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不可逆のクロノスタシス  作者: 一里 郷
2/6

2、Μορφέας

x、断片


 また同じ夢を見た。

 仄暗い空間。眼前には吸い込まれそうな深い闇。

 闇はほんの数歩先にぽかりと口を開けていて、けれど恐ろしくはない。

 すぐ隣に誰かがいて、共に眺めているからだろうか。

 闇も、よく見ればただの闇ではない。

 塗り潰したような漆黒の向こうに、無数の光の点がちらつき瞬いている。

「もし、   に       なら」

 隣の誰かが呟いた。

 聞き取れない。

 隣の彼を向き仰ぐ。

 すらりとした長身。仄暗い空間に溶け込む暗色の服。

 こちらを見下ろす面差しは、羊の角こそ無かったが『アトモスぺラ』の中で見た彼の顔だった。



2、Μορφέας


「ほんと、ごめん!」

 言いながらアルトは、プラスチックの机に打ち付けんばかりに頭を下げる。

「いやいやイイって。昨日スタンプしたでしょ」

 席の主である背の低い三つ編みの少女が笑いながらぱたぱたと手を振った。

「それよりマジでヒヤッとしたし」

「そうですよ。気を付けてくださいよ」

 赤毛を肩で切り揃えたそばかすの少女が溜息交じりに言う。

 三つ編みの少女は『ノイン』、赤毛の少女は『リク』。それぞれ同名のキャラクターのプレイヤーであり、同じ学園、同じ学年のクラスメイトである。

 始業前、大きな窓のある淡い灰色の壁の教室、来ている生徒はまだ疎らだ。

「でも『ロスト』しなくて良かったよ。『帰還』間に合ったんだね」

 改めてホッとしたように三つ編みのノインが言った。

 『ロスト』はゲーム『アトモスペラ』内の死である。体力がゼロになったまま一定時間が経過したとき、またはそこから更にダメージが入ったとき、キャラクターは『ロスト』し、二度と使用することは出来ない。

 だがその前に『帰還』コマンドを実行すれば、体力がゼロの状態でセーフゾーンへ転送される。そこで回復すればレベルやスキルやアイテム、ステータスはそのままでまた『拠点』から『アトモスペラ』へ冒険に出ることが可能だ。

 『ロスト』するまでの時間はそれなりに猶予があるため、高難易度ミッションや遺跡でなければ、或いは余程の不運が重ならなければまず『ロスト』することはない。

 現実のようなリアルさを売りにしているゲームだが、その辺りは流石に結構甘い。

 逆に『ロスト』覚悟でなければ辿り着けないような場所には、相応の魅力的な報酬が用意されているという話でもある。

「でもさ、体力ゼロになってなかったから、あのままでも『ロスト』はしなかったと思うよ」

 軽く言うアルトの頭にノインが軽くチョップを入れる。

「あのねえ、不意打ちクリティカルでゲージ赤くなるまで削られたんだから、もう一回同じの食らったらアウトでしょうが」

 本気の心配である。

「ゲームの中とはいえ痛いもんは痛いんだから、大体あんなの見てても痛いし」

「え、そりゃ痛いは痛かったけど……そんなにヤバかった?」

「ヤバかった。もう軽くスプラッタよ」

 思い出したのか、ノインは嫌そうな顔をした。

 『アトモスペラ』では疲労感やダメージを受けたときの痛覚が実装されている。

 以前、ゲームにそんなもの要らないと、外された時期があるという。その間は毒や火などの地味なスリップダメージの蓄積が原因でうっかり『ロスト』したり『ロスト』しかけたりといった者が続出したらしい。リアルさを売りにした仕様故に、痛みや疲れは身体からの警告、という部分も反映した方が都合が良いという、本末転倒ともいえる不思議な事態だった。

 勿論現実ほどの痛みではない。魔物に真っ二つに切り裂かれるより、現実で小指をテーブルの脚にぶつける方が万倍痛いという程度だ。

 しかし見た目が痛そうなだけでも、見ている方は痛いものだ。

 アルトもゲームの中でとは言え目の前で『人が傷つく』『人が死ぬ』という事態は心臓が凍るような気持ちになる。

 だからそれについては申し訳ない気持ちになる。

 うんうんと赤毛のリクが頷く。

「そうですよ、『ロスト』したら現実でも死んじゃうみたいな噂とかもあるんですよ?」

「えー、脅かさないでよー」

「まあそれは言い過ぎだとしても、もっとレベル上げるかスキル付けるか良い防具着けてから余裕こきなさい。映画ならそのペンダントとかにピンポイントで当たってセーフ、とかあるけど、そういうのは無いんだから」

