#9 出会い2
パチパチという音に目を覚ますと視界には満点の夜空が広がる。
音の正体は焚き木が弾ける音だ、目を向けると焚き火の上には鍋が置かれている。
ここは…………?
突如、昼間の出来事を切り取った絵画のように思い出す。
そうか僕は………………。
お婆ちゃんが居なくなったことを、まだ頭の中の整理は出来ていない。
僕が失ったものは何だろう。
帰ってこない日常。
涙が出そうになる。
だけどお婆ちゃんに頼まれたんだ…………。
ぐっと堪える。
気を失う前の出来事を振り返る。
内容は聞こえてはいたが、正しく意味を理解して腹落ちはしていなかった。
奴隷か…………。
そう、僕は奴隷として売られた。
身寄りを亡くし、成人として独り立ちしていなかったのだから仕方が無い。
そのような者は村の管理になる。
誰か子を亡くした者が居れば養子に出したり、村全体の懐事情が良ければ成人するまで当番で養われることもある。だが、そのような者は飢饉など有事の際に一番最初に売られるのがしきたりだ。
そのために養われていると言っても良い。
身の回りを見てみると僕の手足を縛っていた縄は無くなっている。
そばにはいつも身に着けている布鞄があり、その中には手帖がちゃんとしまってある。
弓と矢筒も置いてあるが矢は空だ。
ここを抜け出して追い掛けるか…………いやもう離れすぎた、分かれ道をどこに向かったかもわからない……。
くそっ、追跡できれば少なくとも行先はわかったし。もしかしたら暗闇に紛れて助け出せたかもしれないのに……。
それに亜神族の元から逃げ出すのはまずい。
ただの奴隷ならどうにでもなった。
機会を見て逃げ出してしまえば良い。
逃げ出した逃亡奴隷は誰にも守られず、誰にも食事も寝床も与えられない。
子供であれば、すぐにのたれ死ぬ。大人でも良くてスラム街か野盗になるだけだ。
でも僕一人なら流れの猟師として山の中でも生きていける。
奥深い辺境や他国に行って元の主人に見つからなければどうにかなる。
それなのに亜神族との間には“血花の誓約”がある。
奴隷の記載など無いが、資産の保護などの名目に引っかかる可能性が高い。
“血花の誓約”を破れば神罰が下るとも言われている……。
仮に神罰を免れても全ての国で罪人となり、多額の賞金首となり追いかけられるだろう。
そして何より勇者様の手帖に書いてあるのだ。
亜神族を怒らせてはいけないと。
手帖には震える文字で記されている。
亜神族を怒らせて、地の底まで追いかけられたその恐怖を。
あの勇者様がここまで恐れたのは伝説級魔獣と亜神族ぐらいだ。
また手帖には亜神族との交流する際の注意点が残されている。それを覚えていて役に立つ日が来るとは思ってもいなかったが…………まとめると。
【言うことには逆らわないこと】
【その外見を褒め称えること】
【年齢は聞かないこと】
【耳に触らないこと】
の四点だ。
きっと勇者様は誰かを助けるために亜神族の言うことに逆らったのだろう。
……正直に言って、残り三つは意味が若干おかしい気がする。
手帖の読解を僕が間違えたのかもしれない、その可能性には注意が必要だ。
さてどうするか……。
「ふむ、目覚めたか。急に意識を失ったから心配したぞ」
気配を察したのか、亜神様が近づいてきて声を掛けられる。
気づかれてしまった。
内心ではドキリとするが、表情を押し殺す。
「…………申し訳ございません。ご迷惑をお掛けしました」
「ほぉ、さすがサラーサ様の孫だな。その年齢で礼儀を学んでいるか。とりあえず飲むが良い」
亜神様は鍋から木の器にスープを掬う。手渡されたそれからは良い香りが漂ってきた。
器を手に取りながら、よくよく周りを見渡すと村の近くの川辺らしい。近くでは傭兵団が思い思いに火を焚き食事を取っている。
そして改めて亜神様の顔を見ると、驚きで息が止まるほどの美人だ。
生まれてこのかた出会った人、いや僕が読んだ本の挿絵や、内容から想像した美の女神まで含めてこれほど美しい人を見たことも、想像したことすら無い。
顎のラインで切り揃えられた髪は深い緑色で、透き通るような白い肌とのコントラストが幻想的だ。今は顔のベールも外しており、昼間には見えなかった整った眉とその下に輝く深い緑色を湛えた瞳、筋の通った高い鼻梁まではっきりとわかる。
