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五話 絆の輝き:愛と喪失、美咲と洋太の物語  

 昔は、家々の暮らしは早起きが当たり前でした。夜明けの暁光が、時計の針よりも先に人々を目覚めさせます。最初に目を覚ますのは嫁の方で、東の山々が淡く白み始め、明るさが庭先に広がる頃、火をおこし、朝食の支度を始めます。食事といっても、主食さえ不足していた時代です。野菜はともかく、魚はわずかしか配給されませんでした。

 姑も目を覚まし、男たちもそれに続きます。男たちが仕事に出かけた後は、食事の片付けや夕飯の準備、洗濯、幼児の世話に追われます。農作業は苗代から秋の収穫まで続き、秋は昼休みもなく、夜遅くまで働き、農閑期でも家族全員が囲炉裏の周りで働く、それが一般的な生活でした。


 夜明け前から鳴り始める鳥の声に合わせ、オリビアが布団からそっと起き上がります。「ベッドもいいけど私はこの日本的な布団が好きよ」とオリビアは言っています。博は寝起きがいいのです。寝ぼけることもなく、布団をたたみ押し入れに軽快にしまい、「おはよう!」と言って台所で朝食を作っているオリビアを抱きしめ、歯磨き粉をつけて歯を磨き始めます。

 風に揺れる稲穂や実る果樹に囲まれ、穏やかな雰囲気に満ちている中で、朝食は白米、味噌汁、納豆、白菜漬け、そして生卵です。時々塩しゃけも登場します。朝食を済ませてお茶を一杯飲んで、畑に出かけます。


 南方博は、大海原を舞台にする大型貨物船の船長でした。青い目の金髪のオリビアとはロサンゼルスで出会いました。二人は出会った瞬間、心に響いたのです。これは運命なのだと感じました。どちらかがアプローチするのではなく、磁石に吸い込まれるように身も心も結ばれていくのです。


 夕日が海に沈むロサンゼルスの海岸沿いで手を握り合い、愛を語っていました。もうすぐ長い航海が始まるのです。長い別れが目前に迫っています。愛するオリビアと離れ離れになることなど、考えられませんでした。夢にまでみた船乗り、やっと掴んだ船長でしたが、彼はあっさりと船乗りをやめて結婚の道を選び、日本で暮らすことを決めました。


 愛というものは不思議なものです。強いものです。国境も、民俗文化も、周囲の反対も、それらは二人の絆を硬くしていくばかりでした。


 二人に待望の子供ができました。人情に厚く、熱い心を持つ人になって欲しいと「篤人」と名付けました。彼は小さな手で土を掴み、花々や野菜たちと触れ合いながら、愛と暖かさに満ちた環境の中で成長しました。穏やかで争いのない幸せな時間に彩られ、篤人も青年に成長し、集落の花である奈津子と結婚しました。この幸せな時間がいつまでも続くと思っていましたが、その幸福な日々は戦争という悲惨な嵐によって、打ち砕かれてしまうのです。


 オリビアの美しい笑顔が涙に変わり、博の堂々たる姿が脅える姿になり、穏やかな篤人の姿は険しくなり、奈津子は怯え、泣き叫び、その戦禍に晒され、絶望の闇に飲み込まれていきました。


 戦争ほど残酷なことはありません。その戦争が始まったのです。青い目をしたオリビアは米国への強制送還を余儀なくされ、博はスパイの疑いをかけられ、非情な拷問を受けて獄死してしまいました。不幸はそれだけで終わらず、篤人は戦地でその若き命を落としてしまいました。


 残された奈津子のお腹には、未来への希望となるべく小さな命が宿っていました。爆弾があれ狂う中、せみ時雨が激しく降りしきり、暗闇に包まれた病院の一室で、祖父の博と祖母のオリビアと篤人、そして奈津子のDNAを受け継いだ美咲が生まれました。その小さな身体には、戦争の混乱とは裏腹に、新たな生命の輝きを放っていました。


