プロローグ 5 日夜和日郎(黒腕)の場合
「別に大した事無かったからさぁ、見舞いになんて来なくて良かったんだよ」
「いいぇえ、良いんすよ。俺も暇なんでね。暇で暇で仕方が無いんです。激暇ですよ激暇。これはもう俺の暇を切り売りして、キロ単価いくらとかでどっかの企業の社長さんとかが買ってくんないですかね?」
「なんだよ激暇って意味分かんねぇ。っつーかなに? お前金に困ってんの?」
「何言ってんすか? 金には困ってないですよ。つーか、そりゃあヨコウチさんが一番良く知ってるでしょうに。それぐらい暇で困ってるって事ですよ。なんとかして下さいよヨコウチさん」
「嫌だよ。っつーかどうにも出来ねぇよ。暇だったら授業でも受けて来いよ。学費払ってんだからさぁ、勿体ないじゃん」
「えー、いいですよ別に学費とか授業とか。どうせ卒業したら『特境省』入りだし。無駄に変な知識付けるよりニュートラルな状態で本入社した方がみんなやりやすいっしょ?」
「そうだけどさぁ、お前等の下が入って来たら、どうせお前等も情報補佐の方になんだぞ? 一般常識くらいはどうにかしとけよ。っつーかさぁ、授業出て無きゃ卒業もクソも無いだろ?」
「ヨコウチさん知らないんですか? 一昨年くらいから申請すれば授業出なくても高校って卒業出来る様になったんですよ?」
「騙されねぇよバカ」
「騙されるとも思ってないっすよ」
「そうかよ。でもまぁ、ちゃんと高校くらいは出ておけよな。一応表向きの採用条件は『高卒以上、もしくはそれ同等の学歴を有する者』になってんだからさぁ。」
「ははっ、それ言うんだったら『鴉』と『ニコ』にも言ってやった方が良いですよ?」
「あぁ? アホか。純粋にサボってんのはお前だけだよ。スバルとコウスケはちゃんと授業出てるわ」
「でも大体俺と同じ様なもんですよ? 中学ん時も、いっつも『夏』の件で授業抜けてたっぽいですしね」
「……お前、『特境省』が学校側に何のプレスも掛けてないと思ってんのか……?」
「は? 中学とか高校とかに圧力掛けられんのって文部なんちゃらとかの部署なんじゃねぇの?」
「……お前、『特境省』がお前の言う文部なんちゃらとかの部署にプレス掛けられないと思ってんのか……?」
「……えっと?」
「夏の件で授業抜ける場合は全部こっちで公欠扱いにしてんだよ」
「……マジすか?」
「お前の場合はなってねぇぞ? 純粋なサボりだからな」
「…………マジすか?」
「全く、高校くらいは卒業してくれよな」
「……ぐっ、善処します……」
「っはははは。衝撃の事実だな。なんにせよ、今の内に知っておいて良かっただろ」
「くそう、見舞いに来てやったっていうのに酷い仕打ちだ……」
「お前は暇潰しに来ただけだろうよ。激暇だったんだろ?」
「なに言ってんすか? ちゃんとミスタードーナツ買ってきたじゃないですか。『持って行こう持って帰ろうミスタードーナツ♪』のミスタードーナツですよ?」
「……お前、それ何十年前のCMだよ?」
「最近のインターネットは規制ユルユルですからね。欲しい情報なんて大した労力も無く手に入ってしまうんですよ」
「……お前、『特境省』のPC使ってないだろうな?」
「さぁ、何の事だか分かりません」
「……アホかよ。あれ一応履歴とか残るんだからな?」
「大丈夫ですよ。バレないように上手くやってますから」
「だから履歴残るっつってんだろ。アホなのか? まぁミスターは頂くけどさぁ」
「前から思ってたんですけど、ヨコウチさんの『ミスター』っていう略し方おかしいですよね。なんすかそれ? なんの拘りですか?」
「拘りって……、略し方なんて人それぞれだろ。『ミスド』って言うよりは『ミスター』って言った方がしっくりくるんだよ。どうでも良いだろんな事」
「ま、そうですけどね。で、マジな話しなんですけど、容態はどんな塩梅なんです?」
「容態? 容態かぁ、良いとは言えないけど絶望的ではないよね」
「普通は足吹っ飛ばされた時点で絶望的なんですけどね」
「普通はな。でもまぁ、吹っ飛ばされた足も綺麗にくっつくし、全治六カ月って言われたけど八月の終わりくらいには完治して出られると思うわ」
「驚異的な回復力に感服いたしますよ」
「はっははっ。そうは言うけどさ、お前等も俺くらいの怪我したところで二カ月もしない内に出られる様になるよ。なんせ若いんだからさ」
「ヨコウチさんって今年で二十七でしたっけ?」
「いんや、今年で二十八だね」
「それでも十分若いですよ」
「まぁ若いんだろうけどさ、現場でアメタマとか相手にすんのは正直そろそろキツイ年齢だよ。表は若い奴等に任せたいね」
「そうですか? 俺は寧ろ生涯現場の現役が良いですよ。情報補佐の方が気ぃ遣う感じがして俺はやり辛いです。そう言うのは学がある人に任せたいですよ」
