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天使は街に舞い降りて  作者: ゆずはらしの
第三章 テロリストと幻惑のワルツを
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3.テロリストと幻惑のワルツを 2

《ネオ・アンゲルス・シティ情報統括部 本部》



「記念式典パーティー会場で、動きがありました。会場内に入り込まれた模様。このままでは人質を取られます」


 河南の報告に、『藍王』は即座に指示を出した。


『ハイパーネット内の監視を強化して。一般の使用を制限。ダミー投入の用意を』

「はい。……使えますか」

『動かすのはぼくがやるよ。本物の反応にはかなわないだろうけど。少しの間なら何とかなる』

「しかし、来ますかね」

『来ないならそれでも良いよ。でもたぶん、高波の予想は当たっている』

 


《パーティー会場内ダンスホール》



『間宮』


 不意にささやかれ、間宮はびくりとした。カフリンクス(カフスボタン)タイプの通信機から、和樹の声がする。周囲に目をやり、目立たない場所に引っ込む。柱にもたれ、何気ない仕種で彼は、袖口の通信機に顔を寄せた。


「なあに、和樹」

『入り込まれた』

「不手際も良いとこね」

『たぶんだけれど、内部に協力者がいる』

「あらまあ」

『とりあえず、普通に怖がるふりしてて。柚香ちゃんをお願い』

現実リアルのアタシに荒事を期待されてもね……柚香ちゃんなら、別のナイトがついてるわよ」


 間宮は隆也と柚香が椅子の方に歩いてゆく姿を眺め、ささやいた。


「金髪の美青年が今、エスコートしてるわ」

『ジェネシスのヘッドか』

「化けたわよね」


 くすりと笑う。すると、一人の青年が近寄ってきた。


「君。霧島管理官の所の人だね」

「え? あ、はい。南市長の……息子さんですよね」


 慌てて腕を下ろす。青年はうなずいた。


「秘書の礼一だ。今、何が起きているかわからないか」


 間宮は迷った。どこまで話すべきか。


「市長からは何か聞いておられますか」

「テロが……起こりそうだとだけ」


 ためらいがちに言われた言葉にうなずく。


「おそらくですが、今、襲撃を受けています」

「襲撃?」

「これだけ大物が集まったのですから、狙う者もいるでしょう。でも警備を厳重にするよう、あらかじめ通達がありましたから。何かあっても大丈夫だと思いますよ」


 それだけ言う。


「他には何か」

「わかりません。連絡待ちですね」


 首を振って、間宮は答えた。


「とにかく、ここで静かにしているのが一番だと思います。警備の者が今、がんばっているはずですから」

「そうか。そうだな」


 そう言いつつ、礼一の目にはわずかな不安がある。間宮は青年を落ち着かせるように、微笑んだ。


「礼一さん。南市長には助かりました。ここにいる人がこれだけ落ち着いているのは、市長のおかげです」

「え」

「こんな時は、パニックを起こされるのが一番怖い。とにかく落ち着いていましょう」

「ああ」


 間宮の言葉に少し気が楽になったのか、礼一は微笑んだ。


「ありがとう。ええと……すまない。君の名前は」


 そこでようやく、相手の名前を聞いていない事に気づいたらしい。気まずそうな顔でそう言った。

 誠実そうな好青年ってカワイイ、と間宮は思った。


「間宮です。間宮浩一」


 しかしそんな内心はおくびにも出さず、にっこりとしてそう答えた。

 礼一が母親の方に向かう。間宮は先ほど聞いた和樹からの情報を思い返した。

 内部に協力者。


(嫌になるわね。暴力でどうにかしようって人ばっかりで)


 ふう、と息をつく。霧人。


(おまえがここにいてくれたら)


 そこで柚香の方を見やると、金髪の青年がなぜか、彼女に髪をとかされていた。愕然とする。何が起きた。

 しまった、邪魔をするべきだったか。

 そう思った時。ずずん、と爆発音が響いた。扉が開かれる。

 そうして入ってくる襲撃者たち。彼らは人質を一人抱えていた。



*  *  *



 柚香は軽く目を見開いた。飛び込んできた男たちは、一人の女性を捕らえていた。乱れたダークブロンドに、体の線を引き立てる赤いドレス。引きずられるようにしている女性には、見覚えがあった。

