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天使は街に舞い降りて  作者: ゆずはらしの
第二章 お嬢さまはビター・オレンジ
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2.お嬢さまはビター・オレンジ 2

 音楽が流れた。ワルツ。授業で習っていたので、ステップはわかる、と柚香は思った。隆也にリードされつつ、ゆるやかに動く。靴擦れで足が痛いが、これぐらいなら大丈夫だ。


「じょーじま、ユズカ」


 隆也がささやいた。ちら、とそちらを見る。


「病院で会ったよな。あれはあんただろ?」

「それがどうか?」


 答えると、なぜか彼は眉をしかめた。


「何でこんなとこにいる」

「身分不相応って事?」


 醒めた口調で言うと、む、と彼はうなった。


「ちげーよ。あんた、あの時と全然違うから」

「あなたもね」


 さらりと言うと、うう、とうなる声。


「これは、お袋に無理やり着せられたんだよ。あの騒ぎで泣かれてさ。断りきれなくて」

「お母さん思いだね」

「悪いかよ」

「悪くない。私にはもう、いないもの」


 そう言うと、彼は黙った。


「……悪い」

「別に良いよ。知ってるんでしょう、私が霧島家に厄介になっているって」

「管理官が後見人だってな」

「ええ、そう。兄の親友だったって。それだけの事で、引き取ってくれた」


 ふと、柚香の視線が尖る。一瞬、隆也はその目に見とれた。


「だからって、着飾らせてパーティーに来させるなんて、良い趣味だと思わないか? 絶対後で殴る」

「……」


 こいつ、なんか、印象が一定しないなあ。と隆也は思った。


「おまえひょっとして、すごい猫かぶり?」

「どういう意味だ」

「いやなんか、口調がさっきと全然違うんですけど」

「こっちが地だ。霧島の家に悪いからそれなりにはしているが。いつまでもお上品な口調でいられるか、胸糞悪い」


 それでも表情は笑顔のままだ。注目を浴びているのに気づいているのだろう。


「その笑顔でその口調、すげえ違和感あるんですけど」

「我慢しろ。おまえも笑え」

「なんで」

「私に恥をかかせたいのか。若い娘と踊って仏頂面するな。にこやかにしろ。嫌でもしろ」


 ひでえ。と隆也は思ったが、確かにその通りだ。取り合えず笑顔を浮かべた。ちょっと引きつっていたが。すると柚香が言った。


「それで何の用だ。わざわざ踊りに連れ出すぐらいだ。何かあるんだろう」

「え? いや」


 隆也は慌てた。特に何かがあったわけではないのだ。ただ気になった。あの時の柚香がここにいる柚香と同じ人物なのかが。

 それで声をかけた。それだけだったのだ。

 改めて用事は何かと問いかけられると、答えられない。


「用、と言うか。……ええっとその。ちょっと、声かけてみようかなって」


 柚香が黙って隆也を見た。隆也は何となく、冷や汗をかいた。


「何もないのか」

「え、と」

「何もないんだな」

「そう、とも言う」

「だったら何で、声をかけたりしたんだ。あのまま目だたないようにしているつもりだったのに」

「え、え? そうなの? でも女の子は踊りに誘って欲しがるもんだって兄貴が……」


 すると壮絶な目で睨まれた。笑顔のままで。思わず隆也は謝罪した。


「ごめん」

「何もないならもう寄って来るな。目だちたくないんだ、私は」

「ええと……ごめん。でもなんで?」

「おまえ、こういう場所に未婚の女性がやって来るって、どういう事かわかってるのか」

「へ?」


 どういう事? 

 どういう事なんだろう。

 疑問に思っていると、舌打ちをされた。


「結婚相手を見繕みつくろいに、に決まっているだろうが!」

「そうなの?」

「そうだ! 少しは頭を使ったらどうなんだ」


 どうしてこんなに、ぽんぽん言われなければならないのだろう。確か自分たちは、初対面に近いのではなかったか。


「なんで、そこまで言われないといけないんだよ」


 むっとして言うと、三倍ぐらいの言葉が返ってきた。


「おまえが阿呆な真似をして、私を目立たせてくれたからに決まっている。霧島の家に厄介になっているが、私には上流の誰かとどうにかなるつもりはないんだ。わかったか、阿呆」