「体力的に問題が無けりゃあ生涯現場の現役でも良いかも知れないけどな。それでも、二十歳過ぎる前には一回ちゃんと情報補佐の研修受けとけよ。俺もモモコもいつどうなるか分かんねぇからな」
「? 結婚でもするんですか?」
「……ちげぇよ、真面目な話だ」
「……はぁ、すんません……」
「いや……、まぁ別に良いんだけどさぁ。正直な話しな、俺もこうしてヤバげな一撃を喰らって入院する事もあるんだよ。そんで、驚異的な回復力で全治六カ月のところを二カ月で完治して退院したとしても、今年の夏は現場にも出れないし補佐も出来ない。情報の補佐をしてるモモコとかシヅルとかも、いつ俺みたいな事になるか分かんないんだ。お前等三人がしっかりしてないって訳じゃないし、実際まだお前等はバイトみたいなもんだけどさ、自覚を持ってくれとか真剣になれってんじゃなくて、……まぁあれだ。なんだろうな、そういう事なんだよ。上手く伝わってるか分かんねぇけど……」
「……分かりますよ。……大丈夫です」
中学の時分なら未だしも、ここで強がって見せるほど俺ももう阿呆じゃない。横内さんには散々世話になってるし、自分の現状も理解出来てるし、色んなもんも腐るほど見て来た……。それで横内さんの言ってる事が理解出来ない様じゃあ、俺の人間性も相当終わっている。
「ちょっと曇って来たな……」
窓の外の天候が気になるのか、横内さんはそう言って一つ息を吐いた。
「そう言えば、さっき『特境省』から着信がありましたね。アメタマの反応が出てたみたいです」
「お前行かなくて良いの?」
「えぇ、鴉の奴が行く事になったみたいです。俺も着信来ましたけど、もうこっちに向かってるバスの中だったし、ケータイもマナーにして鞄に突っ込んでたから気付きませんでしたね。まぁ、鴉ならそうそうミスる事も無いでしょう」
「はははっ。何だそれ? 信頼か?」
横内さんは俺を茶化す様に、細いネコ目を更に細めてニヤニヤと笑った。からかわれている様な気がしないでもないけど、俺は別にその横内さんの茶化した感じに、何にも悪い気はしなかった。
「信頼って言うか……。そうですねぇ、嫌な奴ではないですよ。鴉もニコも。信頼かは分かんねぇけど、……まぁ、うん。良い奴等ですね。俺は好きです」
恥ずかしくはない。……いや、面と向かって鴉とニコに言うのは流石に少し恥ずかしいけど、第三者に言う分には何も恥ずかしい事じゃない。これは俺の本心だし、そういう風にこの三年間を鴉とニコと過ごして来た。
「良いねぇそういうの。羨ましいよ」
あと、カッケェじゃん。
ニヤニヤとした表情を解き、横内さんはそれを薄い笑いへと移行させる。
「なんつーかさ、お前等みたいなのは、俺等側から見てると嬉しいよな」
「ははっ、何すか俺等側って」
「『特境省』側から見てって事だよ」
言いながら、横内さんはベッドの隣に設置されている背の低い棚の上、そこに俺が置いておいた見舞い品であるミスタードーナツの箱を手にし、徐に開封した。
「……お前、これはちょっと買って来すぎじゃないか?」
「腹減ったんすか?」
「寝てばっかりでも腹が減るんだよね。不思議な事に」
横内さんの好みが分からなかったので適当に十個程お見舞い品として持って来たけど、確かに、入院患者一人の見舞いにドーナツ十個は多すぎたかも知れない……。横内さんはその中から一つを選び、「カズヒロも食いなよ」と、俺にドーナツの箱を渡してくれる。俺がお見舞い品として買ってきた手前、『渡してくれる』というのは何か変な感じだけど、まぁ、渡してくれる。
横内さんはチョコレートが掛かったものを手に取り、俺は無地のものを手に取った。
「『特境省』側からって、俺等が仲良いと何か良い事あるんですか?」
ドーナツを一口かじる。何も装飾されていない無地のドーナツなのだが、元の生地にある程度の味があるのか、ほんのり甘い。
「いやさ、別に良い事があるとかじゃないんだけど、ただ俺の時は所謂同期みたいな奴がいなかったからねぇ。俺だけじゃなくて、モモコの奴もシヅルの奴も、同世代の奴がいなかったんだよ。その他の奴等も同じなんさ。だから、同い年でつるめるお前等をみんな羨ましく思うんだよ。俺とかモモコとかシヅルとかに限らずな」
「そうなんですか? でも、言ってもヨコウチさんとモモコさんとシヅルさんって同い年くらいじゃないですか? 年は近いっすよね?」
「年は近くても入った時期とか関わった時期とかがまちまちだからな、自分が不安な時に同じ気持ちで話せる奴も、同じ気持ちで話を聞いてくれる奴も居なかったんだよ」
片眉を上げ、肩を竦め、横内さんは苦笑いを浮かべる。
ドーナツを一口かじり、「甘いな」と一言。
「それは、知りませんでしたね……。それが本当なら、確かに俺等は環境が良いかも知れません」
