齢者の疾患は、一旦慢性化すると治療に反応しにくくなるものです。」その医師の言葉は重く、窓の外の静かな景色とは対照的に、二人の心には不安が漂っています。
「高血圧症、脂質の異常、糖尿病などは、動脈硬化の危険因子として重要です。」彩人はその言葉に深い意味を感じていますが、心のどこかでは「気にしてもしょうがない。何があってもそれはそれでいい。私の人生に後悔はない」と、自分の寿命を受け入れようと思っていました。
今日はその検査結果です。その結果は、血糖値、血圧、コレステロールが基準値を大幅に上回っていました。「酒と塩分を控えめにして食事の改善で治療しましょう」と医師が提案しましたが、「先生、そこまでして長生きしたくありません。そのために薬があるのですから薬をいただけませんか」と、その言葉に医師はあきれ果てていました。彼の姿勢には反省の色も改善の意志も見えませんでした。
「由里子、薬飲んだの?忘れるなよ」
「彩人もサプリメントも忘れないで飲んでね」
「ああ、大丈夫だ。さっき飲んだから」
朝昼晩、血圧の薬とコレステロールの薬、そして五種類のサプリメントを忘れずに飲んでいる。財布に効いているのは確かだが、体に効いているかは定かではないが、二人は規則正しく飲んでいる。
朝食を済ませた後、彩人の体調が妙におかしくなっていた。部屋を出ようと立ち上がると、頭がぼんやりしていて、足元が不安定になっていた。血糖値が低いのだろうか、貧血気味なのだろうか、彼は考えた。だるさが襲ってきて、何も手につかない。窓の外に広がる雪景色もどこか遠く感じられ、自分の存在さえもぼんやりとしたものになっている。それに、あんなにたくさん昼寝をしたのに、まだ眠いのだ。
彩人は、自分自身に語りかけるように思った。「気にしてもしょうがない。何があってもそれはそれでいい。私の人生に後悔はない。こんな満足した人生を送れたのだ。寿命というものを素直に受け入れようと思う。自分勝手と言われようが、由里子に先に逝かれたら立ち上がれない。強がってはいても弱い人間なのです。これでいいのだ。これを望んでいたんだ。」
そう自らに言葉を投げかけながら、彩人は血圧を測った。118の80だった。これは彩人には低すぎた。どうしてこんなに低いのだろうか。ここ最近高めが続いたので、試しに降圧剤を2錠10mgを飲んだことを忘れていた。夕方、すっかり元気になり、美味しい夕飯を食べることができた。
それはそうと、首から肩にかけて痛い。五十肩ではない。それはだいぶ昔に経験し、今は完治したはずである。医者に行くのも面倒だ。湿布薬でも貼っていれば治るだろう。そんな軽い気持ちでいた。三日目、湿布薬を貼ったところが痒くなって湿布の形になって赤く爛れている。首の痛みも肩の痛みもあるのにそれに加えて痒みもある。ダブルどころかトリプル。皮膚科に行ったらいいのか、整形外科に行ったらいいのか、マッサージに行ったらいいのか、結局、由里子の一声で保険の効く整形外科に行くことになった。
歩きながら急に思い出したのである。首の痛みと肩の痛みの原因は、鉄棒に20秒ぶら下がったあと、ビールを24缶買って家に持ってきたからだった。たかがビール、されどビール、そのビールは彩人には重過ぎたようだ。情けない話だが、古希が過ぎたその現実は確かである。結局、整形外科には行かず、そのまま恒例の散歩に切り替えた。気は病からなのか、原因がわかった途端身も心も軽くなっている。やはりまだ永眠するのは怖いようだ。
年齢を重ねるにつれて、古い友人とのつながりに変化を感じます。古い友人との絆が深まる一方で、時には価値観や経験の違いから溝が生じることもありますが、それぞれの人生が異なる方向に進んでいく現実を受け入れざるを得ません。こうした経験から、新たな友人との交流を通じて、自らの人生に新たな視点を取り入れていくことも大切ではないでしょうか。
45年前、音楽を楽しむために集まった4人のバンドでした。毎日のように練習はしていましたが、どれだけ練習しても、人前で演奏できるほど上手くなることはありませんでした。そんな時、ブルースが大好きな彼が加わってくれました。
彼のギタースキルは、私たちの中では群を抜いていました。と言うより素人の域を超えていました。その彼の加入によって、バンドの音楽性は一気に進化し、聴く人の心をつかむようになり、地域のコンテストに出場するまでになったのです。
成功にはいつも困難が伴います。意見の食い違いの論争で、バンド解散などの危機が高まりましたが、そんな時、彼はバンドをまとめ、前に進ませてくれたのです。
いつしかなんのためにバンド活動をしていくのか、その「なんのために」について話し合うようになっていくのです。その「なんのために」とは「人としての生き方、何が人生で大切なのか、その理念、寛容の精神、人間の尊厳の尊重、今人類が直面する脅威に自分たちが取り組めることは何か」でした。小さな一歩かもしれませんが、それを基調に音楽を通じて自分たちができることを目指していこうではないか、という方向性が明確になったのです。そこから日常の喜びや挑戦も共に乗り越え、成長していくようになっていきました。
彩人は夕食前のお風呂にスマートフォンを持ってゆっくりと湯に浸かります。動画を見たり、世の中の動向を追ったりしながら過ごします。時々動画に夢中になり、のぼせ上がってしまうこともありますが、この癖は治らないようです。