亜神族は神が作り上げた芸術作品だという噂もこれを見れば納得が出来る。
「この状況はわかっておるか?」
「は、はい、ご主人様」
不興を買うわけにはいかない。
胸が高鳴り顔に熱を帯びるが、それらは沈まれと強く念じ、ゆっくりと回答する。
「僕が奴隷に身分を落とされ、ご主人様が高値で買い上げて頂けたと理解しております」
「賢い子だな。だが早とちりもある。話すべきことは山ほどあるがまずはその身なりをなんとかせねばな」
そう言うと、女性が僕に手をかざす。
一瞬後、その手から眩しい光が煌くと、見る見るうちに昼間についた僕の体の傷は塞がり、汚れも消えてしまった。
すごい、これが“奇跡“……。
…………この力があればお婆ちゃんも……。
「ほぉ、汚れを落とせば、これはまた大層な美少年だな」
「………………いえ、僕なんて。ご主人様のほうがこれまで見たこと無いほどお美しいです」
「ふふ、そうかそうか。しかし美少年に主人様と呼ばれるのはゾクゾクするものがあるの」
「…………」
一人でご満悦な亜神様を傍目にどうしても昼間のことを考えてしまう。
亜神様がいれば……。
いや、傭兵団が来るのがわかっていれば時間稼ぎの手もあった……今さら言っても仕方ない。
「自己紹介をしよう。私はエルフ族のカノン・クローダじゃ」
「カノン様ですか……え? クローダ家?」
「家は半ば捨てた。気にするでない」
そう言われても気にしないわけにはいかない。
その家名は勇者様の血縁であることを示すのだから。
嫡流である当代のクローダ公爵様以外の血族を僕は良く知らない。
勇者様のご息女か?
しかし、そもそも亜神族と人族との間に子が出来るのだろうか。
そんなことどんな本にも載っていなかった。
養子も考えられるか……。
「ちと近くに用事があってな。ついでと十年振りにサラーサ様に会うため、ここには立ち寄ったのじゃ」
「お婆ちゃんとお知り合い……?」
十年前だと流石に僕の記憶には無い。
「おう、坊主。気が付いたのか」
僕の背後の暗闇の中からぬぅっとスキンヘッドの巨漢が音もなく現れる。
思わず、悲鳴を漏らしそうになった。
「おお丁度良かった、紹介しよう。今回の旅路で我を護衛しておるオズベルじゃ」
「俺はこの傭兵団の団長をやっているオズベルトだ。まぁ呼び方はオズベルでも構わない。よろしくな!」
はぁ、ハルトです、よろしくお願いしますと生返事をする。
身長が二メートルを超えているだろうか、僕がこれまで見たことのある人の中では飛びぬけて大柄だ。
頭の天辺まで日に焼けて褐色なスキンヘッドに対し、あご髭だけはきれいに整えられている。
きっと彼なりのこだわりがあるのだろう。
「聞いたぞ、お前の弓のおかげで野盗を追い払えたんだってな」
「いえ、僕の働きなんか……」
「そう謙遜するな、お前の判断、腕前が攻防の転機だったのは間違い無い。傭兵はな、生き延びるには情報収集と分析は欠かせないんだ」
「でも結局村の人が追い払いましたし、矢は当たったのも狙い通り完璧とはいきませんでしたし……」
しかもその後に僕がすくみ上り、お婆ちゃんが……と思ってしまうが、ここではそこまで口には出さない。
「ふん。一つ良いこと教えてやる。色々な場で、それが公平だからと皆の意見を聞いてくれることが多い。でもな実際には声の大きい者の意見が勝つ。十人の声が小さい意見より、強硬な一人の意見が勝つのさ」
そう言いながら、どこから取り出したのか手に持っていた器に腰に吊るした革袋から酒らしきものを注ぐ。
「だから主張するところはちゃんと主張しろ、謙遜しても何一つ得なことなんて無いぞ」
そう言うと器を仰ぎ、ぐびりと一口で中身を干した。
その価値観はこれまでの僕とはあまりにも違う……。
そのような価値観の主人公が書かれた本も知ってはいるが、僕には理解出来なかった。これまでの僕の生活では、人の輪を乱すようなことをしてはいけないと教わってきたのだ。
「ふふふ、困惑しておるわ。まだ少年には早かろう、田舎でそれでは村八分じゃぞ」
僕の戸惑いを察知したのか亜神様が助け船を出してくれる。
「ところでな、まだ話すのも辛かろうが聞いておきたい。サラーサ様の身には何が起きたのじゃ? ご高齢とは言え、野盗ごきに命を落とすとは信じられなくてな……」