 クラウスを呼びに来た女性。彼の連れだ。


「おまえら! 一カ所に集まれ!」


 覆面をした男の一人が銃を誇示しながら叫んだ。


「さっさとしないと、この女の頭ぶち抜くぞ!」


 柚香はさっと場内を見回した。クラウスを見つける。彼は男たちを軽く睨むようにしていた。


「女性に乱暴を働くな。マレーネを放せ」


 そう言ったクラウスを、男たちはせせら笑った。


「ご大層なこったな、色男。女をどうにかされたくなかったら、言うこと聞くんだな。とっとと動け!」

「クラウス……」


 頭に銃をつきつけられた女性は、泣きそうな顔で震えている。

 柚香はそちらを見、次に隆也を見上げた。


「悪いが、立たせてくれないか」


 そう言われて隆也は、柚香を見下ろした。厳しくなっていた目を少し和らげる。


「ああ、つかまれ」

「すまない」


 そう言って、柚香は隆也の手につかまって立ち上がった。


「クラウスさん。お気持ちはわかりますが、……こちらへ」


 慎重な様子で南市長が彼に話しかけている。クラウスは悔しげな顔をしてから、そちらにゆっくりと向かった。

 覆面の男たちの指示に従い、人々が動く。


「警備は何をしてた」

「がんばってると思うぞ。今も」


 苦々しげにつぶやくと、柚香がささやき返してきた。思わずのつぶやきだったので、返事があるとは思わなかった隆也は少し驚いた。自分より一回りは小さい少女を見る。


「これじゃどうにもできないだろう」

「早々と諦めるな。諦めたらその時に、可能性がゼロになる」


 ややうつむき加減のまま、柚香は言った。


「だが諦めずにいるのなら。道が開かれる。その可能性が高くなる」

「楽天的だな」

「事実だ。リラックスしろ。その状態で周囲を観察し続けろ。……きっかけを見逃すな」


 本当に、見るたびにこいつ、印象が違う。

 そう思いつつ隆也は、心が鎮まってゆくのを感じていた。柚香の言葉は最もだった。同時に、力づけられているとも思う。やっぱ、こいつ銀狼に似てる、と思った。女だけど。ずっと小柄で、たぶん銀狼みたいに戦えたりはしないんだろうけど。

 覆面をした男たちを見る。こいつらには負ける気がしない。人質さえなければ、それなりにやれるだろう。だが。

 柚香の方をちらりと見下ろす。

 こいつには……なんか、勝てる気がしねえ。

 足がまだつらいのか、柚香の足どりはゆっくりだ。気づかいながら隆也も進む。白いテーブルクロスのかかったテーブルの横に差しかかった。立食形式だったので、皿にはまだ、料理が残っている。

 そこで柚香が不意によろけた。


「あ、」


 小さくつぶやいてテーブルにもたれかかる。バランスを崩したのか、すがりつくようにする。クロスの上に、髪がぱさりと広がった。


「あ、おい……」

「めまいが……貧血……」

「立てるか」

「すまないが、支えてくれ」


 やはり女だな、と隆也は思った。可哀相にも思う。そっと支えて立ち上がらせようとすると、不意に柚香は振り返り、隆也の胸に抱きついた。思わず硬直する。

 何かを手渡された。固い感触。


「隠せ。ないよりはましだ」


 そうささやかれる。咄嗟に袖口に隠した。手首を曲げて落ちないように気をつける。結果的に、柚香を抱き寄せている格好のままになった。すると人質を広間の中央に集めていた男に、目ざとく見つけられ、怒鳴られた。


「なにサカッてんだ、おまえら! いちゃつくな!」


 思わず弁明したくなったが、我慢した。


「貧血だ。怒鳴らないでくれ」


 とりあえず、そう言って取りつくろう。


「早く行け!」


 顎をしゃくられ、招待客が集められている広間の中央を示される。睨み付けたくなる衝動を、隆也はどうにか抑えた。駄目だ。ここは、目をつけられないようにしておかないと。

 袖の中のものはおそらく、テーブルナイフ。

 どうしてここまで機転がきくんだ、と呆れながら柚香を見下ろす。

 自分一人なら、騒いでいたかもしれない。

 けれど自分の腕に添えられた、柚香の手が。彼を冷静にさせた。

 銀狼を思い出す。なぜ自分はああも、彼に対して敵愾心てきがいしんを持っていたのか。この状況なのに、理由に思い至った。彼の余裕に腹が立っていたのだ。隆也も荒事には関わってきた。けれどそれはいつも仮想世界での事で。痛覚もあるし、それなりに危険もあったが、どこか遊び感覚が抜けなかった。仲間たちと騒いでいる感覚がどこかにあった。

