006 返事の答え
璃音の突然の告白に、柊は思い切り戸惑った。
好きと言われた事もそうだけれど、痛がっている姿が好きと言われ、戸惑わないはずが無い。
熱でぼーっとする頭でも、その告白がおかしい事くらいは分かった。
「いや、意味わからん……」
「うん、私も分からない。でも、痛そうにしてる若ちゃんが好きなんだ」
熱に浮かされている訳でも無いだろうに、その頬はほんのりと赤い。
いつも何を考えているのか分からないような、乏しい表情をしているにもかかわらず、今だけはその顔に熱を見せる。
「……そう言われて俺はどうすれば良いんだよ」
「好きって告白したんだから、付き合ってくれるかどうかで答えて欲しいな」
「じゃあ断る。誰とも付き合うつもりは無いし、お前なんか怖いし……」
「そっか……じゃあ、昨日の若ちゃんがメイド服着てた写真、皆に見せちゃおうかな」
「……なんだって?」
璃音の口から出て来た思いもよらない言葉に、思わず柊は聞き返す。
「昨日、若ちゃんメイド服着てたでしょ? メイド喫茶で」
「……いや、着てない」
「ヒイラギちゃんって呼ばれてたね」
「呼ばれてない」
「かっこ男、だったね。チェキもいっぱい取ってたね。お客さん、嬉しそうだったね」
にこにこと楽しそうに璃音は言う。
白を切ってみたけれど、恐らく意味は無いだろう。璃音は柊が昨日メイド喫茶で働いていたことを知っている。言葉通り、写真にも収めているだろう。
「……それは、俺を脅してるのか?」
「うん。脅してる。だって、私若ちゃんと付き合いたいから」
柊の言葉に、璃音は悪びれる事も無くそう答える。
写真は好きにすれば良い、とは、柊は言えない。誰にも興味を示されない事は良い。それは柊が望んでいる事だからだ。けれど、誰からも嫌われるのは………。
「……っ」
考えただけで口内が乾く。胃がきゅうっと負荷がかかっている事を主張してくる。
それは、それだけは、柊が避けたい事だ。
沈黙が二人の間に流れる。
柊が何を言うよりも先に、保健室の扉が開かれる音が聞こえた。
これ以上この話題が続かないだろう事を覚り、柊は璃音に背を向けてベッドに横になる。
「後で」
それだけ言って柊は布団を肩まで上げる。
色々考えすぎて頭が完全に煮詰まっている。どう答えるにしても、どう対策するにしても、もう少し時間が欲しかった。
「分かった」
返事を急かされるかと思ったけれど、璃音は意外にも素直に柊の言葉に頷いた。
その事に安堵した直後、耳に痛みが走る。
「――っ!!」
びっくりして痛みの原因を確かめるために振り返れば、璃音が嗜虐的な笑みを浮かべてぺろりと舌で歯を撫でていた。
それを見て、何をされたか覚った。璃音に耳を噛まれたのだ。
「返事、期待してる」
それだけ言って、璃音は柊から離れて行った。
柊は深く息を吐いて布団を頭まで被る。
「めんどくせぇ……」
頭がパンクしそうな柊はいったん考える事を止めて、眠る事に集中した。今はもう、何も考えたくなかった。
〇 〇 〇
懐かしい夢を見た。酷く、懐かしい夢。
皆に囲まれて笑顔を浮かべている自分。皆と楽しそうに笑う自分。
誰かに頼られるのが好きだった。誰かの力になれるのが嬉しかった。
だから、手を差し伸べたんだ。助けてって言ってたから。
柊は頑張った。自分に出来る事を、自分に考えられる事を、精一杯実行した。
その結果――
「ありがとう、若麻績君。でも、ごめんね」
誰も居ない屋上が自分達の居場所だった。そこには、柊と彼女以外に誰も居なかった。
乾いた音を立てるさび付いたフェンスの向こうに彼女は立つ。
彼女の身体がふわりと宙に揺蕩って――
「――っ!!」
眠っていた意識が一瞬で覚醒する。
呼吸は荒く、身体は嫌に汗ばんでいる。
「起きた、若麻績?」
横になる柊に聞きなれた声が言葉をかける。
視線だけで声の方を見やれば、そこには麗が居た。
頭が混乱する。確か自分は屋上に居て、彼女が屋上から……。
そこまで考えて、自分が夢を見ていたことを覚る。
随分と嫌な夢を見た。けれど、それが夢で安心した。
一つ、深く息を吐く。
「大丈夫かい?」
「ああ。今、何時だ?」
「今は十六時過ぎたくらい。ホームルームとかは全部終わってるよ」
「そうか……」
のっそりと気だるげに起き上がる。
ホームルームが終わったなら、もう帰る時間だ。教室に戻って制服に着替えてから家に帰ろう。
「起きて大丈夫なのか?」
「ああ。…………って、なんでここにお前が居るんだ?」
「荷物と着替えを持ってきたんだ。若麻績、クラスで交流があるの私とか宇月さん達くらいだろう? その中で一番仲が良いと言えば私だしな。必然、私が荷物を持ってくる事になる訳だ」
「別にお前とも仲良しじゃないけどな……」
ちらりと麗の横を見れば、パイプ椅子の上に畳まれた制服と柊のリュックが乗っていた。
「ありがとう……」
持ってきてくれたことには感謝をしているので、柊はお礼を言って制服に手を伸ばす。
「着替えられるかい?」