 戦争が終結し、地獄のような日々から解放されましたが、戦争の影響で苦しむ戦災母子家庭が、日本の社会に多く存在しました。第二次世界大戦による父親の戦没は、多くの家族を経済的に苦しめていました。政府は生活保護法の整備などで支援を試みますが、多くの家庭では苦難が続いています。戦争が終わったとしても、その影響は深く、戦争によって傷ついた家族たちの苦しみは長く続きました。


 疲弊が残る戦災の傷跡が、静かにその存在を物語っています。奈津子と美咲が住む農村にも、同じような運命を抱える人々が共に生活していました。彼らもまた、日々の暮らしに苦しんでおり、学校へ行く子供たちも、充分な食事を持ち歩く余裕がないほどの貧困状態にありました。

 そんな中、赤痢が発生しました。女性の二人だけではこの地での生活は難しいからと、美咲の成長を願いながら、義父の博、義母のオリビア、そして夫の篤人が築いてきた農地を捨て、町の住宅に引っ越しました。窓から差し込む陽光が、部屋に暖かな光を届けていますが、奈津子の心にはこれからどうやって生きていけばいいのか、美咲に何をしてやれるのか、そんな不安が忍び寄ってくるばかりでした。


 小学生になった美咲、人形のような青い目、金髪、スラリとした長い足を持つ特異な容姿が目立ち、近所の子供たちからいじめに遭います。髪を引っ張られたり、スカートを捲られたり、「外人、外人」と罵られる日々に、幼い心は傷つき、登下校が怖くて怯える日々を過ごしていました。


 同じ町の住宅に住む、底抜けに明るい男の子がいました。その彼が美咲を救ってくれたのです。彼の優しさと明るい笑顔が、彼女の心を温かく包み込み、勇気と希望を与えてくれたのでした。美咲がいじめられていると、どこからともなくやってきて追い払ってくれるのです。「大丈夫か、僕が守ってやるから」と彼は言い、その温かさに、美咲は次第に心の傷を癒され、いつしか洋太を「お兄ちゃん」と呼ぶようになっていきました。


 洋太にはちょうど美咲と同じくらいの妹がいました。兄妹はとても仲良く育っていましたが、それを破壊したのが戦争でした。空から降ってくる爆弾で一緒に逃げ回る途中、爆風に煽られ一瞬のうちに父と妹の命を奪われてしまったのです。その恐怖がいつも襲ってきてトラウマとなりますが、持ち前の明るい性格がそれを跳ね返し、なんの苦労もしていないかのような笑いを巻き起こしていました。腕力には自信がなくても、周囲を明るくするそんな洋太でした。


「お兄ちゃんの明るい笑顔が私の心を温めてくれる。一緒にいると、勇気を持てるようになるわ。」

「そんなことないぞ。美咲、戦争が妹を奪った時、暗闇に包まれた私の心に、無邪気な笑顔が光を差してくれたんだ。」

「お兄ちゃんの明るい笑顔をもらっているから、私はどんな暗闇も乗り越えられるわ。もうどんなことがあっても大丈夫。元気になったからね。」


 夜明け前、鳥たちのさえずりが美咲の目覚めを告げます。静かに布団から身を起こし朝食の準備です。白米、味噌汁、納豆、白菜漬け、そして生卵。たまには塩鮭もあります。そんな朝食を済ませて、一杯のお茶を飲み干します。そして、近所のスーパーへ自転車で出勤です。美咲、23歳の誕生日を迎えました。


 社会は安定し、人々の生活も着実に向上しています。農業の兼業化が進み、自給率は低下の一途を辿り、農家ですらスーパーで野菜を買うようになりました。故郷の味は風化し、町のレストランのメニューも変わりつつあります。美咲は日々の中で、そんな変化を感じながらも、母との時間や自身の成長を大切にしています。


 ある日、美咲が見知らぬ男と手を繋いでいるのを、洋太が目撃しました。どこから湧き上がるのか、嫉妬心というか、やきもちというか、今まで味わったことのない感情が彼の心に湧き上がったのです。彼女を女性と捉えたことは一度もなく、爆風で命を落とした妹としか考えていなかったのに、どうしてこんな感情が湧き起こるのか不思議でなりませんでした。


