第四「運命論を信じるか?」
だいよん――うんめいろんをしんじるか?
幻影の暗殺者。百億の賞金首であり、正体不明の殺し屋だ。
どんな依頼だって遂行し、お金さえ積めば殺せない者はいないという。
彼は噂によると屋敷を持っているらしい。
場所は噂によって様々だ。やれ地下にあるだの、実は滅びた亡国の国境にある死の森の中だの。
一つ言える事といえば、そこに行くにはそれ相応の覚悟が必要な事だ。
「ねぇ、ハナ?運命って信じる?」
「は?」
始まりはこんなふざけたインさんの呟きからだった。
「で?」
私は死んだ目をしていたと思う。いやだって、宿屋で寝て、目が覚めたらこんなご立派な門構えがそびえ立っているなんて予想外すぎる。インさんの腕から私は降り立って先ほどの台詞だ。多分私が寝ている最中に移動したのだろうな。ここどこなんだろう?
「知り合いにそう言えば『運命的な』二人がいたな、って」
「ほう」
「で、ハナに紹介した方がいいかなって」
「うんうん。それで?」
「ここに住んでいるんだけど。というかここが俺の本拠地なんだけど」
「そっかぁ」
「ん」
「そう言う事は本人の承諾を得てから、連れてこようね!?」
「?」
「いやいや、インさん。『何言ってんだ?こいつ』的な目で見ないでよ!私人間!人権をップリーズ!!」
「ぷりーず?なにそれ」
「あっ、これ向こうの言葉だったわ」
私の叫びにこてりと小首を傾げるインさんに私はしまったと頭を抱えた。
私たちの前にそびえる立派な屋敷の門構えはギギィと耳障りな金属音をたてて開かれた。
「おかえりなさいませ、マスター」
インさんに向って綺麗なお辞儀で迎えるのはメイド服の女性だ。髪の色は桃色、瞳の色も桃色。穏やかな笑みが似合う、ふっくらとした彼女は温和な雰囲気の美人さんだ。ふくよかな見た目の彼女だが、顔のパーツが整っていて優雅な仕草と相まって美しく見えるのだ。更に言うなら長い丈のメイド服を違和感なく着こなす様は流石本職と褒めたいくらいだ。
「……ドール。冗談はやめろ」
「ふふ、ごめんなさい。インさんは私たちの可愛い弟みたいなものだから、からかいたくなるんですよ。ところで、そちらのお嬢様はどちら様?」
ほわっと優しい笑みを浮かべ、私の顔を覗き込む桃色の彼女に私は後ろに一歩後ずさる。
「はわっ、えっと。こんにちは。私はハナコと言います。ハナコ・スミスです」
「ふふ。こんにちは。私はドール、この屋敷で働くメイドですわ。インさんは昔からの付き合いで弟兼雇い主みたいなものですのよ」
「ドール、さん」
「ドールとお呼びください。ハナコさん」
にっこりと花のように晴れやかな笑みを浮かべるドールさんに私は曖昧な笑みを浮かべるしかない。
「呼ばなくていいよ。ハナ。……ドール、ハナは俺のだから」
「あら?ふふふ、そう。悪い事をしましたのね。まぁ私には素敵な旦那様がいるので関係ないのですけど」
インさんの睨みにもころころと鈴のような声で笑うドールさんは中々強かだ。
「おや、皆さんおそろいで」
「ガーゴイル!」
深みのあるバリトンボイスにドールさんは喜色満面の笑みを浮かべる。彼女が呼んだのはバリトンの彼の名前のようだった。
屋敷の玄関からひょっこりと顔を出したのはワイルド系イケメンさんだった。真っ赤な髪は跳ね、後ろに流され襟足の所まである。切れ長の緋色の瞳は意志の強い輝きに溢れていた。褐色の肌は鍛え上げられた肉体を更に屈強に見せる。その癖物腰は柔らかだ。紳士のような佇まいの彼は執事のような燕尾服をかっちり着こなしていた。
「そちらのお嬢様は?」
「インさんの、らしいですよ。あなた」
「それはそれは。僥倖なことですね。では私も自己紹介をいたしましょう。私はガーゴイルと申します。わが友、イン様に仕えて執事の真似事をしております。それと、こちらのドールは私の妻でして、夫婦共々よろしくお願い致します」
「えっ?!」
私の驚きの声にガーゴイルさんとドールさんは左手薬指の結婚指輪を見せてくれた。なぜか二人とも手袋の上から結婚指輪をしているんだけど。
「私たちは『運命的な』恋愛の末の結婚ですからね」
ガーゴイルさんはそう言って何処か遠くを見た。私が訪ねるよりも先に、ドールさんが声をかける。
「そうだ、二人とも。今回は結構長くいますよね?屋敷を案内いたしましょう。ハナコさんの為に、ね?」
「ふ、そうですね、ドール。では貴方が案内をしていてください。その間、私は夕食の準備をしていますから」
「おねがいね、あなた」
「ええ」
ガーゴイルさんとドールさんが息のあったやり取りで私たちがこの屋敷に滞在する事が速やかに決定された。インさんは、といえば相変わらずの無表情で私の事をじっと見ているだけである。素直に怖い。
