メイン 3 安西春真は真実を知る。
四時間目が終わってお昼休み。
千佳ちゃんと沙世ちゃんとお昼ご飯を食べようと鞄の中からお弁当を探していると、「よし、そんじゃあ行くかぁ」と、隣から声を掛けられた。
奥海昴。
朝『おはよう』の挨拶を交わしてから、今日漸く聞いた二度目の声がそれだった。
「行くって、私?」
「そうだよ、昨日言ったじゃんよ」
「……え? だって放課後じゃなくって?」
「違うよ。『午後』って言ったんだよ」
……そんな、言葉遊びみたいな騙し方するかなぁ……。
とは言っても、確かに午後とは言っていたけど放課後とは言っていなかったような気もする。……なんだ、私の一人勘違いか……。
「行くって言っても、私何処に行くのかも何も聞いてないよ?」
少しばかりの抵抗を試みるものの、彼は「とりあえず付いて来れば分かるよ。時間はちょっと取る事になっちゃうけど」と、行き先を濁すだけ。
……もしかして、私実は騙されてる……?
本当は昨日見たあれやこれや何て全部演技で偽物で、私はこのままホイホイ付いて行ったら廃工場の裏とかで○○○されちゃうとかそういう感じの事?
……とか、そんな阿呆な事を考えて見るものの、この目で見てしまったからには昨日のあれやこれやは紛れも無い確実性を持って本物なのだろう。自分の目と目の前の奥海くんを疑ってみた己を恥じる。これでは沙世ちゃんに『阿呆』と言われても否定の仕様が無い。
「……えっと、お昼ご飯は?」
「あー、それは大丈夫。食べる時間くらいならあるから」
……らしかった。
それなら仕方が無い。昨日の事が気にならない事も無いので、っていうか、胸中気になって仕様が無いので、今日のお昼は奥海くんにお付き合いする事とした。千佳ちゃんと沙世ちゃんには後でごめんなさいのメールをしておこう。
「……良いわよ良いわよ。今日はもうオウウミくんにお付き合いするわ。何処へなりとも行きましょう」
言うと、彼は少しばかりの安堵の表情を見せ、「ははっ、そう言ってくれると俺も助かるよ。ぶっちゃけ俺も使いっぱしりだからさ、断られた場合はまた報告しなきゃいけなかったんだよ。助かる助かる」
……報告?
「……報告って、何処に報告?」
「そりゃあ、報告っつったら、『上』に報告だよ」
……上って、何の組織の事やら……。
「ま、言える範囲では移動しながら説明するよ。とりあえず行こうか。時間が惜しい、って訳でも無いんだけどね」奥海くんはそう言うと、机の脇に放られていた自分の鞄を引っ掴んで肩に掛けた。
そりゃあそうだ。昨日見たあれやこれやが本当だとしたら、それ等はお昼休み程度で終わらせられるような話ではないだろう。……にしても、こうも予想通りに事が流れると呆れを通り越して笑いさえ漏れてくる。まぁ、その笑いも苦笑いではあるのだけれど……。
「……その様子だと?」
「ん? あぁ、午後の授業はバックレよう。最初からその積りだったし。まぁ、俺はこういうの慣れてるけど、アンザイさんには申し訳ないね。ごめんなさい」
……やっぱりだ。
……別に気にしてはいないけどね。
私も奥海くんと同じ様に、机の脇のフックに掛けてある鞄を肩に掛けると、彼に連れたって教室を後にして、同じ様に高校を後にした。
十六年っていうのは人生にして見れば、ほんの何分の一とか、そのくらいの短い期間なのだとは思う。多分私もこのまま順調に年齢を積み重ねていけば、普通に大学に進学して、普通にどこかに就職して、誰かしらを好きになって結婚して、子供を産んで、その子供が育つのを嬉しく思い、おばちゃんになり、やがて孫が出来て、その孫を甘やかして、おばあちゃんになって、それなりだったけど楽しい人生だったと死んでいく事なのだろう。
そんな長い人生の内では、恐らく十六年というのはとても短い年数。で、その十六年間で、私は普通に小学校と中学校の課程を修学して、今年高校に進学した訳なのだ。
そして、今日その短い十六年間の内で、初めて授業をサボるという偉業を成し遂げてしまった……。
流れに身を任せていたら授業をサボる事に……。
これはもう身を任せたと言うか、流れに巻き込まれた挙句、良い様に翻弄されているという感じに近いかも知れない……。
少し前を歩く奥海くん。
その後ろを付いて行く私。
屋外は今朝と変わらず曇り空。
会話は、無いに等しい。
