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天使は街に舞い降りて  作者: ゆずはらしの
第一章 電脳のBABEL
1/11

1.電脳のBABEL 1

なんちゃってエスエフです。細かい所は突っ込まないで下さい……。

 人は遊ぶ生き物である。そう言ったのは、二十世紀の歴史学者、ホイジンガ。


 遊びから、人は己を律する術を学び、新たな創造を産み出す喜びを知り、社会は進化してゆく。


 人が扱う道具のほとんどは最初、何気ない遊びや、楽しむ事を目的とした発想から産まれた。今では人間の社会生活になくてはならないものとなった、電脳空間も然り。ごく初期の頃はあくまでも、学生や気の置けない仲間内での、『遊び』や『おしゃべり』の延長上にあるものだったのだ。


 それが今では、人間の生活のほぼ全てに浸透していると言っても過言ではない。肉体を持って学校に通う事は義務として残っているが、子どもたちはハイパーネットに出入りする事を当たり前に思っている。高校までは一部の例外をのぞき、現実の人間との触れ合いが必要との建前でネットによる通学は認められていないが、大学に進学すればV.S.ヴィスと呼ばれる仮想人格体バーチャルセルフを大学にアクセスさせる事で、授業を受ける事も許されている。自宅にいながらにして、遠方の大学に通う事ができるのだ。仕事も同様で、打ち合わせや会合などにはハイパーネットが使われる事がほとんどだ。


 ただしそれにはルールがあって、大学には本人とわかるV.S.ヴィスを登録せねばならない。仕事もそうだ。当然である。本人とわからない人物がうろうろしても、学校では不審人物に見られるだけだし、仕事でも信用を得られない。そういうわけで、ネット社会はこの頃には匿名性を消し、V.S.ヴィスを第二の自分とする電脳空間は、新たな現実、第二の社会として認識されるに至っていた。


*  *  *


 アジア地区、極東。ネオ・アンゲルス・シティ。

 ハイパーAI『藍王あいおう』により制御されるこの都市は、治安が良く、都市機能が充実している事により知られており、安定した暮らしを夢見る人々が、日々流れ込む。

 そうして人々が増えれば増えるほど、輝く都市の影には、暗く沈む世界もまた生まれる。



《スラム零番地》



「うらあっ、もういっちょう!」

「ぐあっ、がっ、」


 重い拳を腹に受けて、男は体を折り曲げ、よろめいて床に崩れ落ちた。


「手応えねえなあ」


 悠然と立つ青年は、獰猛どうもうな笑みを浮かべた。粗削りだが悪くはない顔だち。足首近くまである白の長ランをまとっていた。前時代の『フリョー』と呼ばれた一部の青少年の間で『トップク』、あるいは『トッコーフク』と呼ばれた衣装に似ている。鍛え上げられて引き締まった体に羽織られたそれには、背に竜の縫い取りがしてあった。


「制圧、完了しました」


 似たような長ランを着た青年たちがてきぱきと、人相の悪い男たちを拘束してゆく。彼らの背には竜はない。その代わりなのか、それぞれ漢字や警句などが縫い取られていた。その中で一人だけ、ごく普通の裾の短い上着を着た少年が、腕に埋め込んだ改造インプラントを使って空間にスクリーンを展開し、データを収拾していた。人形のように整った顔だち。時折瞳が青く輝く。


隆也たかやさん。ブロック解除した。悪事の証拠は全部いただいたよ。『スコーピオン』はこれで終わりだ」


 ごつい青年たちの中で、少年は華奢に見えた。しかしその態度は堂々としており、侮れない何かを彼に与えている。


「ありがとよ、たくみ。麻薬に売買春、裏ホロに不法プログラム。ろくでもない事しやがって。うちの生徒に手ぇ出した落とし前は高くつくぜ」

「どうするつもりだ!」


 うずくまっている男がわめく。


「俺たちのショバで好き勝手しやがって……てめえら、まともに表を歩けると思うな! 報復してやるからな、小僧ども……」

「いやーん、モテモテ。タカヤ困っちゃうー」


 無表情に言うと、隆也と呼ばれた青年は、男の腹を足で蹴った。げふっ、という声と共に、男が倒れる。


「ふざけんなよ。ショバ荒らしを最初にやってくれたのはそっちだろ、『スコーピオン』の若頭? 俺たちの縄張りで勝手に商売始めやがって。見逃してもらえると思ってたのか、ああ?」

