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プロローグ 6 森谷紅介(ニコ)の場合

 六月三十日。


 晴れ。


 かっこ昼まで。


「だりぃ。……いや、だるくはない。決してだるい分けじゃあない」


 一人でそんなん言ってると気持ち悪い奴みたいだけど、周りにそれを聞く人が居なければ大体みんなこんなもんだろう。


 放課後。


 一日の授業日程を終えて、ぼくが何処に居るかというと、第二校舎の最上階。背にしている扉を開ければ屋上に出られるのだが、如何せん外はカミナリを伴う激しい豪雨。少し広めに取ってある踊り場の床に座り、両足を投げ出してミュージックプレイヤーのイヤホンを耳に当てている。


 身体はだるくない。

 帰るのがだるい。

 だから、結局はだるい。


『黒腕』は横内さんの見舞いに行ってるし、『鴉』は何処行ったか分かんないし。っつっても、二時くらいに一回『特境省』から着信があったから、多分それの件だろう。この雨の降り方もアメタマ絡みだろうし……。何の予定も無いし、ぼくも帰れない事は無いんだけど、どうせなら雨がやんでから外に出たい。

 服が濡れるのはどうしたって慣れる様な事じゃない。黒腕と鴉がどうしてあの状態で平気な顔をしていられるのかが不思議で仕方が無い。アメタマ絡みで居ないなら、さっさと鴉にそれを終わらせてもらって、ぼくも帰路に発ちたいところだ。


 扉一枚隔てた向こう側。豪雨がこの建物のコンクリートの屋上を叩く音。それが耳に当てたイヤホンを貫通して聞こえて来る。


「面倒臭ぇ。……いや、面倒臭いって訳でもないんだよなぁ」


 そんな事を呟いて『クスクス』と笑ってみる。

 全く、いよいよ末期かも知れないね……。


 そんなアホな事をやりつつも、やはり外の雨量は些か気になる。この場所には窓が無いので外の様子を確かめる術が無いし、背にしている扉を開けて外を窺うのは流石に気乗りしない。


 雨量が気になるというか、雨の音が耳障りだった。


 恐らくは豪雨であろう雨音が聞こえないくらいに音量を上げようと、高校で指定されている夏用ズボンのポケットから小型のミュージックプレイヤーを取り出そうとする。が、逆側のポケットで振動をし始めた携帯電話によって、その動きは制止させられた。


 明日から夏服に衣替えだけど、最近の気温は若干高めだ。六月の中旬くらいから夏服を着ている奴もいるし、学校側もそれに対しては幾分か寛容。とりあえず指定されている制服ならばどれを着て来ても良い様な感じ。


 携帯電話の振動。

 この振動のしかたは、通話だ。


 ポケットから携帯電話を取り出すと、表示されているのは『特境省』の文字。

タメ息は吐かないが、自然と苦笑いが顔に出る。

二時くらいに来てた着信に折り返してなかったからなぁ……。電話に出るのを少しだけ躊躇うが、出ない事には始まらない、っと……。


「……はい、シンタニです」

 ミュージックプレイヤーを停止させ、イヤホンを外し、携帯電話の通話ボタンを押して耳に当てる。


「おぅおぅ、電話に出たねシンタニくん。あははっ、さっき電話に出なかったからってモモコちゃんちょっと怒ってたよ。」


「……そりゃあまぁ、授業中でしたから。それに現国でしたしね」


「現国だと電話に出れないの?」


「好きなんですよ。現国」


 電話口に居たのは志弦さんだった。


「へー、現国好きなんだ。私は数学が好きだったけどね」


「ぼくは数学も好きですよ。強いて言えば体育が苦手なだけです」


「あらぁ、身体は動かした方が良いわよ。汗を流す幸せを噛み締めなきゃ」


「……あんまし好きじゃないんですよ、体育会系みたいなノリ。そう言うのは黒腕が得意ですから、そっちの方に振って上げて下さい」


「うふふっ、つれないわねぇ。まぁ良いわ。それはそうとして、今何処に居るのさ?」


「今ですか? シヅルさんが教えてくれた場所ですよ」


「またぁ? あははっ、好きねぇそこ」


「えぇ、大好きですよ。ここ。シヅルさんには感謝してます」


「感謝って言われてもねぇ、そこにばっかし閉じ籠っちゃってるのも考えものよ?

