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天使は街に舞い降りて  作者: ゆずはらしの
第一章 電脳のBABEL
3/11

1.電脳のBABEL 3

《シティ中央病院》



 二十四時間完全看護を謳っている中央病院。そこにある隔離病棟。

 ここには、五年前の『メイヴ』の災禍に巻き込まれた人々が、収容されている。今も意識を戻さず、眠り続けている人々が。

 『メイヴ』。

 『悪夢の女王』の名を冠したウィルスが引き起こした災厄と悲劇は、今も語り継がれている。

 『メイヴ』ウィルスは、ネオ・アンゲルス・シティに対するサイバーテロとしてばら巻かれた。システムではなく、接続している人間を攻撃する型のウィルスで、あっと言う間に広がり、被害を拡大させた。当時のセキュリティ担当者には、まさに悪夢であっただろう。

 すぐに警告を出してハイパーネットへの接続を制限したものの、汚染は広がるばかり。ウィルスの解析をしようとしたシティのサイバーセキュリティ要員も、巻き込まれて多くが殉職した。

 システムがダウンしても人間に悪影響は出ない……それが今までのハイパーネットの常識だった。しかし『メイヴ』は、人間を攻撃する。接続しているV.S.(ヴィス)との意識フィードバック領域を破壊、あるいは汚染する事により、人間の意識に多大な打撃を与え、死に至らしめる。

 死なないとしても、ハイパーネット接続時の意識フィードバック領域は無意識に近いものだ。そこを汚染される恐怖と衝撃は、間近で爆弾を破裂させるようなものだと言う。五年前の汚染で被害にあった人々の内、三割は即座に死亡。二割は意識を回復した後に発狂。四割は混乱に陥ったが何とか回復し、社会に復帰した。しかし今も後遺症が残り、ネット接続に拒否反応を示す。

 そうして残る一割が、昏睡したまま目覚めない患者として、中央病院に収容されている。



*  *  *



 城島柚香は、眠る人々の様子を眺めた。この五年間、カプセルに収容されたまま目覚めない人々を。

 空になったカプセルがいくつかある。退院した訳ではない。目覚めないまま亡くなったのだ。数名が五年の間に死亡リストに乗った。

 サイバーテロを防げなかった為か、また『メイヴ』の研究の為か、シティ上層部は被害にあった人々の医療費を免除した。そうして二十四時間、家族がいつでも訪れて、見舞いができるように手配した。

 けれど、いくら見舞っても目覚める事のない相手を、見続けるのはつらい。

 今は夜。ここには柚香以外、誰もいない。他の被害者の家族と顔を合わせるのを、柚香は避けていた。家族同士でお互いを慰め合う事もある。泣いて、慰め合って。きっとそれが必要な時もあるのだろう。悲しみを、ほんの一時でも忘れる為に。くじけそうな心を支える為に。でも。

 自分はそれを求めない。だからこの時間帯に来る。他の家族を避けて。

 怒りがずっと、胸にある。この怒りを、消すような真似はしない。


「霧人……」


 目当てのカプセルの前まで行き、眠る人物に柚香は呼びかけた。整った顔だちの青年が、カプセルの中には横たわっている。

 そげた頬。筋肉の落ちた体。

 けれどかつては、自分が太刀打ちできないほど強く、たくましい相手だったのだ……。

 城島じょうじま霧人きりひと。十二歳離れた柚香の兄。シティのガーディアンズ隊長を何年か勤め、霧島コーポレーションの求めにより、ハイパーネット社会の安寧あんねいに奔走した、初代『銀狼』。


