010 デート 2
映画館を出て、柊は少しだけほっとする。
映画を見ている最中に何かされるのではないかと不安に思っていたけれど、璃音は別段何をしてくる訳も無く、ただ黙々と映画を見ていた。
「何かすると思った? 残念、映画はマナー良く見るタイプなんだー」
柊の心の内を見透かしたような言葉。
「別に残念じゃない」
何もされないにこした事は無い。柊に被虐趣味など無いのだから。
「で、映画どうだった? 楽しかった?」
「まぁ、終盤までは」
正直に言って微妙だった。
言葉通り、終盤までは面白かったのだけれど、結末で思わずぽかんと口を開けて呆気に取られてしまう映画だった。
「あれ、もうタイトル関係無いし。あまりにも唐突で酷かったから夢落ちかと思ったら物語の落ちだし、結局何も解決して無いし……」
ぶつくさと文句を垂れる柊。
本当に、終盤までは良かった。駄目だったのはクライマックスだけだ。そこがしっかりしてれば百点満点だったのに。
「ふふっ、外れを引くのも映画の楽しみの一つだよ」
「俺は外れくじなんて引きたくない」
「通じゃないなぁ」
「通じゃ無くて良い。ミーハーで全然構わない」
面白い映画を見たいだけだ。別段、通ぶったりする気も無い。
「通になってもらわないと困るよー。私、映画好きだからさ。びびっと来た映画は全部見たいタイプなんだ」
「お独り様でどーぞご勝手に。俺は映画よりもゲームの方が好きだから」
「じゃ、今度はゲームが原作の映画を見ようよ」
「やだよ。がっかりしたくない」
「がっかりも、また映画の醍醐味だよ。ちょっと待ってて、私、トイレ行ってくるから」
「おーう」
トイレへと向かう璃音の背中から目を離し、スマホを眺める。
こうして映画の話をしている分には、普通の少女だなと思った。
おかしなところは無く、加虐的な部分を見せようともしない。無茶な要求はしてきたり、脅してきたりはするけれど、度を越して危ない要求はしてこない。
いや、女装しろという時点で度を越してる気もするけれど、そもそも女装をして働いた事があるためにもはや諦めが付いてしまっている。
今日はこのまま何事も無く終われば良いな。
そんな事を思っていると、肩に軽い衝撃が。
璃音が戻って来たのかと思い衝撃を受けた方を振り向くと、そこには予想外の人物が立っていた。
「げっ……」
思わずげっと声が漏れてしまい、慌てて口を閉じる。
「その反応するって事は、若麻績で間違い無い訳だ」
したり顔でそう言うのは、女装して働く事になった元凶である霜村菜月であった。
なぜここに。ていうか、どうしてバレたと考えるも、菜月は柊を女装させた張本人。女装した柊を見分ける事が出来て当然だと言えるだろう。
だらだらと冷や汗をかく柊を前に、菜月はにやにやと悪い笑みを浮かべる。
「へぇ、そう……そーいう趣味が」
「違う! これは無理矢理させられてるんだ!」
「させられてるって事は、さっき一緒に居た女子?」
「そう」
「へー、良い趣味してるね」
「そ。良い趣味してんだ」
呆れたように、柊は溜息を吐く。
「後で話せないかな」
「話す? ああ、メイクならお前の方が上手いだろ。演劇部なんだし」
「あ、そ、だね。うん、でも、ちょっと聞きたい事とかあるしなぁ……」
歯切れの悪い返事をする菜月。
メイクの練習台に柊を使うくらいだから、てっきりメイクの事を聞きたいのかと思ったけれど、もしかしたら違うのかもしれない。
けれど、そこまで菜月に興味も無い。わざわざ聞くような事でも無いだろう。
「ん、あんた手どうしたの?」
「手? ああ、ちょっと……」
言われて見てみれば、柊の手には三日月の形でうっ血した後が四つもあった。この傷は、以前璃音と手を繋いだ時に出来た傷だ。
親指以外の爪で痕を付けられたのだ。
「あんた、せっかく手ぇ綺麗なんだから、大事にしなさいよ? ちょっと手ぇ貸して」
「え、何するんだよ?」
「いーから。早く」
「あ、ああ……」
言われるがままに、柊は璃音に手を差し出す。
すると、璃音は鞄の中から化粧ポーチを取り出して柊の傷を隠していく。
「よし、これで大丈夫」
「別に傷くらい見えてたって良いだろ」
「ダメ! アタシの美学に反する」
