二話 人生の小さな幸福の家事
大小路彩人の父、久太郎がこの世を去ったのは、一九八三年(昭和58年)四月四日、橋田壽賀子作、連続テレビ小説『おしん』が放送開始されたときである。
東北随一の良質な音で歌いませんか。この体感はまるでライブ! ビール飲み放題。飲みやすいカクテルドリンク各種。久太郎は歌が好きだった。暇を見つけては、落合駅から三軒目のドリンク付きのカラオケスナックに行っていた。昭和を生き抜いてきた久太郎のお気に入りの場所である。
「最近声がかすれてきてね。森進一のおふくろさんを歌うと、みんなから拍手喝采だよ」
久太郎は、何事もなく穏やかな日々を過ごしていた。なにか変わったことといえば、ざらざらした声の嗄声くらいである。カラオケの歌いすぎだろう。のど飴でもなめていれば治るからと、久太郎も愛子も、彩人も、そして由里子も気に留めていなかった。それが平成元年になって事態は急変した。
春の陽差しはやわらかく、それと入れ替わるように久太郎の喉に漂う違和感が増していった。食べ物をのみこむ行為がますます難しくなり、愛子の心に不安が広がっていく。
異変に気がついた愛子は、病院へ向かった。医師の診断が言葉の壁を破り、未知の病魔が久太郎の体を蝕んでいることが明らかになる。
「喉頭癌」という冷徹な診断が、久太郎と愛子の心に深い影を投げかけた。癌の進行は速く、緊急入院である。病室の中で医師の言葉が響きわたり、窓の外で吹く風の音が、物語の中にいるような雰囲気を醸し出していく。
治療の過程で見え隠れする希望と絶望。大小路夫妻は不確かな未来に向け、物語を紡いでいくように感じられる。喜びや悲しみが入り混じり、未知なる旅路が一ページに綴られていく。
うどんが好きな久太郎、食べている気分を味わいたいのだろう。彩人が見舞いに行くと「ここで食べろ」と言って、うどんを目の前で食べさせる。食べている姿をじっと見ている。「うまいか、うまいか」と何度も聞いてくる。彩人は食べた心地などない。
「これでよかったんだ。事前に検査して癌と宣告されて、暗い気持ちになって生きるより、なにも知らないでいたほうが臆病な私にはぴったりだよ」
「抗がん剤治療はやらない。放射線治療もやらないよ。それをやって助かった人は少ない。髪が抜ける。食欲が落ちる。副作用がきついというし」
「手術? しない、絶対。このままでいいから。もう十分生きた。寝たきりになって、愛子の世話なんてしてもらいたくない」
「だいたいの愛子に面倒見てもらうために一緒になったわけじゃない。もう十分みんなには楽しませてもらったから」と久太郎は周囲を気遣っていた。
榴岡公園のシダレ桜、ソメイヨシノ桜が満開の季節に、久太郎は愛子の目を見つめながら、桜のようにピンク色の顔色で、穏やかな笑顔を浮かべながら、眠るようにこの世を去った。
春風に乗って桜の花びらが舞い散り、彩人の心に微かな寂しさが漂っていた。古希を迎え、未来への不安が静かに立ち込めていた。「いつか片方がいなくなることを考えるのは嫌だけど、それが訪れるのは避けられない現実よね。」由里子の言葉が、微かな切なさを彩人の心に運んでいった。
彩人が由里子の長寿を願い、始めたことが家事手伝いだった。ゴミ捨て、買い物、風呂掃除、布団の上げ下げ、掃除機がけ。これらの日常の仕事は、夫妻の未来への愛情に満ちていた。
買い物では、夫婦で手を繋ぎ、由里子の好みや健康を考慮しながら品物を選んでいく。商品を手に取るたびに、それが由里子の幸福と健康を支えることを彩人は感じていた。
風呂掃除では、湯船に浸かる由里子の安らぎを想像しながら、彩人は丁寧にタイルを磨いた。夫婦の手が触れ合うたびに、愛情と思いやりが伝わっていく。
布団の上げ下げ、掃除機がけ。これらの作業が、ただの家事以上の意味を持っていた。「これをやることで由里子が長生きできる。」そう思うと、楽しみに変わっていった。家事手伝いが小さな幸福へと変わっていった。
風邪を引いて寝込んだ時、感じたのは、食べたくない、飲みたくない、温泉に行きたくない、旅に出たくないという気分だった。
病気になってから健康がいかに大切なのか、改めて感じていた。「もう私は若くはない。遅かれ早かれ、動けなくなる日がやってくる。そうなってからでは遅い。人生の目的は『食べること』と『動き回ること』だ。元気なときに『食べない』『動かない』のは愚かなことである。人生は一度きりだ。やり残すことのないように生きようと。」そこから、あっちの美味しいもの、こっちの美味しいもの、と動き回り始めるようになっていた。
そんなことをやっていて、蓄えが減っていってもそれでいい。数年もすれば食べる量も減り、動き回る範囲も狭くなる。もし蓄えがなくなってもそれはそれでいい。「食べられる。動ける。」のであれば、そんな幸せなことはない。
若い時は、必要とか、必要でないとか、そんなことには関係なく、持っているだけで幸せだった。外車に乗ることに憧れて、庭があって、家があるから家庭、物に囲まれているのが幸せだった。そのために削っていたのが食費である。安い値段に目を奪われて不健康な食べ物を口にしていた。
