013 警告
「えー、お昼はカレーが定番じゃない? 林間学校って言ったらカレーだと思うなー」
「バーベキューの方が良くないかな? お米だって飯盒で炊く事になるだろう? 飯盒を使った事がある人も居ないし、炭に火をつけるだけのバーベキューの方が良いと思うんだ」
「むー、確かに。ねぇ、柊ちゃんはどう思う?」
璃音がその呼び方を口にするたびに、ぴくりとそれを聞いた周囲の者が反応を示す。
本当に勘弁してくれと思いながら、柊はふいっとそっぽを向いて答える。
「何でもいい……」
「えー? なんでも良いが一番困るよー。ねぇ」
「え、ああ、うん……」
水を向けられた咲綾は戸惑いながらも頷いて返す。
柊ちゃん。明らかに、仲の良い者への呼び方である事は間違い無い。
ただ仲良くなったのか、それともそういう関係になったのか。気になっても、今直ぐに聞けるような内容でも無い。
咲綾と朱里は後で璃音に聞こうと思い、麗は柊に問い質そうと決める。
「男子はどう? バーベキューとカレー」
「あ、あー……俺はバーベキューのが良いかな? カレーすら、まともに作った事ないし……」
「確かに。飯盒で米炊けって言われてもなぁ……」
「カレーもガスコンロとかで作るんじゃないんだろ? 無難にバーベキューで良くね?」
男子達は料理が出来ないようで、火を起こすだけのバーベキューの方が良いらしい。
「えー、せっかくウチの腕前披露できると思ったのにー」
残念そうに文句を漏らす璃音。
「じゃあ、咲綾と朱里は? カレーとバーベキューどっちが良い?」
「アタシもバーベキューかなー。アタシ、料理下手だし……」
てへへと照れたように言う咲綾。
「私も。こーいうのって、変に凝っても時間無駄にするだけになりそうだしね。無難にバーベキューの方が楽しめるんじゃない?」
朱里は現実味のある回答をする。その顔には実感がこもっていたので、何か失敗した思い出もあるのかもしれない。
「じゃあ、バーベキューで決まりだね」
「ぶー、皆チャレンジャーじゃないなー」
不服そうに言葉を漏らす璃音。
しかして、確かに失敗しない方を選んだ方が楽しめるだろう。いくら料理が上手だと言え、璃音だって飯盒でご飯を炊いた事も無ければ、火力の調整できない状態でカレーを作った事も無い。
料理に自信があるだけに、失敗した時のダメージは大きいだろう。
それに、皆が楽しめる方が良いだろう。集団行動は、自分だけが楽しくても意味が無いのだから。
不服ながらも、璃音はこれ以上異を唱える事をしなかった。
「ま、いっか。大事な人に振舞えれば良いし」
ぽそり。聞こえるか聞こえないかの声音で呟く。
それが聞こえたのは、対面に座っている柊と、璃音の隣に座る麗だけだった。
麗の視線が柊を捉える。
柊は一瞬だけ麗の方を見て、直ぐにそっぽを向く。
いわくありげな行動に、麗は少しだけ苛立ちを覚える。
その後、特に話し合う事も無いので適当にお喋りをしていた。
林間学校中のレクリエーションは学校側が決めてあるので、柊達が話し合う必要があったのはお昼ご飯を何にするかだけだった。
二泊三日の内、初日だけは自分達で作らなければならないらしく、そのメニューを決めていたのだ。
しかし、それさえ決まってしまえば後はお喋りの時間。
他の班も既にお喋りを始めており、どこもお昼のメニューを決めているところは無かった。
柊は窓際なのを良い事に、誰と会話もせずに窓の外に視線を向ける。
そうしていると、こつんと足を蹴られる。
見やれば、璃音がにまぁっと笑みを浮かべている。
「柊ちゃんは肝試し楽しみ?」
ただの世間話。けれど、璃音との会話にはどんな爆弾があるか分からない。
本当は答えたく無いけれど、答えないと後が怖い。不服でも、上辺だけ取り繕った方が身のためだろう。
「……別に」
「じゃあ登山は? って、柊ちゃんは運動嫌いそうだから、聞くまでも無いかー」
「……そうだな」
「……」
笑顔なのに、すっと璃音の目が冷たくなる。
「柊ちゃん、ウチに来た時よりも静かだね」
にこっと笑顔でそう言った瞬間、その言葉が聞こえていた者だけが会話を止める。
直後、冷たい視線を感じる。
冷や汗を流しながら視線の方を見やれば、麗が何故だか冷ややかな目で柊を見ていた。
「え、え? 若麻績、お前久々利ん家行ったのか?」
柊を班に誘ったイケメンが、恐る恐る尋ねる。
その問いに、柊ではなく璃音が答える。
「来たよー。手料理もご馳走したし」
にこにこ。嬉しそうに、楽しそうに、璃音は言う。
「え、マジー? 若ちゃんラッキーじゃーん! 璃音、料理上手なんだけど、あんまり作ってくれないんだよねー」
「ふふっ、今度咲綾にもなんか作ってあげるよ」
「え、ほんと?! アタシケーキが良いー!」
「料理じゃないのね……」
「お菓子も料理の内だよー!」
楽しみだなーと嬉しそうな顔をする咲綾。
上手い具合に、とはいかないけれど話は逸れた。
その事に、ほっと胸を撫でおろす。
「ふふふっ」
安堵してる柊を見て、璃音は楽しそうに笑う。
話が中断されたからか、璃音のその態度の意味を聞く者はいないし、どんな経緯で璃音の家に柊が行ったのかを聞く者も居ない。
「……そう言えば、若麻績」
