逆伸び子
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんて、子供相手は得意なほう? それとも苦手なほうかしら?
私はちょっと苦手かなあ。大人同士でなら許される「どつき」でも、子供相手には「虐待」に取られかねないから。しつけること、あんまり自信ないかも。
基本、子供って守られるべき対象として位置づけられている。飲酒、禁煙はもちろん、一部の職種を除けば、労働もダメ。個人的な趣味嗜好だって、子供へ向けたものは、あまりいい顔で見られないのは周知の通り。
子供は守られるべき存在。野性の世界から受け継がれていることではあるのに、私たちはどうしてときに、愛情のみならず、憎悪を子供に向けられるのかしら?
人それぞれ理由はあるでしょうけど、私は以前に聞いた昔話にも、その一端があるんじゃないかと思っている。
どうかしら? つぶらやくんの探すネタのひとつくらいには、なってくれるといいのだけど。
むかしむかし。殿様がおさめるとある領内で、御触れが出回ったわ。
年のころは十七、八といった女性。えんじ色のあわせを身にまとった短身痩躯の女。
特徴的なのが、左右の目の位置が大きく上下にずれていること。示された人相書きに描かれた女の顔は、わざとゆがませたのではないかというくらい崩れたものだったらしいわ。
それを見た多くの人は、あざ笑ったわ。それは絵師の下手さにだったのかもしれないし、もしも克明に描かれたのであれば、その顔の崩れ具合に。
「あんな顔に生まれたんじゃ、生きていたって甲斐がなかろう」
そんなことをつぶやく者もいたけれど、人垣が消えていく後ろで、こっそりとそこから離れていくひとりの老婆の姿があったの。
彼女の足は、町のはずれにある小屋へと向かっていた。
生前の夫が倉庫代わりに用意した自前のものだったけど、もはや屋根は崩れかけて、ぽつぽつと開いた壁の穴からは、風が室内へ漏れ入ってくる。
老婆自身は、ここで暮らしているわけじゃなかった。彼女の家は町中のもっと目立つ場所にある、小ぎれいな一軒家だった。それがここへわざわざ足を運んでいる理由は、すでに想像がつくでしょう?
小屋の中心に置かれた布団。脇にはえんじ色のあわせがたたんで置かれ、一枚一枚は薄い掛け布団を何枚か重ねられている。その下で目を閉じているのは、先ほど人相書きで触れられていた娘のことだったの。
ふとんからのぞく肌は、白くきめ細かくて美しい。でもまぶたを閉じていてもはっきり分かるくらい、彼女の目の位置は上下にずれていたわ。
あの人相書きは、誇張でもなんでもなかった。右目はほぼ前髪の中へ隠れ、左目は鼻の真横近くまで来ている。そこには、老婆の広げた手のひらさえ入ってしまうほどの間隔があったのよ。
その彼女が倒れていたのが、目立たないところに建てたはずの、この小屋の傍らだったとか。足には履物のたぐいを履いておらず、泥だらけになっている。
何かから逃げているのは察せられたけど、まさかここまで大きく騒がれるなんて。小屋へ彼女を寝かせたばかりの老婆には、想像できなかったこと。
娘はいまだに意識を取り戻さない。せめて身体はきれいにしておこうと肌を拭いて今に至るのだけど、彼女の名前すら老婆は知らなかった。
彼女には多額の懸賞金がかけられていたけれど、老婆に彼女を突き出す気は毛頭なかったわ。自分も若い時に、容姿でだいぶ苦労をしたことがあったから。
ほとぼりが冷めるまでは、まず人の目に当たらないだろうこの場所で、静かに暮らさせてあげたい。そんな思いがあったらしいの。
一日たち、二日たち。娘はその間、ピクリとも動かなかった。
老婆もずっと小屋に居続けたわけじゃない。ひょっとしたら自分の見ていないところで起きているかもしれないけど、小屋の中のものがいじられた形跡はない。小屋の周りに生える草たちも、自分が歩く道以外は踏み倒されていない。
うっすらと口を開けるだけで反応のない彼女に、形あるものを食べさせるのは危険。ゆえにこの三日、摂らせるものは水ばかりだったけど、取り換える彼女の下着には汚れた部分が一切なかった。それどころか、体臭らしいものを一切、生地からかぎ取ることができなかったらしいの。
――この娘、排泄をしていないのでは?
そう感じる老婆は、やがて彼女のもうひとつの異変に気がついたわ。
日を追うごとに、彼女の身体はどんどん小さくなっていたのよ。
このことに老婆は、彼女の身体を拭く際に気がついた。最後のふとん一枚をはがす時、ふとんには彼女の身体による盛り上がりがある。当然、身体が届いていない部分のふとんはぺしゃんこなんだけど、そのぺしゃんこ部分が少しずつ広がっていたのよ。
実際に測ってみても、間違いはなかった。この10日の間で、彼女の身長は五寸(約15センチ)ほど縮んでいたの。顔の位置は変わっていないことから、下半身のみがどんどん縮まっているのだと分かったわ。
そしてこの間、彼女はあいかわらず目を覚まさず、排泄や発汗といった生きている人が行うであろうことを、行っている様子はない。
――この娘は、本当にかくまっていい存在なのだろうか?