春風に乗って桜の花びらが散り、彩人の心に微かな寂しさが漂う。古希を迎え、未来への不安が静かに立ち込めていた。「いつか片方がいなくなることを考えるのは嫌だけど、それが訪れるのは避けられない現実よね。」由里子の言葉が、微かな切なさを彩人の心に運んでいく。
彩人が由里子の長寿を願い、始めたことが家事手伝いだった。ゴミ捨て、買い物、風呂掃除、布団の上げ下げ、掃除機がけ。これらの日常の仕事は、夫妻の未来への愛情に満ちていた。
買い物では、夫婦で手を繋ぎ、由里子の好みや健康を考慮しながら品物を選んでいく。商品を手に取るたびに、それが由里子の幸福と健康を支えることを彩人は感じていた。
風呂掃除では、湯船に浸かる由里子の安らぎを想像しながら、彩人は丁寧にタイルを磨いた。夫婦の手が触れ合うたびに、愛情と思いやりが伝わっていく。
布団の上げ下げ、掃除機がけ。これらの作業が、ただの家事以上の意味を持っていた。「これをやることで由里子が長生きできる。」そう思うと、楽しみに変わっていった。家事手伝いが小さな幸福へと変わっていった。
風邪を引いて寝込んでしまったとき、感じてしまったのは、食べたくない、飲みたくない、温泉に行きたくない、旅に出たくないという気分だった。
病気になってから健康がいかに大切なのか、改めて感じていた。「もう私は若くはない。遅かれ早かれ、動けなくなる日がやってくる。そうなってからでは遅い。人生の目的は『食べること』と『動き回ること』だ。元気なときに『食べない』『動かない』のは愚かなことである。人生は一度きりだ。やり残すことのないように生きようと。」そこから、あっちの美味しいもの、こっちの美味しいもの、と動き回り始めるようになっていた。
そんなことをやっていて、蓄えが減っていってもそれでいい。数年もすれば食べる量も減るし、動き回る範囲も狭くなる。もし蓄えがなくなってもそれはそれでいい。「食べられる。動ける。」のであれば、そんな幸せなことはない。
若い時は、必要とか、必要でないとか、そんなことには関係なく、持っているだけで幸せだった。外車に乗ることに憧れて、庭があって、家があるから家庭、物に囲まれているのが幸せだった。そのために削っていたのが食費である。安い値段に目を奪われて不健康な食べ物を口にしていた。
還暦が過ぎてから気がついた。食事は餌ではない。人生を謳歌するために大切なものだと。今は残り少ない人生を謳歌するのが優先である。美味しくて健康を害さない食べたいものは少々高くても食べている。心を癒す旅にも行く。心に残ること、感動すること、胃袋で感じること、それらを最優先している。
高齢になると風邪をこじらせて肺炎になったり、食事中に誤嚥したりして、ちょっとしたことで体調を崩し、亡くなることが珍しくありません。彩人が多くの死を目の当たりにしたことでもたらされた人生観が、「寿命」です。「死」です。
元気で意識もハッキリしている今、突然亡くなるイメージはわかないかもしれませんが、高齢者になるとちょっとした不調で体調を崩し、残念な転帰を迎えることが起きるのです。
そんなわけで、「今日も生きていることはとても幸せなことなんだ」と感じている。「寿命」と「死」という思いが人生観の根底に湧き上がってきているこの頃です。
無料検診があったので二人で行ってきました。検査の結果は、血糖値、血圧、コレステロール、糖尿、これらには三つの米印がついていました。特にコレステロールは昨年の倍になっていました。「健康は大切です。アルコール、塩分、魚介類、肉などを控えめにして、食生活を見直しませんか?」と医師から言われてしまいました。「先生、そこまでして健康維持したくないのです。食べたいものを食べて飲みたいものを飲みたいので、そのために薬があるのですから薬をください」薬のおかげで、正常値になっているようです。
73歳になった年の正月早々、体重は1カ月で7キロ落ち、医師なら、癌かもしれない。そう告知された瞬間「もう死ぬのか」と彩人は死を覚悟しました。再検査で、幸い癌はではありませんでした。そこから開き直りではありませんが「人生は楽しもう」という人生観に拍車がかかり、というより揺るぎないものになっていきました。
ラーメン好きの彩人は、週に二度は日高屋の五目あんかけラーメンを食べに行っている。一方、由里子は赤ワインが好きで、毎晩欠かさず飲んでいる。二人は、我慢したくないという信念のもと、食べたいものや飲みたいものを存分に楽しんでいる。人生観や死生観は個々に異なるが、いつ死ぬか分からない以上、今ある人生を楽しまないのは損だと考えている。そんな彩人と由里子である。
人生の旅路は、年月とともに深まり、豊かな色彩を帯びていくのかもしれない。若い頃の輝きと、今の静かな喜びが心の中で交差し、新たな一歩を踏み出す勇気を与えてくれる。「歳月人を待たずして人は老いず」とはよく言ったもので、時を重ねることで初めて見える景色や感じる喜びを知るのでしょうか。未知の旅路に立ち向かう中で、人生の真実が少しずつ明らかになり、それが夫婦をさらなる充実へと導いていくのです。