「病人じゃないんだから」
「いや、風邪は立派な病気だろう」
呆れたように言いながら、麗は柊に制服を手渡す。
体育着を脱ぐのも面倒だったので、柊は体育着の上から制服を着る。
気をきかせて麗はベッドから離れてくれるかと思ったけれど、そのまま柊の着替えを見ていた。体育着を脱ぐ訳では無いので別に良いのだけれど、見られたままだと落ち着かない。
制服を上から着て、柊はベッドから降りる。
「どこに行くんだ?」
「帰るに決まってるだろ」
「迎えに来てもらった方が良いんじゃないのか? それか、先生に送ってもらうかした方が良い」
「別に歩けない程体調が悪い訳じゃない。それに、叔母さんに迷惑はかけられない。それに、先生も暇じゃ無いだろ」
「じゃあ、私が送って行こう。それくらいなら良いだろう?」
「お前と歩いたら目立つだろ」
「大丈夫だよ。クラスメイトを心配して家まで送り届ける。それだけなら、王子様として全然不自然じゃ無いだろう? それに、さっきも言ったけど、若麻績と交流があるのは私や宇月さん達くらいだ。誰もおかしいとは思わないさ」
「そもそも、俺とお前が一緒に居る事がクラスメイトからしたらおかしいんだよ。良いから、着いてくるなよ。一人で帰れるから」
「ダメだ。熱があるんだろう? こういう時は無理をしないで、素直に友人に――」
「だから! 俺とお前は友達でもなんでも無いだろ!」
麗の言葉を遮って、柊は声を荒げる。
体調が悪いのに声を荒げたからか、頭がくらくらする。
嫌な夢を見たせいか、自分でも分かるくらいに今は気が立っている。
「良いから、ほっといてくれ……」
言って、柊は早足に歩き出す。
しかし、その手を麗が掴む。
「私は、友達だと思ってる」
その声に動揺は無い。
柊が自分を友達じゃないと言うのは分かっていた事だから。柊が、友達と言う存在に懐疑的であり、少なからず嫌悪感を覚えていて、怖がっている事も分かっている。
だから、そう言われる事は分かっていた。
「若麻績はあの時言ったよね? 友達を作るのに消極的だって。その気持ちを私は尊重するし、友達を作る事も誰かと交流を持つ事も無理強いはさせない。でも、一人くらいなら友達を作っても良いんじゃないかな? 何かあった時に困るだろうし、それに……」
麗は柊の手を握りながら柊の前に回り込む。
「折角の高校生活なんだから、一人ぼっちより二人の方が楽しいと思うよ」
言って、麗は優しく微笑む。
その笑みに裏は無い。心の底から、柊を心配して言ってくれているのだろう。
けれど、余計なお世話だ。
「俺と、お前は、利害関係が一致してるだけだ。友達でもなんでも無い。それに、俺は一人で居たいんだ。楽しいとか楽しくないとかは、心底どうでも良い」
柊は麗の手を無理矢理振り解くと、麗を押し退けて保健室を後にする。
これで良い。初心を思い出せ。俺は一人で良い。
減っていくのが嫌なら、最初から無い方が良い。そうだろう?
もうあんな思いは二度としたくない。
人のいない廊下を歩き、玄関で靴を履き替えて校舎を出る。
「あ、来た来た」
そんな柊の隣ににこにこと珍しく笑みを浮かべた璃音が並ぶ。
「……なんだよ」
「返事、聞いておこうと思って待ってたんだ。後、送って行こうかなって思って」
告白――と言うよりは脅し――の返事を今聞かせろと、璃音は笑顔で迫る。
考える時間は無かったけれど、ちょっと考えれば分かる事だ。これは、柊に拒否権など無い。柊はメイド喫茶でバイトをした事をばらされると困る。目立たない、波風を立てないという柊の高校生活の目的から外れてしまうからだ。
璃音はクラスでも目立つ存在だ。麗には及ばないにしろ、影響力は強いだろう。
璃音が写真を見せながら『このメイドは若麻績なんだよ』なんて言えば、その真偽はともかくとして直ぐにその情報は広がってしまう事だろう。
柊が否定をしたとしても、柊よりも璃音の言葉の方が尊重される事だろう。何せ、柊には人望が無いから。
だから、柊に拒否権なんてものは無い。
こんなある意味で危なっかしい女子が相手なのは心底嫌だけれど、柊は頷く他無いのだ。
「……俺に拒否権なんて無いだろ」
「良いよ、拒否しても。代わりにばらすから」
にこり。熱の無い笑みを浮かべて璃音は言う。
「お好きにどうぞ?」
「…………分かった」
「という事は?」
「お前と付き合うよ」
「やった! じゃあ今から若ちゃんは私の彼ぴねー」
言って、するりと柊の腕に自身の腕を絡め、きゅっと力強く手を握る。
直後、鋭い痛みが手から伝わってきて思わず顔を顰める。
見やれば、柊の手には璃音の爪が食い込んでいた。
「楽しい毎日にしようねー?」
にこにこと楽しそうに笑う璃音。しかし、その瞳には隠しきれない嗜虐の色がある。
璃音にとっては楽しくても、柊にとっては少しも楽しくない日々が始まった。
腕を振り解く元気も無く、柊はされるがままに帰路に着く。家に帰る頃には爪の形にうっ血している痕が残った手を見て、柊は深く溜息を吐いた。




