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古代文明発祥の地で

 5月、クレタ島とエル・アラメインで戦闘が発生。


 ルーマニア油田やスエズ運河を爆撃圏内に収めるクレタ島を英中東軍を除けば(東アフリカが片付かない内にイラクで反乱が起きて手が回らなかった)両陣営首脳部は重要性を理解していたし、エル・アラメインを突破すればアレキサンドリアには自然障害物の無い道を東進するだけだった。


 空母からの空襲や巡洋艦以上の艦砲射撃は脅威だが注意を逸らす為にも同時攻撃を狙ったのである。


 クレタ島周辺の制空権は枢軸側の手に在ったが制海権は拮抗していた。


 2月にインペロが就役、翌3月にリットリオがタラントの痛手から復帰と英の旧式戦艦(クイーン・エリザベス、バーラム、ウォースパイト)に練度と隻数は劣るが性能で勝り、空母を除けば巡洋艦以下も含めほぼ同等の戦力を保持していたのである。


 ただイタリア海軍はギリシャ〜クレタ間の移送には空軍の掩護が前提だと注文を付けた。


 ヴィットリオ・ヴェネトの修理は未だ終わらず、リットリオと同じくタラントで損傷したカイオ・ドゥイリオは復帰が作戦発動後の為戦力にはならなかった。


 イタリアが北アフリカで敗北しなかった為、英軍は武器産業を持たないギリシャ軍に東アフリカから鹵獲兵器を輸送し提供。


 更に自軍装備も追加して補給効率の面では史実よりマシだった。


 だが海岸沿いで将兵が装備諸共粉砕された為抵抗も敵わず、大して消耗しなかったドイツ軍はイタリアからSM.82輸送機を借り受け5月16日にメルクール作戦を発動。


 全長はJu52輸送機より2割程長かったが外板がジュラルミンではなく木製の為レーダーに映りづらく、100km/h以上高速で一度に1.5倍近い兵員を輸送出来、強風に煽られる事なく着陸した空挺部隊は敵の総司令官フレイバーグ少将が主力は海岸から上陸してくるという予想を覆して抵抗を徐々に排除していった。


 中東軍と度々意見が衝突するロンドンからの指令よりギリシャ沿岸で陸海空共同作戦に敗れ去った衝撃の方が強く、重装備や火力支援の有無を考えるとフレイバーグ少将の考えも一概に間違いとは言えなかった。


 だが事ここに至り本土と現地の不協和音が最悪の事態を招いたのである。


 英空軍がエジプトに撤退した翌15日から海上侵攻も行われており、英海軍に一時阻止されたが17日に駆逐艦ヴィットリオ・アルフィエーリと水雷艇クルタトーネが共同で英駆逐艦キングストンを沈め、翌18日から19日にかけてJu87やSM.79が猛攻を仕掛けて巡洋艦フィジー、ナイアド、駆逐艦グレイハウンド、カンダハーを沈没させ、ウォースパイト、軽巡カーライルを撃破し撤退に追い込んだ。


 英軍は独伊空軍を黙らせる為22日に本土飛行場へフォーミダブル以下機動部隊を接近させたが返り討ちに遭う。


 沈没艦はなかったがフォーミダブル、クイーン・エリザベス、バーラム、ヌビアンが損傷。


 主力艦が全て損傷した事で英軍はクレタ島から撤退を決断した。


 23日から撤退を開始したが政府が降伏する27日まで空襲に晒され続けて防空巡ダイドー、カルカッタ、駆逐艦デコイ、ヘレワードが沈没。


 航空機を喪った空母がアレキサンドリアに在ると知ったイタリア海軍は空軍の掩護の元エル・アラメインに向かった。


 英地中艦隊が満身創痍だと知らなければ到底出来ない芸当である。


 彼等は2月に行われたジェノバ砲撃の返礼をエル・アラメインで返すつもりだったのだ。

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