こんな風に命が脅かされていると、感じさせられる事はなかった。

 心構えが違っていたのだろう。彼とは。

 ぎりぎりの所に立っているような緊張感。それでいて、余裕を持っている男。あれは。命を脅かされた事がある、本当に命を懸けた危険を潜り抜けた事のある者の持つものだ。

 その気配を感じるたび。自分がけなされている気がして、腹が立ったのだ。

 すげえ甘ちゃんだったんだな、俺。

 何とはなしにそう思う。すると銀狼に対して、素直に尊敬の気持ちが湧いた。

 あいつならこんな時、どうするんだろう……。


『諦めるな』


 柚香の言葉がなぜか、彼の声音で聞こえた気がした。


『諦めずにいるのなら。道が開かれる。その可能性が高くなる。リラックスしろ。その状態で周囲を観察し続けろ。きっかけを見逃すな』

(ああ、……うん)


 カッコイイよ、あんた。そう隆也は思った。

 次に会った時には……ちゃんと話ができるかな。



《シティ東地区住宅街の一室》



「テスト近いんだけど」


 むっとした顔で藤城 匠は言った。目の前のスクリーンには、魔女ウィッチがいる。


『そこを何とか。隆也さんだけだと、たぶん手に余るわ』


 栗色の髪の小柄な少年は、腕組みをしてスクリーン内の美少女を見下ろした。整った顔だちは、充分に美少年と言えるものだ。自分でもそれは自覚しているのだろう。一つ一つの態度が計算されたように決まっている。


「お馬鹿さんな総長がどうなろうと、ぼくの知った事じゃないと思うんだけどね。今は遊びの時間じゃないし」

『ねえ、それ本気で言ってる?』

「本気に決まってるでしょ」


 冷たく言った匠に、魔女ウィッチはにっこりしてみせた。


『確かに遊びじゃないわ。捕まっている人の中に隆也さんがいる事は事実で、このままだと命が危ういのも本当。いずれ、この情報は流れるわよ。ジェネシスのメンバーも知るでしょう』

「それが何」

『その時あなたは、参謀として指示を求められる。いずれにせよ、動かざるを得なくなるわ。速いか遅いかの違いだけよ。なぜ意地を張るの』

「気に喰わないからに決まってる」


 匠は答えた。


「お馬鹿な総長がテロリストの中に、のこのこ出かけてったって事も気に食わないし。それをわざわざ知らせに来る、あんたも気に食わない。あんたがぼくを利用しようとしてるのにも、腹が立つ。でも何よりも腹が立つのは」