テレビとか漫画とか音楽とか、当たり障りの無い世間話や趣味の話をするものの、それは今回私が連れ出された事とは何も関係の無い内容だ。核となる話は、彼から口にしようとしないし、私からも聞こうとしない。
行き先はまだ聞いていないし見当も付かないけど、市内を歩いているし、駅にも向かう感じじゃないので、恐らくは近場だろう。こちらから説明を求めるのはこれからの話で主導権を握られそうで嫌だった。だけど多分、主導権はとっくのとうに、というか、昨日のあの時から彼が握っている様なものだ。このまま歩き続けて着いてみてビックリみたいなのでも良いのだが、私は意を決して、目的地だけでも聞いておこうと思った。場所を聞いてそれを不審に思えば今からだって引き返しても良い。昨日の事は気になるが、知らないままの方が良い事という事も少なからずある。……まぁ、きっと彼にしてみれば、私は既に『知ってしまっている』のだろうけれど……。
その事について彼に聞く為後ろから声を掛けようとしたが、何の前置きも断りも無しに、急に奥海くんは道に面して営業しているお店へと入っていくので、私は言葉を発するタイミングを失った。
コンビニエンスストア。
……流石にここじゃあ、ないよねぇ……。
彼の後を付いてコンビニに入る。
七月の初日だ。屋外の蒸し暑さに比例して店内は冷房が利いていて涼しくなっている。寧ろ、今日は曇りで気持ち気温も低いので、店内は少し寒いくらいだ。
……というか、よくよく考えれば今日は七月の初日だ。私は月の頭に授業をサボって無断で早退してしまったのか……。その事実に少し凹む……。
奥海くんは店内をぐるりと見て回り、最終的にお弁当のコーナーで足を止めた。
「……何やってるの?」
「ん? いや、弁当買って行こうと思って」
……あれ? 弁当……?
「お弁当……? 何故にお弁当よ……?」
「何故にって、俺昼飯食ってないもんよ。自炊もしてないし。心配すんなよ、ちゃんと昼飯食べる時間作るってば。何? お腹空いたの?」
いや、まぁ、確かにお腹は空いている。
……けど、何なのかな? 私もそういう感じのユルいスタンスで良いのかな……? 何とも判別し難い彼の行動。そもそも私と彼とではそういう基準が違うのか……?
「アンザイさんも何かいる? 飲み物と甘い物くらいなら奢るよ? 今日付き合ってもらってるし」
人を連れ回しているにも関わらず、授業のバックレと無断早退を軽視している彼の言動と行動に些かの腹立たしさはあったが、まぁ最初に何度か謝られているし、私が飲み物を持って来ていないのも、それはそれで事実である。
「……じゃあオレンジジュースで」
保冷棚からパックのオレンジジュースを手に取り、彼に手渡す。「甘い物は?」と聞かれたけど、それは断っておいた。流石に奢ってくれるからといってデザートまでをも要求する程私は図々しくない。というか、彼は食後の甘い物に拘りでもあるのだろうか……?
「そっか、そんじゃあお会計してくるから。ちょっと待っててくれ。この後もう一件寄ってから当初の目的だったところに行くから」
そう言って奥海くんはレジに並ぶ。
私は雑誌を立ち読みする振りをして、彼がお会計を済ませるところをそれとなく窺うと、奥海くんは紙幣ではなくカードで支払いするようだった。少し距離があるのでどういう類のカードかは判別が付かないが、恐らくそれはプリペイド式のカードだろう。流石に未成年者がクレジットカードを持っている訳が無い。ましてや私達はつい三カ月前に高校に進学したような子供だ。カードの色が真っ黒だったのはハッキリ分かったけど、あれは紛れも無くプリペイド式のカードに違いない。
私は自分にそう言い聞かせた。
「おまっとうさん。したら、次行こう」
お会計を済ませた奥海くんは雑誌コーナーで立ち読みしていた(振りをしていた)私のところまで来て声を掛ける。精巧に振りを演じる上で一応多少の興味がある雑誌を開いていたが、それ閉じて雑誌棚に戻すまで、彼は店内で待っていてくれた。面倒見が良いのか何なのか、それともその程度の一般的な常識は範疇の内なのか。……いや、常識というか、単に私が待っててくれて嬉しかっただけか……。それに、高校の授業をバックレて無断で早退するような事は一般的な常識の範疇ではない。
「次は何処のお店に行くの?」
コンビニを出て、後ろを連れたって歩く私は彼の背中に問うた。
最終的な目的地はこれまでの会話の流れから答えてくれそうも無かったので、もう一件寄ると言っていたお店を聞いた。答えてくれるかは半々だったけど、奥海くんはそれにはあっさりと答えてくれる。
