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不可逆のクロノスタシス  作者: 一里 郷
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6、Α.Τροχιά.Κυανό

6、Α.Τροχιά.Κυανό


 仄暗い空間。眼前には吸い込まれそうな深い闇。

 闇はほんの数歩先にぽかりと口を開けている。

 透明な無反射ガラスの向こう側、塗り潰したような漆黒の向こうに、無数の光の点が小さく輝いている。

 一面の星空だ。

「最終認証用のパスワード、何か考えた? イメージある?」

 『私』は隣の彼に訊ねた。

 灰色の髪に薄い色の瞳の青年は、頭一つ分ほど上の高さからこちらを見下ろす。

「どこまで複雑なものを設定しても良いか考えてる」

「あんまり面倒なのにすると忘れるよ? いざってとき出て来ないんじゃ困る」

「そうだな。二人とも覚えていなくてはならないものだから、君も覚えていられるものでないと」

「……私のこと馬鹿にしてる?」

「いや、君も優秀な『管理者』チームの一員だ。僕も能力を高く評価している」

 相手の言葉に嘘が無いことは分かっているが、いつも少し低く見られているというか、やや子ども扱いをされていると感じることがある。

 それは彼の大人びて、理知的を通り越してAIではないかと揶揄されるほど、感情が希薄すぎる言動のせいかもしれない。確かに『モルフェ』での成績は彼の方が上だったし、誕生月も少し早い。性差ゆえ仕方ないとはいえ身長もこちらが負けている。

 だがそんなのはどれも誤差のようなものである。

 今は同じ『管理者』チームに配属され、二人一組のバディを組む仲。お互い対等な立場なのだ。

「何か覚えやすくて、印象的で、二人の証、って感じの……」

 ぶつぶつと口の中で呟く。

 『私』が頭を悩ませている間、彼は目の前に広がる空間を眺めていた。

 一面の星空。

 母星を離れ百五十二年。『私』たちを乗せた宙間移民船はワープを繰り返し、今は教科書にも載っていない星々が、窓の外で微かに煌めいている。

 そもそも教科書に載っている方の星々を、船内生まれの自分たちは見たことが無いけれど。

「何か見える?」

 訊くと、青年は暗い宇宙を眺めながら答える。

「変化のあるようなものは、特に何も。……ただ」

「ただ?」

「眠ってしまうと、この景色は暫く見られないと思って」

 仮想空間『モルフェ』の夜空は、母星での満月の夜に設定されている。

 母星の、清浄とは程遠い空では、月の明るい夜に星はほとんど見えなかった、らしい。

「意外とロマンチストなとこあるね。あんたみたいなのにロマンチスト成分があるなら、きっと人類誰でもロマンチストな部分があるんだなって思っちゃう」

「『管理者』チーム内でも皆、バディ間の共通パスワードを設定したくなるというから、そうかも知れない」

 からかい半分で言った言葉にも、彼は淡々と返してくる。

 感情が無い訳ではない。付き合いが長ければ分かることだが、表に出る部分が希薄なだけだ。

 『私』は知っている。彼がとんでもなく利他的で不器用で、感情を上手に扱えないことを。そんな彼がわざわざ『私』をバディにと申し出たという話を聞いたときは、正直、心底驚いたけれど。

 バディは二人一組で動くチーム内チームだ。多くの作業を共に行い、他のメンバー同士より特別な融通も利く。

 そしてバディ間では共通パスワードを持つことが可能だ。

 本来、管理AIにアクセスする場合、チーフ以外は最低二人分のコード認証とパスワードが必要で、中でもバディ同士は同じパスワードを設定できることになっている。元々個人用のものがあるので必須ではないのだが、結局設定するバディが多かったため、今や『二人だけの秘密の合言葉』を決めるのは慣例となっている。単独認証が可能なチーフも、今の役職に上がる前はそうしていたとよく懐かしがっている。