「馬鹿な。ここは中立だ。まだどこの組織も入ってなかったはずだっ!」

「おじちゃん、頭悪いでちゅかー? 俺らの縄張りって言ったら俺らのなんだよ」

「そんなはずが……お、おまえみたいな、」


 男は叫んだ。


「外国の勢力が入ってるわけがないっ!!」


 沈黙が落ちた。


「あー」


 匠と呼ばれた少年が天を仰いだ。周囲で動いていた仲間の青年たちが硬直する。


「禁句を言いやがった、あのおっさん……」

「……ふっ」


 隆也と呼ばれた青年は、獰猛な笑みを浮かべた。


「外国の勢力なあ。それって俺らの事かなあ。なあおっさん。俺ら、どういう格好してるか言ってみろよ。これって何だ? 由緒正しい日本文化に則った、『トッコーフク』ってやつだろ。知らないのか?」

「しっ、知ってる、それぐらいはっ」


 不穏な気配を感じたのか、男は汗を流しながら言った。


「だが、前時代に消滅したような局地的な文化だろう。そんなものをありがたがるような者は、今のネオ・アンゲルスにはいないっ。それに、」

「それにぃ?」

「おまえみたいな外人ぐらいだろう、そんな格好して喜んでるのはっ!」


 

 どがしゃあ!



 男は隆也の蹴りをまともに喰らって沈んだ。


「男の美学がおまえにわかるか」


 ゆらり、と背に陽炎のようなものを立ち昇らせながら、隆也が言った。


「廃れゆく文化を次代に繋げようと戦い続ける俺たちの努力を、嘲り笑うおまえに。俺らが体現しているのは、一つの美学。一つの信念! それがこの長ラン。それがこの登り竜! 信義も美学も持たない腐れヤクザのおまえに、わかってたまるかあっ!」

「総長。隆也さん。もう気絶してるから、その人」


 匠がすたすたと近寄って、ぽんと腕を叩いた。


「外国の勢力と勘違いするのも無理ないと思うよ。この格好、まともにしている人間はもういないし、今の時代。それに隆也さんの見かけがね……」

「俺はっ。日本文化をっ。愛しているっっ!」

「うん、それは知ってる……泣かなくても」

「泣いとらんわあっ!」


 配下の青年たちは、総長と参謀、トップ二人の会話に微妙に視線を逸らした。

 ネオ・アンゲルス・シティの『東地区番長連合組織ジェネシス』総長、南 隆也。不良たちから憧れの眼差しで見られる、『精悍』という言葉が似合う男。

 彼の髪は金髪。肌は白く、目は青い。

 日本文化をこよなく愛する、登り竜を背負う男は、思い切りアングロサクソンな外見をしていた。



「ガーディアンズ反応あり! こちらに向かっています」

「撤収用意! トランプは?」

「いつもの通り、まだです。遅れて駆けつけてくるでしょう」


 ヘッドセットをつけて外の様子を伺っていた一人が、警告を発する。間髪入れず第一隊の隊長、さかえが命令を出した。『不退転ふたいてん』の句を背負う強面こわもての青年は、ジェネシスの切り込み隊長だ。動物的な勘の良さを持っており、場の流れや変化を、敏感に汲み取る能力を持っていた。引き揚げ時を間違えた事はない。都市の犯罪予防組織、NAGA(ネオ・アンゲルス・ガーディアン・エンジェルズ)、通称ガーディアンズは民間の組織だが、警察トランプよりも小回りがきき、何かあった時の対応も早い。今回も騒ぎを聞きつけて、小隊が駆けつけてくる。自分たちはごろつき連中とは違うが、出くわすと何かと面倒だ。


「総長。指示を」

「任せる。コイツを何とかしないとな……匠」

「はーい」


 『拘束の輪』を持ち出している参謀が、にこにこしながら気絶している男に歩み寄る。


「証拠も付け合わせにしとくんだぞー」

「はいはい。リボンつけてガーディアンズにご進呈」


 『スコーピオン』の若頭を、身動きできないよう手早く拘束し、フリルとリボンをつけて可愛くデコレーション。頭には大きな向日葵ひまわりが咲いている。彼らの悪事の証拠にアクセスできるコードを記した紙を、見てすぐにわかるように、べたべたと貼り付けた。



『ジェネシス参上』



 大きく書かれた紙も、ついでに貼り付ける。


「なんか地味だよね。ハートマーク入れちゃ駄目かな」

「せめて☆マークにしとけ」


 隆也の言葉に「じゃあ、そうしよっと」と言って、匠は紙に☆マークを付け加えた。


 

