第五「それでも分からぬのが人間である」
だいご――それでもわからぬのがにんげんである
『幻影の暗殺者』、彼にも仕事上の取引相手が存在する。
その筆頭は情報屋だ。情報屋とはその名の通り情報を売買する商人のことで彼らは時に裏世界の秘密をも握ると言われている。
情報屋は様々な場所に存在し、中でも世界を股にかける情報屋もいる。
その中の一人にジャックという男がいた。
ハナコの故郷、ビステア王国にインは来ていた。ハナコは屋敷にお留守番してもらっている。ビステア王国は中堅に位置する国で緑豊かな国土に主な産業は農業、布織物、鉱石等々。資源もそれなりにあるため国は貧しくなく、国風はゆったりしているのが特徴だ。建物はレンガ造りと白い壁の家々が主で、道も整備されている方だろう。とくにこの国は腕利きとして、ビステア王国騎士団が有名だ。
そんな事をインがつらつら考えながら路地裏に身を滑り込ませる。どんなに豊かであろうと、のどかな場所だろうと闇は存在する。
路地裏にひっそりと店を構える酒場にインは入る。こういう場所には裏稼業の者たちが息づく。とそこで店の中からインに声をかけられる。
「ヨォ!幻影の旦那、元気かい?」
「……誰?」
「オイィイイイ!! 旦那そりゃないぜ!ほら、思い出して!いつも旦那に情報を提供しているジャックさんですよ!」
「?」
「アッ。だめだ、コレ。本気で分からないって顔してるッ……!」
無表情ながらも目を瞬かせるインにジャックは頭を抱える。
彼の名前はジャック。世界をまたにかける腕利きの情報屋だ。茶色の髪に瞳、軽薄な印象を与える軽い青年、日常の風景に溶け込めるくらいに彼は平凡に見える。ある意味、インとは正反対の青年だ。ジャックという名前も偽名だろう。
「まぁ、いいや。俺は仕事をすりゃいいんだし。旦那、頼まれていた情報だぜ」
「ん」
「でも旦那、今回ばかりは相手が悪くないッスか」
「そ?……まぁ面倒ではあるか」
「うわぁ、俺相手に同情するわぁ。旦那、それで対価は何を払ってくれるんですかい?」
「ん?どっちでも」
インが無表情で先を促すとジャックは軽く笑う。ちなみに対価とは金か他の情報かになる。
「じゃあ、金でお願いしやすわ」
ジャックにインは金貨の入った革袋を投げる。その中身をジャックは確認し笑顔になる。
「まいどあり。そういや、小耳に挟みましたぜ、旦那」
「?」
「旦那を探っている奴がいるそうっスよ」
「……いつも。問題ない」
「そうなんですけどねぇ。俺の情報屋の勘って奴がヤバいって告げてるもんで。旦那はお得意様ですからね。一応親切心での忠告っスよ」
「ん。分かった」
ジャックの言葉にインは淡々と頷いた。その揺るぎなさにジャックは苦笑する。
「旦那は流石だな。命を狙われても表情変わんねぇし」
「ん。どうでもいいから。それよりもあんた知ってる?女の子って何が好きかな?」
「は?」
インの口から放たれた言葉にジャックは石化するが如く固まる。ジャックの口はあんぐりと開けっぱなしだった。
「何貰ったら嬉しいか知ってる?」
「んん?どういうこった?旦那」
「いいから言え」
首を傾げるジャックにインが焦れて威圧感を溢れださせる。ぶわりと膨らむ冷たい気配にジャックは冷や汗を滝の様に流す。
「まぁ、小さな女の子ってならぬいぐるみか人形あたりが妥当じゃないッスか。もう少し大きくなりゃ花とか、アクセサリーとかそのあたりでしょーねぇ。後は見た目の綺麗な砂糖菓子あたりいいんじゃないッスか?」
「ふーん?分かった。参考にする」
「旦那、俺旦那がそういう趣味だって知りやせんでした」
「?」
「……ロリコンだったなんて……」
「違う」
「へ?」
「ロリコン、違う。俺にはハナだけだから」
キリッと言い切るインにジャックはうなだれる。それがロリコンって言うんだってッ!! と魂の叫びが聞こえてきそうである。
「つーか、誰ッスか?ハナって」
「じゃ、俺仕事だから」
ジャックの声をまるっと無視してインは酒場を出る。
今インは変装しているが(何故ジャックが分かったかというと以前この姿で会った事があっただけだ)、このまま仕事に行っても差し支えないだろう。ああ、早くハナコの元へ帰りたいとインは逸る気持ちを抑えて夜の街の空へ駆け出す。
今夜の依頼は簡単だ。以前の依頼の様に派手に命を散らすことのない。静かに静寂の元命を握り潰せば完了だ。
今日の仕事は終わった。わずか十分である。標的のいる屋敷に忍び込んでサクッとやってしまえば完了だ。勿論、そこにはなにも証拠は残さない。ただの足跡の一つすら。
インは返り血一つ浴びてない黒のコートを脱いで歩ていた。下に着ていた普通のシャツとズボン姿で街を闊歩する。
さて、ジャックに言われた品物を見ていた。ハナは何が好きだろうか?無難に花束か、とインは花屋で花々を見ていた。店員から声をかけられる事はない。鋭く冷たいインは近寄りがたい雰囲気だからだ。