 非合理的かもしれないが、人の気持ちというのはそういうものなのだろう。

 兎にも角にも、そのパスワードを最終決定する刻限が、もう間もなくに迫っている。

「もし」

 ぽつり、と彼が口を開く。

「もし、この夜に名前を付けるなら」

 『私』は彼を見上げ、それから目の前の空間へ視線を戻す。

「この夜、っていうのは、一般的な夜のこと? それとも、宇宙空間?」

「僕は今、見ているこの光景のことを指したつもりだった」

「ロマンチスト成分増やし過ぎて分かり難いぞ、それ」

 うーん、と唸って『私』はガラスの向こうに広がる暗闇を眺めた。

 漆黒で塗り潰したような、けれどよく見れば様々な色が存在し、無数の星が煌めく世界。美しいけれど、生身で飛び込めばものの数秒で確実に命を失う、自然の脅威の最たるもの。

 眠りに就く前の、最後に見る無限の静寂。

 暫く考え、それから『私』は答えた。



 ゆっくりと、意識が浮上する。

 まず目に入ったのは灰色の天井。

 どうやら自分は仰向けに転がっているらしいと、ぼんやりと思う。

「……」

 まるで夢から醒めたときの心地だ。頭がぼうっとして、現実との境が曖昧に思える。

 瞬き、指先を動かし、自分の身体を確認する。少し背中が痛い。

「目が覚めましたか、アルト」

 声がする。それほど遠くない。

 身体を反転して上半身を起こすと、やや離れた位置に、顔は見えないが羊の角と耳を持つ若者が転がっているのが見える。

 二人がいるのは、意識を失う前にいた遺跡の中とは全く違う、灰色の無機質な部屋だった。

 滑らかな継ぎ目のない壁と天井。扉はどこにもなく、一方の壁は一面がディスプレイになっている。画面は真っ暗で、何も表示されていない。

「……ヒュー・ネフェロマ……」

 部屋の中を見回すうち、倒れた人物の名前を思い出す。それから。

「……あんたさ」

「何でしょう」

「その顔……キャラメイクで『本人』の顔に似せるって、どうなの」

 何度も何度も夢の中で見た光景。傍らに立つ青年。その顔が羊の獣人の顔にすり替わって見えたのは、偶然でも一目惚れとやらでもなかった。『ティコ』に感じた懐かしさも、胸騒ぎも、同じ理由で説明がつく。

 現実の顔が、彼の顔そのものだっただけなのだ。

「もしかしたらそれで見つけて貰えるかも知れない、との期待から。効果はありましたか?」

「……あったよ。あのときは分からなかったけど」

「そうですか……それなら、よかった」

 ぽつりと呟くように言う。

 アルトは起き上がり、倒れたままの彼の下へ近寄った。

 そして丸太のように転がった姿を見て、思わず眉間に皴を寄せる

「……ちょっと、あんたそれ、大丈夫なの?」

 炎使いの両足と右腕、そして顔の右側が、何かノイズのようなもので覆われていた。手で払おうとしても感触がなく、干渉もできない。

 焦るアルトとは逆に、『ヒューネ』は落ち着き払った様子で。

「前に言った通りです。ゲームの方では一部同期、半NPCの状態でなければ、歩くことも出来ないと」

「えっと……? じゃあ今は、一部だけじゃなく全部が同期してる状態ってこと?」

「そうですね。完全同期の状態です」

「その結果、使えない、って状態が目に見えるようになってる、ということで良い?」

「はい。ここから先の操作は、僕が僕でないと行えないので」

「それは、私も私じゃなきゃ駄目だってことだよね。最終認証のためには」

「いろいろ思い出してくれたみたいだね」

 ノイズに覆われた顔で彼が微笑む。

 アルトは逆に、苦い気持ちで更に表情を歪める。

「どうしてもっと早く思い出させてくれなかったの。私は全部忘れて、全部あんたにやらせて」

 記憶と共に無力感と後悔がこみあげる。

 彼だけを『管理者』側だと責め立てた。自分だって同じ、権限のあるチームの一員だったのに、何もかも忘れたままで自覚すら持たせて貰えなかった。

 炎使いはまた、淡々とした口調に戻る。

「夢に取り込まれないよう記憶と意識を保持するためには、一部の接続を切っておく必要があります。全て繋がった状態では、今のあなたのように一時的に思い出せても、また取り込まれて忘れてしまう。多勢に無勢、というのでしょうか。共通認識とは強いものです」