 鋭い目で彼は、スクリーン内の美少女を睨み付けた。


「このぼくが、こうも侮られるとは思わなかった事だ。誰だ、おまえ」

『あら……』


 魔女は首をかしげた。


『私は私だけれど?』

「ふざけんな。ぼくは、おまえは誰だと尋ねたんだ。答えないのなら」

『ええと、ちょっと待って? 変ね。言動は全て模倣もほうしたはずなのに』


 匠はぎらりと目を光らせた。


「馬鹿か。違いすぎる。誰だってわかるぞ」

『そう? どうして……ああそうか。人間の感覚、かしら』


 そう言ってから魔女は困ったような顔をした。


『それで怒ってたの?』

「どこの誰ともわからない相手が、ちょっと知った相手の顔で怪しい情報持ってきて、さあだまされてくれなんて事をしてくれる。苛立つのが普通だと思うけど?」

『ごめんね、馬鹿にしているつもりはなかったんだ。話が通りやすいかと思って。でも君には、侮辱に感じられたんだろうね』


 口調が変わった。声と姿は魔女のまま、けれどどことなく、少年っぽいものになる。


「わかりゃいい。で、あんた誰。その顔と声、うっとおしいんだけど」

『言うともっと怒りそうな気がするんだけど。それにぼくの顔、さらすとまずいんだよ。この顔と声が借り物なのは確かだけど……』


 本気で困ったように言う相手に、匠は眉をしかめた。


「ああそう。でもぼく、あんたを魔女ウィッチって呼ぶ気はないからね」

『そうだろうね。まあ良いや。ぼくは藍王』

「あ?」

『藍王』

「大層な名を名乗るね」


 誰の名前だったっけ、と思ってからシティを制御するAIだと思い当たる。よりにもよってなんて名を名乗るんだと思っていると、スクリーン内の美少女が苦笑した。


『あ、やっぱりそういう反応? だから嫌なんだよね、名乗るの。えーとでも、本当に藍王なんだけど、ぼく』

「だから藍王って……え?」


 匠は目を丸くした。


「ちょっと待て。え? マジ? だってAI……」

『うん。ぼくはAIだよ』

「って、反応人間的すぎっ?」

『そうなんだよね。でも藍王だから。困ったな。どうしたら信じてもらえるの?』

「どうしてって……藍王って都市制御の……ええーと。なんでぼくんとこにそれが。これ何のジョーク?」

『ジョークじゃないよ。何か尋ねるかしてみてよ。答えるから』

「ああ。……そうだな、藍王なら、都市制御してるんだよな。じゃ、……街の灯も全制御してるはずだよね? 点滅させるか何かしてみてよ」


 自分の部屋だけ、のつもりだった。しかし次の瞬間、匠は声を上げそうになった。

 部屋から見えるすべての建物の灯が、一斉に点滅したのだ。一定のリズムで。


「なんって事するんだオマエ!」

『あれ? 違った?』

「ぼくは、この部屋だけのつもりだったんだ!」

『そうなの? でもぼくにはあんまり変わらないから』

「騒ぎが起きたらどうするんだっ!」


 慌ててネットニュースに接続すると、『速報! シティ東地区の怪奇現象! 街の灯が一斉に点滅!』というテロップが宙に展開されたスクリーンを流れた。何かの事故か、自然災害の予兆かとコメントがついている。


『ごめんね? 一応、『森のくまさん』のリズムに合わせてみたんだけど』


 誰が歌の名前を尋ねている。思わずそう言いかけ、匠はそれを飲み込んだ。


「あんた」

『なに』

「本当に藍王なんだ?」

『そうだよ。それで、協力してもらえるかな』

「なんでぼくが」

『だって君、優秀だから』


 さらりと言われ、匠は黙った。魔女の姿を借りた藍王(と本人が自称している)は続けた。


『ぼくの所のスタッフもがんばってるんだけどね。立場もあるし、個人に肩入れさせられないんだよ。でも君、隆也くんの友だちだし。彼を助ける為にも動いてくれるかなって。甘い期待をしてるんだけど』

「なんだよ、それ」

『本音。スカウトとも言う。年齢が年齢なんで、もう少し待とうかと思ってたけど、事情が事情なんで、今口説いてる。うちに協力してもらえない?』

「うちってどこ」

『シティ情報統括部』


 ぐえ、と妙な声を匠は漏らした。


「なんでそんな面倒とこに目をつけられてんの……」

『だって君、ぼくをハッキングしようとしたじゃない。五年前。あの時にチェックしておいたんだよ。面白そうな子がいるなあって。すぐに捕まえるべきだって騒ぐ人もいたんだけど。悪さする気配もないし。単にイタズラだろう、見張っとくだけにしとこうよって言ったんだよ、ぼく』


 匠は青ざめた。気づかれていたのか。


『あれは良い感触だったよ。あの破り方。でも、あそこのコマンドが惜しかったよね』


 そう言って、自分が使ったコマンドを幾つか口にする。覚えがあった。確かにその辺りで挫折したのだ。即座に対応され、逃げるのに精一杯という屈辱を味わった。


「逃げたはずだ」

『うん。スタッフは逃げられたって言ってた』

「じゃあなんでぼくだって」

『スタッフは、だよ。ぼくは追いかけた。放っておけないでしょ。どんな犯罪しでかすかわからないもの。八歳の男の子だって知った時は、びっくりしたけど』


 にこり、として魔女の姿をした藍王が言う。


『スタッフの方も『メイヴ』のごたごたがあって、それ以上追求しなかったんだけど。あの後、イタズラはやめたんだね。また来るかなって楽しみにしてたのに』

「できるわけないだろう」


 力なく、匠は言った。ちょっとしたイタズラ感覚であちこちに侵入していたが、『藍王』にちょっかいを出したのはまずかった。恐ろしく執拗に追いかけられた。どこまでもどこまでも追いかけてきて、匠はハイパーネットの中を文字通り、逃げ回った。安手のホラー映画のようで、でも八歳の子どもにはとてつもない恐怖だった。今も夢に見る事があるぐらいだ。