『ジェネシス参上☆ ボク、おしおきされちゃいました☆』



 その場にいた青年たちは、リボンと向日葵の花と☆マークで華やかに彩られた男から、そっと目をそらした。気の毒すぎる。

 栄の指示で、皆がその場を離れ始める。


「そろそろ行くぞー。匠。何やってる?」


 事務所の階段に向かいながら、隆也は後ろに声をかけた。最後に残っていた匠はなぜか、周囲を伺っていたのだが、慌てた様子で駆け寄ってきた。


「あー、うん。来るかなって思ったんだけど……来なかったね、今回」


 ぴたりと隆也の足が止まった。びりっ、と殺気らしきものが放たれる。


「だれがだ」


 栄と補佐の青年たちは、参謀の言葉に焦った顔をした。言わないで下さい、と匠に目を向ける。しかし少年は、何も企んでいませんと言いたげな笑みを浮かべて言った。


「ホラ〜。隆也さんの憧れのヒト〜」

「憧れてねえっ!」


 くわっ、と目を見開いて叫ぶと、あーそうですかー、と信じていない返事をされた。むきになった隆也がわーわー言い出す。


「俺は! 俺は純粋に、ジェネシスのヘッドとしてだなあ。やばそうな奴はチェック入れるって言うか!」

「そーなんだー」

「そーなんだーって、何だその返事っ! 大体あいつ、怪しすぎるだろ。怪しいが服着て歩いてるような奴じゃねえか。おいっ! 聞いてるのか匠っ!」

「聞いてるー」

「なんだその心のこもってない返事は! だから俺はあいつの事なんか気にしてないって言ってるだろーっっっっ!」


 叫ぶ隆也。生返事を続ける匠。


「素直じゃねえからなあ、隆也さんも」


 隆也の執心ぶりを知っている栄は呆れた顔で言い、配下の者たちに合図した。そろそろ撤収しないと本当に、ガーディアンズと出くわしてしまう。

 階段を降り、事務所一階のフロアに出る。隆也たちも騒ぎながら、階段を降りてきた。そこで、何かが動いた。


「死ねや!」


 どこかに隠れていたらしい三下が、わめきながら突進してくる。強化改造されているらしい。スピードが半端ではない。手にしているのは出刃包丁。


「隊長!」


 咄嗟に隣にいた吉住よしずみが栄を庇う。次の瞬間、彼は男の出刃包丁を腹で受けた。


「ぐわああああっ!」


 悲鳴と共に、彼の体が青い火花で包まれた。ヴン、とノイズが走る。苦悶の声と共に体が分解した。


「吉住!」

「栄さん! そいつウイルス持ちですっ!」


 よろ、とよろめいて、床から一人の青年が起き上がった。栄の配下の高橋だ。常には冷静な彼の表情が歪み、青ざめていた。左腕が消失し、腕の周囲に火花が走っている。


「ちっ」


 栄は男に突進すると、蹴りを放った。男は笑いながらそれを避ける。


「総長! ウィルス持ちの鉄砲玉です、気をつけて下さいっ!」


 背後の青年に声をかけると、トンファーを取り出す。ひゅひゅっ、と回転させてから構えた。


「おまえは前に出るな、匠」


 瞬時に顔つきを変えた隆也は、階段を降りた。フロアでは、栄と男が戦っていた。


「危険です。下がっていて下さい」


 高橋が駆け寄ってきた。何かあれば、体で隆也を庇うつもりらしい。隆也は彼の左腕をちらりと見、男に目をやった。


「誰がやられた」

「吉住と工藤が」

「その腕は自分でか?」

「工藤が消失おちたのを見ましたので。咄嗟の判断で」

「それでも、なかなかできるもんじゃない。V.S.ヴィスとは言え、自分の腕だ。痛覚も遮断されている訳じゃないしな……さすが切り込み部隊の牙」


 小さく笑うと隆也は、高橋の肩に手を置いた。


「のけ」

「総長……」

「コケにされて、黙っていられるか」



 ひゅひゅっ! がっ!



「けひゃひゃひゃ!」


 奇怪な笑い声を上げながら、男が包丁を振り回す。栄はそれをことごとく避けた。



 ずがっ! どうっ!



 トンファーをふるい、蹴りを繰り出すと、男はあっさり撥ね飛ばされた。床に叩きつけられる。それでも痛みを全く感じていないらしい。甲高い笑い声を上げながら、ばねのような動きで飛び起き、栄に向かって凶刃を振るう。


「頭もいじられてるな……違法改造も良い所だ」


 隆也はつぶやいた。


「鉄砲玉に人権感じるような連中? だから隆也さんも、潰すと判断したんでしょう」


 この言葉に匠が背後から返した。瞳が青く光っている。


「解析完了。筋力、瞬発力はBレベルプラス。痛覚は完全遮断。アドレナリンの異常分泌を促すプログラム感知。同じくドーパミン分泌促進プログラム感知。人を刺せば刺すほど、快感を感じるようにいじられてる。完全に使い捨てだね。あの包丁、体に直接繋げられてるよ。体内にウィルス製造のタンクがあって、包丁で相手を刺すとそこから感染する」