ランダムに流れるジャズを聴きながら湯船に浸かっていると、古き良き友から電話がかかってきました。珍しいものです。滅多に電話などかかってこない彼からでした。
「彩人、9日は家にいるか?」
「9日?その日はいない。温泉に行っている。なんだ、どうしてだ」
「そっちまで行くんで寄ってみようかと思ってな。どうせ暇しているんだろうから」
「残念だな。いないんだ」
「わかった。じゃあ次だな」
結論から入って結論だけで終わる。そっけない会話です。気心がしれているからか、自分中心に喋れる。思いつきで喋れる。そこには回りくどい修飾語はありません。
「おい、俺が逝ったら友人代表を頼むぞ。俺との思い出の一つでも語ってくれ。そうだな、歌の一曲でも歌ってくれ。あの曲がいい。『アンチェインドメロディ』が」
「まかしておけ、礼などいらん。安心して逝け。彩人は先発隊だ。俺がいくまで準備をしていてくれ」
長い湯で体はポカポカになっている。おもむろに冷蔵庫から缶ビールを取り出し、キュッと飲む。喉に通るこの一瞬の流れが上手い。
「ずいぶん長いお風呂だったわね」
「ああ、あいつからの電話だったんだ。9日来るって言ってたから、その日は温泉に行ってるからいないって言ってやった」
「9日?9日じゃないでしょ、19日よ。行くのは」
「そうだったか…」
彼と奥さん二人がやって来た。よくもまあ話は尽きないものだ。とは言っても、お互い相手の話は聞いていない。噛み合わない話が続く。相手の話を聞いていたら、自分が何を話しているか忘れてしまう。それが彩人の聞かない理由のようである。
「お前さぁ、それはわかるんだけどそれって自分勝手だぞ。やっぱり相手の話は聞かないと」と言ってくれるが、由里子にさえぎられているからだろうか、久しぶりだからだろうか、彩人の電気ベロは機関銃のように途切れることがない。電気ベロ全開である。
そんな会話が途切れた。西の空に沈む夕陽が見事だったからである。4人でベランダに出て眺めている。そこには一日の終わりが静かな感動が心を満たし、過ぎ去った日々の喜びと悲しみが映し出されていた。
人生は夕焼けのようです。色とりどりの感情が交錯し、失敗もあり成功もあり、喜びもあり悲しみもあります。それでも、こうしてそれぞれの色が心に染み込んでいきます。彼らの人生にも、彩人と由里子の人生にも、夕焼けの美しさと同様に、美しい瞬間があります。その美しい瞬間を見つけ、どれだけ心に刻み、どれだけ感じてきたのでしょうか。そして、これからもどれだけ感じて生きていけるのでしょうか。
雪解けの季節が訪れ、冬の厳しさから解き放たれるかのように、暖かな春の光が広がるが、この季節の変わり目には、体調の波が激しく揺れ動く。なんとなく体調がすぐれない。だるさが抜けない。という感覚。それは、春の息吹を受け入れる準備が整っていない証拠かもしれない。
冬が去り、暖かな春が訪れました。台所からは優しい桜色の光が差し込んでいます。由里子は早朝から弁当作りに精を出しています。
弁当箱の中身はあえて見ません。その弁当に込められている驚きと喜びを、色とりどりに美しく並ぶその中身を、蓋を開けるその瞬間まで楽しみに取っておきたいからです。
平日の火曜日の今日、公園の桜は風に揺れ、桃色一色に優雅に染まっています。休日は家族連れや恋人たちで混雑しますし、高齢者なので歩く行動そのものも遅くなっています。みなさんに迷惑をかけたくありませんので、休日を避けました。
ここは特等席ではないでしょうか、川沿いから見上げる桜、時折花びらが降ってきます。ここにブルーシートを敷きました。
待望のお弁当時間です。由里子の愛情たっぷりな弁当とともに、穏やかな気持ちで自然とのふれあいを楽しんでいます。胸をワクワクドキドキさせながら弁当の蓋を開けました。
思った通りでした。弁当から愛情が溢れています。三日前からじっくり仕込んだ甲斐がありましたね。ありがとう、由里子よ。
桜の花が風に揺れる中、家族や友人との思い出を振り返りながら、二人は自分自身と向き合っていました。人生の穏やかな瞬間を感じながら、心の中で過去の喜びや悲しみを追憶します。時には失敗や挫折もありましたが、それらは人生に彩りを添える重要な要素となっています。
夕日が優しく降りそそぐ中、未知の出会いや挑戦が待ち受ける、夢見るようなコスモス満開の道を、これからも生きている限り手をつなぎながらゆっくりと歩んでいきます。そこには静かな風が心地よく吹き、微かな笑い声が遠くから聞こえ、彩人と由里子は共に笑い、泣き、成長し続けるでしょう。彩人と由里子が共に歩む冒険が、生きる喜びを永遠に追求する旅となることを願っています。
読者の皆様へ
お時間を割いて、「恋に落ちた夫婦」をお読みいただき、誠にありがとうございます。心から感謝申し上げます。これらの言葉を通じて、思いや感情を共有し、心を通わせることができたら幸いです。読者の皆様が「恋に落ちた夫婦」から少しでも希望や喜びを見出していただけたなら、それ以上の喜びはありません。
今後も、さらなる感動や共感をお届けできるよう、精進してまいりますので、引き続きご支援いただけますようお願い申し上げます。皆様の温かなご支援に心から感謝申し上げます。
心からの感謝を込めて、
はた幸