1話 女神さまは言った、盗賊になりなさい……と
小さい頃、盗みを働いたことがある。
ごはんをまともに食べることができなくて、どうしようもなく腹が空いていた。
それでも、自分のことなら我慢できた。
でも、アイツは俺以上に我慢していて、もう限界のように見えて……
だから、近所の畑から野菜を盗んだ。
心の中でごめんなさいと謝りながら盗んだ。
でも……
所詮、子供のやることだ。
すぐにバレてしまい、捕まってしまった。
幸いというか、子供のやることだからと説教で済んだ。
特にこれといった罰を課せられることはなかった。
しかし、今にして思えば、あの時……すでに俺の未来は決まっていたのかもしれない。
人のものを盗もうとした時。
俺の未来も何者かに盗まれていたのだろう。
――――――――――
この世界は女神の祝福に包まれている。
人々が暮らす街は結界で守られていて、魔物の侵入を防いでいる。
さらに結界の中は綺麗な空気と澄んだ水が流れている。
大地も豊かで、常にたくさんの作物が取れる。
女神は人々を保護するだけではなくて、もう一歩、踏み込んだことを行う。
それが『神託』だ。
あなたは農業の才能がある。
故に、農家になりなさい。
……というような感じで、18歳を迎えた成人に神託を授けて、個人の仕事を定めているのだ。
それと同時に、その仕事にふさわしい能力を与える。
自らにふさわしい仕事に就くことができたのならば、道を踏み外すことはない。
まっすぐに生きることができるだろう。
これは女神の温情なのだ。
直接、女神に問いかけたことはないため、『神託』を行う真偽は不明なのだけど……
人々は、女神の意思をそのように解釈していた。
そして……
新しく18歳になった少年に『神託』が授けられる。
――――――――――
「ユウキ・アストラス……あなたの天職は『盗賊』です」
神聖な教会に女神さまの声が響いた。
とても綺麗で澄んだ声だ。
でも……その言葉の意味が理解できない。
「え?」
俺……ユウキ・アストラスは間の抜けた声をあげた。
周囲を見ると、神託を執り行う神官や、若者が新しい旅を始めるところを見届ける領主さまなどがいて……
彼らは揃ってぽかんとしていた。
たぶん、俺も似たような顔をしていると思う。
「あの……すみません、女神さま。今、よく聞こえなくて……もう一度、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「ユウキ・アストラス……あなたの天職は『盗賊』です」
一字一句変わることなく、まったく同じ言葉が返ってきた。
幻聴や聞き間違いという可能性は消えた。
ということは、つまり……
俺の職業は……『盗賊』?
「ユウキ・アストラス。あなたに、『盗賊』としてふさわしい能力を与えましょう」
「えっ? い、いえ、ちょっとまって……」
まってくださいと言うよりも先に、教会の屋根を突き抜けて、天から柔らかな光が降り注いできた。
光は俺の体を包み込み……
ほどなくして消える。
「これにて神託は終わりとなります。ユウキ・アストラス……あなたの将来に光があらんことを」
教会を包み込んでいた神秘的な雰囲気が消える。
女神さまが天に帰ったのだろう。
そして……
参列者が一様にざわついた。
「天職が盗賊だと? そんなこと聞いたことないぞ……! このまま盗賊をやらせなければいけないというのか?」
「まさか、そんなことは許されるわけがない! そもそも、このような事態になったのは、アストラスに原因があるのでは? 犯罪者の素質を秘めていたから、盗賊なんてものに選ばれたとしか……」
「ありえない話ではないな。元々、親のいない孤児だ。孤児院を運営する先生はすばらしい方だが、それでも全ての子供を正しく導くことはできないだろう。アストラスのような盗賊が生まれたとしても……」
「それに、アストラスは子供の頃、盗みを働いたという前科がある。このまま放置しておけば……」
あれやこれやと大人たちが騒いで……
揃って厳しい目を向けてきた。
俺はなにもしていない。
ただ、女神さまに天職が盗賊であると告げられただけだ。
それなのに……
街の人々は、俺を犯罪者のような目で見ている。
なにもしていないのにこの扱いだ。
……そこから先のことはよく覚えていない。
いや。
思い出したくない、という方が正しいかもしれない。
領主さまを含めた街の人々はあれこれと話し合い……
そして、俺に冷たい目を向けてきた。
誰も彼もが同じ目をしていた。
その目に耐えることができない。
昔の罪を、今更ながらに掘り返されている気がして……