「お前の美学とか、心底どーでもいい……」
「菜月ー、何してんのー?」
二人で話していると、菜月の背後から声がかかる。
「あ、もう行かないと。じゃあね、若麻績。デート、楽しんで」
「俺ひとっこともデートって言ってないんだけど?」
「男女で出かけたらデートでしょ。あ、バイトの事考えておいてよ? 店長が欲しがってたから」
「考えるまでもねー」
「考えて。また部活でね」
「へーい」
ばいばいと手を振りながら友人の元へと向かう菜月。
「今の、誰?」
ちょうどタイミング良く、璃音が帰ってくる。
「ああ、演劇部の霜村。俺にあのバイト持ち掛けた奴」
「あぁ、あの時の……柊ちゃん、バレちゃったんだ?」
「見かけたから声かけられただけだ。まぁ、女装させた張本人だからな。バレるのも仕方ない」
とは言いつつ、知り合いに会ってしまったのは恥ずかしい。
思わず、一つ溜息を吐く。
「……お昼、どこかで食べようかと思ってたけど、止めた」
「え、じゃあ帰る?」
それならそれで嬉しい。嬉々として聞けば、璃音はにこりと笑みを浮かべて答える。
「私ん家で食べよっか」
女子の家になど行きたくは無かったけれども、柊に拒否権は無いため仕方なく璃音に同行した。
「ここ。私ん家
「でか……」
璃音が見上げるのは高層マンションの上階部分。
「高……」
「行くよ」
璃音はマンションを見上げる柊の手を引く。
先程から、璃音は落ち着いた様子だ。あれ程笑みを浮かべていたのが嘘のように、今はずっと真顔になっている。
「なんか、怒ってる?」
「別に。なんで私が怒るの?」
「いや……」
なんでと言われても分からない。分からないからこそ、柊は質問をしているのだ。
それから、無言が続いた。
なんとなく居心地が悪くて柊からも話題を振る事は無い。
エレベーターに乗ってマンションの最上階まで昇る。
最上階に到着すれば、璃音は無言で柊の手を引く。
以前の時のような甘酸っぱい雰囲気は無く、今は手首を掴まれているだけだ。なんだか連行されてる気分になる。
部屋の扉を開け、璃音が入る。手を引っ張られているので、必然的に柊は後に続く。
「広っ」
玄関からして広く、思わず驚嘆の声を上げる。
「手、洗おうか」
「おう」
頷く前に璃音に洗面所に連行される。
洗面所もまた広く快適だ。
璃音は柊の身体を引っ張ると、自身の前に置き、手を蛇口の下に持っていく。
「おい、手ぐらい一人で洗える」
「ダメ。凄い、汚れてるから」
「はぁ? 別に汚れなんか付いてないだろ」
「ううん、べっとり付いてる」
言いながら、璃音は柊の手を洗う。
何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も――
一心不乱に、ごしごし、ごしごしと手の甲を洗う。
手の平じゃ無いのかよと思いながらも、ただならぬ雰囲気を醸し出す璃音に何も言えない柊はなされるがままになる。
五分程手を洗ってから、璃音は一つ頷いた。
「うん、綺麗になった」
言って、にこっと微笑む。
ようやっと笑ったと思うけれど、何故だか柊は安心できない。
「じゃ、ご飯作るからリビングで待っててね」
言いながら、柊の手を引っ張る璃音。
今度は、ちゃんと柊の手を握っている。
本当に気付かない内に汚れでも付いていたのかと思ってしまうけれど、柊には何も思い当たる節が無い。
まぁ、機嫌も直ったし良いか。
そう思いながら、柊は言われるがままにリビングでくつろいだ。
廊下と同じく、リビングも広くて快適だ。
「わ、ソファふかふか」
「でしょ? お父さんが良いの買ってくれたんだ」
「へぇ」
こんなマンションに住んでるくらいだから、さぞお金持ちなのだろう。
ふかふかのソファに身体を預け、最上階からの景色を堪能する。
「そう言えば、家族は?」
「いないよ? 私、一人暮らし」
「え」
そう言われてしまうと、少しだけ意識してしまう。
この家に、この空間に、自分と璃音しかいない。
その事に、色気よりも恐怖が勝る。
「料理に何か入れて無いだろうな……?」
「失礼な。そんな料理を冒涜するような事しないよーだ」
どうだか、とは言わないでおいた。
相手を怒らせるような事を、今の状況で言わない方が良いだろうから。