まぁ、籠ってる訳じゃあないんでしょうけど」


 って、そう言う話じゃなくてだねぇ。


 そう言って、志弦さんは自分で展開した話を終息させる。まぁ、ぼくの方も志弦さんがそんな説教じみた話をする為に電話してきたのではないと分かってるので、その急な話題の転換には何の口も挟まない。


「さっき一回シンタニくんの方に着信入れたじゃない?」


「はい、さっきのぼくが着信に出なかった奴ですよね?」


「そうそう。多分きみも察してると思うんだけど、それはアメタマ反応の連絡だったのね。結果的にオウウミくんに行ってもらったんだけどさ」


 うん、察していた通りだ。鴉が行ったってのも予想通り。


「だけどねぇ、オウウミくんアメタマを逃がしちゃったわけなんですよ」

 ……おっと、それは少し予想外の出来事だな……。


「鴉が逃がしたんですか? へー、珍しいですね。あいつらしくも無い」


「まぁ、そうなんだけどねぇ……」


「で、ぼくが鴉の代わりにアメタマ追いますか? っつーか鴉大丈夫ですか? 生きてます?」


「あぁ、それは大丈夫、問題ない。両方。今日のところはもうアメタマの反応出そうにないし、オウウミくんも生きてるわよ。怪我とかは分かんないし、もし怪我してたとしても損傷具合も分かんないけど、とりあえず生きてるよ反応出てるから」


「それは良かった。安心です」


 まぁ、生きているならなによりだ。

 ……まぁ、なによりで、安心だけど。……そしたらなんだ?


「そしたら、何の用ですか?」


「そうよねぇ、そういう反応になるわよねぇ。何の用だか気になるわよねぇ。ニッシシシシシっ」


「気にはなりますけど面倒臭いんで切って良いですか?」


「シシシシッ、ってちょっちょっちょっちょ! ちょっとお待ちなさいよシンタニくん! 全くさぁ、きみって人は全くさぁシンタニくん! オウウミくんとかヒヤくんとかだったらもっとノってくれるわよ? この程度のおふざけにノってくれないとお姉さん悲しいわよ?」


 急に捲し立てたかと思ったら、一転して電話口から聞こえて来る猫なで声。

 ほんと、よくやるよこの人は。


「あぁ、大丈夫です。切りませんよ。ちゃんと話してくれるなら。で、結局何なんですか?」


 言うと、志弦さんは真面目に話す気になったのか、「こほん」と一つの咳払いして、言葉を発し始めた。


「えー、つまりですねぇ、何故三年目にもなるオウウミくんがアメタマを逃がしてしまったかと言うとですねぇ、そこに第三者の介入があったんですわよん。」


「第三者、ですか?」


 関わって一年も経たない内に。この人の多種多様に変化する語尾にはツッコミを入れない事にしようと決意した。

 華麗に流す。


「そ、第三者」

 志弦さんも流される事には慣れている様子だ。特に互いにその事には触れる事無く、それこそ何事も無かった様に話は先へと続けられる。


「それって一般の荒し屋ですか? 企業だったらちょっと厄介ですよ? ちょっとっつーかかなり厄介ですよ?」


「うーん、まぁ、確かにどっかの企業だったらかなり厄介だし、そうなった場合きみ等にも出てもらう事になるんだけど、今回のそのオウウミくんの件はねぇ、素人さんなのよ」


「んー、……あぁ、新しく関わった人って事ですね? なんだ、良かったじゃないですか。引き入れ出来れば儲けもんですよ。今うち実働で動けんのあんま居ないし、ヨコウチさんも入院中ですしね」


「うーん……、まぁ、そうなんだけどねぇ……」


 そうやって言い淀み、志弦さんは先の言葉を少し言い辛そうにしていた。何かしらの問題があるのか、はたまたもっと違う別の何かなのか。


「……何ですか? ヤバげの問題でも……?」


 流石にこちらから先を促さずにはいられなかった。ぼくの催促を受けると、志弦さんは少し唸る様に「うーん、っとねぇ……」煮え切らない声を発する。少しの間そういう声が続き、漸くの事志弦さんは纏めた考えを口にするべく言葉を発し始めた。