 以来、趣味のハッキングはひかえるようにした。『藍王』にも近づかないよう、気をつけた。

 なのにバレていたなんて。


『でも良かったよ。犯罪に手を染めるようなら、問答無用で隔離しないとって思ってたから』


 怖い事も言われた。隔離ってどこへ。


「マジに藍王……? どこかの組織が手の込んだイタズラじゃなくて?」

『だから、藍王だってば』

「世界最高のAIが、こんな素っ頓狂な言動するなんて思わないだろうっ!」


 八つ当たり気味に言うと、『あれ? 素っ頓狂なのぼく?』と首をかしげている。なんなんだ、こいつは。と匠は思った。


「もう良いよ。……ああ、もう。あんたが藍王を自称してて、なんかそれっぽい事もできるって事は納得した」

『ホントに藍王なんだけど』

「だからそれはもう良いって! 妙な事に巻き込まれたくないんだよ、ぼくは小市民なんだから! 変な情報自発的に公開しないでくれる、知ったこっちも困るから!」


 逃げられなくなりそうで。


『んー、と。で。協力してもらえるのかなあ』


 まだ言うし。

 はー、と息をついてから匠は尋ねた。


「なにすりゃ良いの」

『あ、協力してくれるんだ、良かった』

「早く言えよ。気が変わらない内に。試験勉強したいんだよ、ぼくは」

『うん、あのね。ハイパーネットの使用を今制限してるんだけど。電脳警察ネットトランプじゃ手が回りきらないし、うちのスタッフには別の仕事もあるしで、見回りができないんだよ。ほら。不正アクセスして遊ぶ子もいるでしょ』


 いるだろうな、と匠は思った。自分もやってたし。


「それ、どうにかすりゃ良いの?」

『うん。危ない事になりそうなんだよね。しばらくは、接続しない方が安全。でも理由が説明できないし。そうしたら、勝手に入っちゃえっていう人出てくるじゃない?』

「それを追い出せば良いのか。で、それがなんで隆也さんの役に立つわけ」

『直接的にじゃないけれど、間接的に。君たちがそっち引き受けてくれるんなら、ぼくら、テロリストに集中できるんだよ』


 そうか。

 ま、……そうだな。


「でもさ。こっちも危ないんじゃないの? それって」

『危ないよ。でも君たちそういうの、普通の人より鼻がききそう。何かあったらすぐ逃げるでしょ』

「得意な人がいるからね」


 栄の動物的勘は素晴らしい。本人は嫌がっているが。


『こっちからも補助はつける。困った子たちをネットから放り出す作業、やってほしい』

「何かメリットある? ぼくらに」

『得にはない。ごめんね。こっちもギリギリなんだ』

「期待してないから良いけど……」

『ええとね、でも匠くんは銀狼が好きだったっけ。彼のデータで良ければ融通できるよ』


 がば! と匠は身を起こした。顔が真剣になっていた。


「銀狼? 銀狼って銀狼? データって個人情報っ!?」

『そんなに好きなんだ』

「好きと言うか夢に見ると言うかこれはもう恋だから彼そっち側なんだスタッフの一人なのデータってどこまでくれるのっ」


 息継ぎもせず言い切った彼に、藍王は引きそうになった。


『いやあの、匠くん。あんまり追求したら嫌われるよ。えーと、いや。こっちのスタッフじゃない。個人情報はダメ。ぼくまで怒られちゃう。でもぼくにわかる範囲で良かったら、融通するよ』