「美咲!何を考えているんだ。こんな男と手を繋いで。俺と婚約中なのに。」

「はあ、私がお兄ちゃんの婚約者?」

「そうだ。」

「いつから?」

「今日からだ。今この瞬間からだ。」

「誰が決めたの?」

「誰でもいい。もう決まったことなんだ。」


 美咲は、遠くから洋太に憧れを抱いていましたが、彼が自分に好意を持っているとは考えたこともありませんでした。「こんなにも近くにいてくれるなんて、夢のようだわ」と、美咲は心の中でつぶやいています。今、一緒に歩いているこの男性は、職場の店長で、良くも悪くもない害のない人で、誘われるまま感情もないまま、ただ手を繋いで歩いていただけでした。


 洋太の母親は、厳しい現実を受け入れさせようとしています。「あなたの気持ちはわかるけれども、結婚は甘い夢だけではないわ。二人の関係が永遠に続くとは限らないのよ。現実を見据えなさい。」と、美咲との結婚には否定的でした。二人は互いの気持ちを諦めず粘り強く話しますが、分かろうとはしません。それどころか感情的になり、話を聞くどころではありませんでした。そこには息子を取られてしまうような嫉妬も湧いていたようです。彼女の反応は、自らの子供を失うという不安と、結婚生活の現実的な困難に対する心配から生じてきていました。


「これ以上何を言ってもわかってくれない。駆け落ちするしかない」と、洋太が美咲に言いますが、「それはいけないわ。洋太さんのお母さんに祝福されて結婚したいの」と、美咲は冷静でした。美咲は、結婚が単なる個人の問題ではなく、両家のつながりが幸せな結婚生活を築くための重要な要素であることを理解していました。愛を貫く決意を固めた彼女は、洋太の家族との対話を通じて、彼らの強い絆を示しました。そして、その愛情と決意が洋太の家族の心を打ち、結婚を認めてくれることになりました。その困難な道を避けない二人の姿があり、結婚が実現し、美咲は大泉家の新しい一員として歓迎されることになりました。それは美咲の23歳の誕生日のことでした。


 二人は結ばれ、美咲は大泉家の太陽となり、絵に描かれるような幸せな日々を送っていました。しかし、その幸せな時間も束の間でした。


 青い空の下で山菜取りの楽しさを満喫していた時、小学生の子供が向かってきました。美咲は「危ない!ぶつかる」と叫び、避けようとしましたが、運悪く落ち葉に滑って転倒し、崖から転げ落ちてしまいました。岩肌や大木にぶつかり、強い衝撃を何度も受け、意識を失いました。


 救急車がやってきて彼女をタンカーに乗せようとすると、意識が戻ったのか彼女は痛がり苦しみ出しました。「これは骨が折れているかもしれない!慎重に運ぼう!」と、救急隊員が荒々しく叫びました。彼らは受け入れ先の病院に連絡しています。「見たところ外国人のようです。年齢は40歳前後です。頭と体を打って意識ももうろうとしています」という会話が遠くの意識の中で聞こえました。「私、歳は40歳ではありません。26歳です。外国人ではありません。日本人です。」と力を振り絞って言った後、美咲は再び意識を失いました。


 救急車で搬送されて検査を終えるとすぐ手術。10時間にわたる手術を終えたのは午前3時。洋太は一睡もせずただただ祈るだけでした。


 美咲が目を覚ましたのは3日後でした。医師の質問には答えますが、どうも様子がおかしいのです。自らの名前も、洋太の面影も思い出せない状態でした。脳震盪後症候群に冒され、過去の記憶を辿ることができなくなり、洋太との絆も愛情も何もかも失われ、赤の他人とでも触れ合うかのようになっていました。


 洋太は心の中で激しい苦悩に苛まれていました。彼女の突然の変化に直面し、以前のような明るく活気のある美咲を取り戻すことができない無力感が彼を襲ったのです。彼は毎日のように美咲のベッドサイドに座り、手や足を摩りながら、過去の思い出を語り、写真を見せますが、美咲はそれらの情景を知覚できず、彼女の目に映るものは知らないものばかりでした。医師や専門家に相談しますが、どんな治療法もアプローチも、美咲の記憶は戻りませんでした。


