011 デート 3
柊の想像よりも、璃音の手料理は普通だった。
パスタにサラダにスープ。どれを食べても身体に異常は無く、滅茶苦茶タバスコとかをかけられている訳でも無かった。それどころか、璃音の手料理はどれも絶品で、思わず美味いと言葉をこぼしてしまう程には美味しかった。
璃音の手料理を食べた後、ふかふかのソファに身体を鎮める。
お腹が一杯になったからか、少し目蓋が重い。
少しお腹を休めてから帰宅になるだろう。それで、デートは終わりだ。
思っていた以上に呆気なく、警戒していたよりも何も無かった。
未だに女装はしているものの、帰る頃には着替えを返してくれるだろう。
「どお? 美味しかった?」
「ああ、うん。美味かった」
「でしょ? ウチの母親が料理研究家なんだ」
「へぇ」
料理研究家の娘だから料理が上手い訳では無いだろうけれど、璃音の料理は柊にとってはとても美味しかった。機会があれば、また食べたいとは思うくらいに。
けれど、だからと言って機会を作りたいかと言われれば話は別だ。
柊の中で璃音は危険人物扱い。積極的に会いたくはない相手だ。
璃音は柊の隣に座ると、テレビをつける。
テレビを見ながら璃音は適当に話題を振ってくる。その話題に、柊は適当に返す。
落ち着かない。けれど、穏やかな時間。
これだけだったら、良かったかもしれない。むしろ、中学まではこう言った関係を望んでいた節もある。
普通に付き合って、デートして、どっちかの家で適当に駄弁って。そんな、健全なお付き合いというやつに憧れていた。
あの頃の自分なら、きっと喜んだことだろう。
今の自分には、この状況は喜べない。
脅されている事もそうだし、璃音がすぐ暴力を振るってくる事もそうだけれど、こんな普通を享受して良い訳が無いのだ。
自分は、誰にも相手にされず、誰も相手にせず、独りで高校生活を終えなければいけない。彼女の無くした青春時代を自分が手に入れるなんて、そんなおこがましい事が出来るはずが無いのだから。
「しゅーうちゃーん♡」
懐かしい呼ばれ方。
その直後、頬に衝撃が走る。
「――っ!?」
唐突な痛みに意識が覚醒する。
慌てて目を見開けば、目に映るのは知らない天井。そして、自身を覗き込む璃音。
「あ、起きた?」
「お前……! 今ビンタしただろ!」
「うん」
柊の質問に、璃音はにっこりと笑顔で答える。
どうやら柊は寝てしまっていたらしく、璃音は丁度良いとビンタで柊を起こしたらしい。
「寝てた俺も悪いけど、不意打ちは止めてくれよ……」
言って、起き上がろうと手を着こうとして違和感を覚える。
じゃらっと音が鳴り、手が自由に動かせない。
「……は?」
慌てて自身の手を見れば、刑事ドラマで良く見る物で両手が拘束されていた。
「……なんで俺の手に手錠が……?」
「私が付けたんだよー」
呆気にとられた柊の言葉に、璃音がにこにこと笑顔で答える。
「いやそれは分かってるよ! なんで付けたんだって聞いてんだよ!」
「だって、抵抗されても面倒臭いから」
起き上がりかけた柊の身体を、璃音は乱暴に押し倒す。
背中に受ける柔らかさで、ベッドに寝かされていた事を知る。
「誰も、誰も分かってない」
「……何が?」
「柊ちゃんが、私の物だって事を」
言って、拳を勢いよく振り下ろす。
「ぐっ!? った、お前、何す、だっ!?」
何度も、何度も、何度も、何度も、璃音は柊の顔や肩、胸に拳を振り下ろす。
「王子様も、あの女も、朱里達も、柊ちゃんも、皆分かってない」
不自由な手で柊は拳を防ぐも、その上から璃音は執拗に柊を殴りつける。
「柊ちゃんは私の物。ちゃんとマークまで付けたのに、それを隠しちゃうんだもん」
柊の手に付けた自身の爪痕は、璃音なりのマーキング。しかし、そんなものを誰が分かろうか。
「ねぇ、手、どけて?」
「や、めろって……!」
「どけて? ねぇ、どけてって。どけて。手、邪魔だよ? ねぇ、良い子だから。どけろ」