「…………」
「ふむ、また後日にするか?」
「いえ……お話します。…………お婆ちゃんは僕が致命的な過ちを犯し、僕が死にそうなところを庇って亡くなったんです……」
「さようか……」
口を堅く結び、中から沸き上がる衝動にひたすら耐える。
「僕が失敗しなければ……いえ、そもそも僕が何もしなければお婆ちゃんは助かっていたんです……」
手に持つ器がプルプルと震え、目の端からはポロポロと雫がこぼれ落ちる。
「僕がうぬぼれて一人で立ち向かったせいです…………それなのにエミリーも助けられず、お婆ちゃんも死んでしまって僕だけが、こうしてのうのうと生きていて……」
頬を伝い落ちたその涙は、手に持つ器の中でポツン、ポツンと大きな波紋を広げる。
お婆ちゃんが死んで僕の身寄りは誰もいなくなった。
僕は不幸なのだろうか。
違う、僕が人を不幸をする。
今回は僕をかばってお婆ちゃんが死んだ。
八年前もそうだ。僕のせいで母が無くなった…………。
涙が止まらない。
後悔で。
自己嫌悪で。
「……辛いことを思い出させてすまぬ。オズベルの話からするとお主は頑張ったのだろう。だが頑張りは必ず報われるとは限らぬ。世の中は理不尽で不条理なことだらけ、それを受け入れねば前には進めぬときもある……」
「理不尽……」
「お主はこれからどうしたい? 望むなら奴隷の身分は解放してやろう。農民になりたいなら住む家と農地を揃えよう。商人になりたいなら元手を準備しよう」
「…………カノン様はどうして見ず知らずの僕にそこまでのことを?」
「……お主の祖母であるサラーサ様には昔いたく世話になってな……。我がここにいるのもお主を救うようにとの、サラーサ様のお導きやも知れぬ」
「お婆ちゃん…………」
目を瞑り、考える。
「坊主、何だったらうちのとこ来るか? 雑用なら何時でも募集中だ。合間に剣は教えてやる。三年経てばお前もいっぱしの傭兵になれるぞ」
農民、職人、行商人、猟師、傭兵…………。
僕の将来……。
お婆ちゃんには結局、相談できなかったな…………。
でもお婆ちゃんに頼まれたんだ……。
……決めた。
手に持つ器を地面に置き、亜神様に体を向けて、頭を下げる。
「カノン様、この傭兵団を少しの期間だけ雇えるお金を貸してください。それ以外は不要です。全てを終えたら僕は奴隷のままでも構いません。僕は野盗を討伐し、取られたものを取り返したい!」
その言葉を聞き、亜神様は驚いた顔をする。
「ほぉ、予想外の答えじゃ。村では食料も諦め、さらわれた子供は既に見捨てておろう? 何故じゃ? 復讐か?」
「いいえ、違います」
頭を振る。
「さらわれた子供達の一人に僕の幼馴染がいます。きっと彼女は僕が助けに来てくれると信じている。その思いに僕は応えたい」
「……全てを投げうって野盗からお姫様を救出か。ふふ、まるで英雄譚じゃの」
突然、亜神様が鋭い眼になり言葉を続ける。
「だが、それだけでは言葉が足らぬの。サラーサ様の導きならばこそ、もしお主が間違っているのであれば正す必要がある」
月が雲で隠れたのか、周りが一層暗くなる。
気のせいだろうか。亜神様の瞳がうっすらと光を帯び、怪しく揺れている。
「……黒き髪を持つ少年よ。まだ何も与えられぬものよ。心の底でお主は何を望む?」
何か頭がぼーっとする……。亜神様に答えなくちゃ…………。
「…………僕は野盗に襲われてお婆ちゃんを亡くし、昔には魔獣に襲われて母を亡くしています。父も戦争に巻き込まれて亡くなっています」
肯き一つで続きを促される。
「でも僕だけが特別じゃない、戦争、魔獣、飢饉、災害……国や貴族の都合に振り回され、自然や魔獣の猛威に脅かされ、助けを求めている人々が大勢います。僕やエミリーのように、今の制度では救われない人達、そういう人を僕は助けたい」
「そのような者を助けてなんとする。ただの自己満足にしか過ぎぬ」
「確かにその通りです。でも僕は少なくとも目の前で助けを求めている人を見捨てたくありません」
「人に認めて貰いたい、お主の考えはそんな薄っぺらい欲求にしか思えぬ。考えてもみよ、その先に何が待つ。今の制度を作り上げたものとの揉め事じゃ。一度村から、親から見捨てられた子供が元通りの関係になると思うておるのか」
