悪人
笑みを浮かべるハルトとは対象的に、マヤの顔は恐怖で強張っている。
「ハルト。きっと素直に話してくれるから、フジシロさんのところに向かわせた部下を止めてあげてよ」
「あぁ、そうだな。素直に話してくれるなら、止めてやろう」
「……分かった、話すわよ。だから、お祖父様には手を出さないで」
「物分りがよくて助かる」
そう言ってハルトはまたあの機械を取り出し、何やら操作をした。
「さて、部下は止めたし……そろそろ話してもらおうか」
「……何が聞きたいの」
「君の存在について。君は、異世界人だろう?」
「その言い方が正しいのかは分からないけれど、確かに私はこの世界の人間じゃないわ」
あっさり肯定された言葉。
ハルトは嬉しそうに頷いている。
信じれないのは僕だけだろうか。
「あぁ、そうだろうとも。君は異世界人だ。待ってたんだよ、君を。運命を変える一手をね」
「なんのことよ」
「いいだろう、説明してやる。この世界に今何が起きているのかを、な」
そうしてハルトは話し出した。
今、この世界に起きていることを。
改めて聞いていても信じ難い話だが、マヤは表情一つ変えずに聞いている。
「なんだ、あまり驚かないんだな」
「えぇ、そうね。そんなことだろうと思っていたから」
「何……?」
「かわいそうに。自分が特別だと思っているのね。選ばれた人間だと。自分にしかできない使命があるのだと」
「知った風な口を聞く」
「そうよ、知っているもの。この世界のことをね」
「どういうこと?」
「そのうち分かるわ。行くわよ、そろそろ始まるはずだから……第二幕が」
第二幕。
嫌な予感しかしない。
第一幕は、あの隕石のことだろう。
それなら、第二幕は……
「そうだな、行こう。話はこれからゆっくり聞かせてもらうぜ」
僕らはハルトの車に乗り込んだ。
ハルトの部下は連れて行かないみたいだ。
車の中には物騒なものが大量に積まれていた。
「マヤ。君は、これから何が起こるか知っているの?」
「知ってると言えば、知ってるわね。この世界が本当に私の知ってる世界そのものなら」
「え……?」
「来るぞ、よく見とけ」
ハルトの言葉で前方を見る。
そこには……得体の知れない物体が、蠢いていた。
「な、なんだよあれ……!?」
「あれが、絶望さ」
ハルトはニヤリと笑い、蠢く物体から離れたところで車を止める。
「あれは隕石が落ちたあと、発生する。あの蠢いているのが形を成し、人を襲い、喰らう」
それは確かに、絶望だった。
かつて選定人だった肉塊が砕け散った石と融合し、蠢き、徐々に化物の形を成していく。
この街で死んだ選定人は二人。
つまり、この場所ともう一箇所で化物が発生するということだ。
「良かったな。ミハルが生き延びたおかげで、敵は二体だけだ」
良かったとは思えない。
こんな化物とどう戦えというのだろう。
蠢いていた物体は、今や生き物としての体を成している。
赤黒いグチャグチャした体面に、そこから生える手足。
顔もなく思考すら存在していないような化物。
人を喰らうための口と、捉えるための手足のみが形成されている。
「安心しろ。あいつらの動きはそれほど速くない。
車なら振り切れる。それに、倒すまでは行かないが銃で足止めくらいはできるさ」
「銃?」
「後ろに積んであるだろ」
確かに後部座席には、重々しい鉄の道具が置いてあった。
「銃……これで、どうするんだよ?」
「撃つに決まってるだろ、あの化物を」
「足止めにしかならないんでしょ。あんたどうするつもりよ?」
「今はこれで十分だ。君たちにこいつを見せるのが目的だったからな。戻ってミハルを交えて作戦を立てるさ」
「これ、放っといて大丈夫なの?」
「こいつらはまず周囲の人間から喰らっていく。基地からは距離があるし、時間は稼げる」
「ここの人たちを見捨てるのか?」
「そうだな。今は救う術もないし、助けるメリットもない」
反論しようとしたとき、化物が動き出した。
化物の先にいるのは、恐怖で足がすくんだ女の子。
「あの子、助けないと……!」
「やめとけトウヤ。時間の無駄だ」
「なにが無駄なんだよ!」
なんの努力もせずに、見捨てるなんてできない。
僕は車を飛び出した。
「あのバカっ……!」
勝算なんてなかった。
だけど、助けたくて。