「はーい」

 指差された胸元のペンダントの鎖を指に巻きつけながらアルトは肩を竦める。

 ゲームの中で戦いをメインとしない彼女たちの装備は、基本的に布の服に毛が生えた程度のものである。戦闘よりも逃走、金をかけるなら武器防具より研究や採集の道具、というのが共通の方針だ。

 レベルを上げれば基礎の能力値が上がるし、スキルには確率でクリティカル回避や自動防御といったものもある。研究や採集に使えるスキルもあり、当然アルトたちはそちらに経験値を振り分けている。

「まあ、あっちの森にはあまり行ったことないけど、あんなのがゴロゴロ出るならちょっとはいい装備にしても良いかもね。というか町の近くにあんなの出るっけ?」

「夕方のタイムゾーンに入ってましたから、出る魔物が変わったんだと思います。森は昼に入る人が殆どですから……ちゃんとチェックしなきゃでした」

 リクが少ししゅんとする。獣や盗賊、魔物といった『戦う』相手に一番詳しいのは、ゲーム内で戦闘職に就いている彼女だ。各種攻略情報を得るため掲示板なども梯子して回った結果、先程のようなオカルトめいた噂にまで、ついでに詳しくなっているらしいが。

「仕方ないって。リクは町の周りで何かするより配達とか護衛で遠出することのが多いし」

 フォローを入れたノインがアルトに話を向ける。

「ってかアルトも初? 活動、夜でしょ?」

「森じゃ空が見えないから無いよ。私の職業は茸採集じゃなくてコメットハンターなんだから」

「あー、そっか」

「そう聞けば当然ですね」

 納得顔で頷く二人。

「大体今回のは私が闇雲ダッシュしちゃったのがアレだった訳で……結果的に自業自得でした」

「まあそれは……いや、話が堂々巡りになるな。やめよ」

 ぐるぐるし始めた空気を変えようと、アルトは話題を移す。

「……そういえばさ、あのあといつもの夢、見たんだけど」

「夢って、例の?」

「ゲームの中でも言ってましたよね」

「そうそう、いつものアレ」

 三人の間で夢と言えば、アルトが数年前からよく見る夢のことだ。ノインやリクには何度か話している。

「ログイン前にも見てログアウトしてからも見るって、どんだけ好きなのその夢」

「だから見たくて見てるんじゃないってば……ていうか、昨日のはちょっと違くて」

「違うって、どう?」

「……えっとね、言うの恥ずかしいんだけど」

 アルトが声を潜め、リクとノインが少女に顔を寄せる。

「例の誰かがさ……あの羊の人の顔しててさ」

 言いながら自分の頬が火照るのが分かった。

 そして聞いた二人の目がきらりと光るのも。

「……わーお」

「えー、それってさあ?」

「一目惚れじゃんって言いたいんでしょ」

 アルトは顰め面で先回りした。

「お、分かる?」

「そりゃね、それは私も思ったよ。あんな夢見ちゃったらさ」

 何度も見ていた変わらない夢に、ずっと顔の分からなかった相手に、初めて会った人の顔が摩り替わるように映るなんて。

(こんなん、意識しちゃってるんじゃなきゃ何だってんだ、って感じだし)

「それじゃ勿体なかったね」

 ノインがにやにやしながらアルトを見た。

「あんたがやられてすぐ、あの人が助けに来たの。魔物をばーって一気に燃やしちゃってさ、かっこよかったんだよー? ねえリク?」

「はい。綺麗でしたよ。すごく強かったですし、ああ見えてきっと高レベルの冒険者ですよ」

 興奮しながらリクがこくこくと頷く。

 レベルやスキルは経験値で上げたり取ったりするもので、最も得るポイントが高いのは魔物の討伐だ。荒事には縁遠そうな旅芸人のレベルが高いのは一見ちぐはぐだが、プレイ歴が長ければそれなりに上がるものだし、不思議という程でもない。