片手で柊の腕を抑え込み、今までとは比べ物にならないくらいの強さで柊の頬を叩く。
「良い子だから。ね?」
にこり。柊の顔を見て、璃音は微笑む。
涙で視界が滲むのが分かる。
痛いからというのもある。けれど、それ以上に、相手を傷つけて平気で笑っていられる璃音を、柊は初めて怖いと思った。
「ふふっ」
璃音が恍惚の笑みを浮かべる。
ごっ、と鈍い音。
唇の端が切れ、血が滲む。
「可愛いね、柊ちゃん」
愛おしそうに言い、璃音は柊に覆い被さる。
直後、かしゃんっと乾いた音が鳴り、少し遅れてから左耳に痛みが走る。
「――っ!!」
起き上がり、璃音は満足げな顔で柊を見る。
璃音の手には、見慣れない白いプラスチックの物体があった。
「一ヶ月したら、それ取っても大丈夫になるから。そしたら、これ一緒に付けようね?」
璃音がポケットから取り出したのは、錠前と鍵の形をしたピアス。
それで、自分が何をされたのかを覚る。
「楽しみだね、一か月後」
にこにこと嬉しそうに笑う璃音を見て、ようやく理解する。
ああ、これは自分への正しい罰なのだと。
彼女を苦しめた自分の贖罪のための罰。
だから、自分はこれを受け入れなくてはいけないのだ。
そう思う事で、柊は諦めた。
もう一度、璃音は柊に覆い被さり力強く抱きしめる。
「うっ……」
力強く抱きしめられ、漏れる苦悶の声。
その声を耳元で聞いた璃音は、心底嬉しそうに笑った。
「大好きだよ、柊ちゃん♡」
女装から着替え、柊は璃音の家を逃げるように後にする。
とはいえ、このままでは帰れない。着替えるために洗面所を使った時に鏡を見た。鏡には、顔に青痣を作った自分が写っていた。
このまま帰れば心配させてしまう。それに、学校に行った時に麗が反応しないわけが無い。
やり過ごすためには、この傷を隠さなければいけない。
その手段は、もう見付けている。
夕暮れ時の公園に足を踏み入れる。人気は無く、また外からも見辛いこの公園なら適切だろうと思った。
公園のベンチで座っていると、明るく声をかけられた。
「なーに、こんな時間に薄暗い公園に呼んじゃってー。エロる気ー? へんたーい」
茶化したように声をかけてきたのは菜月だった。手には大きめのメイクポーチを持っている。
「悪い、呼び出して」
「良いよ良いよ。君がメイクさせてくれるって言うなら、あたしはいつだって馳せ参じ……どーしたの、その顔?」
言葉の途中で、菜月は真面目な表情に切り替える。
柊に駆け寄り、顔を見る。
「これ、どうしたの?」
「転んだ」
「そんな傷じゃ無いでしょ!? これ、誰かにやられたの? ま、待ってて! 今葉奈先輩呼ぶから!」
「いやお前が待て! それじゃあお前を呼んだ意味が無いだろ!」
葉奈に電話をしようとする菜月を慌てて止める。
「誰にも知られたく無いから、お前を呼んだんだろ」
「知られたく無いって……明らかにヤバい理由じゃん! 何されたの? 本当に、大丈夫なの?」
「……大丈夫だ。誰かにいじめられてる訳でも無いから」
彼女にとっては柊を痛めつける事はいじめじゃない。趣向だ。
「でも……」
「良いから。それよりも、傷を隠すメイクを教えてくれないか? このままじゃ学校行きづらいし」
傷を隠さなければいけない。つまり、大事にはしたく無い。
ただ恥ずかしいとかではなく、柊が傷を付けられたという事実を隠蔽したいのだ。
「頼むよ。お前のメイクの練習台になるからさ」
申し訳なさそうに、柊は言う。
その顔は、見るからに辛そうで、けれど、本人が事を荒立てたくないのであればと、菜月は頷いた。
本人が事を荒立てたくないというのであれば、菜月も不用意に騒ぎ立てたりはしない。
でも、心配なのは本当だ。
「……何かあったら、あたしに良いなよ? 出来る事なら、してあげられるから」
「……ああ」
申し訳なさそうに、柊は頷く。
その姿が、とても痛々しく見えて、菜月は心をやきもきさせた。