 冷静に分析する少年に、隆也はふん、と鼻を鳴らした。


「最優先の指令は? 人を刺して回る事か」

「敵の頭らしき者を倒せ、じゃない? これも良くあるコマンドだけど」

「くひいっ、ひひひっ!」


 げらげら笑って、男が包丁を振り回した。栄がトンファーを振り切る。鈍い音がする。

 男の腕が折れた。

 しかし男は笑いながら、なおも栄に迫った。さすがにとまどった顔になった栄の動きが、一瞬、鈍る。



 がこおっ!



 咄嗟に飛び出した隆也は、男に飛び蹴りを食らわした。避けるという選択肢も持っていないのか、まともに男はぶち当たり、吹っ飛んだ。


「匠。止める方法解析頼む」


 そう言うと、隆也はすたすたとフロアの中心に向かって歩いた。体勢を整えた栄がちら、と 隆也に目をやったが、すぐに男に視線を戻した。


「あんたが出る事はない」

「いやあ。単に虫退治。キライなんだわ、俺。うるさく飛ぶやつ」


 栄は片方の眉を上げた。


「虫ですか」

「そいつ、刺したら興奮するヘンタイなんだとさ。痛みも感じないらしい。で、刺したらウィルス出す。変な虫っぽくね?」


 ふー、ふー、と妙な息を吐きつつ、包丁を持った男は、ぎょくり、と妙な動きで起き上がった。体中に火花が散り、ノイズが走っている。明らかにどこかがイカれていた。それでも起き上がる男は、虫と言うより爬虫類っぽい。


「いるだろ、刺すやつ。ブヨとか。払っても払っても、ブンブン来るとこなんか似てるよな」


 構わずそう言いつつ、隆也は立ち止まった。男を見据える。栄が少し後ろに並ぶ気配がした。


「分解するまで攻撃したら、生身が持たないかな。ヒトゴロシは避けたいんだけどなあ」

「俺もですよ。基本、善良な学生ですし」


 栄の言葉に「違いねえ」と隆也は返した。


「でもま、正当防衛?」

「そうですね」


 栄がトンファーを構え、隆也は拳を握った。互いの邪魔にならないよう、距離を取る。起き上がった男はにやにや笑いを顔に浮かべたまま、二人を代わる代わるに見やっている。どちらを攻撃しようかと思っているようだ。


「おい、鉄砲玉」


 だから隆也はにやり、と口の端を釣り上げ、男に声をかけた。


「俺がジェネシス総長だ。一番偉い、トップだよ」


 男の視線が隆也に定まった。ききき、ときしんだような笑い声が漏れる。

 次の瞬間、男は隆也に突進してきた。


「『拘束の輪』!」


 そこで叫ぶ匠の声がして、輝く輪が男に向かう。ひゅっ! と音を立てて巻きつくと、男はがくんと膝を崩した。その場に座り込むと、ぴくりともしなくなる。

 『拘束の輪』。

 匠が自分でプログラムした、V.S.ヴィスの停止コードである。ハイパーネット上では、輝く輪として認識される。このコードはユーザーとの同調を、一時的に遮断する。これを使われるとV.S.ヴィスの動きは強制的に停止され、ユーザーはアクセスしてはいるが、V.S.ヴィスを全く動かせないという事態に陥る。電脳警察やガーディアンズが、犯罪者の取り締まり用に似たようなものを使用しているが、匠のプログラムは彼らの使う物よりも精度が高く、容量も小さく、より陰険だった。

 匠の『拘束の輪』は、V.S.ヴィスに巻きつくと、大仰なリボンやフリルに化けるのである。強面の男がこれで強制停止させられると、かなり恥ずかしい。ちなみに男に巻きついた『拘束の輪』は現在、きらきら光る花とリボンに変化し、頭には鳩が止まって『ぽっぽー』と鳴いていた。

 まともな神経の人間なら、泣いている。


「あのさあ。隆也さんも栄さんも。肉体派なのは良いけど、頭も使ってよ。鉄砲玉とマトモにやり合おうなんて、どうかしてない?」


 苛立たしげに言うと、少年は目を青く光らせた。男を素早くサーチする。


「かなりたちの悪いウィルスだよ。吉住さんも工藤さんも、何か後遺症出るかも。高橋さんを見てよ。今も修復できないんだよ? ジェネシスのV.S.ヴィスにはある程度の自動修復機能をつけてる。なのにこれだ。フィードバックがどこか破損したって事だよね。ウィルスのおかげで」

