017 どっちも苦手だよ
平手打ちをされた璃音は、暫く呆然と麗を見たけれどすぐに敵意の宿る目を向ける。
「いや、友達とか知らないし。ウチは彼女だし」
「彼女とか関係無い。私は柊の友達だから。友達が困ってたら助ける」
「いや出しゃばんなよ、本当にウザい。別に柊ちゃん困って無いし。ね、柊ちゃん?」
「いいよ、柊。答えなくていい」
「だからさ、ウチの彼氏を気安く名前で呼ばないでよ。ていうか、いつまで柊ちゃん抱きしめてんの? キモイ、触んないでよ」
柊に手を伸ばす璃音。しかし、麗は柊を抱きしめたまま伸ばされた手の分だけ下がる。
「ダメ、渡さない。柊の顔の怪我の理由は分からないけど、あんなことを言う久々利さんに柊は渡せない。柊と付き合ってるって言うなら別れて」
「そんな事外野に言われる筋合い無いし。ウチらの関係に口挟まないでよ。柊ちゃん、さっきから黙ってないでよ。それに、いつまでそんな奴に抱きしめられてるつもり? こっち来てよ、早く」
「行かなくて良いよ、柊」
今まで、二人の流れを見守っていた。いや、見ているしか出来なかった。
感情がごちゃ混ぜになっている。
助けて欲しいけど頼ってはいけない。頼りたいけれど迷惑はかけたくない。迷惑をかけたくないのに助けて欲しい。
でも写真の事をばらされたら困る。柊も困れば、柊の家に来ていた麗も困るだろう。
解決は簡単だ。自分が我慢をすれば良い。そうすればこんな思いも無くなる。
柊はゆっくり麗の腕から抜け出そうとする。しかし、麗はそんな柊を強く抱きしめる。
「離せよ……」
「ダメ。絶対に行かせない」
「離せって……」
「ダメって言ってる」
「お前には関係無いだろ……」
「関係あるよ。言ったでしょ、友達だって」
「友達じゃ無いだろ……」
「友達だよ、私達」
璃音は苛立った様子で二人を見る。
そして、大きく溜息を吐くとスマホを取り出す。
「面倒臭いからもういいや。王子さ、もうこう言う事止めてくれる?」
言いながら、璃音は写真を見せる。麗が柊の家にお邪魔した時の写真。柊も麗もばっちり写っている。
「正直めーわく。人の彼氏と部屋にこもんないで。じゃないとこれ、皆に流すよ?」
「――っ。止めろ! 早く話せ佐倉!」
「なーんでそんな時だけレスポンス良いの? 柊ちゃん、ウチじゃ無くて王子が好きなの? はー、ムカつく。じゃあ、柊ちゃんの恥ずかしい写真も見せちゃおうか」
「なっ、止めっ――!」
慌てて止めようとしたけれど、柊よりも璃音の方が早かった。
直ぐに画像を写し、麗に見せる。
喫茶店で働く、女装をしている柊の姿。
「これ、柊ちゃん。柊ちゃん、女装するのが好きなんだよ? それと、ほら、この間のデートの時の写真もある」
いつの間に撮っていたのか、璃音と映画に行った時の写真も見せる。
「…………」
そんな柊の写真に麗は何も言わない。
「それが何? 言っておくけど、久々利さんよりも先に私は柊の女装見てるよ?」
「は?」
「…………あ」
思い返してみれば、確かにそうだ。
麗にメイクを教えるために作った資料で自分の女装写真が載っている。資料用とは言え、あれも立派に女装だろう。顔だけだけれども。
「ていうか、別にばらされても良いから。私と柊はやましい事なんてしてないし、ただ勉強教えてただけだから」
柊の家に行った事なんて、なんの効力も無いと麗は言い切る。
凛とした麗の態度に、璃音は余裕の態度を崩す。
「じゃ、じゃあこれは! 柊ちゃんの女装写真! 柊ちゃんこれ流されたら困るでしょ?」
「どうでもいい。誰が柊から離れても、私だけは離れない。それに、そんな程度で離れるようなら、元々そんな人達は友達なんかじゃない」
「うっ、うぅ……っ!!」
璃音的にはこの写真は切り札だったのだろう。
元々、柊と璃音は脅しだけの関係だ。それが効かないとなれば、その関係は瞬く間に破綻する。
その程度の関係だったのだ。
「ていうか、逆に私がこの事実を皆に流したらどうなると思うか分かってる?」
「――っ……」
麗の冷ややかな声音で発せられた言葉に、璃音は言葉を詰まらせる。
「私、男女だけど、人望はあるんだよね。私の言う事と、久々利さんの言う事、皆どっちを信じると思う?」
「そんなの……っ、咲綾と朱里はウチの事信じてくれるし……!」
「うん、そうだね。でも、私の言う事を信じてくれる人の方が多いんじゃないかな? 何人か私から離れると思うけど、それでも悪者になるのはどっちだか……分かるよね?」
麗の言葉に、璃音は何も言い返せない。
それが、柊には嫌だった。
「もう良いだろ…………」
「柊?」
「止めてくれ……お前だけは、そんな事しないでくれ……!」
麗の腕から、ゆっくり離れる柊。今度は、麗も押さえつける様な事はしない。
麗から離れた柊は、ゆっくりと頭を下げる。
「ごめん」
「え、え? なんで?」
突然謝罪をする柊に、麗は困惑する。
助けてほしかった。辛い事から、護って欲しかった。
麗は、柊の思い描いた通りに助けてくれた。でも、そこから先は絶対に違う。
そこから先はただの攻撃だ。璃音を追い詰めるだけの行動だ。そんな事を、あいつらと同じ事を、麗にはしてほしく無かった。
でも、それをさせたのは自分だ。
自分がしたくない事、してほしくない事をさせてしまった。だから、柊は頭を下げる。
