災厄の魔女 オルランド・ローウェル
「正しい選択だったのだろうか」
彼女のつぶやきに応えるものは誰もいない。
そうであろう、ここは王宮より半刻ほど離れた場所にある王家の秘室であり、10m四方の部屋に在るのはひとりの姿。
石造りの部屋の床には、グランユズ葉の粉末で緻密に描かれた魔法陣が、周囲の魔素に反応して仄青く発光している。
魔法陣の中央にはオルランド聖国の王女・ローウェルが漆黒のローブに身を包み、ゆったりと佇んでいた。
オルランド・ローウェルの名を知らぬ者は、この国にはいない。
オルランド四世の娘として生を受け、僅か8歳にして失われたとされたオルランド家の秘術を手にして見せた。
『神との対話』
所謂、巫女というものである。
オルランド王国の宗教において、神は存在しない。
自然信仰が一般的であり、世界は絶対的唯一者に創られたものではなく、偶然に偶然が重なり自然が創り出されたという認識である。
それにもかかわらず「神」とされてるのは、秘術の名が表す通り、超常的な意志と「対話」出来るためだ。
「神」が何であるかは、ローウェル自身にも分からぬが、彼の言葉は王国を繁栄させた。
度重なる飢饉で痩せた土地を回復させ、三方向から囲まれた国々の猛攻を防ぎ、黒熱病の治療法を確立した。
更に細かい功績を挙げればきりがない。
語り継がれるオルランド一世の奇跡と比べても遜色ないそれらを体現するローウェルは、まさしく神童。
ローウェルはいつでも当たり前のように「神」の言葉を聞き、それに従う。
初めての声を聞いてから11年の間、彼の言葉が間違えたことなど一度もないのだから。
だからこそ「神」の最後の言葉を聞いたとき、ローウェルは戸惑った。
その特殊性ゆえに、誰にも相談出来ず、ひとり苦悩し、初めてその言葉に背きたいと思った。
一か月の間、書庫に籠もり、彼の言葉が誤りでないか、また別の解決方法がないのか、古い文献から最新の報告書まで読み漁った。
結果、ローウェルはひとつの結論にたどり着く。
彼の言葉が覆すことのできぬ真実であると。
「なぜ、ワタシなのだ。こんな運命ならば、チカラなど欲しくなかった・・・」
その夜、彼女は全てを呪った。絶望した。
しかし、同時に全てを愛していた。
一度も叱られたことのない優しい父も、無表情だが常にそばに寄り添ってくれていた母も、生意気な妹も、城下町を賑わう民も、赤茶けたレンガ屋根の街並みも、山肌を撫でる風の匂いも、川面を跳ねる魚も、夜に鳴く梟の声も、何もかも、全てを愛し、呪った。
「ワタシは全てを呪おう。
だから全てに呪われることを享受する。」
きっと、秘術を用いて救った全ての数よりも、多くの人に呪われるであろう。
私の名はこれまでの功績を打ち消し、史上最悪の魔女として語り継がれるであろう。
しかしローウェルは決めたのだ、どす黒く染まった底の見えぬ泥の道を歩むと。
魔法陣は魔素を吸い込み、いよいよ眩しく輝く。
力を得たその紋様は熱を帯び、ジジジ...と音を立て周囲の空間をゆがめる。
四の理を歪め、因果を改変させる、それが魔法。
「神よ、あなたの御言葉を、我が血を捧げ、現世に、異世に」
ローウェルは喉元にナイフを突き立て、その真っ赤な血を石畳にまき散らした。
苦悶に歪めた顔に、先ほどまでの清廉なローウェルはなかった。
口からは血の泡がポコポコと零れ落ち、目はぐるりと白目を向く。
膝から崩れ落ちた体は、重力に引かれるまま地面へ打ち付ける。
ローウェルの体を中心に広がる彼女の血は、魔法陣へ染み込み、青白かった輝きは深紅へと変わる。
(イタイイタイイタイイタイイタイイタイ。。。)
初めて感じる死の痛みの恐怖に思考は全て塗りつぶされる。
(痛いイタイイタイ痛いいたい、いたい、イタイ。)
(あぁ、でもこれでワタシは苦悩から解放される。)
始まってしまったのだ、もう取り返しはつかない。
後戻り出来ないこの状況に、ローウェルは久々の安らぎを感じた。
血を失い冷えていく体。
始まりを見届ける前に、死んでしまうだろう。
「・・・ご、めん、ね。みんなぁ・・・」
聖歴884年7月22日。
オルランド王国の全国民、264万人の命が失われ、国は機能を失った。
誰もがいつも通りの生活を営んでいる中、命だけをすっと抜き取ったかのように死んでいた。
新種の流行病かと世界中を震撼させたが、後年、隣国タガネ連邦の調査により、王宮内部の離れにて、大規模な魔法を行った形跡があったため、オルランド王国ローウェル王女の犯行によるものと判明。
しかし王国内部に生存者はひとりとしていなかったため、何が起きたのかは不明である。
何が目的で王女が「呪い」を行ったのかは分からない。
命を奪うことが目的だったのか、はたまた魔法の失敗によるものなのか。
歴史上最も人を殺した人物として、災厄の魔女と後世まで語り継がれることになる。
同日、世界の各地に異世界より128名の日本人が召喚された。