質量の差
イタリアがチュニジアで連合軍を撃退していた頃、東部戦線で死闘を繰り広げていた独ソ両国は伊日、英米に対し弱い国を相手していると不満が高まりつつあり独は日本に対ソ参戦を、伊は米海軍の誘引を要請した。
前年8月から開始された米軍のB-17による欧州本土空襲や年末から地中海で英米海軍の脅威に晒されている独伊両国にとって日本は頼りにならなかったのである。
ブラウ作戦の失敗に伴い徴兵の範囲が拡大された為鉄の生産量が落ち、長大な航続距離と物量を活かした米軍による空襲は産業にダメージを与えていた。
防衛戦への転換に伴い資材と工数を食う上に損害の大きいP.108は生産を停止。
独ではライセンス生産され、ボルガ川やバクー油田の空襲を行っていたが運用高度が低い為P−39やYakシリーズの迎撃、珍しいケースではII-2による損害が記録されている。
油田や水運への攻撃によりソ連軍の進撃は鈍く、独、フィンランド連合軍が包囲確保しているレニングラード、ニッケル鉱山を抱える北部、南部戦線の穀倉地帯であるウクライナ方面では殆ど膠着状態だった。
視点を地中海に戻す。
スペインとの物流は連合軍の展開に伴い海運は封鎖され、ビレネーを越えアントン作戦以降対枢軸感情が悪化したフランスを経由する為効率が悪化。
2月に配備されたばかりのマッキ205が独り気焔を吐いていたが洋上の劣勢は覆しようもなかった。
同じエンジンを用いたG.55は量産性に優れていたものの雷撃機への改修が優先された為数が揃わなかったが、これまた同じエンジンを搭載し前年5月に初飛行したレッジアーネ2005は製造に高い技術と価格が必要な事が災いし年を越すまでもなく生産を中止。
浮いたラインをマッキ205の製造に充てたが実際に生産され始めたのは年明け以降である。
伊空軍は低高度では優勢だったが高高度からの重爆による爆撃を防ぎ切れず、海軍は5月に行われたシチリア沖海戦で枢軸側が開発出来なかったPPIスコープ、VT信管を活用した米海軍に敗北。
護衛空母によるエアカバーや上記のVT信管により雷撃機が全滅、ヴィットリオ・ヴェネト、ローマが沈んだ事で戦力もシーレーンも吹き飛んだ。
米海軍は真珠湾やソロモン、アリューシャンで戦艦、重巡、駆逐艦多数を喪っていたが英軍と共に過剰とも言える戦力を投入していた。
アフリカではリビア、東アフリカを確保していたが制海権を取られてしまっては何の意味もない。
6月に相次いで降伏しアフリカ戦線はほぼ消滅。
ナイル源流を抑えられる上に三方を包囲される事を良しとしないエジプトは、降伏に納得しない一部の将兵を受け入れ抵抗を続けていた。
シチリア沖海戦後本土防衛が優先され、マルタ島に空挺降下を許したが、鎮圧出来た事がイタリアにとって唯一の慰めではあった。
英国統治時代より小麦や飲料水が安く手に入り戦時中である事を除けば暮らしやすかったのである。