「参謀。自分は痛覚を遮断しておりますので……それほどダメージは……」


 慌てたように言う高橋を、匠は視線で黙らせた。


「誰があんたのダメージの話をしてるのさ。ぼくが言ってるのは、ぼくのプログラムした芸術的な修復機能が、ウィルスの悪辣な手で蹂躙されたって事だよ。許されないよ!」


 怒るポイントはそこなのか。と全員が思った。


「なのに隆也さんも栄さんも、ほいほい殴り合いに出るし」


 きっ、とした顔になると、匠は隆也の方を振り向いた。


「確かにV.S.ヴィスは、現実の人間の能力を引き継ぐ。鍛えてる人間の方が反応早いし、リアルでそれなりの動きする人間なら、こっちでもきっちり動けるよ。でもね。わざわざウィルスに感染する危険を犯す必要が、どこにあるのさ! ぼくの芸術的なプログラムを、危険に晒す必要が、どこに!」


 匠は目を釣り上げた。


「あんたたち二人が戦闘オタクなのは、仕方がないよ。その辺でいっくらでも、ぼこぼこ殴り合いしてりゃ良いさ。でもね。あんたら二人がウィルス喰らってダウンしたら、後の処理が大変なんだよ。ぼくの仕事が増えるの。雑用とか雑用とか雑用とかっ! 言っとくけどぼく、じきに期末テストなんだからね。学年一位を邪魔するような真似しないでくれるっ?」

「匠よう。そこは嘘でも、俺らの事が心配だからって、言ってくれねえかなあ」


 途中から、遠い目線になっていた隆也が言う。匠はふんと鼻を鳴らした。


「嘘をついてどうするのさ」

「男心は繊細なんだ。嘘でも良いから、気づかう言葉が欲しい日もあるんだよ」

「テストが終わったら、考えたげても良いよ」


 俺たちはテストより劣るのか。一瞬、隆也はわびしい思いに囚われた。高橋が小さく笑った。栄も。総長と参謀のこうしたやりとりは、ジェネシスでは日常茶飯事だった。何となくほっとしたような空気が、その場には流れていた。

 全員が、油断していた。男が何かするはずがないと、誰もが思っていた。

 だから突然男が『拘束の輪』をぶち切り、隆也に突進した時。誰もが反応できず、対応が遅れた。


「けえーっ!」


 奇怪な叫びを上げながら、男が隆也に向かう。隆也は側にいた匠を突き飛ばし、男をいなした。だが不安定な姿勢での対応だった為、体勢が崩れる。



 がすっ。



 咄嗟に左腕を犠牲にした。出刃包丁が食い込む。


(ぐうっっ!?)


 何かが入り込む感触が走る。左腕に青白い火花が散った。やばい、と隆也は思った。これはやばい。こいつは。



 ばちばちばちっ!



 同調している神経が焼ける。バーチャルでの出来事だ、本当に焼けるはずはないのに。それなのに、焼ける、と脳が悲鳴を上げている。腕が。神経が。筋肉が。骨が。

 焼ける。崩れる。浸食される……!


 がっ! がすうっ!


 蹴りを連続で放って男をふり飛ばすと、隆也は床に膝をついた。


「高橋ぃっ!」


 叫んで右手を差し出す。意図を察した青年が長ドスを取り出した。それをひったくると、左腕に当てる。


「……っかああっ!」


 一気に切り落とした。同調した神経が激痛を伝える。一瞬、視界が白く染まった。血は出ない。バーチャルだ。だが痛覚は存在する。リアルのものより弱めてはあるものの、確かに存在するのだ。

 ぼとり、と落ちた自分の左腕が、びしびしと火花を散らし、歪んでノイズを放つ。ヴン、と音を立てて崩れ、消える。

 嫌な光景だ。


「ぐ、う……っ」

「隆也さん!」

「総長!」


 栄が飛び出して、男を攻撃する。隆也に蹴られ、栄に攻撃され、もんどりうって下がった男だが、しかし視線は隆也に定められている。


「きひゃひゃ!」


 妙な笑い声を上げて、男が跳躍する。手足は関節がどうにかなったのか、あり得ない方向に曲がっていた。体の輪郭が歪み、ノイズが走っている。フィードバックで生身にも、相当な負荷がかかっているはずだ。

 なのに、速さが落ちない。

 栄に飛びかかると見せかけて、男は不意に向きを変えた。隆也に向かう。高橋が割って入ろうとしたが、男は彼を蹴り倒し、隆也に迫った。まだ痛覚の遮断が出来ていない。避けようとした隆也だったが、動きは鈍かった。無様に床に転がってしまう。起き上がろうとするが、それより早く男が出刃包丁を構えて突っ込んでくる。