「えぇ、マジで」

「マジもマジよ。アルトあれ見たら超ヤバかったんじゃない?」

「……そっかー」

 炎を操り魔物を斃す長身の獣人。

 成程、想像するとなかなか絵になる。

 思い返せば黒猪に貫かれる直前、もう一頭は既に炎が屠っていた。あれが彼のものだったのだろう。

(あっちで会ったら、お礼言わなきゃな)

 思う少女の頭上で、始業を報せるチャイムが鳴った。



 全寮制の学園都市『モルフェ』。

 十二歳から二十二歳までの学生がこの広大な敷地の中で日々勉学に励んでいる。

 外出は許可制だが、不便はない。ここには学習のための様々な施設は勿論、娯楽設備も揃っているのだ。

 箱庭や孤島、スペースコロニーに例えられる学び舎は、遊びに行くなら遊園地や映画館やカラオケという学生たちには満足のいく空間である。

 逆にアウトドアを嗜好する者たちには不満があると言えるが、それは世界規模の話になるだろう。

 惑星上の殆どで開発が進んだ結果、数十年に渡り、人々の多くは森や山や海を知らずに生きている。人が踏み入れる範囲に『緑あふれる自然』などというものは存在せず、学園での学生生活以上に厳しく管理された自然公園が各地に点々と残るのみである。

 現代、この星に生まれた人々が目にする自然とは、記録され、画面越しに見られるそれか、『アトモスペラ』の中にあるものだけだ。

 『アトモスペラ』とは世界中で流行しているマルチプレイヤーオンラインロールプレイングゲームである。

 現実と見紛うグラフィックや自由度の高いシステムを売りに広まり、プレイ人口が増えてからはコミュニケーションツールとしても機能してきた。

 また、独自の生態系を持つ一つの『自然』として設定されたワールドのクオリティを活かし、自然と触れ合う機会が無くなった子供たちへのアウトドアツールとして教育に取り入れられてもいる。若い世代に於いては初めての遠足が『アトモスペラ』内の特別公園という者も少なくない。

 それはアルトたちの学園都市でも例外ではなく、寮には一部屋一台の『アトモスペラ』の端末が備え付けてある。

 何故学び舎の寮にゲームが?という疑問に対しては、開発に学園の講師陣が関わっているからじゃないか?という噂がまことしやかに囁かれているが、実情を知る者は誰もいない。



「あっちでの出会いがきっかけで付き合ったっていう先輩もいるからねえ」

 放課後、寮へ帰る道すがら、ノインが愉しげに宣った。

「同じパーティの人と結婚したりとか、そういう話も聞きますね」

 リクがうんうんと頷きながら続く。

「あんたたちは……どうしてそう外堀を埋めようとするかな」

 アルトは溜息を吐いた。

 前を歩く二人の少女は顔を見合わせて笑う。

「そりゃ他人事だからっしょ」

「でも本気ならちゃんと応援しますよ」

「全く……」

 もう一度大袈裟に溜息をついて見せる。

 いつもの、普段通りのふざけた会話。

 似たもの同士でつるんでいるように見えて、その実、三人の志望は三者三様だ。

 第一学年からの付き合いであるノインは科学方面、第五学年の今年から同じクラスになったリクはスポーツ系の道を進むのだという。

 そしてアルトは『亡星学』の、中でも天文学に興味があった。

 『亡星学』とは、宇宙探査の時代になってから発達した学問である。

 かつて栄え、そして滅んだ有人惑星の文化技術を研究し、自分たちの星での生活や研究に活かそうという分野だ。全土で開発が進み、人が溢れ、自然が遠くなった惑星には必要な研究である。

 それだけでなく、ノインとリクの志望する科学やスポーツ、あらゆる分野で『亡星学』から得られた知見は取り入れられている。

 滅びたとはいえ、先人の知恵から学ぶことは多い。

 と、目的は現実的だが、この道を志す者たちは好奇心の強い冒険家やロマンチストが殆どだ。

 かつて栄えたが今は滅んで痕跡のみが残っているという盛者必衰の儚さが、そういった人々の心を惹き付けるのだろう。

 斯く言うアルトもその一人である。

 明確にいつとは断言できないが、遠い星系に存在したという星々にまつわる神話に幼心を震わせたのが最初の記憶。

 元々星を見るのが好きだったということもあって、『亡星学』を知り、傾倒していくのはあっという間だった。将来を決める理由としてはロマンチスト過ぎると笑われたこともあったけれど、今のところ変えるつもりはない。