『広告塔みたいなもんだよ』


 霧人は笑ってそう言った。


『悪を倒すヒーローは格好よいと、思ってもらう事が重要なんだ。謎のヒーローがいるってだけで、わくわくして、悪い事をする子どもが減るらしい。俺がやってるのは、それ』

『でも霧人兄きりひとにい。カッコイイよ、銀狼は!』


 この人が兄である事が、誇らしかった。


『あたしも、大きくなったら銀狼になる!』

『おう。柚香ならなれるかもな。兄妹そろって謎のヒーローってのも、ちょっと良いな!』


 朗らかに笑っていた兄。

 今はただ、眠り続ける。

 五年前。『メイヴ』が蔓延した時。霧人は銀狼となって、ハイパーネットに入った。警告に従わず、ログインした少年たちを助ける為に。

 反抗したい年齢だったのだろう。大人の言う事なんか聞けるか、と。ちょっと悪ぶって、格好をつけてみたかったのかもしれない。けれど。

 そこは、本当に危険な場所だったのだ。

 彼らを助けて霧人は、代わりにウィルスにやられた。

 その少年たちの事は知らない。名を知った所でどうなるものでもないし、今どうしているのかも興味がない。

 ただ、自分は。霧人を傷つけた『誰か』が許せない。この怒りを少しでも、弱めたくはない。


「霧人……霧人兄。今日、メイヴの類似ウィルスを見た」


 柚香はささやいた。


「霧人兄を傷つけた奴の、手がかりかと思ったけれど。違った。……いつになったら出てくるんだろう」


 そうしたら。自分はこの拳で、そいつを沈めてやるのに。


「今、どんな夢見てるの?」


 兄と言うより、父親のようだった。早くに亡くなった両親の代わりに、ずっと柚香を育ててくれた。


「私、十六歳になったんだよ」


 全てこの人から教わった。戦う術は、何もかも。


「高校二年生。信じられる……?」


 知らせを受けたあの日。自分はまだ小学生だった。信じられなかった。霧人が……こんな事になるなんて。


「霧人は強いから」


 つぶやいて、柚香はカプセルに頭をもたせかけた。


「夢の中でも戦ってるかな」


 起きて。私を見て。

 昔みたいに私の頭を撫でて、『柚香』って。呼びかけて。

 ……そんな言葉は言わない。決して。その代わりに、牙を研ぐ。


「私も戦っているよ。必ず見つけ出す。霧人をこんな目に合わせた奴を。後悔させてやる」


 拳を握る。


「必ず」


 カプセルの中、青年は目覚めない。



 成島は、病室の前で柚香を待っていた。中に入る事は遠慮した。

 この隔離病棟が、どんな患者を収容しているのかは、知っていた。


(まだ高校生ぐらいなのにな)


 妙に落ち着いた娘だと思った。人形のように整った顔だちをしている。けれど表情が乏しい為か、何となく、近づきがたい感じがした。成島は内心、あまりお近づきになりたくない感じだな、と思っていたのだ。

 けれど。病室に入っていった彼女を見送って、無理もないと彼は思った。


(五年、眠り続けている家族がいるんだものな)


 五年前なら彼女は十歳か、十一歳か。小学生ぐらいだろう。それからずっと、見舞いを続けているのなら。精神的な疲労やら何やら、ずっしり溜まっているはずだ。無表情にもなる。


(笑うと可愛いんだろうに)


 今頃、泣いているじゃないかな、と彼は思った。出てきた彼女の目が赤くなっていても、見ないふりをしてやらないと。

 そう思っていると、周囲が騒がしくなった。何だ、と思っていると、救急車がこっちに来る。医師や看護婦が突進してゆき、中から誰かが運び込まれてくる。何か騒いでいるが。


「なせよ! ……ぶんで、歩けるって……!」


 患者にしては、随分と元気だ。

 そう思っていると、見覚えのある人物が足早にやって来る。あれは。


「渋沢さん!」


 ガーディアンズのメンバーである事を示すジャンバーを着た男に、成島は手を振った。


「おう、成島。何してんだ、こんなとこで」

「仕事です。俺今、霧島コーポレーション関係のガードやってるんで」


 渋沢は成島が若い頃、世話になった人物だった。成島自身、ガーディアンズに所属していた事もある。その後彼は本格的にボディガードの仕事を目指し、現在に至った。渋沢の方は他に仕事を持ちながら、ガーディアンズの後進を育て続けている。