そう思い始める老婆の下へ、殿様の家臣たちが詰め寄ってきたのは、御触れが出されて半月が過ぎてからだったとか。
その訪問は、とても乱暴だった。
老婆が彼女に水を飲ませようと、小屋へ入っていきかけたところを、後ろから肩をぐっと押さえたの。
「婆よ。聞いたぞ。お主、ここのところ頻繁に家を抜け出し、出歩いているとな」
殿様の家来たちだったわ。
老婆を押さえた彼らは、「詮議する」のひとことで小屋の中へ入らんとしていく。まず間違いなく、彼女は見つかってしまうと、老婆は声を出す暇もなく肝を冷やしていたらしいわ。
玄関前にかけられた、日よけのための粗末なござ。
それを家来がめくりあげたとき、さっと彼らの足元を抜けて、駆け去っていくものがいたわ。
そいつの背は、二尺(60センチ)あるかどうかという大きさだったけど、相応に小さくなった顔には、あの上下に大きくずれた目がくっついている。
かつて着ていたであろう、えんじ色の服の切れ端で身体を隠しつつ、周囲の茂みの中へ分け入っていくのは、紛れもなく自分が世話していた娘だったの。
たちまち、町の中には厳戒態勢が敷かれるとともに、懸賞金が何倍にもなったお触れが出回ったわ。
老婆はすぐに殿様の下へ召し出され、彼女との接触に関して、洗いざらいを白状させられたの。けれど彼女が身体を拭くのと飲水のみに手を貸し、ひとことも彼女としゃべっていないことを知ると、何度も確かめた後で小さく舌打ちしたわ。
「わずかにでも、情が芽生えることをしておれば、あやつもここへ乗り込んでくるかもしれぬのにな」とも漏らしている。
殿様が老婆に話した娘の正体。それは「逆伸び子」という、忌むべき存在のひとつなのだとか。
ほとんどの人は母親の胎内より、赤子として生まれ落ち、時を経ると共に背が伸びていくのだけど、逆伸び子はその反対を行く。
彼女は妊娠している女性の腹から、大人の姿で生まれ出る。出る時には一瞬で飛び出し、それまでいきんでいた母親は、その衝撃に耐えられずに、十中八九命を落とす。
大人と遜色ない体つきかつ、あの目の位置がずれた醜い顔で生まれてくるそいつは、時間と共に背が縮んでいく。やがては目で追えず、指で触れたとしても気がつけないほど、小さくなってしまうのだとか。
「そうして、誰もあやつをつかめなくなるとな。あいつは弾ける。
その時はもう、大きな音を立ててな。直後、空からは緑色の雨が降り注ぐのじゃ。そうなれば……」
ズダン、と床板を踏みぬくような音が響いたのは、その直後だった。この音は殿様と老婆がいる一室のみならず、町にいた全員が耳にしたとか。
殿様はすぐさま立ち上がり、館中に響く大声で知らせる。
「男! すぐさま町中に触れ回れ! 家の中へ戻れと。女! すぐさま屋根の下へこもり、出て来るな! 雨がすっかり止むまでな」
殿様の言葉よりほどなくして。雲が一切ない晴れ渡った空から、話にも出てきた緑色の雨がぽつぽつと降ってくる。
それらが屋根を叩く音はどんどん強くなり、殿様は館中のすべてのふすまを閉め切ってしまったわ。くぐもった雨音が響く中、殿様は話を続けたわ。
「そうなれば雨を浴びた、孕むことのできる女は、みな『逆伸び子』を孕むことになる」
雨が止んでより、およそ数ヶ月前後で、殿様の言葉は現実のものとなってしまう。
あの雨が降っていた時点で、すでに妊娠していた女性のうち、わずかでも雨に濡れてしまった者の胎内から出てきたのは、あの目の位置が左右でずれた、大人の女だったの。
出産を待ち受けていた産婆たちを瞬く間に突き飛ばし、家の外へ駆け去るその姿に唖然とできるのも束の間。
母親はもはや息をしておらず、蘇生を試みることになる。あれほどの巨体を産んだにもかかわらず、身体のどこも裂けてはいなかったとか。
そうして時が経つと、今度は孕んでいない女の腹が勝手に膨れだす。心当たりがあろうとなかろうと、この事実は親子や恋人同士の関係へ、亀裂を入れることおびただしかったとか。
そうして生まれてしまった逆伸び子は、また縮みながら「育ち」、新しい子を広げていってしまう。
殿様は総力を挙げて逆伸び子をとらえ、「処分」していったけど、すべてを捕まえきることができたかは分からないんですって。