「次はミスタードーナツに行きます」
顔だけで振り向いて答え、直ぐにまた正面に向き直る。
ミスタードーナツ。
二百年以上も続いているドーナツの老舗と言っても間違いじゃないかも知れない。私や奥海くんが生まれるずっと以前から存在している。私もミスタードーナツは好きだ。彼もミスタードーナツが好きなのかも知れない。で、今この高校をサボって抜け出した状況下で、ミスタードーナツで何をする積りだろうかと考えて見るものの……。そりゃあ、ドーナツを買いに行くに決まっているだろう……。
自由で奔放だな。
私は彼をそう思う。
立ち寄ったコンビニから歩き、五分も経たない内にミスタードーナツへ着いた。市内の事だ、高校入学と同時に引っ越して来たとは言っても、三カ月も経てば何処に何のお店があるかくらいは憶えるし、大体の距離感も掴める。
自動ドアをくぐって店内へ入ると、既に買う物が決まっていた様に、彼はカウンターへと一直線に歩を進めた。
私もそれの後に続く。
「いらっしゃいませ。店内でお召し上がりですか?」
カウンター内で応対してくれる可愛らしいお姉さんが笑顔の表情を浮かべてそう問うと、奥海くんは「いえ、持ち帰りです」と、こちらも愛想の良い感じの声を作って答えた。
「朝方電話で予約注文を入れていた『オウウミ』なんですけど」
「はい。確認してまいりますので、少々お待ち下さいませ」
奥海くんが言ったのを聞いて、お姉さんはそれの確認の為にとカウンターの奥へ姿を消した。
「へー、ミスタードーナツって電話で予約注文出来るんだね」
「ん? そうだよ。あんまりやらないんだけど、流石に今回はちょっと数が多かったからね」
へー、数が多い場合は予約注文出来るんだ。
私は一つ賢くなった。
程なくして、先程のお姉さんがカウンターの奥からミスタードーナツのロゴマークとイラストの入った箱を両手に抱えて戻って来た。
その数五箱。
「お待たせいたしました。お電話でご注文いただきました『オウウミ』様。ご注文通りこちらのスタッフの判断で適当にドーナツ五十個ご用意させていただきました。どうぞ、ご確認くださいませ」
カウンター上に置かれた五つの箱がそれぞれ開封されていき、中に納められた数種類のドーナツ五十個が整頓されて彩り良く並べられている。
……へー、ドーナツってこんなに沢山並ぶ事もあるんだ……。
なんていうか、ちょっとした爽快感だな……。
「はい、大丈夫です」
奥海くんはそう言うと、「手提げの袋貰って良いですか? あと、支払いはカードでお願いします」と後に続けた。手慣れている感じだ。以前にも何度か電話で予約注文していると思われる。
お姉さんは先程同様に笑顔を浮かべ、「はい、かしこまりました」と元気な感じに答えると、手際良く五つの箱を手提げ袋に入れていき、奥海くんからカードを受け取る。彼が差しだしたカードは、先程コンビニで使っていたものと同様の物だ。
へー、ミスタードーナツってプリペイドカード使えるんだ。
ミスタードーナツに来てどんどん賢くなる私。
プリペイドカードでの支払いを終え、レシートに何かを記入してから、私の知らない目的地へと向かうべく、お店を出て再び歩を進めた。
たった十五分か二十分くらいで、奥海くんは大層な大荷物になっていた。高校指定の鞄に、コンビニ袋に、ドーナツの袋が五つ。
短時間でこうも荷物って増えちゃうものなのか?
「……半分持とうか?」
『私』鞄一つ。
『奥海くん』鞄一つ、コンビニ袋一つ、ドーナツの袋五つ。
……どうひいき目に見ても持ち過ぎだ。
それでも、それ等全てを器用に持って平然としているのだからこなれたものだ。
最初からその気だったのだろうか、奥海くんは私が申し出るや否や、「いやー、助かるよ。実は大分と困ってたんだこの状況。持ってくれるなら助かるに越した事はないんだ。」と、私にドーナツの袋二つを押し付ける。自分から申し出ておいてなんだが、今日はどうにも理不尽な風に流されてしまっている感が拭えない……。
「いや、まぁ荷物を持って貰う為だけにきみの午後の時間を潰してる訳じゃないよ? ちゃんとこれから当初の目的地に向かうしさ。そんな怖い顔しないで笑ってなよ。女の子は笑ってなんぼだよ?」
「……若干偏見的なニュアンスが含まれていないとも言えないね」