 匠の目がキラキラした。


「うちの構成員、全員使って良いですっ!」

『……ありがと』


 一瞬の躊躇いもなく配下を売り渡したジェネシス参謀に、藍王こと和樹は苦笑いした。

 ごめん、柚香ちゃん、と大切な人に密かに詫びる。こうでもしないとこの子、動いてくれなさそうだったんだよ。でも君の個人情報は死守するから。怒らないで。



《医療班 移動治療室内》



「もう良いぞ」


 小杉に言われて成島は肩を動かした。ひびが入っていた骨は固定されたが、まだ痛む。


「痛み止めは」

「感覚が鈍る。まだ現場だ」

「どうしようもなくなったら言え」


 言われてうなずく。


「真田は?」

「処置をした。しばらくは歩けないが、足をなくす事はない」

「そうか。……その、」


 口ごもってから一番の重傷者の名を言う。


「明は……」

「ここでできる事は全部やった上で、病院に搬送した」


 小杉は答えた。


「俺たちにできる事はもうない。おまえにも。後は祈るぐらいだ」


 そう言ってから、医療班の班長は少し微笑んだ。


「頑丈な男だ。ここまで死ななかったんだから、運も強い」

「ああ」

「さて。では外に出てくれ。これからまた怪我人が搬送されてくる」


 邪魔だと言われてバンの外に出る。『移動治療室』と呼ばれているが、要は頑丈なバンを救急医療用に改造したものに過ぎない。

 それでも医師がいて、治療用の器具があり、薬がある。それだけで随分と心強い。

 外に出ると、地面にシートを敷いた上に真田が寝かされていた。意識はしっかりしているようだ。片手を上げてきた。


「よう」

「ドジふみました」

「俺も吹っ飛ばされて、意識がなかった。何があったんだ」

「妙な装備つけてました、やつら。ステルス機能みたいなやつ。それで監視に引っかからなかった」


 真田は言った。


「いきなりドカン。それで成島さんと明はやられたんでしょう。俺たちが駆けつけたら、撃ってきて。反撃したら、またドカン。その間に中に入られました」

「そうか」

「島さんたちは」

「坂崎が入った。その下についたと思う。……おまえは良くやった。今は休め」


 はい、と言うと真田は目を閉じた。痛み止めによる眠りに対抗していたのか。怪我もあって、疲労していたのだろう。

 俺はリーダーだったのに。

 成島はぐ、と拳を握った。

 何もしないまま退場して。こんな所にいる。

 そう思っていると、不意に医療班の動きが慌ただしくなった。


「……で、」

「急げ! 搬送用の……」

「重傷者……」


 飛び交う言葉に耳をすます。会場内のチームの誰かが負傷したのか。バンから飛び出してきた小杉を、成島は止めた。


「何があった」

「ベータチームが後手に回った。、何人かやられたらしい」


 ベータは会場内の人々の安全を確保する係だったはずだ。


「人質を取られて立て籠もられた。アルファも動けん。悪いが行かせてくれ」

「すまん」


 詫びると小杉は走り去った。

 人質を取られ、会場に立て籠もられる。シナリオとしては最悪だ。どうしてこうも、後手後手に回る。

 宮は、どう指示を出すだろう。

 成島はパーティー会場の建物を見上げた。中は今、どうなっている。



《会場内 ダンスホール》



 人々は一カ所に集められ、座らされた。男性と女性に分けられる。武器を持っていた者は武装解除された。

 市長のシークレット・サービスもいたが、彼らは市長を逃がそうとして失敗し、何人か撃たれた。残った者は部屋から連れ出された。その後どうなったかはわからない。

 柚香も隆也と別にされた。美奈子の側に行くと、彼女と寄り添った。


「柚香さん……大丈夫よ」

「ええ」


 微かに青ざめながら、美奈子が柚香に声をかけてくる。その手を取ってうつむき加減になりながら、柚香は周囲をうかがった。

 覆面の男たちは七人。一人は負傷している。仲間に手当てを受けていた。リーダーらしき男が他の者に何か指示を出している。顔を隠しているが、体格や声から四十歳ぐらいだろうと柚香は見当をつけた。マシンガンを持ってこちらを威嚇しているのは、まだ若い感じがする。

 女性たちは静かに座っている。青ざめている者や、気絶しそうな者もいるが、とにかく静かだ。男性たちも表面上は落ち着いている。若い者の中には苛立たしげな様子を見せる者もいたが、年配の者は落ち着きはらって覆面の男たちを見ている。

 メイドやボーイも中にはいた。巻き込まれた形だ。


(対テロ部隊の者もいるはずだが)


