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もしイタリアが頑張ったら~20年代編〜

 1924年、ムッソリーニは晴れやかな気持ちでクリスマスを迎えていた。


 政権掌握後、軍人時代の仲間から大戦直前にリビアで石油が出たとの情報を得て、ルーマニアで資源探査を成功させたシュルンベルジェ兄弟を派遣した所油田を再発見したのである。


 当時の伊の技術では採掘出来なかったものの、ロイヤル・ダッチ・シェルが名乗りを上げた。


 伊はワシントン条約で仏と、コルフ島事件で英と対立していたが翌25年に設立されたAGIP(イタリア石油公団)の下、ドイツ系フランス人の兄弟がリビアで資源探査、英蘭資本が採掘した事はロカルノ条約と絡めて欧州でちょっとした話題になった。


 油田発見に依る好況で資金難で凍結状態にあったカール・ツァイス社との合弁会社を設立。


 イタリアのガラス産業はヴェネツィアングラス等工芸品としては高い評価を得ていたが、著名な天文学者や天文台を抱えながらも国力が乏しい故に技術革新に遅れを取り、精密光学機器で一流扱いされる製品は無かったのである。 


 対米関係はマフィア撲滅を掲げるムッソリーニ政権と禁酒法時代の米国は良好な関係にあったと言って良い。


 米国から欧州での販売権を委託されている英国を介して齎されたトミーガンは重く弾薬規格が異なる点で嫌われたものの、木綿の防弾服はイタリア警察でも採用された。


 28年、米国のグッドリッチ社が塩化ビニル樹脂の工業生産に成功するとリビアのキレナイカに生産プラントを誘致。


 南欧向け石油製品の生産拠点となり、その特許料は同社を潤す事になる。


 同年アルバニアで欧州最大規模の油田が発見された。


 産出量はイタリアの消費量の1/3程度だったが、 距離が近く産出地の採掘権を得ていた為国力は更に増大。


 本土に点在する石炭、鉄、銅、ボーキサイト等の各種鉱山開発も陸海運の血液である石油がリビア、アルバニア両地方から流れ込む事で弾みがついた。


 空軍内部の派閥抗争の結果、空路で北極点を目指した飛行船イタリア号をろくに支援せずに送り出して遭難後の被害拡大を招き、救助に向かったノルウェーのアムンセンが行方不明になる等波乱万丈の一年が過ぎた翌29年、国家予算に余裕が出来たイタリアは軍備増強に着手。


 空軍から鈍重な飛行船は姿を消し、ジュリオ・ドゥーエ少将の戦略爆撃理論を実現すべく三発爆撃機の開発に邁進。


 陸軍は低速、旧式化した戦車の更新に研究用として英国からカーデンロイド豆戦車、ヴィッカース軽戦車を購入。


 装甲は薄いが山岳地帯で小回りが効き、広大なリビア砂漠で小火器のゲリラ相手に使うには十分と豆戦車をL3として採用。


 軽戦車は砲の自走用に研究が続けられた。


 海軍は戦艦ダンテ・アリギエーリの改修が終わり、高速駆逐艦建造に舵を切った。

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