(しまっ、)


 タイミングを逃した事に気づく。間に合わない。これまでか、と思った次の瞬間、



 ごすっ。



 男が吹っ飛んだ。


「……あ?」

「詰めが甘い」


 低く言う声が横から。


「あ!」

「出た」


 思わずと言うように、栄や高橋が声を上げる。隆也の横をすり抜けると、その人物は風のように動いた。



 ひゅっ、



 隆也に見えたのは、なびく黒いコートと銀色の髪。舞を舞っているかのように美しい動きで、その人物は手足を繰り出した。



 どがごごおおおっ!!!



 一瞬の後。繰り出された無数の拳と蹴りを受け、ウィルス持ちの強化人間は、あっさり昏倒。ノイズまみれになりながら、再度拘束された。




「相変わらず人間外の動きしやがる」


 見とれてしまったのを認めたくなくて、隆也がぼやく。するとその人物は振り向いた。

 銀の髪。黒のコート。手には黒のグローブ、足には黒のブーツ。細身の体はレザージャケットに包まれている。喉には黒い革ベルト。そうして、顔の大半を隠すミラーグラス。

 背は隆也よりも低い。そのはずなのに。向き合うと大きな人間のように感じる。静かな気迫を秘めたその人物。

 『銀狼』。

 都市の治安を守るガーディアンズの間でも、伝説と化している謎の青年。ハイパーネットの治安が破られる事態になると、どこからともなく現れて、悪を倒して去ってゆく、謎のヒーロー。

 どこの三文ホロビデオの正義の味方だ。そう毒づきたくなるものの、彼が強い事は確かで。そうして正体が不明という事も確かだった。何年か前、彼の正体を暴こうとした者たちがいたが、ことごとく失敗したと聞く。一部では、彼は都市を制御するコンピューター『藍王』の作り出したプログラムだという説まである。

 彼の視線が、自分に固定されるのを隆也は感じた。ミラーグラスのおかげで表情がわかりにくいのだが、確かにこちらを見ている。居心地が悪くなる。その視線が外れた、と思うと次に彼は、高橋を見つめた。


「二人とも。医者に行け」


 耳に心地よい、低い声。


「は、……あの。これぐらいは」


 声をかけられた高橋が、条件反射なのか、背筋を伸ばして言う。緊張しているようだ。すると彼は淡々とした調子で答えた。


「粗悪だが、『メイヴ』の類似ウィルスだ。放っておくと後遺症が出るぞ」


 『メイヴ』ウィルス。

 最悪のウィルスがハイパーネットにばらまかれたのは、五年前。その災禍は今も語り継がれている。システムを破壊したり改変するタイプのウィルスと違い、『メイヴ』は『人間』を攻撃するタイプのウィルスだった。ハイパーネットに意識を繋いだ人間に焦点を当て、意識フィードバックに入り込んで精神を汚染する。

 『メイヴ』に感染した人間は接続中のネットから意識を外す事ができなくなる。繋がっているV.S.ヴィスに悪辣な改変を無理やり行われた挙げ句、意識フィードバックに狂気を注入されたような状態に陥る。結果として、発狂する者や死亡する者が多発。ネオ・アンゲルス・シティ中央病院の研究病棟には今も、この時のウィルスの犠牲者が、意識を戻さぬまま眠り続けていると言う。

 サイバーテロや、新型の兵器の流出など、様々な流言が当時は流れた。未だに誰がやったのかはわからず、事件は都市伝説のように語られている。けれど。

 作った者に悪意がある事だけは、確かだ。

 そうでなくてどうして、人間を攻撃するウィルスなどを開発する?


「本物よりは随分と大人しい。だが危険な事は危険だ。喰らった者が他にもいるなら、事情を説明して検査をしてもらえ」

「ああ」


 さすがに隆也も、素直にうなずいた。メイヴ型ウィルスなら、放っておくわけにもゆかない。


「ありがとうございます、銀狼!」


 そこで駆け寄ってきた匠が、嬉しそうに言う。


「大丈夫です! うちの戦闘バカなら、寝てれば治りますから!」


 寝てても治らない。

 思わずツッコミを入れそうになった隆也の前で、匠は普段のクールぶりが嘘のように、相手に懐きまくった。自分の美少年顔を最大限に利用して、きらきらの笑顔を振りまきつつ、青年の腕に縋り付く。


「お会いしたかったんですっ、お元気そうで何よりっ! あのこれ、ぼくのメアドですっ、今度どこかでお茶しませんかっ! 好きな食べものとか好きな飲み物とか、好きなタイプの男の子とかっ、できれば教えて……」


 

 びしゅ!