 メイド姿、ボーイ姿の者に目を走らせて、どれがそれだろうと柚香は思った。

 マレーネと呼ばれた女性は、まだ男たちに腕を掴まれている。足元がふらついて、今にも倒れそうだ。


「その方をこちらへお願いできますか」


 不意に、一人の女性が立ち上がると穏やかに言った。綾瀬洋子。麗子の祖母だ。


「なんだ、ババア。座ってろ!」


 銃を振り回す男にしかし、洋子は引かなかった。


「今にも倒れてしまわれますわ。その方を離してあげて下さい。どうせわたくしたち、ここからは出られません」

「うるせえ!」


 かっとしたのか、男は洋子に銃を向けた。はっ、と息を飲む声があちこちから響き、思わず柚香は身構えた。洋子は怯えもせずに銃を見つめると、言葉を継いだ。


「わたくしを撃ちますの? 何の力もない女を」

「逆らうからだ! とっとと座れ!」

「そちらの方を引き受けてからですわ。こちらへ。そのままではお気の毒です」

「まだ言うか、この!」


 引かない洋子に業を煮やしたのか、男はライフルを振り上げ、洋子を殴りつけようとした。それを止めたのはリーダー格の男だった。


「よせ」


 ライフルを振り上げた男は、不満げにリーダーを見た。男はふんと鼻を鳴らすと歩み寄ってきた。洋子の前に立ってつくづくと見る。


「なるほどな。名家の奥方は銃にも怯えないか?」

「暴力は恐ろしいですわ」


 洋子は微笑むと静かに言った。


「けれど弱った方が目の前におられるのなら。手を差し伸べるのが人というものだと信じております」

「良い度胸だ。最近の若いのはやたらぶっ放したがる上、血を見たがる。あんたみたいのがウチにいたら、もう少しマシなんだろうがよ」


 くっ、と喉の奥で笑うと、男はマレーネを捕らえている仲間に、離してやれと命じた。よろめいて、マレーネは床に膝をつく。


「感謝いたしますわ」


 洋子が言う。男は小さく笑った。


「俺たちは別に、暴力を振るいたくて振るってるわけじゃない。意外と紳士的なんだぜ。そうだな、おまえら」


 男が言う。洋子に対する態度に不満を抱いていたのだろうが、そう言われて部下らしき者たちは同意した。


「手当てをして差し上げても?」

「してやんな」


 ぞんざいに洋子の言葉に答えた男に、洋子は優雅に頭を下げた。マレーネの方に進み出る。


「あなた。大丈夫?」

「……ええ」


 うずくまっていたマレーネは、差し出された洋子の手を取ると立ち上がった。


「しっかりなさいな。あなたが取り乱せば、お相手の方の恥になりましてよ。背筋を伸ばして、しゃんとしていらして」


 微笑みながら言われた言葉に、マレーネはうつむいた。洋子はマレーネを連れて、女たちの輪の中に戻った。


「おばあさま」

「麗子。あなたの方が年齢が近いでしょう。お世話して差し上げて」

「ええ……こちらへ」


 リーダーの男は覆面の下で、明らかににやにやしながらそれを見ている。

 どういうつもりだ。

 それらを観察しながら、柚香は思った。


「柚香さん……まだ足が痛いの?」


 美奈子に言われ、足にかけていた手を離す。


「いいえ、美奈子さま。大丈夫です」


 周囲に目を配る。あの時、怯えた人々の中で、微妙な動きをした者が何人かいた。自分と同じように、飛び出すかどうかを判断し、迷った動きだ。単に正義感にかられただけの者もいただろうが……。

 二人以上はいるか。

 紛れ込んでいる護衛役の人間の数を、そう見当つける。


「洋子さまは勇気がおありになる」


 背筋を伸ばす彼女に視線を流すと、美奈子はそうね、と言った。


「わたくしたちの手本になられる方よ。グレイス女学院におられたころも、凛とした方であられたそうよ。正義感が強くて、弱い者に優しくて。……柚香さんに少し、似ていますわね」

