015 未練
かつて、授業中にこれほど心が落ち着いた時があっただろうか。
そう思えるくらい、誰も柊に意識を向けない時間が心地良かった。
授業中は流石に皆も集中するのか、しっかりとノートを取っている。
とはいえ、ちゃんと授業を受けている者もいれば、隠れてスマホをいじっている者も居る。
柊は前者であり、真面目にノートを取っている。
何かに集中していられる時間があるのは、とてもありがたい事だった。
しかして、そんなありがたい時間も直ぐに終わってしまう。
いつもはゆっくりに感じられた授業の時間も、今日は疾風のように過ぎ去っていった。
授業が終わりお昼休み。きっといつも通り璃音達はやってくるだろう。
それが嫌で、柊は直ぐに教室を後にしようとした。
「おーい、若麻績ー! 一緒に飯食おうぜー!」
しかして、それはまたしてもイケメンに阻止された。
「ていうか、ゲームの事教えてくれって言ったろ? どこ行こうとしてんだよ」
不満げにぶーぶー言いながら、イケメンは柊の手を引いて自分のグループへと連れていく。
「っし、ゲームゲーム! なぁ、武器は手に入ったけどよ、鎧ってどこで手に入れんだ?」
「いや、その前に飯食え、飯! お前それでいっつも飯慌てて食ってんだろうが!」
すぐさまゲームをしようとするイケメンを、また別のイケメンが止める。
「えー?」
「えー、じゃねぇ! 食ってからゲームしろ!」
言って、イケメンからゲーム機を奪うイケメン。
「あっ、こら返せ!」
「食ったら返してやる。若麻績も、ゲームすんなら飯食ってからにしろ。良いな?」
「あ、うん……」
柊は小さく頷いて、ご飯を食べ始める。
柊のお昼は来る時にコンビニで買った総菜パンだ。お弁当は作ってくれているのだろうけれど、顔を合わせづらくてコンビニで買ってきてしまっている。
しかし、何故自分がこんなところにいるのか分からない。
彼等のグループは俗にいうカースト上位のグループだ。
名前は知らないけれど、柊が混じってご飯を食べているこの三人は林間学校の班員であり、いつも一緒に居る仲良しグループ。
三人ともイケメンなので、カースト上位の女子グループと良く一緒に居るのを見かける。因みに、麗も彼等と会話をしたりするけれど、男子と仲良くなりたいからというわけではなく、他の女子がそうしているから流れで一緒に居るだけである。
ともあれ、柊が関わるべきではない人物達である事は確かだ。
何故こんな事にと、心中で動揺する。
「よし食った! おい藤馬! ゲーム返せ!」
「馬鹿野郎。米一粒残すな」
「みみっちい!」
「みみっちくねぇ。米一粒残さず食うのが当たり前なんだよ」
「くっそー!」
文句を言いながらも、弁当箱に残った米粒を必死に箸でつまんで食べる。
「どうだ!」
言って、空になったお弁当箱を見せる。
「良いだろう」
鷹揚に頷き、ゲーム機を返す。
「おっしゃ! なあ若麻績、剣はどこだ? 俺は鹿頭のデーモンを何としても倒したいんだ!」
「待て都賀。若麻績はまだ食べてるだろ」
「横から見るくらいなら良いだろー! ほら若麻績。ナビゲート頼むぞ!」
「え、あ……」
ぎろりと鋭い視線が柊を貫く。
「こら藤馬。睨むな。ごめんな、若麻績。藤馬は糞真面目なんだ。話半分で聞いてて良いからな」
今まで一言も発さなかったイケメンが、柊をフォローするように言う。
「俺は行儀が悪いのが嫌なだけだ。間違えた事は言ってない」
「学校なんだから必要最低限で良いだろ? 若麻績、気にしなくて良いからな」
「ほら若麻績! ナビしてくれ! 俺が亡者に殺される前に――ってぁあ!? バクスタは卑怯だろ!?」
よそ見をしていたのがいけなかったのか、背面強襲を食らってしまい、一撃でHPが削られゲームオーバーになってしまったようだ。
「ま、藤馬は気にするな。こういうやつなんだ」
言って、スマホをいじりながらご飯を食べる。
「若麻績! ヘルプ! なんか変な奴に襲われてる!」
「あ、ああ、うん……」