 そういう訳で、同じクラスで学び同じパーティを組む三人だが、進む道が分かれることは確定している。

 次の第六学年では、専攻ごとにクラスが別になる。専門の棟で専門の授業を受け、顔を合わせるのは共通科目のときだけ。

 卒業すれば、その距離は更に遠くなるだろう。

 専攻を決めるまで一年弱、学園を卒業するまでは残り五年弱。

(……でも、別々になっても『あっち』ではずっと同じパーティでいられるし)

 架空の世界でコメットハンターを生業とする少女はひとりごちる。

 現実でどれだけ離れても、ゲームの中での距離は変わらない。同じように楽しく話して、冒険をして、毎日を過ごしていく。

 誰もが『アトモスペラ』にもう一人の自分が居る時代、ゲームはゲームというだけでなく、もう一つの現実なのだ。

「じゃあ、また『あっち』でね」

 それぞれの部屋へと向かう分かれ道、三人は合言葉のようにそう言って別れる。

 学び舎の、いやきっと世界のどこでも交わされる挨拶。

 これが今の時代の人々の、アルトたちの現実だった。



 『アトモスペラ』の時間はゲームの外より早く過ぎる。

 設定としては二倍、現実での一日は『アトモスペラ』での二日だ。

 つまり午後の授業を終えてから寝るまでの間に、たっぷりとゲームの中の朝昼晩を楽しむことができるという計算である。

「こないだはごめんなさいでした!!」

 狩人の少女が羊の獣人に勢いよく頭を下げたのは、その日の『早朝』のことだ。

「いいですよ、気にしないで下さい。それより身体の方は大丈夫ですか?」

 鉛の巻き角を持つ若者、炎使いの羊獣人は愛想のいい笑顔を浮かべながらアルトを宥めた。

 ノインは、あの日彼が助けに来てくれたと言っていた。即ちアルトが黒猪に襲われたことを知っているということである。

 つまり、わざわざ追ってきてくれたのだ。会ったばかりの押しかけ冒険者のために。

「お、お陰様で、この通り元気です! 有難うございました!」

「それは良かったです」

「いえ、本当に、お騒がせして、助けても貰っちゃって……でもこれで今夜もお兄さんたちの公演も見に行けますから!」

「嬉しいお言葉、有難うございます。今宵もお嬢さん方に東国仕込みの炎の演舞をお見せしますよ」

 片目を瞑ってみせる表情は完全に客相手の演者の顔だ。

 そして、その顔を見ていると、やはりアルトの心臓が鼓動を早める。

 夢を思い出す。今とは違う暗い色の服を着て、静かに佇んでいた青年の顔。

(やっぱ一目惚れとか、そういうのじゃないなら、どうしてって話だよね。ほんとに)

 動悸を抑えるように胸を押さえながら、少女は意を決して顔を上げた。

「あの……」

「何でしょう?」

「もしかして前に会ったこと、ありますか?」

「……このあたりに来たのは初めてですね」

 さらりと返される。

 彼は人気の大一座の芸人である。こういったことは言われ慣れているのだろう。プレイ歴の長い高レベルのベテラン冒険者だということも考慮に入れれば尚の事だ。

 当のアルトにも以前に会った記憶などない。

 彼とは全くの初対面だ。初対面だからこそ困惑しているのだ。

「じゃあ……誰かと見間違いですかね。芸能人とか、スポーツ選手とか」

「それはあるかも知れません」

 目の前にいる羊の獣人の若者はゲームのキャラクターだ。現実の誰かが作り、動かしている。

 外見の設定はプレイヤー自身に似せることもあれば、全く別のものにする場合もある。ファンの多いアイドルなどはよく外見被りを起こして、やれ双子だドッペルゲンガーだというような話題に事欠かない。