胸がじくじくと痛む。
そして……
その視線に耐えかねた俺は、自主的に街を出ていくことに決めた。
――――――――――
「それじゃあ……そろそろ行くよ」
翌日。
荷物をまとめた俺はミリーに別れを告げた。
ミリーは俺の二つ下の孤児だ。
歳が近いこともあり、よく俺に懐いてくれた。
血は繋がっていないけど、俺のことを兄さんと呼んで慕ってくれている。
「兄さん……本当に出ていくの?」
「仕方ないさ。俺は『盗賊』だから……これ以上、この街にいることはできない。このままこの街にいても、良いことなんてなにもないだろうしな」
「そんなことないよ! 兄さんは兄さんで、私にとって……私にとって……もうっ、うまく言葉が出てこない。こんな時なのに……とにかく。私が言いたいのは、兄さんがとても大事、っていうことだよ。他の人なんて気にしなくていいの。ねっ、考え直して。これからも私と一緒にいて」
「ありがと。そう言ってくれることは、素直にうれしいよ」
俺の天職が『盗賊』だと判明した後、街の大人たちは冷たい目を向けてきた。
仲の良かった友人もくるりと手の平を返して、俺を犯罪者扱いした。
でも、ミリーは違う。
事実を知った後も態度を変えることはなくて……
むしろ、今までよりも優しく温かく接してくれた。
だからこそ、そんなミリーに迷惑をかけることはできない。
「俺がここにいたら、ミリーに……他の子に迷惑をかけるから」
盗賊である俺と仲良くしていたら、ミリーも同じ目で見られるかもしれない。
それだけじゃなくて、孤児院の他の子供たちも同じような目に遭うかもしれない。
それだけはダメだ。
俺一人ならまだいい。
でも、ミリーや他のみんなが同じ目に遭うなんて……
とてもじゃないけれど耐えられる気がしない。
「家族に迷惑をかけることは当たり前のことなんだから、気にすることないのに……兄さん。私たちは家族なんだよ? だから……」
「ミリーの気持ちはすごくうれしいけど……やっぱり、そういうわけにはいかないさ」
俺が孤児院に残ることで、ミリーや他の子供になにか起きたら、悔やんでも悔みきれない。
そう思ってしまうくらいに、街の人々は俺が盗賊であることに過剰な反応を示していた。
だから、俺が出ていくことが一番なんだ。
この街に留まらない方がいい。
「それに、俺はもう18歳だから。元々、孤児院を出て独立するつもりだったから……気にするな」
俺の固い決意を感じ取ったらしく、ミリーはなにかに耐えるように唇を噛んだ。
それから、俺の目をまっすぐに見つめて言う。
「うん……わかったよ。兄さんがそこまで言うなら……もう、止められないんだよね。決意は固いんだよね」
「悪いな。ダメな兄で」
「ううん、そんなことないよ。私にとって、兄さんは自慢の家族だよ。世界で一番尊敬している兄だよ」
にっこりとミリーが笑う。
ただ、その笑みは今にも崩れてしまいそうで……
ふとした弾みで涙があふれてしまいそうだった。
それでも、ミリーは我慢して。
決して涙を見せることはなく、笑顔を浮かべ続ける。
涙の別れにしたくない。
せめて、笑顔で見送りたい。
そう思ってくれているのだろう。
まったく……俺に似ないで、本当によくできた妹だ。
「外は結界がないから、魔物がいるって聞くし……気をつけてね?」
「ああ」
「あと、そこらの水をそのまま飲んだらダメだからね? ちゃんと、煮沸消毒してから飲むこと」
「わかっているよ」
「それとそれと……」
「ったく……ホント、ミリーは心配性だなあ」
ぽんぽん、とミリーの頭を撫でてやる。
くしゃりと、ミリーの顔が歪む。
それでも、ミリーは我慢をして……
無理矢理に笑顔を浮かべて、優しく言う。
「あと……これだけは言わせて。兄さんの職業が『盗賊』になったこと……これは、なにかしらの意味があると思うの。女神さまのすることだから、なにか意味が……きっとあるはずだよ。だから、自棄になったりしないで……どんな時も、きちんと自分自身を信じてあげて」
「それは……」
「それと……他の誰がなんて言おうと、ここは兄さんの家だから。兄さんの帰ってくる家だからね。いつでも帰ってきていいんだよ。私は待っているから」
「……ああ、またな。ミリー」
「またね、兄さん」
涙がこぼれそうになるのを必死に我慢して……
さようなら、と手を振る。
そして……俺はミリーに背中を向けて、そのまま駆け出した。
振り返ることはしない。
もう一度、ミリーの顔を見たら甘えてしまいそうだから……
前だけを見て駆けた。
こうして……『盗賊』となった俺は街を出た。
本日19時に、もう一度更新します。