4
マルティネス公爵家に来てから三日目の朝、クロエは未だに居候中だ。
とろっと半熟の目玉焼きに焦げ目の付いた白いパン。シャキシャキレタスのサラダにプリッとした歯ごたえの鶏肉のソーセージまで付いた豪華な朝食を食べ終わると…
トントン_
扉を機械的に叩く音の後にくぐもった声が聞こえた。
「クロエ様、旦那様から言付けを預かっております」
扉を開けると初老の執事が立っており、焦点の定まらない目でクロエを見ている。
なんでもクロエの職探しに難航しているらしく、もう暫く待っていてほしいとの事。
自分で探しに行くと言っても納得してくれないようで、オルフェウスの部屋以外なら屋敷のどこを歩いても構わないから自由に過ごして欲しいと言われてしまう始末。
「そこまでしてもらわなくても大丈夫なのに…」
「年端も行かないご令嬢を無一文で追い出すような真似はできませんよ」
食べ終わった食器を片付けに来たアビゲイルがクロエの独り言に答えた。
「あ、アビゲイルさん。いつもすみません…」
「いえ、お気になさらずともよろしいですよ」
今日は他にも仕事があるというアビゲイルは部屋を出ていき、クロエは部屋の隅にある小さな本棚の整理を始めた。
手に取った背表紙の黒い本をぱらぱらと捲ってみると、中の紙は白くて安心した。
( 流石に中まで黒かったら文字が読めないよね… )
だが、どれも呪われた話や厄災だの血塗られただのと、背筋がゾッとするような題名の本だった。
二段あるうちの一段の本を取り除いて、棚の中を拭くクロエ。
本がぎっしり詰まっていたからか、少しホコリが被っている程度でそこまで汚れは無さそうだ。
乾いた布で本の背表紙を拭いていくと、年代物なのか暗い臙脂色や深緑色に変わっていく。
全て棚に仕舞って下段の本も同様に出して棚を拭き、背表紙のホコリを払った。
どれも暗い色の背表紙だったが、元々の色は黒ではなさそうだった。本を流し読みながら下段に仕舞っていく。
趣味の幅が広いのか客人をもてなすためなのか、先程とは打って変わって下段の本は恋愛物や冒険談が多かった。
次は何をしようかと考えていると小さな音でお腹が鳴り、クロエは自分の事なのに驚いてしまう。
普段よりも食べている量は多いのにお腹が空いてしまった。食べる量が増えたから、お腹が空くのも早いのだろうか…?
どこに行っても良いなら、厨房に行こう。
( 図々しいって怒られるかな…? )
アビゲイルに教えてもらった記憶を頼りに、クロエは薄暗い廊下を進んでいく。
ガチャガチャと鍋を動かす音が聞こえてきて、そっと顔を覗かせると
陽気そうな中年の男が鍋をお玉で掻き混ぜていた。
「もしかしてクロエ様ですか?」
視線に気が付いた男はクロエを手招きをして側に来るように呼ぶ。
「こんなところに来てどうしたんでしょうか?ここは火を扱っているから危ないですよ」
男は公爵家の料理人をしているガイウスと名乗り、クロエに優しく接する。
「あの…、お腹が空いてしまって…」
恥ずかしそうに答えるクロエを見て、ガイウスは豪快に笑った。
「食べ盛りですからね。何かお出ししますから、もう少し我慢できますか?」
ガイウスはコクコクと頷くクロエの頭を撫でる。
小腹が空いた時用に焼いたというクッキーを持って、丸椅子に並んで座る二人。
「クロエ様と同じくらいの歳の息子が居るんですよ。あいつもよくお腹が空いたと言って菓子を強請りに来るんです」
「そうなんですか?甘い物が好きな男性は珍しいですね」
クロエの言葉にガイウスはきょとんと瞬きをしてから「あぁ」と一人で納得していた。
「あれくらいの歳の子は大抵甘い物が好きだと思いますよ。でも、数年後にはどうなっているかわからないですけどね。好きでも格好つけて隠す人もいるくらいですし…」
「そういうものなんですね…」
ガルシア男爵家の二人はどうだっただろうか…。
弟のアドニスが小さい頃は甘いお菓子をたくさん食べていた気はするが、父カイロスも大きくなったアドニスも、甘い物には手を付けずに肉や揚げ物ばかりを好んで食べている。
色んな人がいるんだろう。小さな世界で生きてきたクロエは男性の好みなど知らない。
「さてと、そろそろ夕食の支度を始めるとしますか」
立ち上がったガイウスにクロエが手伝いを申し出たのだが、遊びじゃないのだと言われて厨房から追い出されてしまった。
「食事の量を少し増やしますから、よく食べてよく寝てください。クロエ様だってすぐに大きくなりますよ」
「ありがとうございます…?」
ガイウスの言った通り、その日の夕食はいつもより量が多かった。
( どうして食事の色が変わったのか聞けばよかった。ガイウスさん、黒に飽きちゃったのかな…?)
今日も美味しい食事を食べて、幸せな気持ちでベッドに入るクロエ。
明日もここに滞在するならベッドのフレームを綺麗にしよう。
贅沢を言えば白いシーツが欲しいけど、居候の身でそこまでは頼めない。
フカフカのベッドに身体を沈ませて、クロエは明日に備えた。