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『或る小説的思想集』

『天国地獄へ、まっしぐら、の思想』

『天国地獄へ、まっしぐら、の思想』



或る鍵が外れると、人は囲われていた家から、天国へも地獄へも、まっしぐらな様だ。

それは、思想だろうか。思想だと思って、行動している訳ではない、少なくとも自分は。



しかしその自分を誰かが客観的に視座に据えると、確かに自分の行動は思想的に見えるかもしれない。

何かを振り切って生きる時、何かが外れて見える時、確かに自分は躍動している。



人生の躍動思想としてなら、例えば狂う程音楽を聴いて、小説を執筆していると、キーボードの上で狂う。

それは、狂っているのだ、文字を書く訳ではなく、キーボードの上で、両手を動かしているだけだ。



何も難しいことではなく、ただ、在るがままの自分を、文章として投影すれば、それなりに、思想は出来上がる。

まるで、自分で自分に、何かを言い聞かせるみたいに、文章に投影するのだ。



それでも、時に狂って、部屋を飛び出し、家を飛び出し、外界へと飛び込む時、それは深刻で、それでも絶対的な自我を持った思想行動になる。

その様な自分は、主観的にはよくわからないが、客観的には、天国地獄へまっしぐら、だろう。



だから、その結果、何かに負けて、敗れてしまっても、心の衝動は、破れたを通り越して、絶対になる。

天国地獄へ、まっしぐら、の思想は、こんな風に、創造したのだったが、それは必然の様だ。

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