「…………正直、そこまで先のことを考えてはいません。でもエミリーを救いたい、その気持ちには偽りは無く、それは認めて貰いたいからではありません。僕の家族なんです、助けたいんです。お婆ちゃんにも言われました、勇者様に顔向けできないことはするなと」
「子供の頃、勇者様に憧れる少年は多い、だが皆、いつの日か大人になり現実を知り、心のどこかで諦め、そんな憧れなど忘れ去る。力なきものが大それた夢を持つと身を滅ぼすぞ?」
「……それでも僕は決心しました」
お婆ちゃんに、この手帖があれば僕なら出来る、そう言われた。
とても自信は無いけれど、嘘を言わないお婆ちゃんを僕は信じる。
「…………僕はお婆ちゃん、お母さんが命を賭して救ってくれなければ既に無い命です。その命の使い方、僕はお母さんとお婆ちゃんに恥ずかしくない生き方をしたいです」
改めて頭を下げる。
「お願いです! 僕なら出来る、そうお婆ちゃんも言ってました! エミリーを、人々を助けられるかもしれない知識と技術を僕は持っています」
「サラーサ様がか…………武力でも金でも無く、知識と技術で……本当にそのようなこと出来ると思うておるのか?」
「はい、だって僕は昔、同じことを。いえ、世界を変えた人を知っています」
「…………お主は勇者様のような英雄になると申すか?」
「頼まれたんです、エミリーを助けてと。あの子の英雄になってと…………今の僕でもエミリーだけの英雄なら、ちょっと背伸びすればなれるかなって思うんです」
この手帖があれば……。
「ふむ、その者だけの英雄か……」
亜神様は口を閉じ、しばし僕を値踏みするかのようにじっと見ている。
「…………お願いします! 僕は人助けをしたいです!
僕を助けてくれたお母さん、おばあちゃんが僕を助けた価値があったんだって証明できるように!
私があの子を助けたから、もっと大勢の人々が助かったんだって天国で神様相手にに自慢出来るように!」
「…………」
「…………」
感情が高ぶり、最後は身振り手振りを交えて涙ぐんでまで思いを説明する。
僕はなんでここまで必死なんだろう……。
でも今、ここでこの人を説得しないと駄目な気がする。
「ふふ……ふはははははっ……神様相手に自慢か、確かにサラーサ様ならやりかねぬな」
「はい……きっと神様相手でも物怖じしないと思います」
「確かに、確かに。……しかし先ほどまで、おどおどしていた少年とは思えぬ大それた考えよの」
「自己主張しろと、オズベルトさんにも先ほど教わりましたしね」
隣にいる傭兵に目を向けると、無言だが全てを聞いていたのだろう、口元を持ち上げて不敵な笑みを浮かべいる。
「俺に難しい話はわかりやせんが、坊主がしっかり覚悟していること、男でも惚れそうなくらい、まっすぐな奴だというのはわかりやした」
「のう……お主らは不思議に思わぬか、遠くの国から来た勇者様が何故戦ったのか、何故世界を救ったのか?
我が思うに彼はただ自分の近くの者を守りたかっただけよ。知り合いを。友人を。恋人を。家族を。守るべきものが増えて、全ての者を守るためには世界を救う必要があった」
僕も知っている。他所の国から来た勇者様は愛国者では無かった。
また本当は慎重で臆病だった。
勇者様がどれほど悩み、悔やみ、迷い、それでも前に進んだのかを。
「きっとお主は勇者様と同じ考えを持つ者なのであろうな……」
亜神様がどこか遠くを見る。
「ふふふ、面白いでは無いか。良かろう」
亜神様が団長を指差し、指示をする。
「オズベル、明日から三日間こやつに手を貸せ、我はこの村に留まる」
「都に戻ったら追加手当頂きやすぜ」
「わかっておる」
次に亜神様がこちらに振り向き、僕を指差す。
「ハルトよ、我は手を貸さぬ。無法者と言えど人族の争いじゃ。ここから先はお主らで考えよ。ただし、最後までやりとげるのじゃぞ」
「はい! ありがとうございます!」
僕は深々と亜神様に頭を下げた。
また風が吹いたのか雲の隙間から、周辺に一筋の月明りが降り注ぐ。
「ふふ、英雄か…………」
亜神様が独り言のようにつぶやく。
田舎の村ノースレイの晩秋の夜、世界の歴史はここから動き始める。