「……だから本当なんだっつってんだろうよ」
横内さんは薄く笑い、俺もそれにつられて薄く笑う。
二人して手にしていたドーナツを一気に食べ終え、ウェットティッシュで手と口元を拭うと、横内さんは一息ついてから言葉を続けた。
「ま、だからさ、お前。何にしてもそろそろ戻れよ。スバルだって手こずったら応援呼ぶかも知んないしさ。ここに居るよりは戻っておいた方がいくらか対応しやすいだろ?」
「鴉の奴が手こずってもニコがいますよ」
「スバルが手こずってた場合、『コウスケもカズヒロも居た方が良い』。じゃなくてか?」
「……そうですかね?」
「俺はそうだと思うよ?」
「……ヨコウチさん、俺を追い出したいんですか?」
「今かなり眠いんだよ。昨日起きっぱなしだったから」
……そういう理由ですか。
一つのタメ息を吐いてから、俺は腰を上げてパイプ椅子を畳み、それを元あった位置へと戻した。
「……まぁ、そう言う理由なら、そろそろ帰りますよ」
「あぁ、そうしとけ。お見舞いありがとうな」
そう言って、横内さんは片手を上げて示してくれる。
戻ったところでどうするか……。
そんな事を少しだけ考える。
高校をバックレてきた以上、これから授業を受けに戻るのも気が進まない。ニコでも誘ってどっかブラブラでもするか。鴉もサクッと今回の件を終わらせてるかも知れないし。
そう言えば昼飯も食ってなかったから、とりあえず戻ってから何かしら食べる事にしよう。
そう考え、一人部屋の個室を出ようとしたところで、ベッドの上の横内さんは
「あぁ、ちょっと待て」と、俺の背中に声を掛けて引き止めた。
早く帰れとかちょっと待てとか、……まぁ、そんな事を言い出したらキリが無いんだけど。
「なんすか?」
振り向くと、横内さんは窓の外を指で指し示している。
「雨。そろそろ降ってくるぞ。傘持ってけ」
そう言って、横内さんは何処から出したのか分からないビニール傘を俺に投げ渡した。
ついさっきまで隣にパイプ椅子を立ててそれに座っていたが、ビニール傘なんぞ何処にもありゃあしなかった。
本当に、全く、何処から出したのか分からないビニール傘。
受け取ったビニール傘にはちゃんとそれの重みがあった。
重みがあり、質感があり、冷たさがある。
ちゃんと本物のビニール傘の様だ。
「……要りませんよ。雨が降り出す前に帰りますし、降ったところでって言うのもあるでしょう」
申し出を断ってみるが、横内さんは「良いから持ってけ」とそれを笑顔で受け流す。
「帰る途中で可愛い女の子が傘が無くて困ってたりしてるかも知れないぞ?」
「……無いっすよ。そんな漫画みたいな事」
「その子と良い感じの関係になれるかも知れないんだぞ?」
ニヤニヤと笑う横内さん……。
「だから、無いですってそんな漫画みたいな事。っつーか、今時少女漫画でもそんなベタベタな展開無いですよ。それに、女の子関係は苦手なんすよ」
「んだよ、ホモかお前は?」
「なに言ってんすか? ぶっちぶちにぶち殺しますよ?」
「やれるもんならやってみろし。それに、万が一に殺される事があっても困るからお断りするし」
……どっちだよ。
……全く、桃子さんと良い勝負だ。この人達の言うふざけた言動は適当にかわすに限る……。
「……まぁ、そういう事なら、別にいらないですけど一応貰っていきますよ。このやり取りも面倒臭ぇし」
「その傘一応本物だから、邪魔だからって適当に捨てていくなよ」
分かってますよ。
そう言って、俺は横内さんの病室を後にした。
院内。
七階。
七○七号室。
無駄に広い病室だった。あの病室に一人とか無駄過ぎるだろ。それじゃなくても無駄にでかい病院だし。
エレベーターで一階まで下りて三枚の自動ドアをくぐると、天候は悪化の一途を辿っている様子だった。雲が厚く張り、気温が少し下がり、湿った臭いが鼻を突く。
「あらまぁ……、これはちょっと予想以上にやばそうだな。こりゃあ本当に鴉からの応援要請が来るかも知んねぇな」
誰に言うでもない独り言。
今にも雨が降り出しそうな空模様。
昼頃にこっちに来た時には快晴だったし、そもそも今日の天気予報では一日晴れになっていた筈だった。……けど、『そもそも』とか言ってみたものの、俺等は普通にテレビで放送している天気予報を鵜呑みにして良い様な立ち位置じゃない。
マジで連絡は来るかも知れないからバスに乗るのはやめておこう。
「歩けば二十分、スキップなら十四分、走れば八分、マジで走れば四分ってところか」
これも、誰に言うでもない独り言。
こりゃあ、三十分もしない内に凄い量が降りだすな……。
多分、降りだしたら傘があってもどうにもならないだろう。
ま、何にしてもだ、腹ごしらえをする必要はある。
ファストフードは好きじゃあないけどね。