少女の元に駆け寄る。
化物はすぐ側まで迫ってきていた。
逃げる時間はない。
化物を見据える。
距離はあと僅か。
僕は車から持ち出した鉄の道具を、化物の脳天に思い切り振り下ろした。
鈍い音と、確かな手ごたえがあった。
化物は動きを止めた。
「効いた、か……?」
うずくまる化物から少女の手を引き距離を取る。
「早く、家に帰りなよ」
「うん……ありがとう、お兄ちゃん」
少女は頷き、駆けていく。
それを見届けた次の瞬間、突然衝撃に襲われた。
「ぐぁっ……!」
吹っ飛ばされたのだと理解したときには、地面に叩きつけられていた。
「トウヤ!」
マヤが駆け寄ってくる。
見ると、化物はさっき僕が立っていた位置にいた。
「お前ら、車まで走れ。ここは俺が引き止めてやるよ」
ハルトが鉄の道具……銃を構え、僕らを庇うように立っている。
「さっさと行くわよ、トウヤ」
化物がこちらを見た。
ハルトが銃を突きつけ、指を動かす。
銃から発せられる爆音の中、マヤと車まで全力で走った。
しばらくして、ハルトが車に乗り込んできた。
「これで少しは時間が稼げる。基地に戻るぞ」
化物は先程までの形が崩れ、地面に伏して蠢いていた。
「あれを完全に倒すには銃じゃ無理だ。それに時間が経てば皮膚は硬化し銃すら効かなくなる」
「それって、勝ち目あるの?」
「ないな。今の所は」
「ないって……ミハルって人も連れてきた方が良かったんじゃない? 一緒に作戦立てるのよね」
「いや……何の策もなしに、あいつをこんなとこに連れて来るわけにはいかないんだよ」
ほんの少し、ハルトの声色が変わった気がした。
けれど後ろに座る僕からは顔が見れず、ハルトの表情は分からない。
「まぁ、いいわ。あんたがどうするつもりなのか知らないけれど、お手並み拝見というとこね」
「随分余裕だな、こんな状況なのに」
「そうね……私にとって、この世界は仮初めのものだから」
そう言うマヤの瞳は複雑な色を滲ませ、僅かに揺らいでいるように見えた。
「さて、そろそろ逃げねぇと追ってくるぜ」
見ると、蠢いていた化物は再び手足を形成し始めていた。
このまま放っておいたら、この近隣の人が襲われ殺されるだろう。
けれど、今の僕にはそれを止める術がない。
自分の無力さが嘆かわしい。
僕には、何の力もないんだ。
「あんまり思いつめた顔するなよ。なにもお前が悪いわけじゃない。ここで死ぬ奴は、それまでってことさ」
「なんであんたはそんなに冷たいんだよ! そんな風に思えるわけないだろ!?」
「落ち着いてトウヤ。癪だけどその変態の言うことはもっともだわ。あなたが思いつめたところで事態は何一つ好転なんてしないの」
「おいおい、ちょっと待てよお嬢さん。変態って俺のことか?」
「あんた以外に誰がいるのよ。こんな状況でニヤニヤ笑ってるなんて気持ち悪い変態としか言いようがないわ」
「まぁ、一理あるな。けどお嬢さんも似たようなものじゃないか?こんな状況でそこまで冷静っていうのも可愛げがないぜ」
二人の会話が続いている間も、車はスピードを増し、先ほどの場所からどんどん離れていく。
これで僕らの安全はしばらく確保された。
だけど……そこに取り残された人達はどうなる。
あの化物のことを知らない人もたくさんいるだろう。
何も知らないまま、突然化物に襲われ、喰われるのだ。
そうなることを知っていながら、どうして見捨てられる。
どうして平然としていられる。
どうしてヘラヘラ笑っていられる。
そんなこと、できるわけがない。
「なぁ、ハルト。やっぱり戻ってあの人達を助けよう! 化物を倒せなくても、足止めをして、その間に逃げてもらえば……!」
「おい、トウヤ。一つ聞いていいか?」
「な、なんだよ」
「なんで俺達が、助けてやらなきゃいけないんだ?」
本当に、分かっていないというような顔をして。
何の嘘もなく、ただ純粋に。
とても残酷な問いかけをした。
ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。
初めて会ったときに感じた感覚。
怖い、と思った。
理解できない。
信じられない。
だけど確かにハルトは、嘘をついてはいない。
ただ本当に、分からないのだ。
