遭遇 1
(――やばい)
ジャコは目の前で流れる光景に愕然とするも、最早出来ることなど何もなく。無情にも地面へと叩きつけられた体はごろごろと勢いよく転がる。
痛みを堪えつつすぐさま立ち上がり、ついさっきまで乗っていた馬車の方を見るも――ジャコが落ちたことなどまるで気付く様子もなく、砂煙はどんどん遠のいていく。
(くそっ、冗談じゃねぇ! こんな場所で置き去りなんて真似されたら……っ死――)
水も食料もなく荒野のど真ん中に唯一人、考えただけで背筋が凍る。まだ間に合う、諦めるな。その一心でジャコは懸命に駆け出す。
幸い砂牛は馬ほどの足の速さはない。陽が落ちれば休息のために足を止めるだろうし、追い付く可能性は十分にある。
怒りも嘆きも後で存分に吐き出せばいい。こみ上げる感情を呑み込み今はただひた走るジャコの耳には、「おれがこの隊を導くはずだったのに」「おまえのせいで」そう呻くようなリアンデの声がいつまでもこびりついていた。
一刻ほど走ったところか、ようやく馬車の姿を視界に捉えジャコは大きく息を吐く。
ぜぇはぁと肩で息をしながらも思いのほか早く追いついたことに安堵し見れば、どうやらなだらかに下る丘陵の先、急な段差を降りた所で停止しているようだ。
(俺がいないことに気付いた? それとも何か別の問題でも発生したか?)
段差の先に覗く馬車の周囲には中から降りて来た人影がちらほらと動きを見せるが、詳しい状況はこの場所からでは掴めない。
何にせよチャンスには違いない、再び動き出す前に合流しなくては。大きく息を吸い込むとジャコは滑るように下り坂を駆け出した。
が、馬車の全体が見渡せる位置まで来れば浮かんでいた喜色は引っ込み、変わりに焦りの色が滲みだす。
馬車の外で蹴られている線の細い男はリアンデだろう。ボロ布のように転がり地に額をこすりつける姿に思うことはあるが、今問題なのはそれではない。
(あのヤロウ、なんてとこに停めさせてやがる!)
馬車の前方へと視線を移せば、見えるのは広がる砂地とまばらに生える枯れ枝のような低木類。迂回が必要なほど群生しているわけでもなく、止まらなければ構わず直進していたのだろう。
その進路上。茂みの中に真っ赤な細木が混じっているのを確認したところで――ジャコの懸念は確信へと変わり、気付けば大声で叫んでいた。
「その場所からすぐに離れろ! 後ろに下がれ!」
突然降ってきた声に屯していた男たちは顔を上げ、一斉に後方へと視線を向ける。
「おい! ありゃあジャコか?」
「はっ、しっかり生きてやがったかよあのガキ」
「トッド、マーコス! すぐに馬車を動かせ!」
驚きや安堵が漏れる中、アガドスだけがジャコの言葉を理解しすぐさま御者の二人へと指示を出す。
(ムカつく奴だけどやっぱ有能だ)
ぐるりと方向転換を始める馬車をみればジャコも安全を悟り、ようやく走る速度を緩めた。
――そんな思いも束の間。
落ち着いた足取りで馬車へと歩み寄った所で対峙した男が、排除したと思っていた憎き相手の顔を見て大いに狼狽えだす。
「おまえ、何でここに⁉ くそぉっ!」
馬車の側面にしがみついていたリアンデだったが近づくジャコから逃れるように地へ降り立つと、半狂乱に陥りながら走り出す。みっともなく手足をばたつかせ逃げこんだ先は今しがた回避したばかりの危険地帯であり、再びジャコの脳内に警鐘が鳴り響く。
「馬鹿野郎っ、そっちに行くんじゃねぇ!」
「うるさいうるさいうるさいっ……!」