「じゃあ私の接続も切れば良かったじゃない。それなら思い出せた。二人で作業できた」

「『モルフェ』に来て、あなたを『管理者』側と認識できた時点で、僕は両足と右腕を失っていました」

 唯一無事な左手が、ノイズを纏った右腕に触れる。

「ここへは来なければならなかったし、自分以外のキャラクターを半NPC化できるかも分からなかった。もう一人には万全の状態でいて欲しかったのです。一度切れば戻せない。戻せる自信が無かった。皆を起こす際に不測の、未確認のエラーが起こる可能性もある」

 炎使いは目を伏せた。

「学園でのあなたは、とても楽しそうだった。死亡誤認のエラーさえ無ければ、そのままで良いと思うくらいに。だから、なるべく長く、そのままで過ごして欲しかった」

 確かに楽しかった。

 毎日、気の置けない友人と日々の出来事や将来の話をし、ゲームの中で『現実』には有り得ない冒険をして、それぞれ別の夢を追っていた。

 けれど、それは何も知らなかったからだ。

「……あんた一人に全部やらせて、背負わせて、それで平気でなんかいられる奴だって、思ってたの? 私はただの学生じゃない。あんたとは同じパーティじゃないけど、私はあんたのバディで、対等な、『管理者』チームの一員だ」

「……ええ、そうでした」

 そしてきっと、あなただけではなく、と呟いた声はとても小さかった。

「それが、恐らくさっき分かりました」

「さっき?」

「あなたに叱られました。他人優先もいい加減にして欲しいと。される側の気持ちになれと」

 長虫の魔物と戦った直後の話。

 あのとき、彼が使おうとしていたのは回復の魔法だった筈だ。自分の方がそれを必要とする状態だったのにも関わらず。

「そりゃね。誰でも言うよ、あんなときなら」

「ええ。僕も、きっと逆の立場なら、辛かった」

 息苦しそうに言葉を吐き、目を伏せる。

「あの日、ひとりで目覚めてからずっと、協力者が欲しかった筈だったのに……いつの間にか、すべて一人で行うことに慣れてしまった。僕らはチームで、あなたとはバディなのに」

「そうだよ。他のメンバーも、チーフも、起きたらあんたのこと怒るよ。叱られるよ、思いっきり」

 理解は可能だ。状況が、事態が彼を追い込んだのだ。

 膝の上でこぶしを握る。

「分かってる。接続を一部切ってるのは正規の状態じゃない。エラーが出る可能性は低くない。影響を受ける人数は少ない方が良い。でも私くらいは巻き込んでも良かったじゃないって、思っちゃうんだ。多分みんなもそう。感情的には」

 言ってからアルトは無理矢理に笑みを作った。

「だからみんな、起きられなかったこと謝って、それから、すごく褒めるよ。よくやった、って」

「だと、いいですね」

 弱々しい呟き。

 それは今までで一番、感情の籠った言葉のように聞こえた。

 目を閉じて、再び開いたとき、青い目にはもうその弱さは無かった。

「皆を起こします。最終認証を始めましょう」



 アルトは四肢の殆どが動かない『ヒューネ』に肩を貸す。身長差のせいで引きずるようになってしまうのは申し訳ないが仕方がない。

 彼の右腕は、しっかり掴んでいる筈なのに、まるで感触が無く不気味だ。

(……これが、世界に認識されていない状態、か)

