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イタリア戦線
イタリア降伏に伴いエマヌエーレ3世は退位。
本人は退位を拒んでいた上に王党派も分裂したが、今では溝が出来ているとはいえムッソリーニを任命したのはエマヌエーレ3世である。
連合国とのパイプを持つベルギー出身のマリーア王妃と王室存続を願う王党派が結び付いた時点で結果は見えていた。
だが王妃の夫ウンベルト2世が後を継いでも国内の戦いは終わらず、就任後の第一報はドイツ空軍の攻撃によりインペロが沈没したという物だった。
悪いニュースは続く物で、数日と経たぬ内にムッソリーニがドイツに誘拐されてしまう。
翌11月には北部でサロ政権が成立したが首班のムッソリーニは胃癌に冒されており、事実上ナチス・ドイツの傀儡であった。
国が分裂した後、連合軍とドイツ軍がアンツィオで激突。
5ヶ月に渡る死闘の末、ローマを解放した連合軍は更に犠牲を払いながら北上する事になる。
43年まで地中海はイタリアが優勢に戦いを進めていた為、史実よりドイツ軍のイタリア領南進は遅れています。