「霧島のお偉いさんが、こんな夜更けにここへ?」

「あ、いや。そうじゃありません。女の子ですが……ここに身内が入院してるんですよ。今日はその子の、家に帰るまでの護衛なんです」


 渋沢は、成島の言葉に真顔になった。この病棟の意味を、彼も知っている。すぐにそれがどういう立場の者かわかったらしい。


「犠牲者の家族か」


 やり切れないという顔をする。


「あんな悪意に満ちたウィルスはない。誰が作り出したんだか知らないが、作った奴は地獄に落ちれば良いんだ」


 成島は渋沢を見つめた。詳しくは知らないが、渋沢自身の知り合いも、あのウィルスにやられて昏睡状態になったと聞いた事がある。


「渋沢さんは、どうしてここに?」


 話題を変えると、渋沢はああ、という顔をした。


「メイヴの類似ウィルスが出てな。ああ、大丈夫、そんなすごいもんじゃない。タイプが似てるだけで粗悪も良い所だそうだ。すぐに無効化できた。だが感染した者がいたんでな。精密検査、受けさせに来た」

「それが彼ですか」


 にぎやかに騒いでいる青年を見やり、成島は首をかしげた。金髪。肌の色も妙に白い。


「外国人ですか?」

「いんや、日本人だよ。母親がスコットランドだかフィンランドだか、そっちの方の人らしい。本人も気にしているから、外人だとか何だとか、目の前で言うなよ? あれぐらいの年頃は繊細なんだから」

「繊細……そうは見えませんが」


 歩けるってば! と叫んでいる青年を見つめ、成島はつぶやいた。


「他にも三名ほど感染者がいる。そっちもおっつけ、こっちにくる。俺はまあ、あいつの付き添いだな。悪い子じゃないんだ、あの子は」

「渋沢さんにかかったら、誰でも悪い子じゃない、でしょう。俺にすらそう言ったんだから」


 苦笑して成島は言った。一時期、グレて悪い道に走っていた自分に対し、渋沢は言ったのだ。おまえは悪い子じゃない、と。

 馬鹿じゃないかと思った。反発して馬鹿にした。

 でも、本音ではうれしかった。

 そんなこんなで、いつしか彼と行動を共にするようになり、ガーディアンズのメンバーになり。そうして今の自分がいる。


「そうか? でもまあ、本当に悪い子じゃないんだよ……おおい、隆也! 観念して大人しくしたらどうだ!」


 ついに見かねたのか、渋沢は怒鳴って青年の方に歩いて行った。それを見送って、成島は小さく笑った。相変わらずだ、渋沢さん。

 そう思っていると、扉が開いた。振り返ると、護衛対象の少女が出てくる所だった。


「成島さん」

「ああ、城島さん」


 走り寄ると、少女は生真面目な顔でこちらを見た。その目は少しばかり赤くなっていたが、彼女はとても静かだった。落ち着いている。


「何の騒ぎですか」


 医師や看護婦が、救急車に群がっているのに気づいたらしい。そちらを見る。成島は答えた。


「急患らしいですよ」

「この病棟に?」

「メイヴに似たウィルスが出たらしいんです。大丈夫、すぐ無効化しましたから。でも感染した人間がいたので、検査をしようって事らしいです」


 成島は、彼女をおどかないよう気をつけながら、そう言った。


「あれだけ元気なら、後遺症なんてのもないでしょう」


 俺は一人で歩けるってばー! と叫んでいる青年は、ストレッチャーを断固拒否している。


「……」


 少女は無言で騒ぐ青年を見つめたが、小さく息をついた。


「帰ります」

「もう良いのですか?」

「はい。明日も学校がありますから」

「わかりました」


 うなずいて成島は、少女と共に歩き出した。改めて見ると、彼女にはどことはなし、違和感があった。


(……?)


 歩き方に隙がない。気のせいだろうか?