見知らぬ他人を助けたいと思う気持ちが。
「なんでって……あんた自分で言っただろ、世界を救うって」
「あぁ、言ったさ。救うのは世界で、そこに生きる無数の人間じゃあない。」
「どういうことだよ」
「俺は、俺と俺を取り巻く少数の人間を救えればそれでいいのさ。それが俺の世界だ」
「なんだよ、それ」
「そのためならその他大勢の人間がどうなろうが、至極どうでもいい。当然だろ? 無関係の人間なんだから」
あぁ、やっぱり。
こいつは救世主なんかじゃない。
自分勝手な、悪人だ。
「よく分かったよ……あんたには協力できないってことが」
僕には力がない。
何の策もない。
ここで一人であの化物と対峙しても勝ち目はない。
誰のことも救えず、自分が死ぬだけだ。
だから諦めるのが妥当で。
賢い選択なのだろう。
けれど僕は……それを納得できるほど、利口じゃあない。
「おい、何する気だトウヤ」
「ごめんハルト。僕は降りる」
走行中の車のドアを開ける。
「おい、馬鹿なことをするな!」
「馬鹿でもいいさ。自分を貫けるなら」
少しカッコをつけて、笑みを作る。
そして僕は、車外に飛び出した。
「ハルト、車を停めて!」
「くそっ……!」
強い衝撃を受け、地面を転がる。
あちこちに傷ができるが、気にしてる場合じゃない。
痛みに耐え、立ち上がる。
無謀だろうと、愚かだろうと。
立ち止まりはしない。
「あの馬鹿、せめて銃くらい持ってけよ!丸腰でどうする気なんだ」
「使い方なんて分からないでしょ。行ってハルト。あんたは早く作戦なり何なり立てて現状を打破しなさい」
「あの馬鹿を見捨てれねーだろ。あいつは必要だ」
「私が行くわ。時間を稼ぐから、早くしなさいこの愚図」
「なんでお前が……」
マヤが銃を担ぎ、ハルトを見据える。
「助ける義理なんてないけれど、人が死ぬのは目覚めが悪いもの」
「……お前のほうがよっぽど世界の救世主みたいな顔してるな。口は悪いけど」
「無駄口はいいから早く行きなさいよ鈍間」
「あぁ。ここは任せたぜ、異世界から来た勇者様よ」
「……本当に私はお人好しね」
銃を担いで走りながら、マヤは自嘲的な笑みを浮かべる。
トウヤは彼女を誘拐し、祖父を人質に脅してきたハルトの仲間だ。
助ける義理がないどころか、恨んでもおかしくはない相手。
それなのにトウヤを助けに走っている。
彼女は分かっていたのだ。
彼が彼女と同じ理由で、走っていることを。
「無鉄砲ばっかりだな……おい、聞こえているか。そっちは決まったか」
『はい、ハルト様。候補は絞れました』
「そうか、ならいい……馬鹿が暴走した。作戦を決行するぞ」
『では、ミハル様を』
「あぁ、連れてこい」
『承知致しました』
眉間に皺を寄せ、車を走らせる。
ミハルを連れてきたくはなかった。
けれど仕方ない。
そうしなけば、勝てる見込みはないのだから。
「ミハル様、ハルト様がご準備をするようにと」
「えぇ、分かったわ……」
ミハルは目の前に積まれたモノを見ながら、呟く。
ハルトから基地に残るよう言われ、書類の束を渡された。
そこにはこれから先起こること、発生する化け物の詳細、それに対しての対抗策がいくつも書き込まれていた。
その中から、一番有効なものを選べと言われたのだ。
ミハルの能力を使って。
(未来を見てみたけれど、私の能力はほんの少し先のことまでしか見えない。これで本当に上手くいくのかな……)
僕が選定人になったのは、人の役に立ちたかったからだ。
能力を活かして、誰かの為に働く。
自分のできる範囲のことを、精一杯すればいい。
今までそう思って生きてきた。
精一杯頑張って、それなりに評価をされて。
大切な家族と、ずっと一緒にいる。
それが何よりも幸せで。
それ以上は望んでいなかった。
スリルも大それた成功も求めていない。
自分の手の届く範囲が、幸せであればいい。
そう思っていたのに。
僕は今、危険を顧みずに走っている。
僕が行けば助けられるわけでもないのに。
何の力もないのは分かりきっているのに。
それでも、見捨てることができなかった。
(ごめん、姉ちゃん)
不意に現れた大きな影。
それは先程見た化物によく似ていて。
足を止め、そいつと対峙する。
武器はない。
僕の能力は戦いには使えない。
化物が、動いた。