言われ、私は自分が仏頂面をしていた事に気付かされる。慌てて表情を取り直すと、奧海くんは何処か嬉しそうに笑顔を綻ばせた。
……顔が熱くなるのを感じる。
「まぁ、今日は付いて来ちゃった以上、とことんまで付き合いますよ。ご要望とあらば荷物も持ちます。だからさ、そろそろ本題の方に移ってくれても良いんじゃないのかな? 昨日の事とか昨日の事とか、あと昨日の事とか」
「うーん、俺が話すよりちゃんと説明出来る人から聞いた方が正確だし分かりやすいんだけどなぁ……」
「……えっと、もしかして奥海くんは、実は何も知らないってオチ?」
「いやいや、ちゃんと知ってるしチョー関係者だよ。ただ、俺よりもっとちゃんと説明してくれる人がいるって事。で、今日はその人ん所に連れてくの。あぁ、大丈夫。気ぃ張らなくて良いし警戒もしなくても良いよ。女の人だから」
「……まぁ、ちゃんと説明してくれて私が納得出来れば男の人でも女の人でも良いんだけど、奧海くんは少しも何にも説明出来ないの? 私の中では一応奧海くんが当事者って事になってるから、勿論その女の人の話もちゃんと聞くけど、私は貴方の口からも事のあらましを聞いてみたいんだけど、どうでしょうか?」
目的地が何処なのかも分からないし、あとどれくらい歩けば着くのかも分からない。奥海くんの話が聞きたかったのは本当だし、件の目的地に着くまで話題があるのならば、それに越した事はない。
駄目でもともとだったが、聞いてみると、奥海くんは少し考えるようにしてから、「それじゃあ」と口を開いてくれた。
「例えば、あくまでも例えばね。安西さんは、『春』と、『夏』と、『秋』と、『冬』と、どれが一番好きなのかな?」
…………。
普通の世間話をされてしまった……。
「……いや、何で普通に世間話みたいな切り口……? それに、それって小学生が『何色が好き?』とか『何の動物が好き?』とか、そういうのとレベル的には同列の話題だよね……?」
からかわれている風な感じではなかったけど、思った事がついつい口を吐いてしまう。そう言った事によって彼の気を悪くさせたかと思ったけど、何の事はなく、奥海くんは「ははっ、確かにそりゃあ言えてるわ」と、声を出して笑っていた。
「まぁ、確かに質問のレベルで言ったら幼稚な部類に入るかも知れないね。色とか動物とかと大差ないレベルの話題だ。話題レベルがあったらレベル2くらいじゃないかな」
「あははっ、何よそれ話題レベルって。高度な話題になるほどレベルが上がるっていうの? そしたら政治の話題とかはレベル8とかになるわけ?」
「いや、政治の話題はレベル1だろ」
「何で低くなっちゃうのよ?」
「政治の話なんて幼稚なそれ未満だよ。結局言い争ってるのは『何が好き』とか『誰が嫌い』とかそういう事だ。っはは。内容は違っても進路と進行スピードが小学生レベルとどっこいどっこいって事だよ。それだったらクラスの奴等が話してるゲームだったりファッションだったりの話の方が話題レベルは上だと思うよ。俺はね」
そこまで言い切ると、奥海くんは片眉を上げてニヒルな感じに笑った。確かに、彼の言わんとする事は分からなくもない。
「と、少しばかり話が逸れましたけど、どうです? 安西さん。『春夏秋冬』。どれが一番好きですか?」
「……それには答えなきゃいけないのね」
呆れた感じにそう言葉を吐いて、私は肩を竦めて見せる。
両手に持つドーナツの袋は、あまり重さを感じさせなかった。
「ま、あんまし面白い話題でも無いけどね。それに、今答えなくても、多分これから行く場所に着いたら、件の女の人に一番最初に聞かれると思うよ?」
「何をよ?」
「だから、同じ質問をだよ」
『春夏秋冬』。あなたはどれが一番好きかしら?
「ってさ」
奥海くんは意図的に声色を変え、件の女の人の口調を真似たのだろう、そう言って、少しだけの薄い笑みを浮かべた。
「……その問いに何の意味があるの?」
「さぁ、どんな意味があると思う?」
私はそう返されて言葉に詰まる。
分からないから聞いているのに、そんな事、見当もつく筈が無い……。
「……私は、そねぇ、夏が好きかな」
問い合いの遣り取りだけではらちが明かない。ここは私が折れる事にして、話を先に進める事にした。疑問は残るが、それは極力問わないようにしよう。『春夏秋冬どれが好きか?』私はその問いに答えて、彼の反応を窺った。
「うん、そうだよねやっぱり。俺も夏が一番好きかな。それじゃあさ、安西さんは何で夏が好きなの?」