 進んだ先、真っ暗なディスプレイの前、一枚のパネルが床に埋め込まれている。

 認証の方法は、頭の中に浮かんできた。

 ペンダントの中の面をパネルに向け、部屋の外で行ったのと同じように自身の名を告げる。

 一部同期の状態だとここでエラーが出て進まないのだと、炎使いが言った。半分とはいえNPCであるという情報がはじかれる原因なのだろうと。

 入室は可能だったので、中での操作の方がセキュリティが厳重なようだ。

 ペンダントが光り、パネルが反応して腰の高さまで浮上する。黒いディスプレイが微かに呻りをあげ、ゆっくりと点灯した。

 映し出されたのは、いつかの現実で、そして夢の中で見ていた星空。

 その半分が、白い靄のようなもので覆われている。ペンダントの中にあった空間と同じように。

「これもエラー?」

 少女が訊ねると、炎使いの若者は、夢の中で見たように、少し可笑しそうに笑った。

「よく見て下さい」

 言われてアルトは目を凝らす。

 一面の白い靄のようなものには濃淡がある。水に白い液体を入れて軽くかき回したような、不規則な模様。

 硬貨大のペンダントで見る小さな画では分からなかったが、その模様には厚みがある。何かを覆う厚みのある何か。

 その隙間から別の何かが覗いている。白いものが覆った表面にもまた模様がある。色は青が一番多い。次いで緑、そして茶、他にも様々な。

 見覚えがあった。

 教科書や資料に載っていた写真や映像で、何度も似たようなものを目にしていた。

「……惑星?」

 少女が口にした言葉に、若者は微笑んで頷いた。

「現実の、今は無人の操縦室から見えている光景です。ペンダントの中はメインの窓と同期するようになっています」

 本来は不要な機能だけれど、夢の中でも本物の宇宙を見られるように、と。

 きっとこの計画を立てた先人にも、ロマンチストがいたのだろう。

「百五十二年前、僕たちの先祖は滅びゆく母星を捨て、新天地を求め飛び立った。長い旅をして辿り着いた、あれが目的地です」

 百五十二年前に、とアルトは繰り返す。

 『モルフェ』で学んだ『亡星学』は母星の衰退を回避するための学問だったが、『現実』ではその成果は得られなかったらしい。人々は宇宙へ去り、大地には残したものだけが遺っている。

 人が去った母星は、自分たちが学んだ『不毛の惑星』と同じ状態になっているのだろうか。

 いつか自分たちの先祖が遺した文化を、誰かが拾い上げることがあるのだろうか。

 アルトは眩しく、ディスプレイの向こうの惑星を見上げる。

(でも、私たちは生きてる……母星の歴史も文化も、『亡星学』とかの学問も、まだ自分たちで伝えていける)

 人々が乗る船自体が、文化を繋ぎ伝える『金の円盤』なのだ。

 想い耽るうち、幾つかの認証が通ったことを合成音声が告げる。

《仮想空間『モルフェ』の運用を停止します。最終認証用パスワードを音声で入力してください》

 二人は顔を見合わせた。

「覚えていますね?」

 神妙な顔で『ヒューネ』が訊ねる。

 アルトは笑って頷く。

「勿論」

 思い出す。

 ここでの生活、冒険の数々。

 夢が終われば戻らない、ただ楽しかった何も知らない毎日。

 目覚めれば現実が待っている。起きてしまった事故、知らないまま死なせてしまった人々、果たせなかった責務。これから全てを知ることになる数千人の人々の目は厳しいだろう。糾弾は避けられない。

 受け止めなければならない。

 『ヒューネ』を独りで戦わせてしまった分も、ここからは自分たちが『管理者』側の責任を負い、義務を果たさなくては。

 心の中で覚悟を決めた中、ふと言葉が漏れた。

「目が覚めたら、ノインに会えるかな」

 ただの学生だった、自分の気持ち。

 『ヒューネ』は小さく頷く。

「ええ、きっと」

「……起きたら、黙ってたこと謝らなきゃ」

 秘密にしていたこと、リクのこと、もう会えない人のこと。

 アルトの正体を、立場を知ったら、口を利いてすらくれないかも知れない。自分が自分のことを忘れてヒューネに怒りをぶつけたように。いや、ノインは本当に何も知らないのだから、怒りも嘆きも正当な感情だろう。

(……それでも……)

 少しだけでいいから、友人として。

 一つ、息を吐く。

 眠りに就く前、見ていた宇宙を思い出す。

 眼前に広がっていた、一面の無垢な星空を思い出す。

(あの夜に名前を付けるなら)

 声を揃えて、あの日の答えを口にした。



 朝を告げる光が、柔らかく世界に満ちた。

 目覚ましのベルが鳴る。

 もうみんな、起きる時間だ。



 暗い空間。

 床に、天井に、隙間なく並んだ無数の金属のケース。

 人が一人寝られるほどの大きさのそれに、緑のランプが灯っている。

 空間に、音が響く。

 一つのランプが、ふつりと消えた。

 続けて隣、その隣の光が、次々と消えていく。

 同時に、壁のシャッターが開く。完全な暗闇を、弱く、けれど確かに存在する星の光が照らし出す。

 それはまるで朝を迎えた星空のように。

 人々の、夢の終わりを告げていた。

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