世界が堕ちた日
その日は朝から忙しかった。
依頼が山積みで、僕も姉も朝からバタバタ走り回っていた。
「トウヤ、まだなのっ?」
「ごめん姉ちゃん今行く!」
階段をドタドタ駆け降り、鞄を引っ掴む。
姉は既に靴を履いていて書類の束を抱えていた。
「ほら、急ぐよ!」
今日は朝の内に三件は回らないと仕事が終わらない。
最近人気が出てきたおかげで経営は順調だが、いかんせん忙しい。
軌道に乗るまでの辛抱ではあるが、中々に大変だ。
「おはようございます、選定人のツブラギです!」
「あぁ、来たかツブラギ姉弟。待ってたよ」
大きなお屋敷の主人は、朗らかな笑みを浮かべ僕らを出迎えた。
「お待たせしました。僕は選定人のトウヤ・ツブラギと申します」
「トウヤの姉のミハル・ツブラギです。今日はよろしくお願いします」
「君たちのことはよく聞いているよ。さぁ、上がりなさい」
この屋敷の主人、カツト・フジシロはここら一帯では一番大きな屋敷に住んでいる。
今日はこのカツト・フジシロに仕事を依頼されたため、来たのだが……
「お孫さんのご友人を、ですか?」
「あぁ。是非、君たちに選定してほしい。最近えらく評判がいいそうじゃないか」
「はぁ、ありがとうございます……しかしご友人を選定というのは、どういうことでしょうか?」
姉が頭に疑問符を浮かべ、質問を重ねる。
仕事内容を決める交渉は姉の役目だ。
僕はしばし自分の出番が来るまで傍観することにした。
「実は、私の孫娘はちと気難しい性格をしていてな……友達がいないんだよ」
「そうなんですか。それで、私たちに選定を依頼したいということですか」
「よろしく頼むよ」
「分かりました。では、まずお孫さんについて教えてください」
姉はこの依頼を受けることにしたらしい。
必要な情報を聞き取り、次の面会日を決める。
今日は僕の役目はなさそうだ。
依頼主に一礼し、屋敷を出た。
「どう思う、トウヤ」
「どうって……まぁ簡単そうな依頼だね。けど僕らの仕事はもう少し高尚なものだと思ってたんだけど」
「あら、高尚ってどういうこと?」
「だって、選定人の仕事は、それぞれの依頼に応じて最も条件に合うものを選定することだよ。もちろん今回もそれは同じなんだけどさ」
選定人が必要とされるのは、それこそ自分たちだけでは判断を誤りかねない場合、判断を誤るわけにはいかない場合だ。
絶対に失敗できないような大きな決断を必要とするとき、第三者である選定人に依頼するのだ。
選定する内容は多岐に渡る。
人であれ、ものであれ、果ては社の命運を分ける事業であれ、それぞれ専門の選定人に依頼するのだ。
選定人は各分野で国から認められたエキスパート。
かく言う僕も国家資格を持つ立派な選定人なのだ。
信頼第一の仕事だから、最初は簡単な選定を積み重ね、最近やっと大きな依頼も舞い込んでくるようになった矢先にこれだ。
「孫娘の友達の選定だなんて……舐められてるのかな」
「なんてこというの、トウヤ。それだけ依頼主にとって大切なことなのよ?」
「いやだって姉ちゃん、考えてもみてよ。自分の友達くらいその孫娘さんも自分で見つけたいんじゃない?」
「まぁ、そうかもしれないけど。これも依頼だからねぇ」
因みに姉も選定人の資格を持っている。
もっとも、僕とは分野が違うのだが。
「さて、二件目に行きましょうか。次は、ここからもうちょっと行ったお家で……」
「じゃ、急いで行こう」
忙しいながらも順風満帆。
ありがたいことだが大変な毎日。
二件目に早く移動しないと、と思って足を踏み出したそのとき。
姉は急に顔色を変えた。
「トウヤ、避けてっ!」
急に突き飛ばされた僕は、情けなくも地面に転がる。
同時に、轟音が響いた。
「えっ……」
それは、あまりにも突然に。
「な、なに……?」
世界の終わりが、始まった。
「うそ、だろ」
さっきまで僕が立っていた場所に、何かが突き刺さっていた。
それは巨大な石像だった。
何を象ったものかは分からないが、禍々しさを放っている。
この世のものとは思えない異質なそれは、住宅街にあまりにも似つかわしくない。
「ね、姉ちゃんっ!」
姉は僕を突き飛ばした。
何のために?
この落ちてきた石像から、僕を守るためにだ。
じゃあ、姉は……?