「こっちが食堂で、突き当たりの右の部屋がインさんの部屋なんですよ」
ドールさんがにこやかに説明していく。彼女の道案内に私たちは着いていくのみだ。インさんは私の後ろに居て、熱視線を感じる気がする。しかも無言。
「あ、そうそう。ハナコさんの部屋はどういたします?やっぱりインさんと同じ部屋?それとも隣かしら?」
「同じ部屋で」
「即答!? いやいや!待ってッインさん!私乙女だから!うら若き乙女だから!」
「?」
「いやいやいや!『何を今更』みたいな冷めた視線やめません?!」
「だって……宿屋では一緒のベットで寝た仲」
「おうまいがっと!! インさんアカン、それ言っちゃアカン奴。誤解しちゃうでしょ!!」
「?」
「だーかーらぁ、『何言ってんの?』みたいな顔やめてってばッ」
「ふふふ。あらあら、まぁまあ!二人とも本当に仲が良いのね!今日はお祝いしなきゃっ」
私とインさんのやり取りを見てドールさんは目を輝かせる。うきうきと張り切る様は世話好きの母親のようだった。私はそれを見て頭を抱える。違うんです、そんな深い仲じゃないんです。むしろたった一日ぐらいの浅い仲なんですよ、私の渾身のツッコミは喉の方に消える。
「ん。……ハナ、俺の特別だから」
「まぁ!熱いですね、応援していますわ!」
「ふっ、ありがと」
うわぁ。私は目の前のやり取りを大惨事を見るような目で見つめる。勘違いが加速していくわ、これ。絶対ドールさんに私の事勘違いされているよ。
実は誘拐犯と被害者なのだとドールさんに言えたらどんなにいいか、私はため息を吐いた。
「あと、ハナコさんに一つ注意がありますわ。地下室には行かないようにお願いします」
さっきまでの笑顔とは一転してドールさんは真面目な顔で言い含める。ん?地下室?と私が首を傾げるとインさんは付け足した。
「ここ、一応俺の活動拠点だから。地下には秘密が一杯」
「?」
「危険も一杯」
首を傾げる私にインさんは端的に説明した。淡々としたその口調が真実味を帯びさせる。き危険ってなんだろう、怖いわ。
「うん。地下には行かないようにしますね」
「ん、絶対、そうして」
頷く私たちをドールさんは微笑ましそうにして聞いていた。
「さ、そろそろ夕食の支度も終わる頃ですね。皆さん、食堂に行きましょう」
「はーいっ」
ドールさんの言葉に私は元気よく返事をした。頭にインさんの掌の感触がして、撫でられた。子供扱いだな、と私はむくれる。
結局ドールさんに背を押されて私たちは食堂に向った。
「ふふ、探検は出来ましたか?」
豪勢な食卓を囲みながら、皆黙々と食べていた。ちなみにこの食堂、あの金持ちの家とかにあるとても長い机だった。両端に座ると相手の顔が見えないくらい長い机である。席順はドールさん、ガーゴイルさんに対面する形で私とインさんで座って、あのクソ長い机の端っこに座っていた。
そんな中、ガーゴイルさんがにこやかに私に尋ねてきた。バリトンの低く落ち着いた声音はガーゴイルさんの紳士さを増長させる。
「はい!ドールさんが丁寧に説明してくれました」
「そうですか。それはようございました」
微笑ましそうなガーゴイルさんの声に私はかねてより尋ねたかった事を聞く。
「あの、それでここはどこなんですか?」
「おや……イン様に聞いておりませんか?」
「えっ?」
私のきょとんとした顔にガーゴイルさんとドールさんの顔が何故か強張る。
「まさか……イン様、失礼ですがハナコ様との馴れ初めをお聞きしても?」
「何故?」
「インさん、これは重要な事なんですのよ。もし、私たちの懸念が当たっているとしたらとんでもない事ですわ」
「ふーん」
ガーゴイルさんとドールさんの必死の訴えをインさんはどうでも良さげに頷くのみだ。
インさんはどう答えるんだろう、私はごくりと固唾を飲み込む。
「……ハナは、俺が攫ったんだ」
ポツリ。静寂に落とされた石は空気を凍らせる威力のある爆弾だった。
「はああああ?! 見損ないましたわ!! わたくしそこまで貴方が見境のない方だとは思いませんでしたわッ!」
「まぁまぁ。ドール、落ち着いてください。素の言葉遣いが出ていますよ。それにイン様にも考えがあるのでしょう」
机に手を付き、立ち上がり激昂するドールさん。それにガーゴイルさんは宥めようと穏やかに対応する。私は驚きで目をぱしぱしするしかない。インさんは我関せずで、食事を続行中だ。それはドールさんの怒りに油を注ぐ。
「それでも許される事とそうじゃない事がありますわッ!そうでしょう?わたくし達には、貴方とインさんには、よく分かる事だと思いますのよ」
「ドール!ここにはハナコ様もいる。それをよく考えて発言してください」
「ッ! そうですわね。……申し訳ありません。少し、取り乱しましたわ」
