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エジプト動乱

 エジプトでは東アフリカに送る筈だった物資やギリシャから転用され始めた兵力が双方に流れつつあった。


 5月半ばに撤退してきた空軍は枢軸軍の90㍉や88㍉砲に悩まされたが防空や砲兵への注意を逸らす事に成功。


 砲兵戦では上記砲が配備された所を除けば射程は同等で発射速度で劣り、口径と物量で勝っていた。


 砲撃で路面を荒らしガントラックの進出を防いでいたがそれでもアウトレンジされる事があり、居ない時はJu87を呼ばれ潰されていたのである。


 装備を捨てて駆逐艦に分乗してギリシャからアレキサンドリアにやって来た陸軍に対し英・エジプト現地軍は良い顔をしなかったが、湿地に阻まれ砂漠からの迂回機動を封じられたロンメル軍団と消耗戦を演じている最中である。


 インド、豪州からの増援はイラクに流れ装備は東アフリカ頼みな現状では交代要員としては居ないよりマシだった。


 月末、ギリシャ政府が降伏したニュースが流れた頃エル・アラメイン沖に艦隊が出現。


 リットリオ、インペロ、ザラ、フィウメを中心とする高速艦隊である。


 アレキサンドリアから100km弱の距離ということもあり、港では英軍だとばかり思っていたがその思いは砲声と共に打ち砕かれた。


 一時間足らずの間に二千発を超える艦砲弾が打ち込まれ防御陣地は壊滅。


 サダトらエジプト将兵も反乱を起こしエル・アラメインは陥落した。


 一報を受けたチャーチルはシリア、レバノンへの派兵計画を中止させ、カイロではクーデターが発生。


 反英武力闘争の流れはエジプト=スーダン全土に波及し、エジプトに英空軍が進出後動きが低調だった枢軸軍はアレキサンドリアに迫った。


 ロンメル迫るとの追加情報を受けたアレキサンドリアでは水兵の反乱が起き、飛行機も飛ばせず枢軸軍に対し何も出来ず、対空火器の射程外にバラまかれた機雷を突破してジブラルタルからH級部隊が出撃したがイタリア空軍の迎撃を受けて駆逐艦フィアレスが沈み、軽巡マンチェスター、駆逐艦ファイアドレイクが損傷。


 僚艦に曳航され二隻はジブラルタルに引き返した。


 その後もH級部隊は東進したがマルタ沖で魚雷艇により軽巡ハーマイオニーが避雷。


 突破を諦めて目標をリビア沿岸砲撃に変更し一定の戦果を挙げたが差し引きではマイナスだった。


 31日に英国はイラクの反乱を鎮圧したがギリシャを失いエジプト=スーダンでも劣勢になりつつあった。


 6月4日にはアレキサンドリアが陥落。


 地の利と装備、士気に勝る現地軍にギリシャからの敗残兵では相手にならなかった。


 地中海艦隊はスエズを経由して撤退。


 チャーチルは中東軍総司令官ウェーベル将軍を解任した。


 エチオピアに押し込まれていたイタリア軍も息を吹き返しリビアからの空路が復活。


 最大7.2tのペイロードを誇るSM.82がここでも活躍した。


 エジプトでは17日にカイロ、22日にはスエズまで到達。


 参戦から一年、自力でこそなかったがイタリアはスエズ打通を遂に成し遂げたのである。

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