「それは……、そうねぇ。例えば、私は海とか山とか好きね。夏の海も夏の山も気持ちが良くて好きよ」
「それと?」
「それと、スイカとか花火とかも夏の風物詩だよね。スイカも花火も私は好きよ」
「後は?」
「後は、甲子園とかお祭りとか、そういう夏にしか無いイベント事とかもあるよね。それに、なんといっても夏休み。学生ならこの長期休暇は見逃せないものよ。というか、小学生時代からずっと夏休みってあるからね。そういう観点で言うと刷り込みみたいな部分もあるかも知れない。『夏には何か楽しい事があるかも知れない』っていう小学生時代からの刷り込み。でもまぁ、多分それ抜きでも、それ込みでも、私は夏が一番好きだと思うわ」
言うと、奥海くんはそこで一度足を止めた。
そんなに長い時間歩いた感じはしないけど、場所は市内ギリギリの端っこの方まで来ていた。
目の前にそびえて建つのは、大きな病院。
テレビでよく見る様な、最先端の技術で外科手術をしている様な、二十四時間緊急搬送承りますみたいな、そんな感じの大きな病院。
「……へー、市内にこんな大きな病院があったなんて知らなかった」
自宅からも高校とは反対方向だし、市内のこんな端っこの方まで来る用事も無かった。
私が純粋にその大きな病院の雄大さに見惚れていると、「いや、『市内』じゃないから。『区内』だから。」と、奥海くんは律儀にも訂正してくる。
「……悪かったわね。越して来たぱっかしだから『市内』だか『区内』だかが良く分からないのよ。それより、ここが目的の場所? 見ただけで分かるほど病院なんだけど」
この病院で件の女の人が働いているか、もしくは入院しているといったところか。それなら大量のドーナツの理由にも頷けなくはない。恐らくはお見舞い品だろう。……まぁ、量は少しばかり問題だけれど。
「まぁ、目的の場所っちゃあ目的の場所かな。とりあえず入ろう」
そう言って彼は先行し、私は彼の後を追う。多分今日はこれが固定フォーメーションとなっているのだろう。
外から見ても分かった通り、その建物の大きさはかなりのものだ。もっと言うと『尋常じゃない』っていう言葉が浮かぶ。二枚なら分からなくも無いけど、どういう理由から設置されたのか分からない三枚の自動ドアを抜けて建物内へ入ると、そこはあたかも高級ホテルのフロントのような装丁だった。豪奢なテーブルに豪奢なソファー。見間違う事が出来ればカルテなどに使う用紙も一枚三百円に見えなくもないし、業務用のボールペンですら一本五千円に見えるだろう。まぁ、高級ホテルなんぞに行った事はないが、雰囲気を言い表すとそんな感じ。広い空間に階層八階分の高さの吹き抜け。その疑似高級ホテル内で慌ただしい感じに右往左往しているナース服の女性や白衣姿のお医者さんと思わしき方々。病院なので看護師や医者がいるのは至極当然の事なのだが、悲しいかな、この場の見た目に全く馴染んでいない。
「……ここって、病院だよね?」
聞いた訳ではなく単に独りごちただけなのだが、前方の奥海くんは私の方を見ないままで「そうだね。間違いなくここは病院だよ」と、私の独り言に答えてくれる。
「誰かのお見舞い? ……だと、私がここに来ている意味が分からないわね」
「っはは。そうだね。お見舞いじゃあないんだよ。職員の方を尋ねに来たわけでもない」
答えて、明らかに受付窓口をスルーして上階へと上がろうとする奥海くん。普通病院ってどんな理由の来院でも一度受付に声を掛けなければいけないものだと思っていた。診察してもらうでも、薬だけ貰うでも、入院患者のお見舞いでも。私はそれが普通だと思っていたけど、この病院はそれが普通なのか? それとも私の知識の間違いなのか?
使いうのは階段。
エレベーターには乗らない。
「何階まで行くの?」
「ん? 屋上まで」
階層は八階建て。
「エレベーターには乗らないの?」
「何でも楽しようとするのは最近の若者の悪い癖さ。歩けるなら歩いた方が良いんだよ。それに、こんな仕事だ。いつ歩けなくなるか分からない。歩ける内に歩ける喜びを噛み締めておけってさ」
「……なんか意味深な言葉だね。誰が言ってたのさ。そんな事」
件の女の人だよ。
前を向いたままで奥海くんはそう言うと、「そんでぇ」と言葉を続ける。
「まぁ、海とか山とか、スイカとか花火とか、他のイベント事がそれなりに沢山。確かに夏はそういう諸々で作られてるかも知れないね」
…………?