砂を蹴りばきばきと細木をなぎ倒しながら走れば、リアンデはあっさりとソレに触れる。
ひと際目立つ真っ赤な幹。低木に混じり息を潜めるそれは植物などではない。ずん、と砂地が波打てばリアンデは足を絡めとられ地に体を転がす。
「何だ⁉ これは――」
リアンデがその正体を見ることは叶わない。足元からせり上がる管状の物体に全身をすっぽりと包まれると、めきめきと音を立てながらくぐもった悲鳴と共に呑み込まれていく。
「でけえ! 魔物か⁉」
「砂虫だ!」
後方に退いた馬車から身を乗り出した探索者たちが正答を口にする。
砂の下から姿を現したのは、人間をいともあっさりと丸呑みできるほどの巨大さをもつ芋虫型の魔物だ。先端についた口の上部に赤い木のような角を生やし、その巨体をゆらゆらとくねらせながらジャコの視界を埋めるように聳え立っている。
「ジャコ! 一旦退け!」
砂虫を前に身構えるジャコの背にアガドスの声が飛ぶ。その声に反応してか砂虫の注意が後方の馬車へと逸れ、そのままそちらに狙いを定めたのかずるずると這うように動き始める。
人よりも砂牛を餌と判断したのだろう。脅威が目の前をあっさりと通過していくが……これはジャコにとって幸運とは言い難い展開だ。
(ふーっ、はぁ……。落ち着け、考えろ)
こいつを馬車の方へ行かせるわけにはいかない。だからといってジャコにこの巨体を仕留める術はない。
ならばどうする? ……利用すればいい、この最果てという環境を。
(手段はある。後は……気合だけだ!)
そう覚悟を決め、開戦の火蓋を切る石くれをその無駄にデカい図体へと叩きこんだ。
「おいデカブツ! こっちに来やがれ!」
「おいっ、何してやが――」
後方から何やら叫ぶ声が聞こえるが気に掛けるほどの余裕はない。ジャコの全力投球をその身に受けた砂虫はその砂色の肌を興奮で赤く染め、ぐるりとその身を反転したからだ。
円筒状の口を大きく開きそのままジャコを目掛けて突撃を見舞う。すんでのところでひらりと躱せばそのまま砂虫の頭部は固い地面へと衝突し足元を揺らすが、ダメージには至らないようですぐさまジャコを捕捉し次の一撃への体勢を整える。
(素早さはあっても動き自体は単調だ、落ち着きゃ躱せる!)
ドスン!
ゴスン!
幾度となく繰り出される突進を横っ飛びで躱しながらジャコは砂虫を誘導する。
ザシュッ!
疲労が足を重くし、跳躍が間に合わずに砂虫の歯がジャコを掠めるが――問題ない、くたびれたマントに傷が一つ増えただけだ。
(そうだ、こっちだ。ついて来い!)
あと一、二度攻撃を回避すれば目的の場所だ。平野を横切る断崖の縁に沿うように駆け、目当ての物、暗色に変質した地面が視界に入ると大きく息を吸い、そして止める。
ブオン!
しなるように振り下ろされる攻撃。ジャコは鼻と口を手で押さえながらぐるんと体を回転させると砂虫の体を潜り抜け、そのままの勢いで崖を飛び出せばその身は急降下を始める。
宙を転がり空を向いた視界には、ジャコを追うように崖下へと飛び込む砂虫の姿が映る。丸く開いた口内にはびっしりと歯が連なり、一際大きな二本の牙が獲物への殺意を滾らせている。
だがそれがジャコに届くことはなく。
どんっ
背を襲う衝撃に耐えつつごろりと身を翻し、ジャコは素早くその場から距離を取る。
ぶはぁっ! と止めていた息を大きく吸い込み前を見れば、追う影は既になく。
黒ずんだ岩で覆われた崖の下でのたうち回り、やがて動きを止める砂虫を確認したところで、ジャコはようやく人心地ついた。