「城島さんは……何かやっておられますか」


 尋ねると、少女は立ち止まった。振り返る。


「何か?」

「いや、歩き方が。武道を何かなさっておられるのかと……」

「基本だけ、昔に。今は自己流です……わかるものなのですか」

「あ、いや。気をつけて見ないと、気づかないですよ。若いお嬢さんだし、普通は気づきません」

「そうですか。では、いざと言う時に相手を油断させる事ができますね」


 淡々と言われ、言葉を飲み込む。何だって?


「ええと、……俺がいるんですが」

「そうですね」

「その場合、俺はあなたを守って戦っていると思うんですが」

「はい。その時は、お願いします」


 少女はそう言ってから、成島の方を見た。


「でもいつも、誰かがいてくれるわけではありませんから。この先ずっと、成島さんがついていてくれるわけではないでしょう?」


 静かに言われた言葉に、瞠目する。その通りだが。

 しかし男としてはなんと言うのか。もう少し頼って欲しいような。

 そう思いつつ、先に進む。救急車の側を通り過ぎる。

 ふと、少女が足を止めた。ストレッチャーに乗せられようとしている青年を見つめる。


「だからあ! 俺は自分で歩けるって……病人扱いするなってば!」

「でもね。君はね。検査をね? 規則と言うか、そのね?」


 医師はおろおろとしながら彼を説得しようとし、看護婦はうろうろしている。渋沢は隆也を説得しようと言うのか、のんびりした風に声をかけていた。


「良いじゃねえか、隆也。楽ができると思っとけよ」

「うるせえ、渋沢のアンポンタン! 俺はなあっ」


 騒いでいた青年が、不意に静かになる。

 不機嫌そうな青い目が、少女を見つめた。二人の視線が結ばれる。

 成島は慌てて前に出た。金髪の青年は、どう見ても素行が悪そうだ。彼女に因縁をつけられてはたまらない。


「行きましょう」


 そうささやくが、少女は黙って青年を見つめている。


「なんだ、アンタ。俺が珍しいか? なにじろじろ見てんだよ」


 青年は自分を見つめる少女に苛立ったのか、すごむように言った。繁華街にいるチンピラのようだと成島は思った。


「柚香ちゃん?」


 そこで渋沢が振り返り、驚いた顔になる。


「あ? オッサンの知り合いか?」

「ああ、……柚香ちゃんだろ?」


 少女は視線を渋沢の方に向けると、頭を下げた。


「ご無沙汰しています、渋沢さん」

「いや、……元気だったか? あれから、どうして」

「ある人に後見をしていただいて、今はそちらにやっかいになっています」


 静かに言う少女に、渋沢は「そうか」と言った。


「今日は……あ。まさか」

「いえ。私は見舞いに来ただけです」


 すっ、と顔を青ざめさせた渋沢に、少女は首を振った。


「兄は生きています」

「ああ」

「いつか目覚めます」

「……うん」


 渋沢は、うなずいた。


「俺の連絡先は、前と変わらない。何かあったら連絡してくれ」

「ありがとうございます」


 そう言うと、少女は青年の方に視線を戻した。

 何が何だかわからなかったが、二人の会話にわりこめず、黙って聞いていた隆也だったが、少女の目が自分に向いた事に気づいて身構えた。なんだ?


「後遺症、出るといけないから。早く手当て、してもらった方が良いよ」


 少女はそう言った。隆也は眉をしかめた。


「おまえには関係ないだろ」

「そうだね。でも、早く手当てして」


 そう言うと、少女は渋沢に目をやり、もう一度頭を下げた。そこから立ち去る。


「何だったんだ、ありゃ。何のお節介だよ」


 立ち去る少女に隆也は、むっつりした顔で言った。渋沢がそれに答えた。


「あの子の兄貴はガーディアンだった。俺とも親しくしていた。良い人物だったよ」

「ああ? それが何なんだよ」

「五年前に『メイヴ』にやられた。詳しい事はわからんが、イキがってログインした馬鹿な子どもを助けようとしたんだそうだ。あいつらしいよ。それで今も眠っている。今日は見舞いに来てたんだろう」