一瞬何の事かと思ったけど、奥海くんは話を少しだけ前に戻した様だ。私は彼の言った事に無言をもってして答える。それでも構わなかったのだろう、奥海くんは気にする事無く先を続けた。
「じゃあ、何で夏の海は気持ちが良いと思う? 何で夏の山は気持ちが良いと思う?」
歩みは止めない。
私も彼も、両手にはドーナツの袋を持ち、肩に鞄を掛けている。彼は更にコンビニ袋を手に持っていて、二人してなかなかの大荷物。
私は、彼の問いに答えない。
黙って後ろを付いて歩く。
彼は尚も言葉を続ける。
「スイカはどうだろう? 花火が綺麗に見えるのは? 甲子園が楽しく見られるのは? お祭りに楽しく参加出来るのは?」
そこまで聞いて、私は漸くの事思考を巡らせた。
夏の海が気持ち良い理由。
夏の山が気持ち良い理由。
スイカが美味しく、花火が綺麗で、甲子園やお祭りが楽しい理由。
それは、
それは……、
「それは……、夏が暑いからじぁ…」
本当は言葉に出す積りじゃなかった。だけど、私は無意識の内にそう口を吐いており、彼はその私の無意識の言葉を耳聡く拾う。
「そう。夏の海、夏の山、その他の多数、色んな何がしか。そういうもんは、全部『夏』が『暑い』からこそのもんなんだな」
暑いから、夏の海は気持ちが良い。
暑いから、夏の山は気持ちが良い。
暑いから、夏のスイカは美味しい。
暑いから、夏の花火は綺麗だ。
暑いから甲子園は、
暑いからお祭りは、
暑いから、
暑いから……。
「夏が暑けりゃ海は気持ち良い。夏が暑けりゃ山は気持ち良い。じゃあさ、他の季節はどうだろうね」
多分もう、彼は私に話して聞かせている前提ではあるが、私の答えを待とうとはしていない。問い掛けるというか、自分に言い聞かせて独白するように、彼の言いは続いていく。
「例えばね、春はどうだろう。冬が終わって、暖かくなり始める時期に桜が咲き始めて、一年の節目として入学とか引越しとか、そういう転機の時期になってるよね。寒い冬から暖かい春へ。気分の高揚っていうのかな。節目だったら年明けとか一月とかでも良い筈なのに、あえて暖かくなる春を節目としてるんだ。だから新しい気持ちで新居を構えられるし、新しい場所で気持ち良く次の一年間を迎えられる」
春は暖かい時期。桜が咲いて新居を迎え、新しい環境でスタートするのに相応しい季節。
「じゃあ例えば、秋はどうだろうね。緑色だった葉っぱが紅葉になって、何だか物悲しさを感じさせる時期だけど、この時期に俺等で言ったら体育祭とか文化祭とかあったりするけど、あぁ、うちの高校は五月に体育祭やったけど、俺んとこの中学は体育祭秋だったんだよね。まぁ、それは良いとして、読書の秋とか食欲の秋とか、そういう固定概念があったりもするけど、それはその通りだと思うよ。読書して作品に思い耽るのにも良い時期何だと思うし、食に至っては秋味覚ってのは時期的に暖かくして食べるものが多いと思うんだよね。サツマイモだったり栗だったり。あと秋刀魚か。秋刀魚をあまり刺身で食う事も無いでしょ。俺はやっぱり秋刀魚は焼き魚で食べるのが一番美味いと思うんだよね。個人的意見だけど。だからさ、秋の固定的な概念も満更間違いじゃない、寧ろ大当たりだと俺は思ってるよ」
秋は思いに耽る時期。学生は体育祭や文化祭に、一般的には読書して感性を刺激したり食を満たすのに最適な時期。
「最後は冬かな。寒い寒いって言ってもさ、やっぱり冬も楽しいよね。雪が降ればそれだけでテンション上がるし、イベント事にはクリスマスとか大晦日とか正月とか、夏は夏で暑いからこそ楽しいイベント事があるけど、対照的に、冬だってやっぱり、寒いからこそ楽しいイベントってのがあるんだよね。寒いからこそ、クリスマスも、大晦日も、正月も際立って楽しく思えるんだ。寒いからこそ、年開けが待ち遠しく思えるし、次の春が待ち遠しく思えるんだ。それに、こたつで蜜柑なんて至福以外の何ものでもない」
冬も夏と同じ、寒いからこその特別な時期。クリスマスも大晦日もお正月も、寒く無ければ成り立たない。寒いから次の春に、暖かくなった次の新しい環境に期待が持てる。
私も、彼の意見には大いに同意するし賛成もする。
春も夏も秋も冬も、それぞれの特色がある中でどれもが魅力的にちゃんと栄えている。
しかし、奥海くんの言いたい事は分かったとしても、話の流れが一向に見えてこない。その春夏秋冬の中で、私は夏が一番好きだと言い、彼も夏が一番好きだと言った。それに、一体何の意味があるのか、私はまだ一向に掴めていない。
「じゃあ、簡潔ながら、俺が今簡単に説明出来る範囲の事についての結論になりますが――」
奥海くんは階段を上る歩みを止めないまま、私の方をちらりと向いて、そう前置きをした。
「俺も『夏』が好きなんだよね。いや、好きっていうか、もう愛しちゃってるって言ってもおかしくないんだ。俺の友達もそんな感じだし、俺の直の上司に当たる件の女の人にしても、みんなそんな感じなんだよ。理由が無い訳じゃないけど、そこんところは少し省くとして、アンザイさんも多分そうなると思うよ」