「いや……、問題って程の問題でもないんだけどね……。その時私ずっとモニタリングしてたんだけどさぁ、なんってーのかね、その子いきなり反応が出て、いきなりちょっと高めの数値を出しちゃったのよねぇ」


 ついさっきまで首を左右に傾げていたのが容易に窺える声音。


「高めですか? 数値でいうと?」


「……えっとぉ、きみ等が初めてアメタマと対面した時の、一・五から二倍くらいかなぁ……」


「へー」


 へー……。

 へー…………。

 へー…………?


「……それってほぼ即戦力ですよね」


「……そうなのよー。だからちょっと扱いに困るかも知れないのよねぇ……。何やってんのかまだオウウミくんから連絡は来てないんだけど、遺伝にしても自然発生にしても、ちょっと数値が高いかなぁって。いきなり反応が出た事と数値から見て、薬物とかウイルス性って事も考えられるんだけどさぁ。まぁ、数値は異常値って訳じゃないんだけど、やっぱり反応の出かたが異様ではあるよねぇ……」


 異常じゃなくても、異様、ねぇ……。


 ぼく等が初めてアメタマと対面した時の一・五倍から二倍。流石に今のぼく等は当時の自分と比べるべくもないくらいの戦力は有しているけれど、その今回『夏』に関わって仕舞った第三者。ぼく等は当初と言っても、それなりに訓練と教養を身に付けてからの初戦だった。それ等を経てようやく実戦に耐え得るスキルと実力を身に付けて挑んだ初戦ではあったのだけれど、今回の第三者は志弦さんの目から見て『素人』だと当たりを付けられた。それなのに、ぼく等の初戦の一・五倍から二倍か……。そら恐ろしい逸材も居たもんだ。全く……。


「……で? ぼくは連絡を貰って、どうすれば良いのですか? シヅルさん」


「自分が取るべき行動が分からなかった場合に自ら率先して人に聞こうと出来る子はお姉さん大好きよん」


「次に無駄口叩いたら通話切りますよ?」

 切らないけどね。


「うふふっ、きみは切らないわよ」

 ……心を読まれてるけどね。


「で、真面目な話、どうすりゃあ良いんですか?」


「明日の午後、シンタニくん『特境省』に来れる?」


「『特境省』ですか? そりゃあ、別に構いませんけど。ぼくなんかやる事あります?」


 実際『特境省』に行く用事と言えば、大体がアメタマや個人の荒し屋、他には企業間などとの戦闘後、『特境省』側が報告書を求めた場合にそれを作成して提出しに行くくらいだ。インターネットがこんなにも普及している現代において、報告書の提出方法が『手書きで自ら持参する』とは何ともアナログな仕様。初年度に異論を唱えた事もあったけど、『特境省』曰く、『インターネットが普及しているからこそ、大切な資料や報告書はアナログでなければならない。』だった。分からない言い分ではないけど、やはりそれが面倒臭くない訳が無い。


「んっとね、とりあえず明日オウウミくんにその子を連れて来るようにアポ取ってもらうから、っつーか『遭遇者がいた場合の対応とその後の流れに関するテキスト』ちゃんと読んでるわよね? だから、明日モモコちゃんがその子の講習と夏検すると思うから、それの手伝いとか諸々かな」


「……諸々って何ですか?」


「諸々は諸々よぉ。私も資料整理とか手伝ってもらうかも知れないし。なんせこれから夏本番だからね、こっちの人出が殆ど居ないのよ。今日逃がしたのじゃないにしろ、アメタマの反応出たらそのまま『特境省』からヘリ飛ばすし。オウウミくんも付き添いで来るし、ヒヤくんも明日ヨコウチさんのお見舞いの報告に来ると思うし。忙しくなかったらきみ等三人でイチャイチャしてるだけで良いからさ。どうすか?」