「私に?」


 美奈子は微笑んだ。


「何にも染まらず、顔を上げて立っている。あなたにはそんなイメージがあるの。凛として、涼やか。言葉にすると似てしまうけれど、洋子さまとも少し違う」


 美奈子は柚香の髪に触れ、乱れていた所を直した。


「わたくし、柚香さんが大好きなのよ?」

「私も美奈子さまが好きです。……姉がいたら、あなたのようでしょう」

「まあ、わたくしたち両思いね。真人さんには内緒にしなくては」


 ふふ、と美奈子は笑った。その頬がわずかに青白い事に、柚香は気づかないふりをした。

 怖いのだ。

 怖くないはずがない。

 それでも乱れた姿は見せまいとする。微笑んで立とうとする。この強さ。

 美奈子はきっと、自分よりもずっと強い。


「ずるいですわ、美奈子さま」


 そう思っていると、自分たちの会話を聞いていたのだろう。みどりと撫子がこちらを見ていた。


「柚香さまは、わたくしたちのクラスメートでしてよ。独り占めはいけませんわ」

「あら。でもわたくしは柚香さまの姉ですわよ。今、両思いだった事もわかりましたもの」

「ひどいわ。柚香さま。わたくしたちを捨てるの?」


 ……なんでそういう話に。

 呆気に取られていると、みどりと撫子が笑った。


「ご自覚がないんですもの」

「そうですわ。柚香さまに憧れる下級生も多いと言うのに」

「ええ?」

「あの三つ編みと眼鏡を見るたび、わたくしたち、どれだけ歯がゆい思いをしたか」

「颯爽と校庭を駆けておられる柚香さまに、憧れる者は多うございますわ。実の所、ファンクラブもございましてよ?」


 何それ。

 唖然とした柚香に二人は笑い、美奈子も笑った。


「何をくっちゃべっているんだ、そこ!」


 男の一人が苛立ったように言う。


「ごめんなさい。妹を力づけていましたの」


 美奈子が微笑んだ。男はいらいらした風に、もうしゃべるな、と毒づいた。

 美奈子たちは黙った。

 彼女たちを守らないと。改めて、柚香は思った。


「さてと。南市長と霧島管理官はどちらにおられる?」


 人々がある程度、落ち着いたのを見てから、覆面をした男たちのリーダーが言った。


「私が市長だ。霧島くんもここにいる」


 南市長がゆっくりと立ち上がる。真人も。


「君たちは何だね。何か要求があるのか」

「あると言えばあるな。俺たちはな。人間の、人間による復権ってやつを願う、良心的な団体だ」


 くくっ、と男は喉の奥で笑った。


「機械に支配される、そんな世界が正しいと思うか? 人間には、頭がついてるってのによ。だから俺たちは、主張するんだ。機械の奴隷になるな。人間である事に誇りを持て。……ってな。自己紹介させてもらおう。俺はミハイル。『人に誇りを』のリーダー、ミハイルだ。お見知り置きを、みなさん」


 ふざけたように、彼は礼をしてみせた。


「その『人に誇りを』のミハイル君が、何の用でこんな真似をした。話したい事があるのなら、面会の申し込みをまずするべきだろう」


 真人が目線を鋭くして言う。ミハイルはくぐもった笑い声を上げた。


「意外と血の気が多いな、管理官。騒ぐ犬は長生きできないんだぜ。面会の申し込み、なあ。それであんたらが、俺たちと話し合いをしたと思うか? クソッタレな機械に全てを任せ、考える事を放棄しているあんたらが。生まれた時から着るものも、食い物も、不自由した事がなく。手に入るのが当たり前だと思っているあんたらが」


 ひやり、としたものが声音にあった。


「俺の妹は十二で死んだ。ここにある、あんたらの食べ残しを、夢に見る事もできないご馳走だと思いながらな。宝物は布の切れっ端し。花の模様がついていた、それがあいつの唯一の宝物だったよ。ここにいる女たちは綺麗だな。実に目に楽しい。でもな。俺には吸血花に見えるぜ。人の生き血を吸って咲く、毒花にな」

「不法移民か」


 真人がつぶやいた。


「言っておくがどの都市も、際限なく人を受け入れる事などできはしない。我々は、我々の腕の届く範囲でできる事しかできない。それ以上は責任放棄だ。我々を信じて責任を任せてくれた人々の信頼を裏切る事になる。それで恨まれたとしても筋違いだ」

「知った風な口を」


 一瞬、殺気らしきものが男から放たれた。だが男はすぐにそれを消した。相手をいたぶるような、嘲るような声で市長に言う。


「まあ、良い。それはこちらの事情だ。なあ、市長さん。ネオ・アンゲルスの秘密とやらは、お前さんも知っているのかな?」

「何のことだ」

「そっちの管理官なら知ってるだろう。なにせ『霧島』の人間だ。……人間を材料にして、AIを作るぐらい朝飯前のな」


 一瞬、沈黙があった。


「馬鹿な事を言うな」


 真人が言う。声に怒りが籠もっていた。男は声を上げて笑った。


「馬鹿な事。馬鹿な事か! 知ってるんだぞ、俺たちは。霧島管理官! 十三年前、霧島コーポレーションは行き詰まっていた。AIの開発がどうしても上手く行かなかったんだ。なのに一年後、霧島は突然、素晴らしいAIを発表した。どういう事だ? なあ。どういう事なんだよ? そのAIがまるで人間みたいな反応を示す、今までにないAIだってのも、どういう事なんだ?」


 笑っていた男はそこで、笑いを止めた。覆面の下から光る目で、真人を睨み付ける。


「開発に携わっていた研究者が、数年前にうちの組織に来た。そいつがゲロったぜ、管理官。『人間の脳』を使ったんだってな。小さな子どもだったらしいじゃねえか。人体実験は御法度だってのに、よくもまあ、そんな非道な真似ができたな」


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