ぎろりと睨む眼光は変わらないけれど、これ以上柊達に苦言を呈するつもりは無いようで、ふんっと鼻を鳴らしてから静かに箸を進める。
柊はびくびくと怯えながらも、ゲームの事を教える。
「この森の奥の方に鎧があって……その鎧が重いけど堅いから、攻撃を受けても仰け反ったりしなくなる」
「ほうほう……」
「ここ、この裏の宝箱」
「ほう。お、確かに防御力高ぇ。強靭もしっかりあるし、これなら仰け反りはなさそうだな!」
「そうだね。これなら、攻撃受けながら回復がぶ飲みできるよ。…………どうかした?」
じっと、無口なイケメンが柊の事を見ているのに気付いて視線をそちらに向ける。
「いや、若麻績ってけっこう喋るんだなって」
「あ、そう……」
確かに、アドバイスを求められているからとはいえ、自分でも思った以上に多弁になっている気もする。
いつもは、ああ、とか、そうだな、とかだけで済ませている気がする。
おそらくは、何か別の事をしていたいから勝手に口が回っているのだろう。何かに集中できていれば、別の事は考えなくても済むから。
「ん……へぇ、意外だな」
「え、何が?」
「若麻績って、ピアス付けるんだ?」
「――っ」
言われ、慌てて左耳を手で隠す。今更そんな事をしても意味が無いというのに。
「あ、悪い。触れちゃいけなかったか?」
「べ、別に……」
ちらりと柊の視線は璃音に向けられる。
けれど、それも一瞬。
柊は隠していた耳から手を離し、平静を装う。
「ふーん……そうだ。これやるよ」
自分のポケットから小さなプラスチックのケースを取り出し、ぱかっと開けて中から何やら取り出す。
それは、ポストからチェーンが伸び、チェーンの先にステンレスの細長い長方形で出来た十字架の付いたピアスだった。
「間違えて同じの買っちゃったからさ。二個あって仕方ないし」
「え、あ……」
「ほら」
乱暴、では無いけれど、多少強引に柊の手に乗せる。
「あ、りがとう……」
柊はとりあえずピアスをポケットにしまう。
「ピアス、開けてまだ一ヶ月経ってないのか?」
「あ、うん……この間、開けたばかりだから……」
「ふんっ、ピアスなど高校生の内から開けおってからに」
「いや、藤馬は何目線だ? 良いだろ、ピアス。そんな事言ってる奴、時代錯誤もいいとこだぞ?」
「人体に穴を開ける奴の気が知れない」
「ま、そこは好き好きって奴だろ。だからこそ、ちょっと意外だった訳だけど」
柊は好きで開けた訳ではない。強制的に開けさせられたのだ。
「おー! 買った! 鹿頭に勝ったぞ若麻績!」
三人が話していると、うぉーっと鬨の声が上がる。
「良かったね」
「おう! このステージだけやけに難しかったんだぁ……。もうこいつの顔を見なくて済むと思うと……」
「マルチエンディングだから二周目三周目するなら見るし、何なら雑魚モブ扱いで出て来るよ?」
「は!? ま!?」
「うん。でも、今より戦いやすいステージだから、多分今より簡単になると思うよ」
「な、なんだよ、脅かすなよぉ」
「五体ぐらい連続で出てくるけど」
「それやっちゃダメなやつだろ!? ボス雑魚モブ扱いで出すんじゃないよ!」
くそーっと言いつつ、楽しそうにゲームを進める。
「そうだ。MINEの友達追加して良いか? 林間学校も近いし、なんか連絡手段あった方が便利だろ?」
「え、あ、うん……」
柊がQRコードを画面上に出せば、さっさか読み取って友達追加をする。
「じゃあ、俺も」
「あ、俺も!」
残りの二人とも連絡用SNSで友達として追加をする。
これで三人の名前が分かると思ったけれど、三人とも下の名前だけで登録しているのでフルネームまでは分からない。しかも、カタカナやひらがなを使っているので、漢字すら分からないという始末。
結局、三人のフルネームは分からなかったけれど、顔と名前は一致した。
柊をサッカーに誘ったのが、風太。
几帳面なのが、藤馬。
素っ気ないのが、宗次郎。