「イチャイチャはともかく、そう言う理由ならまぁ、お伺いしますよ。それに、明日の午後の授業は丁度体育だったんで都合が良いです。その件、お受けしますよ」


「……いやいや、それを聞くと『助かるわー』とは言い辛いわね……。まぁ良いわ、実際助かるし。そしたら、明日一時くらいに来てくれれば良いから」


「あぁ、ちょっと良いですか?」


 用件が済んで通話を終えようとする志弦さんに、ぼくは私用で少し待ってもらう。


「ん? なうにー? 私のスリーサイズでも知りたいの?」

「違いますよ」

「えー、じゃあモモコちゃんのスリーサイズなの?」

「それも違いますよ」


 こちらから呼び止めた手前『切りますよ?』とは言える筈も無い。志弦さんもそれが分かっているからこその悪乗りなのだろう。全く以って性質が悪い事この上無い。


「……あんた今年で二十二歳だろ?」

「心は乙女でいたいのさ」

 乙女はスリーサイズとか言わない。


「……これはぼくが悪いんですかねぇ?」

「いや、百パーくらいで私が悪いね。悪かったわよ。」

 電話での会話。志弦さんの表情は窺えないが、恐らく、これはマジな謝りだろう。


「いやねぇ、こういう仕事だと日常会話に冗談の一つや二つを混ぜてないとやってらんないわよ」


「……それにしては、混ぜ過ぎだと思いますよ」


「うふふっ、私もそう思うわ。で、なーに? 何かあるんでしょ?」


 何も無きゃあ待ってもらってませんよ。

 背にしている扉の向こう側。

 依然として雨音は強く聞こえてきている。


「この雨、いつ頃やみますかね?」


 やまなきゃ自宅に帰れない。もとい、弱くなるまでなるべく待ちたい。


「んー、この雨ねぇ……。一応弱くなるけど、完全にやむのは深夜になってからかな。あと三十分も待てば大分弱くなるから、それまで待ってから帰るのが一番賢いかもね」


「……読まれてしまいましたか」


「うふふっ、まあね。きみ服が濡れるのを極端に嫌うもの」


 それではもう少し待ってから学校を出る事にします。

 そう言って御礼をすると、志弦さんは「えぇ。それじゃあ明日よろしくね」と、そうぼくに告げて通話を終了させた。


 あと三十分かぁ……。


 ぼくは志弦さんとの通話を終えた携帯電話をポケットに仕舞うと、再びイヤホンを耳に当て、ミュージックプレイヤーの再生ボタンを押した。


 流れる楽曲。


 外から聞こえて来る耳障りな雨音。


 今度こそぼくは雨音が気にならない程ミュージックプレイヤーの音量を上げた。


 耳が痛い。

 脳が揺さぶられる感覚。

 吐き気さえも込み上げて来る。

 だけど、今はそれが心地良い。


 屋上へと出る為の扉に寄り掛けていた背中を離し、投げ出していた両足を畳んで抱え、小さく纏まってみる。


 体育座り。


「……はははっ。あー、おもしれ」

 勿論、別に面白い訳じゃない。

 独り言だ。

 何の気無し。


 体育座りをして何の気無しの独り言。

 変な話だけど、ぼくはこれが結構落ち着く。


 雨降りは、あまり好きじゃない。


 服が濡れるのも好きじゃない。


 豪雨何て言わずもがな。


 アメタマ何てクソほどにも思っちゃいない。


「…………帰るか」

 志弦さんは三十分くらいで雨は弱くなるって言ってたけど、通話を終えてまだ十分も経っていない。だけど、そこで急に帰ろうと思い立った。


 立ち上がり、伸びを一つして、指の関節を鳴らす。


 さてさて、そんじゃあ帰りますかね。


 雨降りは好きじゃない。服が濡れるのも好きじゃない。豪雨何て言わずもがなだし、アメタマだってクソほどにも思っちゃいない。


 だけど、音楽は好きだ。


 ミュージックプレイヤーから流れる大音量の曲が、ぼくの思考をクリアにしてくれる。


 ぼくに冷静さを与えてくれる。



 ……帰ろう。

 大音量で音楽を聞きながら。



 この雨量は、ぼくに帰宅を躊躇わせるほどのものじゃあない。



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