「だからなんで、俺が責められるんだよ!」

「この阿呆が……」


 凄まじい殺気が放たれた。笑顔のままで。思わず身構えそうになるのを何とか抑える。


「両親をなくした哀れな娘。そんな娘がパーティーにやって来た。どんな娘だろう。好奇心一杯の人々の前で、市長の息子がダンスを申し込みにくる。目立たないと思うか? 噂にならないと思うか? この後、私がどうなると思う? 市長の息子さんが申し込みに行ったぐらいだ。よさそうなお嬢さんだと言われ、一気に噂の的になる。家柄はともかく、婚約者候補には良さそうだと」

「あ」

「ついでに言うと、真人はずっと、私に上流の結婚相手を見つけたがっていた。これ幸いと見合いを押しつけてくるだろうな、この先。厄介になっている家の。相手から持ってこられるそういう話を。そう何度も何度も、断れると思うか? きっぱり断り続けられると思うのか、ええ?」


 うわー。

 ようやく相手の不機嫌と、放たれる殺気の意味がわかった。同時に青ざめる。俺はなんて事を。


「ごごご、ごめん。ごめん。ホントに。俺が考えなしだった。スミマセン」


 そう言えば、匠にも言われていたのだ。隆也さんは考えなしに行動しすぎると。


「なにか俺にできる事ないっ? スミマセンほんと、許して下さい。手伝える事なら何かしますから!」


 なぜか敬語になっていた。


「引きつるな。笑え。もっとうれしそうにしろ」


 にこやかに凄まれた。怖い。


「とにかく踊れ。終わったらさっさと離れろ」

「ハイ、ワカリマシタ」

「いや……待てよ?」


 ふと、眉をしかめてから柚香は隆也を見上げた。隆也は引きつった。


「何でしょう」

「まあ良いか。おまえ、しばらく私とくっついててくれ」

「はあ?」

「防波堤ぐらいにはなるだろう。ワルツが終わってからも、話をしているふりをしろ。それなら他のものが寄って来ないだろう」

「良いけど。俺と噂になるんじゃね?」

「おまえ、私とどうにかなりたいのか」

「イエソノ、エエト」


 ここはイエスと言うべきなのか。ノーと言うべきなのか。隆也は悩んだ。どっちだ。どっちなんだ。自分に自信のある女の子なら、ノーと言うと腹を立てるだろう。でも人によっては、イエスと言われると怒る子もいる。どっちも自分に対して相手が性的な魅力を感じている、という所が問題なのだ。本人の意図しない所でセックスアピールを感じてしまったと、それぐらい君は魅力があるよと、俺に言ってほしいのか、言ってほしくないのか。その辺りの問題だ。しかし。この場合はどうなんだ。

 どっちを選んでも殴られそうな気がする……。

 隆也の悩みに頓着せず、柚香は続けた。


「その気がないなら、問題なかろう。私にもその気はない。ジェネシスのヘッド」


 言われた言葉に、脳天を直撃されたような衝撃を味わう。


「なんでそれ知って……」

「ガーディアンズには知り合いがいる」


 そう言えば、渋沢さんと知り合いだった、と思い当たる。


「とにかく防波堤になれよ」

「どうすりゃ良いんだ」

「適当にしとけ。飲み物持ってきたり、にこにこしながら話をしてたり、そんな感じだな。ダンスにはもう誘うなよ」

「なんで」

「靴擦れ起こしてるんだ。足が痛いんだよ」


 あーそうですかー、と隆也は思った。




 二人のダンスを見ている人たちは、初々しい様子に微笑んだ。


「あらまあ、緊張して」

「そうね。あら。クリストファーの方も緊張しているみたい」

「隆也さんよ」

「でも、クリストファーって感じだわあ。金髪だし」


 盛り上がる婦人たちの声に、間宮は苦笑した。


(なんか脅してるみたいだけど、柚香ちゃん)


 彼女たちの『これはロマンスよ!』なフィルターの入った目には、緊張した若い二人が頬を染めつつ踊っているように見えるのだろう。しかし間宮にはわかる。あれは、脅している。


(市長の息子さんも気の毒に)


 猫を被るのかと思ったら、地を出している。そう言えば、市長の次男はジェネシスの頭をしていた。その辺りの事もあって、遠慮はいらないと柚香は判断したのだろう。


魔女ウィッチの姿だったら、柚香ちゃんに触るなんて許さないんだけどねえ)


