君を想っている
「私、大学で上京するんだ」
「え?」
松井遥香は唐突に私にそう言った。あまりにも突然の事で、一瞬何を言っているのか認識ができなかった。
「あかりは進学先どうするの?」
「私は……ここの大きめの大学に行こうと思っているけど」
「そっか、じゃあ私たち、卒業したら離れ離れだね」
遥香はそう言って笑った。彼女の笑い顔はいつも天使のように綺麗で、可愛かった。だが、その笑顔はどこか寂しげなものがあった。
私は納得できなかった。私───向井あかりと遥香は、生まれてからの幼馴染であり、親友だった。学校も、クラスも、これまで一度たりとも離れたことがない。彼女と私はいつも一緒にいた。登校する時も、帰る時も、遊ぶ時も、ずっと一緒だった。一緒にいるのが当たり前すぎて、離れることなんか今まで想像すらつかなかった。それだというのに、遥香は私に何の相談もせず、上京を決めたのだ。親友なのに。
「どうして私に何も相談してくれなかったの?」
私は怒気を込めて遥香に言った。
「だって、あかりに話したら絶対反対するでしょ?それに、もう決めたんだ。私はこの狭い世界から飛び出して、もっと広い世界に行きたいって。自由で、満ち足りた世界に」
「だからって、私は納得できない。だって、私たちは親友でしょ?」
「親友だよ。でも、いつまでも一緒にいれるわけじゃない」
「それなら私も一緒に……!」
「駄目だよ。あかりは、この故郷でやりたいことがあるんでしょ?」
私はもう泣きそうになりながら言った。
「だって、それじゃ私たち、もう離れ離れになっちゃうじゃない!」
「そうだよ。ねえ、あかり。人ってね、いつか離れるものなんだよ。私たちは、あまりにも長く一緒に居すぎた。お互いがいなければもう成立しない程に。だから、もう私たちは離れないといけないんだよ」
そんなことを言われたって、私は今更遥香が一緒にいない人生なんて考えられない。遥香は誰よりも私の理解者で、親友なんだから。今更そんな事を言われても、私は納得できない。
「遥香の馬鹿!わからず屋!」
私は半泣きになりながら二人しかいない教室を飛び出した。教室を出る傍らで、遥香が最後に「ごめんね」と呟いたのを私は見逃さなかった。これが仕方のないことだなんて、私は思えない。もしそうなら、何故彼女はあんなに辛そうな顔をしていたのだろう。
私はあのまま教室に戻る事もできずに家に帰った。帰り際、私は深い後悔に苛まれた。遥香だってきっと辛いだろうに、何故彼女のことを分かろうともせずに教室を飛び出してしまったのだろう。あんな酷い言葉を投げかけて、私は遥香のことを深く傷つけてしまった。
だって、知らなかった。所詮私たちは高校生。この狭い世界の中で、更に狭い学校という世界の中でたまたま出会った小さな存在に過ぎなくて、この広い世界のことなんて何一つ知らないのだから。遥香はここから羽ばたいて、広い世界に旅立つことを決めたのだ。それを止める権利が、一体どこにあろうか。
謝ろう、と思った。私は遥香のLINEに「ごめんね」とだけ送った。返信は来なかった。
それから、私たちは話すことはなくなった。学校で顔を見かけても、遥香は私を避けるようになった。受験勉強もあってお互いに話す暇もなく、いつしか疎遠となっていった。不思議なのは、あれだけ一緒にいたのにいざ一人になると、それ程彼女の事を考えなくなったことだ。彼女がいなければ何も成立しないと思っていたのに、案外平気だった。人はいつしか離れなければならない。彼女が言っていた事が少し分かった気がした。それでも、あの日のことはたまに思い出して罪悪感に蝕まれる。
そして夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ、そして、春を迎えた。
私の受験は成功し、地元の大学に進学することになった。風の噂によれば、遥香も受験が成功して上京するらしい。卒業式の日も、結局彼女と話すことはなかった。
高校も卒業して四月から大学生になるというのに、あの日から遥香とは何も話せていないままだ。このままで終わりたくない、と思った。唯一無二の親友とこんな別れ方なんて絶対に嫌だ。
せめて遥香が東京に行く前に、なんとかして会ってちゃんと話をしたい。そう思っていた矢先に、彼女からLINEが来た。「明日東京に行く。見送って欲しい」と。
次の日は嫌なくらい晴れていた。桜も蕾から花開き始め、まるでこれからの私たちを演出するような、春の別れの匂いがした。私たちは駅で待ち合わせた。
駅では泣きながら抱き合っている人がいた。彼らもまた、これからの私たちのように別れを告げているのだろう。
私は遥香の姿を探して、すぐに見つけた。センター分けのウルフカット、切れ長の目、すらっとした身体、見間違えようがない。彼女の姿を見た瞬間、一瞬で体が強ばるのを感じた。駄目だ。堂々としないと。
「遥香」
私は遥香に話しかけた。緊張で声が上ずった。
「あかり」
遥香はいつも通りの笑顔で、私に応えた。泣かないと決めていたのに、私はなんだか泣きそうになった。
「あの、ね、ずっと謝りたくて。あの時はごめんね」
「私こそ、ごめん」
「東京、行くんだよね?」
「うん、あとちょっとで新幹線に乗る」
「そっか」
思うように言葉が出てこない。たくさん話すことはあるはずなのに。時間は迫っているのに、言葉に詰まる。
「私のこと、忘れないでね」
「絶対に忘れないよ」
遥香の声は震えていた。多分、彼女も泣きそうになるのを堪えているのだろう。彼女は私という鎖を外し、この狭い世界から勇気を出して飛び立つのだ。だから私はそれを見送らないといけない。それが、親友である私の務めなのだ。これは、私たちのカーテンコール。
「また、会えるよね?」
「うん、たまに帰ってくるよ」
きっとこれは今生の別れではない。いつしか疎遠になったとしても、私たちの思い出は記憶に残り、絆として心に残り続ける。
「私と親友になってくれてありがとう。またね」
「こちらこそありがとう、じゃあ、もう行くね。またね」
それが私たちの最後の言葉だった。結局、私は何ひとつ伝えられないまま見送った。伝え切れたことなんて何ひとつないまま、発車ベルは鳴り響く。
でも、これで良いのだ。人生は続く。今は道を違えても、いつしかまた交わる事があるだろう。私は思い出を胸に、それを信じてこれからも生きていく。だから、今はさようなら。
離れ離れでも、時が経っても、忘れちゃっても、君を待ってる。君を想っているよ。