第八「誰でもいいって訳じゃない」
ハナコ視点と第三者視点が混じっています。それと軽いキス表現あり。苦手な方はご注意ください。
だいはち――だれでもいいってわけじゃない
誰でも胸に秘めているものがあると思う。
特別とか憧れるのも一回はあるのではないだろうか。
例えば異性に「君は俺の特別だ」とか言われれば胸が高鳴るのは女子として仕方ない事なんだと思いたい。
例え、その“特別”の理由が分からなくとも。
「俺の、特別」
そううっとりと恍惚の表情を浮かべるインさんは嬉しそうだった。黒い木の幹に手を付き、尻餅をついた私をその身体で囲い込む。細腕だと思っていたインさんの腕は囲い込む檻の様に私をしっかりと閉じ込めた。綺麗な、端整なその顔をぐっと近づけてインさんは囁く。
「ハナ」
「俺の、俺のだ。ね、ハナ」
「ハナが笑えば俺も嬉しい。ハナが望むなら、俺はなんでもしてあげる。ハナが悲しむなら、俺がその悲しみを取り去ってあげる。悲しませる奴がいるなら、俺が消してあげる」
インさんの低い、聞き取りやすい声が滔々と紡がれる。私はそれを呆然と聞きながら、インさんの端整な顔を見上げていた。相変わらずの無表情のはずなのに、私には泣いているように見えた。
「ねぇ、何が不満……?俺、なんでもしてあげるよ。ハナの為ならなんでも」
初めて、インさんの声が微かに震えた。怯えるように、または縋るような声だった。私は「家に帰して」と一言いえばいい筈だった。そうすればインさんは叶えてくれるだろう。だってこの声は嘘を言っていない真摯さがあったから。でも、私はそれを言わない、言えない。
「じゃあ」
私は震える喉を叱咤し、言葉をどうにか吐き出す。
「じゃあ、インさん。教えて。なんで“私”なの?」
インさんは私の震える言葉に目を見開いた。至近距離で見える銀色の瞳は困惑の感情が透けて見えた。
「わからない……。でも、ハナじゃなきゃ嫌だ。ハナが、いい。ハナしかいらない。それだけでは……ダメ?」
眉を下げ、力なく呟くインさんに私は固まる。熱烈な告白を聞いてしまった、ぐっと我慢していた熱が込み上げた。顔がとてつもなく熱い。今私の顔を見る事が出来るなら、真っ赤に染っているだろう。
「駄目じゃない、よ。インさん」
つっかえながらどうにか私は言えた。インさんはそれに蕩けるような笑みを浮かべる。
「よかった」
インさんの顔がぼやけるほどに近づき、ちゅっと唇に柔らかなモノがあたる。
それがインさんの唇だと気づくと同時に私の意識は暗転した。要するにキャパシティーオーバーだった。
真っ赤な顔で気絶したハナコをインはそっと抱き上げる。横抱きにして温もりを腕の中に閉じ込める。ハナコはインにとって言葉に出来ない程に大切だ。本当はキスだけではなく、それ以上触れたいし共有したいと思う。けれど、それはまだ時期ではないとインは知っている。
インは魔法を発動させる。回復の魔法だ。淡い燐光がハナコの膝の怪我やその他に出来た擦り傷を癒し、無くしていく。
インは腕の中の未成熟な肢体を眺める。もう傷の残っていないまだ子供の域を脱していない幼さの残る細い身体。確か年のころは十三だったか。それよりも幼く見える彼女には、これ以上の触れ合いは毒にしかならない。とても大切だからこそインは待つことにしたのだ。
「はな……」
ずっと一緒にいたい存在。インの知覚できる唯一の温もりと言っていい。その他はどうしても触りたいと思わない。ドールやガーゴイルは家族の範疇だから許容できるが、他はみんな一緒だ。他は誰だって命の火を潰す事が出来る。
理由なんてもはやインの中では無意味だ。無価値である。そんなものがあってもなくても結果は変わらない。
ハナコが欲しい。心も、体も魂の欠片も全てまで。その代わりにハナコになら、インの全てをあげてしまってもいい。インはそこまでの覚悟を持っている。
インはそのまま屋敷に戻るため、ふわりと跳躍する。木々の隙間を素早く移動し、屋敷の玄関前まで飛ばした。勿論、ハナコが起きないよう揺れないように気を付けて移動した。
自室まで移動し、ベットにハナコをそっと寝かしてあげる。そしてハナコの靴を脱がせ、毛布をかけて、ハナコの頭を撫でた。ふわふわとした黒髪は柔らかでインは気持ちよさで目を細めた。
「おやすみ、ハナ。いい夢を」
音もなくインはその部屋を後にした。
部屋を出たインを待ち構えていたのはガーゴイルとドールの二人だった。二人とも心配そうな表情を浮かべている。