 ジェネシスの参謀は実にしつこい。銀狼が現れるたびに、データを取ろうと色々仕掛けてくる。それもあって間宮は、ネット上で彼らと出会う時には、必要以上に警戒していた。

 けれどここでは。そこまでする必要はない。


(参謀君もいないし。あのコだけなら、まあ平気でしょ)


 どちらかと言うと、頭を使うより体を使う方優先。間宮の隆也に対する評価はそれだった。


(妙な事になったら許さないけど)


 霧人。

 ふと、彼の面影を思う。かつてネットの安寧の為、奔走していた親友。自分は彼のサポートとして、共にあった。長いようでいて、短い歳月。

 その彼の妹。

 間宮にとって柚香は、親友の妹であり、自分自身の妹にも近い存在だった。


(おまえの妹は、俺が守るよ。なにがあっても)


 目を閉じる。

 きらめく灯が瞼の裏に残って、少し痛かった。




 ワルツが終わる。足が痛いという柚香の為に、隆也は少し考えてからテラスに連れていった。


「ここは?」

「少し休める。椅子があるだろ」


 言われて見ると、椅子がある。


「ここにいると、他のヤツは遠慮して来ないから。休んでな。何か飲み物とってきてやる」

「甲斐甲斐しいな」

「俺のせいで迷惑かけたみたいだし。……ごめんな。俺、考えなしだから」


 男性と女性の立場は違う。居候の身で縁談を持って来られたりしたら、確かに断りにくいだろう。そう思って柚香に詫びる。


「かまわんさ。おまえがうろちょろしてくれたなら、縁談も減る」

「俺は虫よけか」


 ぼやいたが、柚香の言葉に少し気が楽になった。そこでふと、思いつく。


「ああ、そうだ。じょーじま、ユズカ」

「どうもおまえに発音されると、ひらがなか、カタカナの感じがするな……」

「ごめん、わかる? どんな字書くんだ、あんたの名前」


 悪びれずに言う隆也に、柚香は呆れたような目を向けた。


「城の島、でじょうじま。柚子の香り、でゆずか」

「ゆず? みかんか。へー。みかんのにおいって名前なんだ」


 何だ、その頭の悪い納得の仕方は。と、柚香は思った。


「俺は……」

「知っている。南に、隆盛のりゅう、なになに也のなり、で隆也だろう」

「あー、うん。面白い覚え方するな、あんた。なになにナリなんて、初めて聞いた」


 お前が言うな。柚香は思った。


「なら、いつもはどう説明しているんだ」

「南はそのまま。隆也は、タカヤのタカに、タカヤのヤ! って言ってる」

「それで通じるのか……?」


 全然説明になっていない。


「仲間内では、タカヤで充分だし。聞かれたら、書いてみせるし」

「そうか」

「そう」

「そうか」


 深くは考えまい。と、柚香は思った。ジェネシスの者たちも、色々苦労しているんだろうな、とは思ったが。


「じゃ、何か取ってくるよ。ジュース?」

「ああ。アルコールは駄目だ。あと、軽く食べられるものもあればありがたい」

「わかった。待ってな」


 に、と人好きのする笑みを浮かべると、隆也は会場に戻った。柚香は一人で、テラスに残った。

 静かだった。会場からは、笑い声や音楽が聞こえてくる。けれどテラスは、そうした賑やかな空間からは切り離された感じがした。

 視線を向けると、灯に照らされた庭が少し見えるが、後は闇に沈んでいる。


(ビル街からすると、信じられない環境……)


 このネオ・アンゲルスでは、広い庭は金持ちのシンボルのようなものだ。土地は限られている。なのに日々、人々がこの都市には流れ込んでくる。それゆえ貧しいものは、狭いアパート暮らしになる。当然、庭など持てない。

 涼しい風が吹いた。虫の音が聞こえる。


『柚香ちゃん』


 不意に、聞き知った声がした。驚いて周囲を見回す。すると木の蔭に、監視装置があるのに気づいた。防犯対策だろう。そのカメラから、ぼんやりと輝く小さな人影が現れる。


「和樹?」

『特権濫用しちゃった。監視カメラの回線に便乗。柚香ちゃん、綺麗だねえ』


 にっこりとして言われる。


「クラスメートの見立てだ」

『素敵な友だちだね』

「そうだな。本当なら、知り合う事もないお嬢さまたちだが。……優しい子たちだよ」

『どうしてそんな事を言うの? 柚香ちゃんは、柚香ちゃんであるから素敵なんだよ。知り合う機会も生きていれば、いくらでもある。その人たちの好意、柚香ちゃんは信じられないの?』