風太だけは苗字が都賀である事を辛うじて思い出せた。何せ、昨日自分で都賀班と言っていたからだ。
まぁ、だからといって特に進展がある訳でも無い。名前と顔が一致したとしても、きっと今回限りだ。今日が終われば明日は誘われず、林間学校が終われば存在すら希薄になるだろう。
憶えていたって仕方の無い事なのだ。
授業が全て終わり、放課後。
柊はそそくさと帰りの準備を済ませて教室を後にする。
まとわりつくような視線はやっぱりあったけれど、教室から出てしまえばそんな視線も気にならなくなる。
イヤホンを耳にはめ、すたすたと早足で歩く。
と、暫く歩いていると不意に手を掴まれる。
驚きながら振り返れば、そこにはにこっと笑みを浮かべる璃音の姿が。
柊は嫌々ながらイヤホンを取る。
「何……?」
「一緒に帰ろうと思って」
「俺は嫌なんだけど……」
「嫌じゃ無いでしょ? 柊ちゃんは、嫌って言っちゃいけないんだよ?」
するっと柊の手を取る璃音。
「ウチの言う事には、全部頷くの。嫌とか、そんなの聞きたくない」
がりっと音を立てて璃音の爪が柊の手の甲を引っ掻くようにして食い込む。
「っ……」
「返事は?」
「……分かった」
「うん、良い子」
恋人繋ぎを継続して、二人は帰路につく。
「あ、そうだ。はい」
「……何?」
空いた手を差し出す璃音。しかし、そこには何も乗っていない。
意図が分からず聞き返せば、璃音は温度の無い目で柊を見る。
「倶次君からピアス貰ってたでしょ? あれ、渡して」
「なんで……?」
倶次とは恐らく宗次郎の事だろう。何せ、ピアスは宗次郎からしか貰っていない。
「なんで、じゃないよね? さっき言ったよね? ウチの言う事には全部頷いてって」
「渡してどうするんだよ……」
「捨てるんだよ。ウチ以外が渡したピアスなんて付けないでよ」
「別に良いだろ。クラスメイトの、それも男から貰っただけなんだから」
「……」
突然、手を引っ張られてバランスを崩す。
そして、バランスを崩したまま、今度は突き飛ばされる。
がんっと頭をブロック塀に打ち付け、痛みに顔を顰める。
「渡せって言ってるの、分からない? 渡してよ」
身体をブロック塀に押し付けられる。
「もっと痛くした方が良い? じゃあ、ウチの家行こっか」
「――っ!!」
思い起こされるのは先日の記憶。
手錠を嵌められ、執拗に殴られたあの日の事。
正直に言って、璃音が怖い。けれど、宗次郎から貰ったピアスを渡したいとも思わなかった。
昨日今日まともに話した相手。ようやく名前を知った相手。ただ林間学校の班が一緒になった相手。
ただ、それだけ。それだけの事なのに、その程度の間柄なのに、ただSNSで友達追加しただけなのに。
もうすでに、貰ったものに愛着を感じてしまっている。
そこで、ようやく気付く。嫌な程に、人間は変わらない。そんな簡単に、変えられない。
あれこれ言って、人を遠ざけようとして、一人になろうとしているのに…………やっぱり、一人は寂しいのだ。誰かに優しくしてもらえただけで嬉しくて、誰かと一緒にゲームをするだけで楽しくて。裏切られる事の恐怖と同じくらいに、仲良くできる未来を期待してしまっているのだ。
だから、渡したくない。ピアス、柊の未練だ。
何もせず、何も言わず、柊は璃音に手を引かれる。
この後の事は分かる。また璃音の快楽を満たすだけの暴力が振るわれる。
怖い。でも、それでも、捨てたく無い物は自分の中にちゃんとある。それはきっと、自分が無くしちゃいけないモノなのだ。
どんなに一人を望んだとしても、どんな過去があったとしても、それを捨ててしまえば、きっと若麻績柊ではいられなくなってしまうから。
だから、殴られるのは我慢して――
「待って」
――璃音に握られている方の反対の手を、誰かに捕まれる。
慌てて、手を握った誰かを見る。
「若麻績を、どこに連れていくつもり?」
そこには、本気の怒りを露わにした麗が立っていた。
本当はいけない事なのに、柊はその顔を見て少しだけほっとしてしまった。