 隆也は目を剥いた。


「それが、何で俺にお節介言うんだよ」


 まだ乱暴な言い方だが、少し口調が弱くなっていた。渋沢は答えた。


「彼女の側にいた奴。知り合いでな。おまえがメイヴの類似ウィルスにやられたって話しちまったんだよ。たぶん、それ聞いたんだろ」


 隆也は静かになった。


「だからって、……俺が手当て受けても、あいつの兄貴は良くならないだろ」

「そうだな。だがこういう事は、理屈で割り切れるものじゃないから」


 そう言うと渋沢は、検査受けような? とにやりとしてみせた。隆也はむっつりしながら、ストレッチャーに乗る事に同意した。がらがらと運ばれてゆく。

 少女の後ろ姿と、こちらを見た瞳を思い出す。


「ユズカ……か」


 結構、可愛かった。そう思ってそれからふと、あいつ、俺の事外人って言わなかった、と思う。

 初対面の人間は、大抵そう言うのに。

 そこで首をかしげた。あれ?


「うーん?」

「どうかしたか、隆也」

「いや。あの目がさ」


 家族が五年も昏睡状態。今日も見舞いに来た。このキーワードだと、健気で儚げな少女をイメージする。

 なのに……あいつの目。


「……誰かに似てなかったか?」


 思わず背筋が伸びてしまうような。静かで、威圧されるそれ。諦める事をしない、強く、どこまでも強く在ろうとする目。


「誰か?」

「いや何だか……戦ってみたいなーと」

「おいおい。相手は女の子だぞ?」

「ああ、うん。変だよな。何で?」


 どうして俺は。戦いたいと思ったのだろう。

 ストレッチャーで運ばれながら、隆也は首をひねり続けた。



 成島は、歩く柚香の側について、歩調を合わせながら歩いていた。


「大丈夫ですか」


 声をかけると、少女は立ち止まった。


「何がですか?」

「いや。乱暴な奴だったから……せっかく、あなたが声をかけたのに」


 傷ついたのではないだろうか。そう思って言うと、少女は首を振った。


「見ず知らずの人間に、いきなり声をかけられた。反発するのが普通でしょう」

「そうかもしれませんが……」


 あれは少し、無礼ではないか。成島はそう思った。


「言葉は乱暴でしたが、悪意はありませんでしたよ」


 そう思っていると、柚香が言った。


「八つ当たりしたそうではありましたけど」

「チンピラみたいな奴でした……あの、本当に」


 大丈夫ですか、と言いかけて、成島は言葉を飲み込んだ。

 こちらを見上げる、柚香の目。

 静かで、しかし生気に満ちた、奥に炎の宿っている瞳がそこにあった。

 ぞくりとした。


「……すみません」

「はい?」

「あなたを見くびっていました。あの」


 成島は背筋を正した。


「あなたはずっと。戦っているのですね」


 決して諦めたりしない目だった。静けさと強さが同居したその瞳。運命に流される事も、自分を哀れむ事もよしとしない、その目は、戦う者に特有のもの。

 こんな目を持つ相手に、自分は少しばかり失礼だったと思う。


「すみませんでした」


 柚香は男を見上げた。少し驚いていた。

 自分が少女である事は知っている。その外見で、多くの男が自分を侮る事も。

 成島もそうだ。少女であるというそれだけで、庇護の対象とされた。彼の態度がそう言っていた。別に構わないのだが、少しばかり窮屈だった。

 だが彼は。突然そう言った。


「なぜ謝るのですか」

「失礼だったと思ったからです」

「なぜ、失礼だと」

「自分を律し、困難に立ち向かおうとしている人物に対し、私の態度は……あなたを子ども扱いするようなものでした。だからです」


 言われた言葉を吟味して、それから柚香は小さく笑った。


「出世するぞ、おまえ」

「は?」

「ただのオンナノコにそんな風に言って、詫びるような人間はそうはいない。私を子ども扱いし続け、変だと思ってもそれで通すのが普通だ。だがそういう人物は、いざと言う時に何かを見逃す。頭が硬くて、目の前にある事に気づけない。だが、おまえは違うようだ。……成島。下の名前は?」