 どこからともなく降ってきたレーザーの光が、床に穴を開けた。匠の足元に。


「……」

「……」

「……」

「……」


 みんな、無言になった。

 匠がおずおずとした風に、青年から手を離す。二、三歩離れた。隆也は天井を見上げた。天井には穴が開いている。たぶん、何階にも渡って開いているだろう。


「どこから……」


 高橋が青ざめて言う。隆也は『銀狼』と呼ばれた青年に目をやった。


「相変わらず過保護だな、おまえの相棒。かーちゃんか?」

「母親では」

「だってよ。こうしたらさ」


 そう言いつつ、隆也が銀狼に手を伸ばす。すると、



 びしゅびしゅびしゅ!



 一気に三連発、レーザーが降り注いだ。隆也は慌てて飛びのいた。


「これを過保護って言わんで、何を言うのよ」

『汚い手でアタシの銀狼に触らないでよっ!』


 わめく声と共に、宙にスクリーンが展開された。レースで縁取られた黒い衣装に身をつつんだ美少女が、スクリーンの中から隆也たちを睨んでいる。


「よお、魔女ウィッチ。相変わらずヒス起こしてんのな」

『あんたが下心つきで、銀狼に触ったりするからでしょうっ!』


 隆也は眉をあげた。


「待てコラ。誰が下心だ。俺は出るとこ出てるオネーサンが何より好きなんだっ! 野郎にムラムラしたりするかっ!」

『ケダモノじゃないっ! 銀狼っ! 早く逃げて、こいつ見境ないわよっ!』


 ぎゃーすか喚き出す二人に、銀狼は息をついた。すぐに話題を戻す。


魔女ウィッチ。少し黙っていてくれ。ジェネシスの。とにかく、病院には行け。それと、参謀どの。『スコーピオン』の悪事の証拠は」

「あっ、そ、それは」


 匠が慌てたように言う。かまわず銀狼は言った。


「ガーディアンに渡す以外にも持っているだろう。裏に外国勢力が繋がっている。ジェネシスでは手に余る。コピーを渡せ。預かろう」


 片手を差し出され、匠はしぶしぶと言う風に片手を出した。手のひらに光が集まり、解除コードのデータが受け渡しされる。


「ではな」

「あっ、待っ……、」


 手を伸ばすが、匠の前で彼の姿はかき消えた。落ちログオフたか、移動したか。どちらにせよもう、隆也たちの前に彼はいない。先ほどまで宙に展開されていたスクリーンも消えて、魔女ウィッチも姿をくらましている。


「カッコイイ……」


 匠は胸の前で手を組むと、目をうるませながら彼の消えた跡を見つめた。


「乙女な顔してないで、俺の事気づかってほしいんだけど」


 ぽーっとしている参謀に、総長が声をかける。


「隆也さんなら、放っておいても治るでしょ」

「いや、さすがに『メイヴ』はコワイです」

「あの一瞬で彼にサーチかけたんですけど! 全部見事にかわされました!」


 匠は言った。隆也の言葉など聞いていない。


「このぼくが。八歳で警察関係はもとより、銀行、企業の機密情報ことごとくをハッキングし、果ては『藍王』のガードにまで肉薄したハッカーである、このぼくが。赤子のようにあしらわれ……くううっ! ステキだ! いつか必ず、あなたのガードを破って個人データを蹂躙じゅうりんしてみせるっ!」

「八歳でそんな事してたのか、オマエ……」


 疲れたように言う隆也の耳に、ガーディアンズが到着したらしい、ばたばたした足音が聞こえてきた。


「あーもう。来ちまったじゃねえか、ガーディアンズ。総員、とっとと逃げろ! 出くわしたら面倒だ。栄、後頼むわ。高橋、おまえ早いとこ落ちて病院行け。俺と参謀は残るから」

「残るんですか」

「この鉄砲玉の事、説明せにゃならんだろう。拘束解いたらまた暴れるかもしれんし。話は匠がするから平気だよ」

「そうそう。隆也さんは放っておいても大丈夫だけど、高橋さんは普通の人だし」

「おまえ、俺をどういう人間だと思ってんの……」


 参謀の言葉に、隆也は肩を落とした。


「工藤と吉住の事も頼む、栄。病院につれてってやってくれ」

「わかりました」


 二人はその場から消えた。落ちたのだ。

 そこへガーディアンズの一人が駆け込んでくる。


「また何か騒ぎ起こしたのか、隆也!」

「よ、渋沢さん」


 隆也はその場に座り込むと、残っていた腕を上げた。渋沢と呼ばれた男は、片腕のない彼に眉を上げる。


「何があった」

「『メイヴ』の類似ウィルスです」


 匠が言った。ガーディアンズの渋沢は、ジェネシスの面々とは縁が深い。良く顔を合わせるので、お互いに名前も知っている。隆也たちが危なっかしく見えるらしく、高校生らしくしろとか、危ない事はするなと良く説教をしてくる。