「これ。それとこれも」
インは我関せず、店員に色とりどりの花々を指さす。言われた店員は指示された花々を綺麗な花束に仕上げていく。
「毎度ありがとうございました」
店員から花束を受け取り言われた代金を渡す。そして振り向く事なくまっすぐ歩いていく。ハナコに会いたくて逸る気持ちに背中を押されてインは家路を急ぐ。
インの本拠地の屋敷まで着いた。もう日付は変わりそうな時刻だ。まぁビステア王国からここは遠い。往復五日はかかると言われている距離を数時間に短縮しただけでも見上げたものだろう。
「おや、お帰りなさいませ。イン様」
「ガーゴイルか」
屋敷の広間で四人掛けのテーブルに手を付き、紅茶を飲んでいたガーゴイルがインに頭を下げる。彼はインを待っていたのだろう。ガーゴイルの隣には彼の肩に頭を預け眠るドールの姿があった。
「ドールと下がっていいよ。手伝う?」
ドール運ぶの、とインは首を傾げた。ガーゴイルはそれに緩く横に頭を振る。
「いえ。大丈夫です。これでも彼女の夫は私ですからね。愛しいハニーを運ぶのは苦じゃないんですよ」
にこやかに告げガーゴイルはドールを姫抱きにして持ち上げる。
「それでは私どもはこれで下がらせてもらいます。イン様も早く休まれてくださいね」
「うん。それともう待たなくていいよ。俺、大丈夫だから」
「分かりました」
ガーゴイルは小さく礼をして部屋へと足を進める。インは魔法で保護していた花束をそのまま魔法で空中で浮かばせる。これで保護の結界の中、花束は枯れずに済む。そして朝、ハナコに渡せば喜んでくれるだろう。そうであるといい。
「ハナはもう寝ているかな」
インは自室に足を向ける。一緒の部屋、一緒のベットというのはハナコと一揉めあったものの、インのごり押しで一緒の形で落ち着いた。
インは自室のドアを音もなく開け、するりと身を滑り込ませた。
ハナコはベットの端に寄り、すうすうと呑気に寝入っていた。インはそれをどうしようもなく手放したくないと思う。
「ハナ」
小さくこぼれる言葉はインにとって無意識だった。するりとハナコの柔らかな頬を撫でる。右手で撫でていたものを左手も加えて両頬を包むようにする。この温もりに触れる度にインは自分が人であった事を実感する。この温もりをもっと触れたいと思うし、許される限り時間を共にしたいと願ってしまう。
「これをなんて言えばいいんだろう……?ね、ハナ」
自分でも驚くほど優しい声が出てインは内心驚く。むにむにと頬を包んでいた手を離し、柔らかな黒髪を右手でそっと触れる。
はぁ、とため息を吐き、インは着替える為にベットから離れる。そしてそのまま寝間着に着替える。仕事着とは違い、こっちは布一枚の簡素なものだ。
インはベットに身を潜らせる。より温もりを近くに感じることが出来て、インはゆっくりと目を閉じた。
覚えている限りぐっすり寝たことのないインは不思議とこのまま深く眠れそうだった。驚く程に安らぎと安心感をハナコの傍で覚えてしまった。でもこれでいいとインは思える覚悟はある。
翌日、目覚めたハナコに昨日買った花束を差し出したインは思い描いた通りの笑顔を目にすることが出来た。
この感情がなんであってもいい。インはそう思う。大切なのは手放せないモノがある、それだけでいい。それを全力で守り、手放さない。それだけでいい。インの世界はいつでもシンプルだ。
「大好き、ハナ」
今はこの一言でいい。インの蕩ける声にハナコは赤面した。そして熱があるのではと慌てるハナコにインは喉を鳴らしてクツクツと笑った。なんの飾りもない笑みだ。
ここはかつての英知の極みまで至っていた場所。今は崩壊し、跡形もない。素晴らしい街並みも、宮殿も、屋敷も、何もかも消え去っている。今は家々の跡地が、建物の壁がボロボロに残るのみだ。そこを男はふらふらと足取り危なく歩いていた。
茶髪に緑の瞳、服装は貴族のそれだが、ボロボロにほつれ威厳の欠片もない。右目にモノクルをかけているもののモノクルはひび割れており、機能を果たしていないように思える。細身の優男の風貌の彼だが、頬はこけ、目の下にくまをつくっており眼光は鋭い。
右目にかけているモノクルの奥の緑の瞳は澱みきり光がなく、やつれきった男の様相はゾンビの様に生気が感じられなかった。
「化け物め……。そこにいたか」
ぶつぶつと生気のない声は怨嗟の澱みのように暗い。男は虚ろな瞳で虚空を睨み、舌打ちする。
「『幻影の暗殺者』はアイツに違いない。おのれ……、我が野望のみならず、親友の、希望の命を奪っておいてのうのうと暮らしやがって……許さないッ!!」
光のない瞳は今は復讐の怨嗟でギラギラと光っていた。
「あ゛ぁああああああああああッ!!」
男は慟哭の叫び声を上げた。それはさながら獣のような声で、身の内の怒りを解き放つようだった。
今回のサブキャラ、ジャックさんはツッコミ枠です。インさんにロリコン疑惑が……(震え