 アルトも現実では黒髪を結んでいるが『アルト』は茶髪のショートカットだし、恐らく現実より可愛い系のグラフィックだ。

 現実では小柄な三つ編み少女のノインは長身の黒髪美女で、リクに至っては性別まで変えている。ノインは分かりやすく理想の姿だろう。リクの方は、現実には出来ないことが出来るように、というロマン追及をキャラメイクのコンセプトとして語っていたことがあるので、現実のものに似せたい派とは真逆を突っ走っている。

 性別変更に関しては手紙のやり取りだけで話していた時代にまで遡るというし、珍しくも無いことだが。

 この羊の獣人の外見が誰かをモデルに作られたとすれば、それが例えば顔の売れている有名人なら、既視感があるのも頷ける。

(それで、懐かしい、って思うのは違う気もするけど、有り得なくはないかな)

「他に用事がないのでしたら、公演の準備がありますので失礼しますね。後で何かありましたら『火の輪のティコ』宛で通じるかと」

 獣人は、話はおしまい、と言外に表し、愛想笑いを浮かべて一礼する。

「あ、私はアルトです。二つ名みたいのは特に無いんですけど、コメットハンターをしてます」

 そのとき一瞬。

 彼の表情が消えたような気がした。

「……分かりました。それでは」

 すぐに営業用の笑顔が戻る。

 そのままティコはテントの群れの奥へ去って行く。

(いま、なんか、引っ掛かったような)

 アルトという名前に何かあっただろうか。特に珍しい名前ではない筈だけれど。

(気のせいかな)

 自分が相手を、原因不明ながら特別に感じているから、相手の反応に期待を上乗せしているだけかも知れない。

 二人は大一座の芸人と客の関係で、それ以上でもそれ以下でもないのだから。



 流浪の大一座『カロス・アイドス』が町を去ったのはそれから三日後のことだ。

 その間、アルトが公演外でティコに会いに行くことは、一度も無かった。



「いっそ告っちゃえば良かったのにー」

 ぼそりと言ったのはノイン。

 再び始業前の教室。今日もまだ登校している生徒の数は少ない。

「だから恋とかじゃないんだってば」

「えー、だって勿体ないじゃん? せめて思い出にサインの一つでも貰っておくとかさ」

「あまり何度も押し掛けるのも迷惑になりますし」

 リクがノインを窘めるように口を挟む。今日の彼女はアルト側らしい。

「そりゃあ、流浪の芸人との行きずりの恋というのはロマンがありますけど、想いは告げず秘めたままで、というのもまたロマンですし、時を経て再会してからの告白というのも味わいがあるものです」

 否、どうやら彼女自身のロマンの問題のようだ。

「離れて気付く想い……的なやつ? ちょっとオトナすぎない?」

「もー、二人とも、すぐそうやって人の気持ちで遊ぶんだから。リアルの感情なんだぞ」

「へへへ、悪い悪い」

「ほんとに悪いと思ってる?」

 じとりと睨むと、ノインは軽く笑いながら手をひらひらさせる。

「思ってる思ってる。もし追っかけて『艇の塔』の街に行きたいわ!とかなったら全力で応援するから」

「とか言って、感動のご対面!な場面を見たいだけじゃない?」

「そんなことないですよ、そうなったら純粋に応援します」

 どこまで本気か分からないが、少なくとも二人がアルトの気持ちを応援したいというのは確からしい。

 まあ、恐らくはそれが半分で、残り半分はただの恋愛面での野次馬根性なのだろうけれど。

(応援されるのは嫌じゃないんだよね、別に)

 問題は自分の気持ちの正体が分からないことの方だ。

 しかしこれも、日が経てば薄れていくものだろう。大一座は町から去り、火の輪の獣人はもういない。

 気持ちを切り替える合図のように、チャイムが鳴った。



「本日は転校生を紹介します」

 始業前のアナウンスに教室がざわめいた。

 アルトも思わず身を乗り出す。全学年一貫の学園都市に転校生など珍しい。

 静まり返った教室に、足音の代わりに小さなモーター音が響く。

 クラスの視線が集まる戸口から現れたのは、車輪の付いた椅子に乗った少年だった。

(珍しいな……車椅子、だっけ)

 現代では電気制御による義肢が発達している。

 生身と見紛う造りのものから、デザイン性を重視したもの、運動用の高性能機。安価な量産品からオーダーメイドまでよりどりみどりだ。今や義肢より車椅子を選ぶ者はごく少数だと聞く。