「……私も夏は好きだけど、愛するまでに夏に恋焦がれるようになるって事?」
問うと、奥海くんは「そうだよ」と、何でも無い風に答える。
確かに夏は好きだけど、俄かには信じられない……。というか、何も根っこの部分を説明されていないのに、私が夏を愛するようになるとか言われても、全くピンと来る感じが無い。
「……何でそうなるの?」
純粋な疑問。
聞くと、彼は少しだけ「っはは」と声を漏らして笑う。
「何でって、なんでもだよ。否応無しだ。昨日のあれが見えちゃっただろ? 詳しい話は件の女の人に丸投げするけど、言うなれば『呪い』みたいなもんだよ」
『呪い』
彼は笑うが、私は笑えない。
「あぁ、大丈夫。最初はみんなそういう反応なんだ。俺も最初説明受けた時はそれで散々ビビらされたけど。心配無いよ。変な宗教的な事じゃないから。ただ、思想的に神様に近い物はあるかも知れないな。崇拝ってんじゃないけど、『それを神様と捉えても間違いじゃないんじゃないかな?』ってのはあるよ」
「……なにそれ? 神様として捉えるって、何を?」
無宗教、無教論派で通して来た私の十六年間に神様なる者が介入しようとしてきている……。まぁ、年始に初詣には行くし受験の時にも多少の神頼みはしたけど、今すぐにでも踵を返して逃げ出した方が良いんじゃないかという考えが頭の隅をかすめた時、彼の発した言葉が私の耳に届く。
「そりゃあ、『夏』だよ。『夏』そのものを神様と捉えても、何の差し支えも無いって事」
信じられない事だったが、もとい、信じたくない事だったが、私の脳が彼のその言葉を理解すると、それと同時に胸がもの凄く熱くなった。焼け石のような熱さ。内側から湧きあがってくる熱。動悸ではないし、息切れもしていない。吐き気も無い。
だから、それは興奮なのだろうと思う。
信じ難い事に、私は夏が『神様』だと聞いて、興奮している……。
「……意味が、分からない……」
それは、強がりだ。何も心に響いていない振りをする。それに、実際に意味が分からない事は事実だし、夏を『神様』と崇め奉っている事を信じろと言われても多少の無理はある。
ただ、その何かしらが私の心に響いてしまった事、それもまた、事実ではあるんだけど……。
「はははっ、そりゃあそうだ。意味はまだ分かんなくて良いよ。それに、最初は意味なんざ分かんないもんだし、理解出来てなくても良いと思うよ。足し算引き算すっ飛ばして割り算やってる感じの説明だし。ゲームで言ったら、安西さんは今ん所、買って自宅に帰って来て、まだパッケージを開封もしてないところだよ? 起動はおろか説明書も読んでないんだから、それで理解しろって方が無理な話だよ。そりゃあ仕様が無い事さ」
自分で言ったそれが面白かったのか、奥海くんはそれを少しだけ笑った後に、息を一つ吐いて「まぁ、それでだ」と続けた。内心どの部分が終わりに該当しそうなのかがサッパリ分からない……。けれど、『屋上に行く』と言っている以上、それまでに彼の話には何らかの形で終わりがあるだろうと、私は彼の言葉の流れに身を任せる。
「今日さぁ、気温としては暑い方だと思わない?」
神様がなんちゃら言った割には、急に世間話に戻るのか……。とは言っても、話の題材として夏っていうのが中心にある以上、これも彼の言える範囲の結論に必要な一つのピースなのかも知れない。
「うーん、そうね。まぁ普通に暑いと思うわよ。七月になったし、これくらいの気温でもおかしくないと思うわ」
曇り空で昨日の日中よりは所謂過ごしやすい気温ではあると思うけど、まぁまぁ暑いとは思う。
「じゃあさぁ、この病院の中。ここはどう? 暑いと思う?」
……いまいち奥海くんの言いたい事が分からない。こういう遠回りな喋り口な人なのか。この人は……。
「……いや、ここは別に暑くはないよ。過ごしやすいって言うか快適って言うか。……うん、まぁ暑くはないね。良い具合に冷房が利いてるって感じかな?」
途中立ち寄ったコンビニは冷房が利きすぎていて少し肌寒い感じがしたが、この院内はとても丁度良い室温だった。やはり病院という施設である以上、こういった部分にも十分な気配りがされているのだろう。
院内は快適な室温。
何も変な事は言っていない積りなのに、しかし奥海くんは後ろを歩く私に首だけで降り向き、片眉を上げて薄い笑みを浮かべて見せる。
「っはは。言ったね、それ」
挙句指差しまでされた……。
両手に荷物い持ったままで指差しとは、なかなかに器用な事をやってのけるものだ。
「……言ったって、何がよ? 別におかしな事は言ってない筈よ?」
言ってない筈。おかしな事は何も言っていない筈。なのだが……、奥海くんは頑なに「いいや、言ったよ。変な事。」と、笑い顔を維持したままで私に言い、そこで正面に向き直る。
「安西さんはねぇ、『冷房』って言っちゃったんだよ」
『冷房が利いてる』
確かに私はそう言ったが、それは事実だろう。現に、この院内は快適な室温で保たれている。『冷房』という単語の何が変なのかが分からない……。何かの隠語なのかな……?