ガーゴイルさんの言葉にドールさんは少し落ち着いた。それでも彼女は涙目で、ふくよかな頬を自分の手で覆った。それは紛れもなく悔恨の表情だった。
「でも、インさん。誘拐なんてよくありませんわ。お考え直しください」
再び食事の席につくドールさんはしょんぼりしていた。消沈した表情と言葉にインさんがピクリと片眉を跳ねる。
「……俺、もう覚悟してあるから。無駄だよ」
言葉少ないインさんの静かな声は取り付く島もない感じだった。決して譲らない決意がそこには見えた気がした。
ドールさんが諦めたように溜息を吐いた。ガーゴイルさんも肩を竦める。
「諦めましょう、ドール。こうなったらどうにもなりません」
「そのようですわね」
やれやれ、といった雰囲気に私は困惑する。えっそんな簡単に諦めないで、が本音だ。実は私はまだ両親の元に帰る事を諦めていない。ほんの少しの蝋燭の火よりもか細いものだけれど。
それとガーゴイルさんとドールさんについて謎が深まるばかりだ。正確には、インさんの周りについて、だけど。
「ちょっとお話いたしません?」
夕食後、インさんの部屋までの道でドールさんに呼び止められた。ちなみにインさんはガーゴイルさんと話があるみたいで先に部屋で待っていてと言われた。
改めて、ドールさんの姿を眺める。ぽっちゃりとした彼女だが、美人さんだと思う。あれだ、ほんわか系美人。その温かみのある笑みは数多の人を魅了するだろうな、と思う。
「いいですよ」
私は二つ返事で了承する。それにドールさんはほんわかと笑った。可愛いな、この人。
「そう言えば私たちの事をインさんから何か聞きました?」
「うーん『運命的な』二人だって聞きましたけど……」
「まぁ。意外ですわね」
そう、インさんがとドールさんは呟き、顎に右手を添え考える仕草をした。
「どっちかというとインさんはその類の話は嫌いなんですのよ」
「そうなんですか?」
私は驚く。ドールさんは苦笑しながら頷いた。
「癪なんですって。訳の分からない、神様とやらの思い通りになるのが」
「わぉ、インさんらしい」
「ふふ、そうでしょう?でも私はね、案外悪くないと思っておりますのよ。なんだかんだ慕う殿方と結ばれましたし」
はにかみながら幸福の笑みを浮かべるドールさんは文句なしに美しかった。私の視線にドールさんは一つ咳払いし、本題ですと言った。
「私たちは、特殊でして。詳しくは言えないのですけど、お世辞にも良いとは言えない暮らしを体験いたしました」
「とくしゅ……」
不思議そうな私の復唱にドールさんは真面目な顔で頷く。
「理不尽な目に遭いました」
「悲しい事を強制されました」
「痛い思いもいたしました」
目を伏せ、謳うようにドールさんが言葉を積み重ねる。ドールさんは伏せたその視線で何を視ているのだろう。過去か、それとも。
「インさんをあまり責めないでくださいませ。罪を重ねるのも、愛し方を知らないのも致し方ない事情がありますのよ」
ドールさんの悲しい言葉に私は思わず言葉が出た。
「じゃあ、教えて。インさんに何があったの?」
私の言葉にドールさんは一瞬眩しいものを見るように目を細めた。
「ふふ、逃げられなくなりますよ。可愛い子羊さん。でも……そうですねぇ。ヒントを差し上げましょうか。それくらいなら大丈夫でしょうし」
「ヒント?」
私が首を傾げると、ドールさんは悲しそうに、
「私たちは、もうとっくに人間をやめているのですよ」
と自嘲するように嗤った。そして付け足す。
「どうか、見つけてあげてください。あの方の本当の名前を。それが『運命』を乗り越えた先輩からの助言ですわ」
「えっ」
それでは失礼いたしますわ、ドールさんは優雅に一礼し去って行った。私に出来る事はその背を呆然と見つめるくらいだった。
「それで?話って」
インは冷たく問いかける。ガーゴイルはそれに気にした風もなく頷いた。
「いえ、ようやく見つけたのかと感慨深くて」
「そう」
「イン様、見つかるといいですね」
「何が?」
「名前、ですよ。私もドールも見つけました。なので」
三人には忌々しい呪いがかかっていた。ドールとガーゴイルは紆余曲折あったが、解いた。が、インはまだだった。
ドールも、ガーゴイルも、インも、『本当』の名前ではない。
だからこそ、ガーゴイルは祈らずには居られない。どうか、どうか。この家族にも等しい青年に安息を、愛を、幸福を。
例え彼が『幻影の暗殺者』という罪人だとしても。彼が愛を知らなくていい理由にはなり得ない。
『本当』の名前が解る時、呪いはなくなる。
だからそれまでガーゴイルとドールは本当の名前を封印する事に決めたのだ。
彼も、全てひっくるめて良き『運命』だったと笑い飛ばせる日がくるといい。ガーゴイルは切に願った。
今回はメイドと執事が登場。インさんの過去をよく知る人物です