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もしイタリアが頑張ったら~30年代編〜その①

 黄金の20年代が終わり、失速し始めた米国から油田発見後も同国に留まっていた移民が好調な母国に帰国。


 上記により構成員の減ったマフィアとの抗争も減少、失業率も移民が抜けた分改善と米国とは良好な関係だったのに対し、英国に次ぐ植民地を持つフランスとの関係は軍縮会議や高関税による締め出しにより悪化した。


 陸軍は評価用に購入したZH-29を参考にしながら新型の半自動小銃を開発、ブレダPGと名付け採用した。


 干渉戦争時に入手したフェドロフM1916や開発中の自動小銃があったが、威力と遠距離での命中精度が悪く、弾丸の消費量が多い事から経済が好転するまで凍結状態だった事。


 同時期に開発したM30軽機関銃が失敗した煽りを受けてフルオート機能を削った為、口径こそ違えどその機構、外観は後のSKSに良く似ていた。


 空軍でもブローニングM1919重機関銃とM2機関銃を元に試作が行われ、使用弾薬を7.7㍉ブリティッシュ弾とする事に決定。


 M2やビッカース機関銃を参考にした銃は重さと威力不足から不満が出て開発は遅延した。


 結局これもチェコのZB26機銃を参考とする事に決まった。


 新型の37㍉砲も完成した為まずFIAT3000、次いでヴィッカース6t戦車に搭載。


 ヴィッカースの方が車内スペースがあり、スピードも速く乗員増加による個人負担の減少とFIATより優れていたが、終わりの見えつつあったリビア再征服に出撃させると差はより顕著になった。


 障害物がない砂漠ですら無線の運用にもたつき、機動力も相まって取り逃がすケースがままあったのである。


 翌31年、乗員数の関係から同様の問題が起こると考えられた為L3の調達はリビア再征服の終了と共に中止。


 FIAT3000やL3の更新を兼ねて6t戦車を母体に8t級軽戦車……後のM11の開発を開始した。


 退役したL3はまずウルグアイとチャコ地方の領有権を巡って対立中のボリビアが購入し、翌年には第一次上海事変が発生した中国やハンガリーに開発されたばかりのブレダ20㍉機銃とセットで売却された。


 このセットは新興国には好評だったようで、同年にフィアットが進出したポーランドでは石炭と引き換えに両方のライセンス生産が行われた。


 射界は取れなかったが上部装甲が付き、全周15㍉と母体のカーデンロイド豆戦車より防御力が向上、雨天でも使いやすくなった点がユーザーに喜ばれた。


 残りは武装を取り外した後企業にリースされ、重機として大詰めを迎えたアルプスの水力発電所建設や戦後間もないリビアの復興、34年に首都ローマで開催される第二回W杯に向けて国内インフラ整備に投じられる事になった。


 海軍の方は造船所の拡張も終わり、ソ連や南米向けに艦艇を売却していたが仏のダンケルク級戦艦建造の報を受けカヴール級戦艦の改装を開始。


 リビアや中国への着上陸支援の際、空軍との連絡の悪さが浮き彫りになった事、対立する仏海軍が空母ベアルンだけでなくコマンダン・テストの建造する事を受け、フロートや防錆処置等を除いて機体を共通化する事と引き換えに海軍航空隊を維持する事で空軍と合意。


 28年のイタリア号遭難も併せて史実より空軍の勢力は弱体化した。


 32年にチャコ戦争が勃発するとボリビア、ウルグアイ双方に武器を売却していたイタリアは完成したばかりの試作中戦車を投入。


 国内ではフィアットがバリッラ508を発売。


 米国の自動車工場で働いていた経験者が雇用され、史実より好況なのもあり売れ行きが良かった。


 33年、独でオーストリア併合を目指すヒトラーが政権を握るとナチスと対立していたオーストリアのドルフース政権に接近。


 ドイツへの牽制と資源面での不安から同年5月にソ連と経済的に提携。


 自動車、造船、航空機設備等と引き換えに石炭と32年に発見されたばかりのゴムを含むロシアタンポポを要求した。


 これは世界恐慌以前に原産地を押さえていた英国がゴムの価格を引き上げた事への対策の一つで、米国からの移民が帰国する際に持ち込んだグアユールのリビアでの生育が思わしくなかった為である。


 提携後、ソ連の五カ年計画の『成功』を見てフィアットを基幹に企業の国営化が加速した。


 この頃仏から13.2㍉機銃を輸入、採用している。


 34年に世界を震撼させる事件が起こった。


 ヒトラーが再軍備宣言を行ったのである。


 衝撃を受けた英仏伊はストレーザ戦線を形成。


 イタリアは山砲の開発と並行してオーストリア、ペーラー社の歩兵砲の国産化に成功した頃、英独海軍協定が締結され戦線は2ヶ月で崩壊。


 翌月ドルフースがオーストリア・ナチスの凶弾に斃れた。


 英国や背後に居ると見られたヒトラーに対するムッソリーニの心象は最悪だったが、右派によるテロが勃発しその反動で左派勢力が拡大中の仏とも疎遠になった。


 年末にエチオピアと国境紛争が起き、英仏との更なる対立の火種が蒔かれるのである。

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