#6 襲来3
秘密の抜け道から広場まで、走ればものの数分だ。
しかし、建物の陰で野盗が待ち伏せしている。
常にそういう心がけて慎重に進もう……。
耳を澄ませるが、聞こえるのは鳴り響く自分の鼓動だ。
大丈夫、大丈夫だ……。
建物の角ではそろり、そろりと近づき、角の奥の気配を確認してから走り抜ける。
その遅さがもどかしい。でもここで誤ったら全部終わる。
集中力を落とさないように緊張を保って進む。
…………。
ようやく見えた、広場だ。
ここまで野盗には出会わず、その気配を感じることも無かった。
一度、物音に驚いたことがあったが、豚が小屋の板壁を蹴った音だった。
息を潜め、物陰に潜んで様子を伺う。
……想像通りだ。広場の西側に野盗、東側に村人が二十メートルほどの距離を挟んでにらみ合っている。野盗は粗末ながら剣や槍などの武器を、対して村人たちの手には鍬や鎌など武器となる農具を握り締めている。
両者の間では罵詈雑言が飛び交い、そこにたまに投石が混じっている。
一、二、三……野盗は十八人。
村人は男衆が二十五人ほど、その奥には十五人ほどの女性達。
投石用の石を持って来たり通りの奥で障害物を積み上げたりと手伝っている。
…………いた!
村人の奥におばあちゃんがいた。
障害物を積み上げる女性陣の指揮をとっているようだ、ひとまず一安心する。
エミリーは見当たらないが他の子供とどこかに隠れているのかな……?
改めてこの状況を頭の中で整理する。
村人側は略奪の被害を防ぐため、広場より先には進めさせたくない。だが自分達だって死にたくないし、怪我もしたくない。
野盗側はここを超えてさらに略奪したいが、西側の略奪が終わるまでは無理をしたくない。
戦力がある程度拮抗しており、どちらも守り優先のため膠着状態なのか。
野盗はきっと略奪が終わったメンバーの合流待ちだ。また仮にここを抜けなくても村の半分を維持して略奪できているなら、人数を考えると上々だろう。このまま膠着させるのも一つの手かもしれない。
対して村人も人が集まるのを待っている。もし先に野盗に増援が来れば、ここは放棄して奥に退き、障害物で時間を稼ぐ作戦だと思う。
野盗を見ると明らかに他と格が違うのが二名。一番後ろにいる恰幅が良いリーダーと、先頭にいる手斧を肩に担いだ腕っぷしが強そうな大柄の男だ。
他の野盗は体も細く、農作業で鍛えている村人より強そうには見えない。
……どうするか。ひとまずおばあちゃんの無事は確認出来た。エミリーのことを聞きにおばあちゃんに合流すべきかな?
僕が次の行動を躊躇していると、北通りの奥に動きがある。
まずい…………。
北通りの奥にも障害物が積み重なっているのだが、さらに奥側からそれが取り除かれようとしている。きっと野盗が合流しようとしているのだ。
人数ははっきりとはわからないが、略奪する人数を考えると五人から十人程度か。
建物の陰になり東通りにいる村人は気付いていない。
もし増えた野盗が今いる野盗に合流しよううとするのであれば、それを見た村人は奥に下がり障害物で道を塞ぐだろう。
だが、もし北側の野盗が村人達を横合いから急襲したら?
その接近に気付いていない村人は一気に崩壊する可能性が高い。
…………このままではお婆ちゃんが危ない。
どうする。大声をあげて知らせるか。
でも、その後に僕はどうなる……。
野盗との距離は三十メートルほど。数人の野盗が本気になって追いかけて来たら秘密の抜け道に着く前に僕は捕まるだろう。
考えろ、考えろ。
勇者様ならどうするか……。
無意識のうちに親指の爪を噛み、思案する。
頭の中でこの広場周辺を俯瞰的な視点で考える。
まるで砂箱の中のようだ……。
そう気づいた瞬間、状況が鮮明に把握出来た。
人数、武器、質、距離、時間……。
……自分が自分では無くなったかのような感覚がわき上がる。
まだ時間はある、この状況を打破するには奇襲、指揮官狙い、各個撃破……。
頭が冷めていくのがわかる。
一方で野盗に聞こえないかと心配になるほど、ドクン、ドクンと心臓が高鳴る。
あれ? 僕は何を考えているんだ……。
一瞬疑問を持つが、感情より理性を体は優先する。
僕は弓に矢を番え、ゆっくりと引き絞る。
狙いはリーダーの男。
次の動きまでを予想してしっかりと狙いを定める。
……いけっ!