 口調の変わった少女に、成島は目を丸くした。同時に背筋に寒いものを感じる。なんだ。この威圧感は。


「成島……仁」

「なるしま、じん」


 繰り返すと、柚香は彼に背を向け、前を向いた。


「行くぞ」

「は、はい」


 後ろから、彼がついてくるのが当然だと思っているような態度。

 なぜ、と思いつつ、妙に彼女にしっくりと似合っているとも思った。



《ネットエリア 黄金の通り三番地、噂好きの穴蔵》



 和樹はふらりとカフェに姿を見せた。V.S.ヴィスに同調した人間たちが、会話を楽しんだり、掲示板に書き込みをしたりしている。

 カフェ『噂好きの穴蔵』。

 その名の通り、噂好きの人間が集まる場所だ。


《メイヴウィルス、出ター!》

《パチモンだよ、バカ》

《銀狼も出たって聞いたぞ》

《マジ? ヒーローが出ター!》

《おい、待て。だったらメイヴ、本物だったのか?》

《ガクガクブルブルヽ(^o^)丿》

《なに喜んでるんだ、おまえ》

《間違えた。orz》


 掲示板に、次々と書き込みがされている。


《銀狼出タって事は、それなりに危なかったのか?》

《デモひーろーが板なら、ダイジョーブ!》

《鋳ても危ないは危ない》

《誰かトランプの通信、八苦できない〜?》

《トランプって?》

《オマワリシャンです》

《わん》

《なぜ犬?》

《歌にあるだろう》

《ちょっと通信拾ってみたけど、良くわかんね》

《拾ったのかい!》

《天使さんたちの方が、詳しいんじゃね?》

《天使さんっ? 神よ! この街は守られているのかっ》

《うん。ゴツイおじさんとか、にーちゃんたちの天使さん》

《夢が壊れる〜〜〜!》

《あっさりガーディアンズって言えよ》


 こういう混沌とした所が、和樹は好きだ。人間の愚かさと醜さと、同時に可能性が見えてくる。


《筋肉ムキムキの天使さんが、我らの街を守ってる〜る〜♪ 重低音で読んでくれっ!》

《なんかヤダな、ムキムキが音になって聞こえてきそう》

《ガーディアンズ、一人捕まえたっ! マジに銀狼出たって言ってるっ!》


 掲示板が静かになった。続いて怒濤の書き込みが始まった。


《詳しい話をプリーズ!》

《ムキムキ天使ちゃん、お願いっ!》

《何があったのー、何があったのかなーっ》

《お願いプリーズ! 教えてーっ》

《ちょっと待て! 今聞いて》

《なに、なに、なに?》


 カフェ内にいる者たちも気づいたのか、それぞれが掲示板にアクセスし始めた。


《あーっと。すみません、報告します、良いですかー、みなさん》

《はーい》

《ハーイ》

《ドキドキ》

《えーとですね、詳しい事は伏せますが。とある組織が悪い事をしていたそうですっ。それをですね。某組織が潰しに行ったんだそうですよっ》

《なんじゃそら》

《ヨクワカルネ》

《とある組織? 某組織?》

《悪い事した人たちは、ジェイのつく人たちにボコられたんだそーですっ》

《あー》

《なに?》

《ジェネシス!》


 和樹はふうん、とつぶやいた。それなりに知られているんだ、彼ら。


《え? なにそれ?》

《正義のコスプレ集団》


 うん。あれはコスプレだな。と和樹もうなずいた。


《はいはい。その正義のコスプレ集団がですね。学生に悪さしていた悪い人をボコったと。そういう事らしいです。ところがですね。ここで悪い人たちは、ヤケ起こしてウィルスを発動させたらしく。……えっ? 犠牲者っ?》