 記憶を戻すための愛情と努力が足りなかったのではないか、という自責の念が洋太を追い込んでいきますが、その苦悩の中でも美咲を見捨てることはありませんでした。彼は自分の愛を示し続け、美咲がどれだけ変わろうとも、彼女を支え続けるのです。洋太の心は、永遠に美咲の傍にあり続けていました。


 そんな毎日を過ごしていく中、美咲は洋太に恋心を抱きます。愛に対する新たな理解と感謝を見出したのでした。


 彼女は日本人女性の控えめさとは異なり、アメリカ人のDNAが影響しているのかもしれません。美咲は積極的に愛を告白しました。


 美咲は静かな夜空の下で、ひとしずくの涙をこぼしながら、洋太に向かって言葉を投げかけました。


「遠い昔、私が幼い頃から好きだった人がいたの。その人のことは今でも忘れたことはないわ」と、彼女は独り言のように呟きながら、窓の外に浮かぶ遠くの星空を見つめました。


 星々が彼女の悲しみを包み込むように輝いていました。「不思議な感覚なのよ。あなたもそして遠く彼のことも、二人同時に同じくらい愛してしまったの。こんなふしだらな私ってダメな女よね。でもどうしようもないの。あなたを愛してしまったの。だって幼い頃憧れていたあの人と同じ優しさを感じてしまうから」と、彼女の声は静かな夜空に響き渡りました。


「洋太、私は…」


 美咲は言葉に詰まりながらも、心の中で自分の感情を整理しました。洋太は静かに彼女の横に座り、手を握りました。


「大丈夫、美咲。何かあるなら、話してくれていいんだよ」


 彼の優しさが彼女を包み込みました。彼女の心は洋太へと傾き、愛情が溢れ出ています。


 彼女は勇気を振り絞りながら、「私、洋太…」と言葉を選びながらも、決意を込めて続けました。


「恋をしています。それもあなたに」


 と告白しました。洋太の目が驚きと共に輝きます。彼もまた、美咲に対する感情が深まっていることを自覚していました。


「美咲…」


 洋太は言葉を探りながらも、心からの愛情が伝わるように口にしました。


「私も同じ気持ちだ。君の笑顔が、僕の世界を彩っている」


 その言葉に、美咲の心は喜びで満たされました。彼女は洋太の手を取り、しっかりと握り返します。


「洋太、一緒にいてくれますか?私と結婚してください」


 彼は微笑みながら美咲の手を取り、優しくキスをします。


「もちろんだよ、美咲。君となら、どんな未来だって歩んでいける」


 二人の愛は、失われた記憶のかけらさえも埋めるように、新たな絆で結ばれました。


 脳震盪後症候群に冒されてからどれだけの月日が経ったかわかりませんが、新しい愛の世界へ心と体が再び交わりました。彼女の胸に響くようなときめきが、眠れぬ夜を彩り、新たな未来への一歩を示しました。彼らは愛に対する新たな理解と感謝を見出し、さらに絆が強まり、愛し合う夫婦として成長していきました。


 由里子と彩人は、美咲と洋太の姿から夫婦間の深い絆や愛情の大切さを感じています。「夫婦の絆があればどんなことでも乗り越えられる。どちらかが先に逝ったとしてもそんなことには関係なく、二人で歩んできた絆があればいい。人生は勝つことも大切だけど、負けないことも大切。」そんなことを美咲と洋太から学んでいきました。


 由里子も彩人も感じています。「見知らぬ者同士が、運命的な出会いを経て結ばれる。それはまさに奇跡のような出来事であり、だからこそ夫婦愛がいかに素晴らしいものかが浮かび上がる。あとどれだけ生きられるのかは誰にもわかりません。だからこそ将来の不確定性に立ち向かいながらも、健康な体と心を守り、華やかな人生を築いていきたい。そう覚悟を新たに抱いていました。


「恋する夫婦って、本当に素晴らしいことだね」


「私にもう一度恋したくなったの?」


「そうかもしれない。いやもうすでに恋しているかもしれないなあ」


 美咲と洋太から受け継いだ幸福の響宴が豊かに広がる舞台を、彩人と由里子は迎えることができるのでしょうか。もう迎えていたのでしょうか…。


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