「そんな……姉ちゃんが、死んだなんて……」
「勝手に殺さないでよ、バカ」
「えっ」
ひょっこり石像の後ろから顔を出した姉を見て思わず間抜けな声が出る。
「私がこんなものに押し潰されるようなヘマするわけないでしょ?」
「あ、そっか……っていやいやいや、どういうことだよっ!」
あまりにも自信満々に言い放つ姉に思わず納得しかけたが、流石にこれは納得するわけにはいかない。
突然とんでもないスピードで落下してきたものから僕を突き飛ばして助けるだけではなく、自らも回避するだなんて。
普通に考えてできるわけがない。
僕は落ちてくることにすら気づいていなかったのに。
いくら姉の身体能力が僕より遥かに良いからといって、助かったのは偶然ではないだろうか。
「ちょっとトウヤ。疑ってるの?」
「いくら姉ちゃんだって……ねぇ?」
「全く……あんたの姉ちゃんが何の選定人か、忘れたわけじゃないでしょーに」
僕は人物専門の選定人で、姉は事業専門の選定人だ。
事業の選定というのは、この企画とこの企画、どっちが成功率が高いか、を選定することだ。
「……どういうこと?」
「頭の回転が遅いわね。企業の知識のない私が、なんで事業専門の選定人になったか知らないの?」
「知らないねぇ」
「あんたが人の選定のために使ってる特殊能力と似たようなものを持ってるのよ」
僕が持ってる特殊能力というのは、人を見たらその人の本質を見抜ける、というものだ。
嘘つきなら嘘つきと、優しい人なら優しいと。
その人の心の動きで、嘘をついたかどうか見分けることもできる。
「えーっと、つまり?」
「つまり、私はほんの少し先の未来を見ることが出来るのよ」
全然似てねぇっ!!
特殊能力にもほどがあるしちょっと待てうちの姉は何者だ。
「特殊って意味では似てるでしょ?」
「姉ちゃんは僕と違った意味でバカだと思う」
「うるさいわね、とりあえず逃げるわよ」
「えっ」
姉は急に僕の手を引き走り出す。
「今度は何っ?」
「あそこにいたら危ないの!」
「それならもっと早く言ってよ!」
「言ったでしょ、ちょっと先の未来しか見えないって……トウヤっ!」
ほんの少し石像から離れたところで、背後から爆音がした。
爆ぜた石片が周囲に拡散する。
それは確実に僕らの方にも飛んできていて。
にも関わらず、僕はどこも怪我をしていなくて。
爆発の瞬間、僕を庇った姉は、苦しそうに呻いた。
「ね、姉ちゃん……!」
「……っ、トウヤ、逃げてっ」
「それが無理なことは、お前が一番よく分かってるだろう?」
誰だ。
僕らの前に現れたのは。
誰だ。
こんなに吐気のするような人間は。
あまりにも、禍々しい。
あまりにも、悍ましい。
こんな人間、今まで見たことがない。
「誰だよお前……!」
「そう怖い顔をするな、最年少の選定人。お前の姉の知り合いだ」
「姉ちゃんの、知り合い?」
確かに知り合いなのだろう。
姉は見たこともないほど怖い顔をして、この男を睨んでいる。
「さて、このままでは危ないからな。おい、連れてけ」
どこから現れたのかスーツを着た複数の男が周りを囲む。
「おい、姉ちゃんに触るな!」
「安全な場所に連れてって治療をする。このままだと死ぬぞ?」
「くっ……」
姉の背中には石片が突き刺さり、血が流れて続けている。
このままでは危ないのは明白だ。
だが、この男が本当に姉を助けるのかは分からない。
「おいおい、疑うならお前の能力を使えよ。嘘をついてるかどうかぐらいは分かるんだろう?」
「なんでお前がそんなこと知ってるんだ」
「頭が悪いな。言っただろ、お前の姉の知り合いだって。俺はお前の能力もお前の姉の能力も知ってる」
どうやら、嘘はないらしい。
少なくともこの男は姉を殺すつもりはないだろう。
仕方なく男たちが姉を連れてくのを見送る。
姉は、僕を心配そうに見ていたが、諦めたように目を伏せた。
「それで、お前は何者なんだ」
「やれやれ、姉弟揃って気が強いな……俺はハルト・キサラギ。世界の選定者だ」
「世界の、選定者……?」
「そう。別名選定人を選定する者。もしくは、世界の命運を握る者、かな」
「どういうことだよ」
「つまり、俺は世界を救うか、救わざるか選ぶ者ってことだ」
「それでお前は選んだのか、世界を救わないことを」
「おいおい、どこまでバカなんだ。宝の持ち腐れもいいとこだな。見て分かるだろ?」
男は嫌らしくニヤリと笑う。
「俺は世界の救世主さ」
誰が聞いても何血迷ったこと言ってるんだ、と思うくらい馬鹿馬鹿しい発言だ。
しかし、悲しいこと僕の能力は、その言葉を確かな事実として肯定してしまう。
「さて、少年。俺と一緒に世界を救おうじゃないか」
勘弁してくれ……
全て悪い夢だと思いたい。
けれど、これは紛れもなく現実で。
その日から、世界は崩壊に向かって動き出したのだった。