「そこにいるのが鉄砲玉。頭をいじられているから、拘束外す時は気をつけて下さい。ウィルス持ちです。隆也さんを含めて四名やられました」


 メイヴ、の一言に顔を強張らせていた渋沢は、もう一度隆也に目をやった。


「浸食される前に自分で切り落としたのか」

「本物じゃなくて、類似品だったらしいからな。これで済んだ」

「らしい? 匠が解析したんじゃないのか?」

「銀狼が出たんですよ」


 匠の言葉に渋沢は、ぱっと顔を明るくした。


「そうか! ここにいたのか? 話をしたのか? どんなだった、彼は!」

「相変わらず銀狼フリークだな、渋沢さん。その前に俺の事気づかってよ」

「ああすまん、だが銀狼だぞ! もうちょっと早くここに来ていればなあ」

「相変わらず、かっこよかったですよ!」


 悔しげに言う渋沢を、匠があおる。二人は目をキラキラさせながら、銀狼の格好よい所を上げ始めた。そこへ到着した他のガーディアンズまで加わって、ファンクラブの集会のような状態になってゆく。


「で、俺はいつ病院に行けんの……?」


 隆也はため息をついた。




 人気のない路地裏に、光が閃く。一瞬の後、そこに銀狼が現れた。バランスを崩し、ふらつく。


「……」


 すぐに持ち直したが、どこか具合が悪そうだった。


『手がかりかと思ったけど、違ったね』


 ヴン、と音を立てて宙に少年の姿が現れた。十五、六だろうか。微かに光りながら浮いている。


和樹かずき

『具合、良くないの?』

「大したことない」

柚香ゆずかちゃんは、そればっかり』


 ごく平凡な容貌の少年は、口を尖らせた。『柚香』と呼ばれた青年は、ずれてもいないミラーグラスを直した。


「なぜお前が来る。魔女ウィッチはどうした」

『ジェネシスの参謀君の情報、転送してくれたでしょ? 解析を急がせてる。模造とは言え、メイヴの類型だもの、放っておけない。スコーピオンの裏がどこにつながっているのか、調べないといけないし。ねえ。怪我はなかったはずだけど?』


 すう、と少年が近づいてきて、銀狼の前に降りる。手を伸ばして触れようとするのを青年は、軽く叩いて拒否した。


『ぼくに触られるの、いや?』

「そうじゃない。……サーチしようとするだろう、おまえ。私の体を」

『当たり前だよ。柚香ちゃんはぼくの、一番大切な人だもの。ちょっとでも変な所があったら、すぐ対応できるようにしておかなくちゃ』

「それはありがたいが、私も一応、花も恥じらう乙女なんだ。そうは見えなくても。男の手で体をいじりまわされて、うれしいわけないだろう」


 銀狼の言葉に『和樹』と呼ばれた少年は、ふわり、と笑った。


『ぼくを意識してくれてるの?』

「そうじゃない。一般論としてだな」

『うれしいな。ぼく、柚香ちゃんが大好き』


 告げられた言葉に黙る。


『柚香ちゃんが好き。大好き。ぼくの一番は柚香ちゃんだよ。可愛くて綺麗で、優しくて強い。ぼくの一番大切な人』

「和樹」

『いつまで銀狼を続けるの?』


 言われた言葉に、銀狼は黙った。


『柚香ちゃんの情報は、ぼくがガードしてるけど。探ったり、色々してくる人、だんだん増えてきてるよ。それに柚香ちゃん、十六歳でしょ。そろそろ違和感出てくる頃じゃない?』

「やめない。まだ、何もつかんでいないんだ。やめられるわけがない」


 静かに言う青年に、少年は相手を見つめた。


霧人きりひとがうらやましい』

「和樹?」

『柚香ちゃんの中では今も、彼が一番』

「おまえも、私には大事な幼なじみだよ」

『ぼくには、世界で一番大切な女の子』


 くす、と笑うと少年はふわり、と宙に浮き上がった。


『検査は受けてね。心配だから』

「ああ」

『すぐ落ちる?』

「今日は、他にそれらしい情報もなかった。……落ちる」

『わかった。それじゃね。大好きだよ、柚香ちゃん』


 少年の姿が消える。同時に銀狼の姿も、路地裏から消えた。


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