「イン様……」
「聞きたいんだろ?いいよ」
インは言葉少なに踵を返し歩く。その後ろを二人は静かに着いていく。行き先はこの屋敷の広間だった。
広間について、四人掛けのテーブルにそれぞれ席に着く。インに対面する形でドールとガーゴイルが隣り合って座っていた。ドールが紅茶を淹れ、三人分置いていく。
「それで?何が聞きたいの」
インの声はあくまで平坦だ。これにドールはグッと膝の上で拳を握った。
「なんでハナコさんが気絶して戻ってきましたの?インさん、まさか貴方がやった訳ではないですわよね?」
「んー?ああ、俺のせい……かも?」
インのこてりと傾げられた首にドールは盛大なため息を吐く。ガーゴイルはそれに苦笑いをしてドールの頭を軽く撫でた。
「ではイン様。ハナコ様に害はもたらしていませんね?」
「勿論、俺がハナを傷つける筈がない」
「清々しい程までにはっきりおっしゃいますのね。でもインさん、そろそろ考えた方がよろしいのではなくって?」
ドールの言葉にインは微かに目を細める。緩やかに細められる銀色は冷ややかな光を帯びていた。
「なにが?」
「もう一週間ちょっと過ぎていますのよ。きっとハナコさんのご両親は心底心配している事でしょう。彼らはきっと善良な一般市民です。ねぇ、インさん。こんな仕打ちらしくないじゃないですか。私たちはどれ程の咎を犯そうとも、一般人には手出ししない。それくらいの分別は持っていたでしょう?」
「私もドールの意見に賛成です。イン様、いくら貴方でも触れてはいけない領分というのがあります。それともハナコ様をずっとここにとどめておくとでも言うのですか」
ドールとガーゴイルの説得の言葉にインは涼しい顔で沈黙を守る。そして一息置いてから口を開いた。
「勿論。ハナは俺の傍にいさせる。ずっと、ずっとだ」
「なっ!それがどういう事か、分かっていますの?!」
「ドール、何度も言わせるな。俺は、覚悟をとうに決めている」
インの有無を言わさぬ響きの言葉にドールはぐっと言葉を飲み込む。ドールは唇を噛みしめ、俯いた。
「イン様。貴方が引かぬ覚悟をお持ちというなら、私から言える事は一つのみです」
ガーゴイルは静かな眼差しでインを見る。インはそれに真っ直ぐ見返し、先を促す。
「人の一生、というものは重いものですよ。どんな形であれ、それを独占するのであれば覚えておいて下さい。貴方が思うよりもずっとままならぬものです」
「ふぅん。それ、経験談?」
「ええ。人生の先輩からのアドバイスですよ、イン様」
インの確認にガーゴイルは頷く。ガーゴイルの柔らかな微笑とは異なり、言葉は軽んじられない重みがあった。
「けど、譲れない。二人だって知ってるだろ?」
ポツリ、インが落とした言葉は二人に響く。二人は、ドールとガーゴイルはそれが嫌という程分かっている。
「私だって分かりますわ。私にとってのガーゴイルさんが、インさんにとってハナコさんだという事ぐらいは……」
ドールの伏せたピンクの瞳がやるせなさで歪む。
「……それが、奇跡に近いって事も承知しておりますわ」
静かなドールの声はわずかに震えていた。
男は亡霊だ。かつての栄華の名残、残りかすみたいなものだ。吹けば消えるような残滓のような、ソレ。
「ああ……憎イ。あレが憎イ。なんでどうしてああ゛」
男は顔を手で覆い嘆く。呪詛を吐くように、低い声で唸る。ここはかつて栄華の要の場所だった。今はそれが跡形もない廃墟だが男にはここにしか居場所がない。
ここは地下。古代の英知をうかがわせる遺跡群だ。地下迷宮を思わせる複雑さは迷ったら死を思えと言わしめるほどだ。だから男の姿を隠すのには丁度いい場所だった。
男は己のぼさぼさの髪を掻きむしり苦悩の声を上げる。その姿はとても身綺麗とは言えない荒んだ姿だった。一見すると貴族のような服装だが、汚れ、裾がほつれボロボロで浮浪者の様相をしていた。右目にモノクルをかけたその顔も整っている部類なのに、浮かぶ疲労の色とやつれた様子で台無しになってしまっている。
さながらゾンビの様相の男はうめき声を上げながら足を進める。
「研究を、研究をシナケレバ、いけない」
取り憑かれたように男はふらふらと遺跡群の奥に姿を消した。
「化け物め」
男は苦々し気に呟いた。
はい、インさんアウトー。まあハナコさんの中身(精神年齢)は二十歳をこえているので作者的にはセウトです。