(子供は成長が早いから交換が大変だ、ってのは聞くけど……)

 アルトが考えるうち、車椅子の少年はモーター音と共に教壇へ上がる。

 灰色の髪、色素の薄い肌。涼やかな風貌に、女生徒間の囁きが大きくなった。

「ヒューネ・プラシノです。宜しくお願いします」

 静かに微笑む。

(あー、こりゃ女子は放っておかないわ)

 ますます高まるざわめきにアルトは頬杖を突き直す。

 学園には珍しい転校生、珍しい車椅子、目を惹く颯然とした容貌。女子からの、だけでなく、注目が集まるのは道理だろう。

 転校生は微笑みを浮かべながら教室を見渡す。一人一人、順繰りに目を留めて。

 静かな視線はアルトの上でも留まった。

 そして何事もなく過ぎ去った。



 授業間の休み時間にも、放課後にも、転校生の周りには人が絶えなかった。

 様々な質問が飛び交い、嫌な顔一つせず答える姿が人だかりの向こうに見える。

「ありゃ大変そうだね」

 アルトの席に来たノインがチラチラとそちらを見ながら囁く。

 リクも同じく興味を惹かれる様子で、少しそわそわしている。

「アルトはどう? 気になる?」

「いや、流石にあの中に入ってまで聞きたいことはないって」

 苦笑いして返す。

 確かに転校や車椅子や気になることは山ほどあるが、それはもう漏れ聞こえてくる質問の中で幾度も繰り返されている。とうに飽き飽きしているだろうに、答える本人は涼しい顔だ。

(私だったら、もう他で答えたからいいじゃんってなりそうだけど、オトナだなあ)

 ペンダントの鎖を指に絡めながら思う。

(ずっとああだから、慣れてたりするのかな……大変そうだ)

 日常の不便とは別に、苦労が絶えなさそうな少年にほんのりと同情する。

 とりあえず三人から、彼の話を聞こうという者は出なかった。



 それから数日。

 転校生に群がる人だかりは一向に減る気配がない。

 所属するクラスの者が減れば、別のクラスや学年の者が穴を埋めるように集まって来る。最初からいる者は専任の世話係のように彼の周りから離れず、いつしか後から来た者を仕切るようになっていた。まるで転校生を中心とした小さな社会が形成されたかのようだ。

 どこまでが転校生、ヒューネ本人の意思なのかは分からない。

 ただ笑顔を浮かべて質問に答え続け、助けに入る級友たちに礼を述べる姿は、アルトたちにはいつも遠くに見えていた。

 物理的な距離だけでなく、まるで霞の向こうにいるように。

 それ以外は変わらない、いつもの日常だった。



 ヒューネと初めて話したのは、彼の転校から十日以上は経った頃だったろうか。

 その日、アルトは珍しく一人だった。『亡星学』専攻のための課題を幾つか出され、その資料集めのため図書館に来ていたからである。

 陽光の殆ど入らない重厚な造りの建物の中は、年中ひんやりしていて、現実では行ったことのない地下の自然洞窟を思わせる。教科書もノートも小説もコミックも端末に入れて持ち歩く『モルフェ』の学生たちが、現物の、紙の本を手にできるのはここくらいだろう。

 と言っても、書籍本体以外はしっかりネットワークで管理されている。

 目的のジャンルの本棚へ行き、空中に浮かんだパネルに目的の書籍名を入力した。すぐに手元の図書館用端末がその位置を表示する。目的の本が明確な場合は便利な機能だ。行った先でも周辺を眺めれば似たような内容を取り扱った本が並んでいるので、そこから選ぶこともできる。

 案内に沿って歩いていくと、角を曲がったところで彼に出くわした。

 車椅子に座った少年は、本棚の、アルトの背の二倍ほどの高さの段を見上げていた。足音に気付いてこちらを向いた彼と目が合う。

「取りましょうか?」

 希望の本に手が届かないのだろうと察し、アルトは進言する。

 ヒューネは小さく微笑んで、お願いします、と答えた。

 少し離れた場所にあるスライド式の脚立を引いて、少年が見上げる棚の近くに寄せる。そして彼が言う本の名前を探して取り出した。

(『中世の星々―不毛の惑星に於ける天文学のリレー』……『亡星学』の本だ)