「お前に、そんな事を言わせたくは無かった。そんな誰かを脅すような事……言わせたのは、俺だから……だから、ごめん」
「柊……」
「あと、ありがとう。俺から離れないって言ってくれたのは、嬉しかった」
お礼を言ってから、柊は頭を上げる。
「久々利、前に言ったよな。一人で居るのは好きそうだけど、周りから嫌われるのは苦手そうって」
柊の言葉に、璃音は答えない。泣きそうな顔で柊を見ているだけだ。
「どっちも苦手だよ、俺」
言って、柊は寂し気に微笑む。
「一人で居るのは、それが俺にとって都合が良いからなんだ。一人で居れば、誰も傷つけないし、誰も傷つかないから」
でも、本心を言えば、ずっと寂しいと思っていた。
元々の柊は友達が多かった。休日も遊ぶような友達もいれば、学校でふざけるだけの友達もいた。
それが、柊の日常だった。
そんな柊の日常を呆気なく壊す事件が起きた。
それを今は語れない。語れる程の過去にはなっていないし、語れる程に柊は強くなっていない。まだ、言葉に出すのも辛い。
誰とも目を合わせない。誰とも絡まない。誰とも喋らない。
たった一ヶ月と少しなのに、酷く長い、寂しい日々だと思った。
本音を言えば、麗や咲綾、朱里に璃音が声をかけてきてくれた時は、戸惑いもあったけど嬉しかった。今日だって、久し振りに同年代の男子とまともに話せた。それも、柊の大好きなゲームの事で。
楽しかった。
続けちゃいけないと分かっていても、続いて欲しいと思ってしまった。
色々理由を付けた。璃音の暴力が振るわれる事に正当性を求めた。
自分のせいにすれば、自分が悪ければ、仕方ないと思えたから。
柊には、もう立ち向かう勇気なんて端から無かった。
卑怯だと、無様だと、自分でも思う。誰かが居なけきゃ、誰かの言葉が無ければ安心できなくて、その誰かの言葉に確証なんて無いのに、また信じたいと思ってしまう。
「ごめん、俺は殴られるのも勝手にピアスを開けられるのも嫌だ。それと、もう、一人で居るのは疲れたんだ……」
「ぅぅっ……! ダメだよ、柊ちゃん……っ! 柊ちゃんはウチの……! それなら、それならウチでも良いじゃん……!!」
「俺はお前が怖いよ。だから、お前と一緒に居たくない」
「ウチは一緒に居たいよ!! もう何もしないから!! ピアスだって勝手に開けないし、写真だって消すから!!」
泣きながら、璃音は言う。
その目には柊への執着が見える。
璃音の事は分からない。自分の傷付いた顔が好きだと言った璃音を、きっと柊は分かる事が出来ない。
さっきの言葉通り、柊は璃音が怖い。
何を考えているのか分からないし、暴力を振るうし、脅してくる。
でも、完全に自分から排斥しようとは思わない。
苦手意識は付いた。それは認める。
耳だってまだ痛いし、顔も痣になってる。
だけど、それで自分から遠ざけようとしたのなら、それはやっぱり柊の嫌いな奴らと同じ事をする事になる。
そうはなりたくない。
「……じゃあ、クラスメイトからやり直さないか?」
「へ? 良いの、柊?」
驚きの声を上げたのは、璃音ではなく麗だった。
璃音は、声も無くぽかんと口を開けている。
「相手が可愛い女の子だからって舐めた事言ってない? 大丈夫?」
「お前は俺をなんだと思ってんだ……。違うから。俺は、殴られるのは嫌だし、女装を強要されるのも嫌だけど……」
麗から視線を外し、柊はしっかりと璃音の目を見る。
「それ以上に、誰かを強く否定したくない。そんな奴に、俺はなりたくない」
「柊……」
「でも怖いのは怖いからな! だからクラスメイトから! それと、二人とも下の名前呼び禁止!!」
「え、なんで?」
「俺の心労も考えてくれって事だよ。正直、他人の視線とかまだ怖いし……」
ネガティブなその言葉に嘘は無いのだろう。
それが、少しだけ嬉しかったのは、柊には申し訳ないと思う。
柊の本音がまた一つ聞けたというのは、麗にとっては嬉しい事なのだから。
ふぅと一つ張り詰めていた息を吐く。
「分かった。若麻績の意思を尊重するよ」
「そうしてくれ」
「久々利さんもそれで良いよね?」
「ぁ、う、ウチは……」
未練の残る璃音の目。
そんな目で見られても、今回ばかりは折れてやってはいけないだろう。
「頷かないなら、俺はもうお前と関わらない。話さないし、挨拶だってしないからな」
「そ、れは……」
迷うように視線を泳がせる。
が、やがてどうにもならないと覚ったのだろう。
璃音は視線を落として力無く一つ頷く。
「…………分かった」
璃音が頷いて、柊は安堵の息をこぼす。
「じゃあ、これで――」
「終わり、じゃないよ? 久々利さん。若麻績が嫌がる事をしたのは事実なんだから、一回ちゃんと謝ろう?」
麗の言葉に、璃音は俯きながら視線を柊に向ける。
「ご、めんなさい……殴ったり、嫌な事して……」
「うん」
「それと、王子も、ごめんなさい……酷い事言って……」
「良いよ、気にしてない」
言って、ちらりと柊を見る。
「私の事、ちゃんと綺麗な女の子だって分かってくれてる人がいるから」
麗の言葉に、柊は特に反応しない。
今の麗を見れば誰だって普通に可愛い女子だと思うだろうから。
その言葉の意味を分かっているのは、麗だけだ。でも、それだけで十分だ。