不本意ながらもこの話は終わり。そんな空気が流れる中、麗が静かな声で柊を呼ぶ。
恐る恐る見やれば、麗は優し気な笑みを浮かべている。
先程の冷たい目とは打って変わって、麗の表情は優しい。
特に変な話題に触れそうにない麗に安堵しかけたその時、麗は特大の爆弾を落とした。
「父さんが若麻績にちゃんと挨拶をしたいって言ってたから、今度また家に来てね」
時間が止まる、とはこういう事を言うのだろう。
誰も彼も、麗の言葉を聞いた途端に言葉を止め、動作を止めた。
数秒してから、全員の視線が柊に集まる。
好奇、嫉妬、感心、様々な視線が柊を貫く。
麗はにこやかに柊を見ている。でもその目は笑っていない。
璃音は無表情で柊を見ている。その目は柊を責めているように思える。
咲綾は興味津々そうな目を、朱里は訝し気な目を向ける。
それが、心地悪くて、気持ち悪くて……。
さぁっと柊の顔から色が抜ける。
「……?」
柊の顔を見た咲綾が小首を傾げる。
咲綾は席を立って柊の近くまで行く。
「咲綾?」
朱里が訝し気に呼ぶも、咲綾はじっと柊の顔を見ている。
「あー、やっぱり」
柊の顔を見て、咲綾は柊の顔に手を伸ばす。
「若ちゃん、化――」
「――ッ!!」
伸ばされた手を、柊は大袈裟なくらいに仰け反って躱す。
血の気が引いていたから、それとも急に動いたからか。
くらっと視界が揺れる。バランスを崩し、椅子から転げ落ちる。
「若麻績!」
そこからの記憶は柊には無い。ただ、願わくば今日の事が夢であって欲しいと思った。それらい、全員の視線が集まったあの瞬間が、とてつもなく怖かった。
〇 〇 〇
例によって柊をお姫様抱っこで保健室へと運んだ麗は、後の事を養護教諭に任せて保健室を後にする。
幸い、倒れる寸前に隣に座っていたイケメン男子が柊を抱き抱えてくれたため頭を打つなどの事は無かった。
養護教諭は軽い貧血だと言っていたけれど、思えばその前から少し様子がおかしいように思えた。
前髪の間から見える目は、何かに怯えているような、そんな色をしていた。
それに、気になったのは柊の顔だ。
青を通り越して真っ白になっていたから分かる。柊は化粧をしていた。しかも、全体ではなく頬や口の端など、数ヵ所程にわたってだ。
オシャレのためにメイクをした訳では無いだろう。
何のためにメイクをしたのか知りたくて、柊のメイクを拭おうとして思いとどまった。
きっと、隠すという事は柊にとっては触れられたくないところなのだ。
先程も、むきになって家に来た事を話してしまった。そこから、柊の様子がおかしくなった。
自分の知らないところで璃音の家に行っていた事が嫌で、むきになって張り合ってしまった。
璃音に嫉妬して、自分に話してくれなかった柊に怒った。そんな子供っぽい理由。
そんな理由で柊を追い込んでしまった。
柊は目立つ事を極度に嫌がっていた。何度も、何度も、麗に嫌だと言っていた。
それなのに、自分は……。
「……馬鹿だな、私は……」
助けてもらったくせに、むきになって恩を仇で返した。きっと、柊は怒ってる事だろう。怒らない訳がない。
もう、話すらしてくれないかもしれない。そう思うと、胸がきゅうっと締め付けられるように痛かった。
後でちゃんと謝ろう。許してくれないかもしれないけれど、ちゃんと頭を下げよう。
「柊ちゃん、どうだった?」
「――っ」
突然声を掛けられ、俯きがちだった顔を上げる。
廊下の真ん中。無表情の璃音が立つ。
「……軽い貧血だって」
「そっか、良かった」
良かったとは言うけれど、その声音に温かさは無い。
「教室、戻ろうか。勝手に抜けて来ちゃっ――」
「この際だからはっきり言うね、王子」
麗の言葉を遮り、璃音は敵意をありありと見せつけるように視線に力を入れる。
「ウチ、柊ちゃんと付き合ってるから」
「――っ!!」
璃音の言葉に、驚き、息が詰まる。
想像してなかった訳じゃない。けれど、柊に限ってまさかとそんな事は無いと勝手に思っていた。
「柊ちゃんが家に来たのもデートの後だし、その後二人だけで楽しんだから。勿論、ウチの部屋で」
さぁっと、今度は麗の顔から血の気が引いていく。
「変なマウント取ろうとするの止めてくれる? 正直、迷惑なんだよね」
足音荒く璃音は麗に近寄る。
「男女が今更色気づいたって、柊ちゃんが振り向いてくれる訳無いじゃん。柊ちゃん、女の子らしい女の子が好きって言ってたし」
「そ、んなこと……」
「それと、もう二度と柊ちゃん家に行かないで。柊ちゃんもウチも迷惑してるんだから」
「……っ」
柊の家に行く事は、学校では柊と麗しか知らない事。それを、何故璃音が知っているのか分からず、頭が混乱する。
もしかしたら、柊が麗を嫌がって璃音に愚痴を言った可能性もある。
そう思うと、脚に力が入らなくなる。
「金輪際関わらないで。凄い迷惑」
それだけ言うと、璃音はもう用は無いとばかりに踵を返す。
璃音の姿が見えなくなると、麗はその場に座り込んでしまう。
「私……私……っ」
泣きそうになるのを堪えながら、麗はトイレに逃げ込んだ。
こんな姿が見つかっても、柊に迷惑が掛かってしまうと思ったから。
今はただ、もうこれ以上柊に迷惑をかけたくは無かった。