 しん、とその場が静まった。


《ちょっとマジな話ですよ、みなさん。ジェネシスの何人かが、メイヴ型ウィルスにやられたって。今、緊急入院してるそうです。銀狼はウィルスの流出を阻止したらしいんですが。ひでえ事すんな、そいつら。総長をかばって負傷したメンバーがいるって……オトコマエじゃん、そいつ》

《メイヴって、マジにメイヴ?》

《おい、ちょっと黙ってろよ》

《ちょっと待って……ええと。類似型? 粗悪品? メイヴに似てるけど、あそこまでひどい奴じゃないって。怪我した人も悪影響はないらしいよ。セキュリティがもう解析して、無効化に入ってるってさ!》

《ヤッター!》

《ヤッター!》

《オメデトー!》


 その場は一気にお祭りムードになった。無関係のものたち同士が一斉に、喜びの声を上げている。

 これが、人間。

 この熱気が。


《ジェネシス、世界一〜!》

《銀狼も世界一〜!》

《宇宙一だ、バカ》

《ムキムキ天使ちゃんもカッチョイー!》

《ネオ・アンゲルス、バンザーイ》


 互いに軽口を叩き合い。平和の守られた事を喜び合う。戦いに参加したわけではない。けれど、密かに戦っている者たちの為に声を上げて喜んでいる。

 きっと、この中の何人かは、面白い事があったとそれだけの気持ちでこの話を聞いている。明日になればすぐに忘れて、別の何か、楽しい事を探そうとするのだろう。

 けれど別の何人かが、記憶の底に今日の話を残し。いつかどこかで何か行動を起こすのかもしれない。

 その違いは、どこにある?


「しかし、特に何の意味のないものに対しての、人間の情報収拾能力はすごいな……」


 ただ興味がある。それだけでここまで調べる。

 警察の通信を傍受するのは犯罪ではないのか。なのにあえて法を破る、その意味はどこにある?

 非公式とは言え、ガーディアンズの話を聞き込んで書き込みをする熱意はどこからくる?

 この話は、彼らの日常に何か関わるわけではない。調べた者に報酬が与えられるわけでも、聞いた者が得をするわけでもない。なのに、なぜ。彼らはこのような行動をするのか。


「柚香ちゃんなら、なんて言うだろう」


 ちょっと考えてみた。

 良くわからなかった。


「人間は、遊ぶ生き物、だからかな?」


 ホイジンガの言葉をつぶやく。あれはどちらかと言うと、集団での競技を指していたようだが。


「遊び」


 和樹はくすっと笑った。


「ぼくも遊んでいるのかな。こうして」


 カフェの中の人々を眺める。V.S.ヴィスに同調している様々な人々を。


「だったら……」


 和樹は目を細めた。


「ウィルスを作ってばらまいた誰かも、遊んでいるのかもしれないね」


 人の命を使って。

 掲示板の書き込みを見た人々が、知り合いにメールを送っている。何日もたたない内に、この事件は公然の秘密のようになり、銀狼やジェネシスの武勇伝の一つになってゆくだろう。そうして人々は、自分たちは確かに守られていると安心する。ここは、平和だと。

 幻想だとしても。それは人間にとって必要なものだ。


「まあ、うまく流れたよね」


 下手に隠して不安を与えるよりは、適当に情報を流して安心させておけと指示しておいた。こんな所の掲示板は、誰が書き込んだかわからないようになっている。ガーディアンズから聞き出した、と言っているが。書き込んだのは、和樹直属のスタッフだ。


「後でめておこう」


 もう一度店内を見回してから、和樹はその場を後にした。

顔文字使いたかったんですが……縦書きになると崩れそうで。控えました。

この三話目で、第一部完、としても良かったですね。


BGM:loveラブ solfegeソルフェージュベストアルバム「Luxury~classical best」

参考: ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』

……あまり真面目に読んでないので、参考になってないけど……。

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