 和樹の言葉に、柚香は口ごもった。


「そうじゃない。だが私は、こういう場所にいる存在じゃないんだ。元々が、上流の人たちとは縁のない人間だ」

『そうかなあ。ぼくとはすっと、友だちじゃない』

「それはそうだが……」

『それとも、ぼくがAIだから、人間の知り合いとは違うと思ってる?』

「そうじゃない」


 柚香は少し、目線を和らげた。


「おまえの事は自然すぎて、上流とかどうとかいう範疇はんちゅうに入れていなかった。いるのが当たり前な気がして」

『そうなんだ』


 和樹はうれしそうに笑った。


「それより、どうかしたのか?」

『うん。あの。柚香ちゃんのドレス姿が見たかったって言うのもあるんだけどね……』


 困ったような顔を、和樹はした。


『何かあるよ』

「何か?」

『偉い人が集まっているでしょう。テロ、仕掛けるのにはもってこいなんだよね』


 柚香の表情が引き締まった。


「テロが起こりそうなのか」

『うん。でもね』


 とまどったように、和樹は首をかしげた。


『わざとらしいんだよね……』

「わざとらしい?」

『おかしいんだ。何だかバレバレなの。普通、事を起こすまでは隠そうとするじゃない? それがね。隠してはいるんだけれど何だか……わざと情報漏らして警戒して下さいって言ってるみたいなんだ。他ならともかく、ここの組織がそんな事するとは思えなくて』

「どこの組織」

『サイオン……っぽい』


 柚香は目を見開いた。『サイオン』は、ハイパーAIによる都市機能の制御や、ハイパーネット社会が、人間の尊厳を侵し、自然に反しているとして、過激なテロ活動を続けるグループだ。その破壊活動は徹底すると同時に緻密で、どこか芸術的ですらあった。五年前の『メイヴ』事件も、ここの組織がやったという線が一番強かった。なぜか犯行声明が出されなかったので、疑いが濃厚、に留まっているのだが。


「そこが……でもなぜ」

『わからない。警備にはもう伝えた。真人兄さんもそこにいるよね? 美奈子さんと一緒に』


 美奈子は真人の連れ合いだ。柚香の事を妹のように可愛がってくれる優しい人だ。やたら着せかえをさせたり、化粧をしたがるのは困るのだが。


『間宮に伝えたから、兄さんたちにももう伝わってると思う。柚香ちゃんも気をつけて』

「具体的に、私はどう動けば良い」

『何もしないで』


 和樹は真剣な顔になった。


『様子を見ていて欲しい。あのね。銀狼の事を探ってる気配もあるんだよ。すごくしつこいの。柚香ちゃんが動いたら、まずい気がする』


 詳しい事は言わないが、和樹がこう言うのなら、かなりまずい状況なのだろう。


『柚香ちゃんの情報は何があってもガードするから。ただ現実リアルで派手に動かれると、サポートが難しい。何かあったら柚香ちゃんの判断に任せるけど、それまでは誰かの蔭に隠れててくれるかな?』

「わかった……人のいる所にいれば良いか?」

『うん。間宮か、兄さんの所にいてくれる?』


 うなずいて、何か言おうとした時。不意に和樹の姿が消えた。同時に背後に人の気配と足音。

 隆也が戻ってきたのか。そう思って振り向くと、そこにいたのは上品な笑みを浮かべる、見知らぬ男性だった。




 男性は、明らかに上流の人間だった。穏やかな物腰と物静かな笑み。正装が厭味でなく決まっている。二十代後半か、三十代に入った所か。自信に溢れる態度。癖のある黒髪が額にこぼれている。その顔だちはどことなく、日本人離れしていた。