「そりゃあだって、確かに利いてるじゃない。冷房。この病院の中全然暑くないわよ? ……んー? 暑くないわよね? 暑くない、わよ……? うん……。暑くないわよ……」
言って、自分で気が付く……。
何か説明し辛いと思ったら、何か表現し辛いと思ったら、この院内、涼しい訳じゃない。
『暑くない』のだ。
『涼しい』と『暑くない』。
同じ様に思えるものでも、本質的に全く違う。
「そうだよ。この病院内は全く暑くない。で、問題って訳じゃないんだけど、実はこの病院内、一般的にあるべきものなのに、無いものが二つあるんだよ」
問題という訳ではないらしいので、私が考えるまでも無く、彼は口を開いた。
「一つはねぇ、エアコン」
「……エアコン? 何でエアコンが無いの?」
「必要無いんだよ、エアコン。エアーコンディショナー。まぁ、主に室温調整の方だね。空気の入れ替えはするから空気清浄機はあるけど、室温を調整する必要が無いんだ」
……室温を調整する必要が無い?
ちょっと意味が分からない……。だって、この建物の中はこんなに快適なのに。涼しい訳じゃないけど、暑くはない。こんなに室温が整っていて調整していないも何も無いだろうに……。
「で、無いものの二つ目。まぁ、これは常時っていうか、今時期だけに本当はあるものなんだけど、この病院内にはそれが無いんだ。で、実はこれが俺の言える範囲での結論部分なのね。」
そう言って、彼は階段の踊り場部分で足を止める。
相当の階層を進んで来た様で、漸く階段の終わりを迎えた。
その階数八階分。
踊り場の端に屋上へと出るのであろう扉と、エレベーターの扉が二つ、系三つの扉がある。
屋上へと出るのであろう扉の前に立ち、奥海くんは息を一つ吐いた。
「うーん、本当は俺が言うよりちゃんとモモコさん、……あぁ、件の女の人ね。そのモモコさんから聞いた方がショックは大きくないと思うんだけど、まぁここまでサクサク説明しちゃったのは若干俺の所為でもある訳で、だからさ、同じクラスの隣の席のよしみで許してやってくれ」
……それって、どういう意味なのか? 判然としない中で、私は言葉を発する事が出来ずにいると、彼は続けて口を開く。
私はもう彼の後ろで後を追っている訳ではない。
彼の正面には私。
私の正面には彼。
面と向かって私は彼の言葉を聞く。
「この病院にはね、『夏』が無いんだよ」
…………。
…………?
……あれ? ちょっと意味が分からない……。
彼は、奥海くんは、首を傾げた私を正面に据えたままで、先へと言いを続ける。
「この病院、同じ様に、春には『春』が無いし、秋には『秋』が無いし、冬には『冬』が無いんだ」
さも当然と言う様に、彼はそう言葉を続けた。
「……それって、どういう事……?」
言葉は選ばない。当然の、絶対的な、彼への疑問。
それを問うが、彼はそれを全く意に介さず、「安西さん誕生日っていつ?」と、この状況で全く意味の分からない事を聞いてくる。
問いに対しての問い。
少しだけそれを歯痒く思い、問いにちゃんとした答えを返してくれない彼に苛立ちを覚えたが、何故だか私は彼の問いに「……えっと、一昨日十六歳になった。六月二十九日生まれ……」と普通に答えてしまう。それは、彼の表情が少しばかりの真剣みを帯びていた為であり……。
「へぇ、すげー最近じゃん。お誕生日おめでとう」
「……ありがとうございます」
予定調和のような祝福に、御座なりな御礼。
何だか茶番劇をやらされている感じだ……。
大根役者のチープな演劇。
「じゃあ、十六歳になったばかりの安西さんに、俺からの――っつーか、俺等からのか。俺等からの、過酷な現実をプレゼントだな」
口調はふざけ気味なそれだったけど、表情は真剣なものだった。とてもではないが、緩んだ気持ちで聞く事を許さない感じ……。
彼は屋上に続く扉のドアノブに手を掛け、捻り、内側に引く。
その瞬間、この病院の壁がもの凄い質の防音設備だという事を思い知らされた。
耳の鼓膜が強烈な音の波を受けて震えたのだ。
「――――!」
バタバタバタバタッという轟音を鼓膜に受け、視界に飛び込んできたのは、機体部分に大きな赤い十字を掲げた、これまた大きなヘリコプター。
「……何あれ? あれに乗るって事? これから……?」
「ん? そうだよ」
この轟音の中、独り言の積りで呟いた声を彼は拾い、彼の返答もまた、この轟音の中で私の耳に届いた。
何故そうなったのかは分からないけれど、そうなったのだ……。
「安西さんが十六年間生きて来た中で培った常識の一つをね、俺等がぶっ壊しちゃうのは、凄く申し訳ないです。だけど、本当はこれが現実だって事を受け入れて欲しいんだ。寧ろ、昨日のあれを見ちゃった以上、昨日のあれが見えちゃった以上、受け入れなくちゃならないんだ」
だから、ごめんなさい。
奥海くんはそう言って謝り、続けて口を開いた。
私は、その言葉に頭を撃ち抜かれた気分になる。
「春夏秋冬。日本にはもう、季節なんてもんは無いんだよ」
奥海くんはもう一度、「ごめんね」と、私に謝った……。