 アルトの目的は『亡星学』の資料なのだから、案内の途上にいたヒューネの見ていた本棚も『亡星学』関連なのは、少し考えれば当然の話であろう。

 『不毛の惑星』とは『亡星学』が誕生する契機になった星である。

 探査船が発見した宇宙を漂う人工物と、搭載された『金の円盤』。広い宇宙に自分たち以外の知的生命体が存在することを証明する物体に人々は湧き、争うように解読が進められた。

 やがて特定された座標へは、今度は逆に慎重に、各国から選出された学者や研究家、そして『金の円盤』を模して自分たちの星の情報を刻んだ『銀の円盤』を乗せた最新鋭の探査機が向かった。

 けれどワープを繰り返して辿り着いた座標に、『金の円盤』を送り出した知的生命体は既に存在しなかった。

 熱く荒廃した大地に残っていたのは、かつて栄えた文明と、その星の『人』が去った後に繁茂しただろう植物の痕跡のみ。

 多くの人々はこのニュースに落胆した。

 しかし一部の人々は、そこに残された文化の残滓に目を向けた。

 名前も言葉も、姿すら知らない、けれど確かにそこで生きていた『人』が遺した証。風化していくばかりの惑星からそれらを持ち帰り、一度で足りなければ引き返して更に探し、私財を投じ、或いは興味か商機を見出した者たちの出資を得て、研究は始まり、そして続けられた。

 ゲームの中で遺跡を探索し、発見した遺物を調べる冒険者たちのように。

 この道を目指そうと思ったものなら誰でも知っている、今や五百年の歴史を持つ『亡星学』黎明期の物語だ。

「『亡星学』に興味があるんですか?」

 取ってきた本を手渡し、アルトは訊いた。

「はい。あなたも?」

「専攻を目指す予定です。天文学の」

「そうなんですか。どおりで、そのペンダント」

 少年の視線が少女の胸元に光るペンダントに向く。表面に刻まれた放射状の線は『金の円盤』に記された『不毛の惑星』の座標を示したものを模している。

 見る者が見ればそれと判る代物だ。

 暫く、何か考え込むように、その視線は動かなかった。

(……?)

 アルトが居心地の悪さを感じ始めた頃、漸くヒューネが顔を上げる。

「僕は天文学と錬金術に興味があります。尤も、この時代の『不毛の惑星』ではそのあたりは不可分だったようですが」

 この時代、とは少年の持つ本の副題にある『中世』のことだろう。

「同じクラスで似たようなものに興味がある人がいるとは思いませんでした」

 分厚い書籍を膝に置き古びた表紙を左手で撫でながら、ヒューネは笑顔を向けた。

「同じクラスって……私のこと知ってたんですか?」

「輪の外のことも見えていますから。いつも三人でいるでしょう?」

 心の中で舌を巻く。大人びているだけでなく周りもよく見ているらしい。

「今日は一人で本が読みたくて。同好の士に会えたのは想定外でしたが、嬉しい方の想定外です」

「私も……転校生が『亡星学』に興味ある人とは思いませんでした」

「ヒューネでいいですよ。敬語も結構です」

 自分は敬語を崩さずに少年は言う。

 やはり彼からは、何か隔たりというか、壁を感じる。

「また、話しませんか? 星の話がつまらなくないのでしたら」

 見えない壁の向こうで彼が静かに微笑む。

 それが何かに似ている気がすると、アルトは胸の奥でぼんやりと感じていた。



 現実でも『アトモスペラ』でも、それぞれ小さな事件があって、それでも普通の日々が続いていく。

 『アトモスペラ』では『艇の塔』の再開と大一座の到来、現実では車椅子の転校生。

 それが訪れる前後で、周囲の騒がしさや人の動きが変わったように思う。

 今日もゲームの世界を楽しんで、寝る前に窓から、夜空に浮かぶ月を見る。暗闇を照らす小さなランプのように白く丸く輝く天体。

 いつものように、いつも通りに。

 今の騒がしさも変化も、いずれやがて日常になっていく。

 これまで起こった様々な小さな出来事がそうだったように。

 あの月が変わらないように。



 そのときは、そう思っていた。

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