 いや、日本人ではない。

 目の色が黒ではない。灰色がかった不思議な色。ラテン系の人種だ。


「こんばんは、タカコサン?」


 なめらかな発音で、しかし名前の部分だけ少しぎこちなく、男は言って微笑みかけた。柚香はまばたいた。


「私は、タカコという名前ではありません」

「そうなのですか? ご婦人がたが、あなたの事をそう言って噂していたので。てっきりそれがお名前だと思ってしまいました。申し訳ありません」


 すまなそうな顔をすると、男は詫びた。それから問いかけてくる。


「お名前をうかがっても?」

「あなたは?」


 少し警戒しながら言うと、男は微笑んだ。


「失礼。私はクラウス。クラウス・フォン・グリューネワルト。お見知り置き下さい」

「城島、柚香です」

「ユズカ」


 口の中で音を転がすようにして発音する。それから男は腰を折った。


「お会いできてうれしく思います、ユズカ」


 柚香は立ち上がった。きちんと礼を取る。


「こちらこそ、フォン・グリューネワルトさま」

「どうぞクラウスと」

「クラウスさま」


 ほほ笑むと男はもう一度ユズカ、と発音した。響きが気に入ったのだろうか。


「日本人の名前は、音が不思議ですね」

「そうですか?」

「名前に意味があるのですよね。あなたの名前には、どういう意味が?」

「柚子をご存知ですか。オレンジの一種ですが。その香り、という意味です」


 さっきも同じような事を言ったな、と思いつつ説明する。


「知っています。さわやかな香りですね。ネロリの香りにも似ています」

「ネロリ?」

「ビター・オレンジの花。美しい公妃の物語があります。ネロラという国の。公妃にちなんで、ビター・オレンジの花の香りを、ネロリと呼ぶようになりました」


 そうなのか、と柚香は思った。


「それで、ユズカ。このような所でどうなさいました?」

「疲れたので。休んでおりました」

「お連れの方は? あなたを一人にするなんて」

「飲み物を取りに行ってくれたのです」


 クラウスは椅子の方に手を差し伸べた。


「そうですか。お疲れなら、どうぞ。私の事は気になさらず」

「ですが……」

「どうぞ、ユズカ」


 微笑まれ、なぜか逆らえないものを感じた。柚香は椅子に腰かけなおした。クラウスはにっこりすると、適度に距離を開けて立った。柚香に威圧感を与えない、親しすぎず、かと言って離れすぎてもいない、絶妙な位置だった。

 この色男、要注意だ。

 何となく、柚香は思った。


「あなたは、パーティーには良く出られるのですか」


 そう思っていると、クラウスが尋ねてきた。


「いいえ。私は本来、ここにいるような人間ではありませんので」


 柚香は答えた。こちらを見る彼に告げる。


「私の両親はごく普通の、中流家庭の人間でした。私もそうです。上流社会とは本来、縁がない。霧島の家の方々の好意をいただいて、今夜はここにお邪魔させていただきました」


 暗に、結婚相手としては不向きだ、というニュアンスを込めて説明する。この男が何を思ってやって来たのかわからないが、そういう目的ならこれで退散するだろう。そう思っての事だった。しかしクラウスは微笑んだ。


「そうですか。では、パーティーは初めて……?」

「初めてではありませんが……あまり、出た事はありません」


 と言うか、出るのが嫌で逃げていた。


「先ほど拝見しておりましたが、初々しいワルツでしたので。初めてなのかと。相手の男性も、慣れておられない様子でしたし。彼はあなたのパートナーですか?」


 何の。

 一瞬問い返しかけて、パートナー、の意味を考える。今夜の連れと言う事か?


「あの方は……市長さまの息子さんで。声をかけて下さっただけです」


 どうしようかと思ったがそう答える。


「では、あなたには特定のパートナーがおられない?」

「ここに連れてきてくれた方なら、会場にいると思いますが……」


 そう言うと、クラウスは目を丸くした。何か間違えたかと思ったら、くすくすと笑われた。


「いえ、スミマセン。あなたはお幾つでしょう。東洋の方の年齢は良くわからなくて」

「え、あの。十六歳です」

「スミマセン。もっと年上の方だと思っていました。落ち着いて堂々としておられるので」


 自分の場合、ふてぶてしいだろう。そう思ったが軽く会釈をするにとどめる。


「ユズカ……には。婚約者は」

「え? そんな方はいません」

「恋人、も、おられない?」

「いません。あの……クラウスさま?」

「では」


 クラウスが一歩進み出た。腰を屈めると柚香の手を取る。なんだ、と思っていると、彼は自然な動作で柚香の手の甲にキスを落とした。そうして、言った。


「私が立候補してもよろしいですか?」


 ……。


 何ですと〜〜〜〜っ!?

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