放たれた矢はわずかな風切り音を残し、狙い通り男のこめかみに突き刺さる。
男は一瞬、ビクンと身体を痙攣させてからドサリと前へ倒れこんだ。
…………今、僕は生まれて初めて人を殺した。
でも心の波はとても静かだ。
相手が野盗だからだろうか。
……いや、心の奥底で感情は喚いている。
嫌悪感、罪悪感、恐怖、後悔、不安……そして少しだけの興奮。
でも僕の強い理性がそれらの感情を全て押し殺す。
近くにいたものは倒れた音に気付くが、矢を射られて倒れたとは、すぐには理解出来ない。
その光景をやはり他人事のように冷めた気持ちで見つつ、二本目の矢を番え、狙いに時間を掛けずに射る。
「痛ぇっ!!!」
狙い通り先頭の大柄な男に当たりはした。だが吹いた風に押され狙いがずれた、命中したのは肩だ。
それでも男は手斧を落とし、うずくまる。
完璧では無いが当初の目的である二人の無力化は出来た、あとは村人が動いてくれるかだ。
「あそこにいるぞ!」
今度は矢の軌道を見えた者もいたのだろう、一人がこちらを指さすことで、傷ついた大柄な男も含めて野盗達が一斉にこちらを見る。
幾つもの目から強い殺気が僕に向かって放たれる。
生まれて初めて向けられた本当の殺意。
憤怒、憎悪、そして狂気。
…………。
その殺意を理解した時、それまで押し込めていた僕の感情がどっと滝のように湧き出てくる。
あれ……。
これって殺される…………?
殺される…………。
殺される! 殺される!
怖い! 怖い! 怖い!
ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバい!!!
先ほどまで僕の体を支配していた理性はどこかに行ってしまった。
緊張で息が出来ない、恐怖に体の芯から震える。
今すぐ逃げ出したい。
山で動物を一方的に狩るのとは違う。
これが人の殺意……。
それでもなお、わずかに残っていた理性と勇気をかき集め、矢筒から三本目の矢を取り構えようとする。
だが、するりと手から矢がこぼれ落ちる。
慌てて次の矢を取り出そうとする…………今度は指先が震えて矢を上手く掴めない。
身体がまったく言うことを聞かない…………。
歯の根が合わず、ガチガチと大きな音を立てる。
くそっ、僕はビビっているのか!
僕はこんなに弱虫だったのか!
「今だ、行け! 行け!」
「「「「うぉぉぉーー!!」」」」
顔役の号令の元、村人は準備していた石を一斉に投擲する。
強そうな二人が無力化したのだ、さらに他の野盗も村人を見ていない。これは好機と村人が攻勢に出る。
真横からの投擲では避けられない。野盗から情けない悲鳴があがり、当たり所が悪かったのであろう数人が崩れ落ちる。
それを見て村人たちの中で勇気あるものが農具を手に持ち野盗に向かって駆け出す。さらに奥にいた女性達も参加し、投石がより激しくなる。
「チッ、退くぞ!」
野盗も判断が早い、逃げることにしたのだ。
傷を負ったものを手助けしながら大柄の野党が甲高い口笛を吹きながら西門へと駆け出す。
何かの合図なのだろう、北通りに居た半ば障害を取り除いた野盗も戻っていった。
退いてくれた……。
生まれて初めて向けられた殺意。
本当の殺意があれほどとは思っていなかった。
僕に向けられていた激しい憎悪と怒りが無くなり、僕は心の底からほっとする。
助かった…………。
その瞬間、僕は安心のあまり野盗から目を離してしまった。
本当にごくわずかな時間だった。
だがそのわずかな時間に、野盗の一人が僕に向かってナイフを投げていた。
それに気が付いたときには、もう遅かった。