日本は海外に見習え
よく日本に改善を求める際、海外ではやってる。日本は遅れてる。といった言葉が出てくる。彼らの言い分は、日本も先進的な海外に追い付き、合わせることが日本にとって大切だという事だ。
確かにEUの様に金融関係をより先進的にすべきであるし、税制面でも海外の税制を見習った政策があるかもしれない。だが、EUやアメリカは海外であって日本ではない。
海外の中の一国に合わせた政策が日本で合うとは限らないのだ。
例えばGHQによる占領政策。農地解放や財閥解体による経済活性化は評価できるが、労働組合は酷いの一言であろう。
労働組合は、日本の情勢や風土を無視して行った為、社会主義者や共産主義者の巣窟になり、政府攻撃や政党拡大の道具に使われる事となった。アカい労働組合は手遅れな程内部に浸透した結果、反政府とまでなった。その結果が、国鉄と国鉄労働組合との労働闘争である。
こうして、労働組合に対し悪いイメージが持たれることとなり、労働組合の組織率が過去最低を記録し続ける様になった。
この労働組合以外にも、そのまま海外の制度を導入した結果失敗した例がある。マイナンバー制度やお見合い結婚から自由恋愛移行による少子高齢化問題等の事だ。
重要なのは選択する事だ。日本人は遥か昔から海外の政策を取捨選択し、採り入れてきた。平安京は中国の都市を参考にしているが、科挙は採り入れなかった。明治維新もイギリスやアメリカの法ではなく、ドイツの自国に合う法と採り入れた。
洋服も他人のファッションに合わせるのではなく、自分に合うファッションにする事が大切ということだ。
海外を見習えと言う方々は、ただ海外に会わせろと言うのではなく、日本人に合う日本風に変化させたものを提示していただきたいと感じる。
最後に、私は海外に合わせるべきだと思うことがある。それはエロ本やエロゲーのモザイクだ。あれを付けるか付けないかで何か問題があるのだろうか?モザイク無しを流せない理由は何か、昔ならともかく、今はインターネットで海外のエロに触れれる時代である。コミケで性器規制強化し続ける意味は何なのか疑問を感じる。
ともあれ、海外を見習ってモザイクを禁止すべきである。