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エピローグ 1 彼等にとっての特殊環境保全省


「もしもーし? オウウミですけど?」


「はいはーい、こちらはモモコでーす。そして『特境省』でーす。具合の方はどぉーでーすかー?」


「あぁ、大丈夫ですよ。心配無いです。一応は。湿布張ってあるんで昨日よりは痛みは引いてますし、今日そっちに行くついでに病院にも寄りますしね。」


「うん、そっか。分かったわ。だけど、それにしてもねぇ……」


「? なんです?」


 一夜が明けて通常の学生生活。


 昨日のどんよりとした空模様が嘘の様に、打って変わって雲一つなく気持ちの良い快晴が空一面に広がった。……で、確かに気持ちの良い快晴は空一面に広がっているのだけど、如何せん今日の都内の最高気温は、気象庁調べで三十九℃……。都内で、そして七月の前半に、この気温は異例な事だ……。


 昨日の安西さんの『夏』の余韻。


 自然消費で気長に待つとすると、あと一週間は続くだろう。


 高校内でも生徒教員共にうだるような暑さにとろけていて、下敷きや教科書が団扇の代わりとして大いに活躍している。


 アメタマにやられた負傷はと言うと、肘と膝には湿布を貼るだけという簡単な処置。内出血にこの処置は正解なのか正直疑問が残る……。座学をするには問題無いけど、早速二時間目の水泳の授業を見学したのは言うまでも無い。


 そして、一日の授業の折り返し。


 昼休みの時間帯。


 学生食度で昼食を取ろうとしていた正にその時、俺の携帯電話は『特境省』からの通話を着信したので、そこから一度席を外した。


 相手は桃子さんで、俺の怪我の心配をしてくれたと思ったら、そこから何だか歯切れの悪いもの言い。


「……まぁ、今回は軽い感じで済んだけど、あんまりアメタマ相手に怪我とかしないでよ? 企業とかの『人間』相手なら兎も角ねぇ……。『アメタマ』相手に後れを取るってなったら結構な事態よ? 昨日はまぁ、言わなかったけどさぁ……」


「そりゃあ、まぁ、そうですけど……。昨日のアメタマはちょっと位置付けが難しかったですからねぇ。変異種でしたし」


「まぁさぁ、分からなくも無いんだけどさぁ……。『特境省』がアメタマとか『夏』の反応でモニタリングしてるって事は、企業とか団体とか、そういうお金持ってるところも同じ様な事をしてる可能性も無くはないのよ。ただでさえ横内さんも『アメタマ』にやられて入院してるんだからさ。そういう、『特境省』が他のところに舐められる様な事があっちゃぁなんないのよ。それに、昨日のハルマちゃんの事もあるしさ。多分彼女、うちに来るって言ってくれてるけど、っていうか大歓迎なんだけどね、昨日のあれがあっちゃうと、他の勢力からも狙われる可能性もさ、あったりする訳なのよ。スバルくんも昨日のハルマちゃんの異様性にはさ、ちゃんと気付いてるでしょ?」


 昨日の安西さんの異様性。


 それはもう気付いていますとも。


 なんせ、俺は一番近くでそれを体験した訳だし……。


「ハルマちゃんにはこの事は言わないで、『特境省』として動く場合はなるべく貴方達で気を付けてあげてね?」


「……えぇ、それは分かってます。それに関しては大丈夫です」


「ところで、今日ちゃんとハルマちゃん学校に来てる?」


「? えぇ、来てますけど?」


 言うと、電話の向こうの桃子さんは目に見える様に安堵した。それなりに付き合いがあるからかも知れないけど、何故かそういう絵が容易に想像の出来る人だ。


「いえね、昨日の事がトラウマになってないならそれで良いわ。メンタル弱い子だったら昨日の事はきっと余裕でトラウマものよ。」


「……っはは、そうですよね。普通は……。でも、アンザイさんは結構肝が据わってる娘だし――」


 昨日、助けてもらったし……。


「――メンタルも強そうですし。それに、あの後も普通に笑えてましたから、多分大丈夫ですよ」


「うーん……、そっか。まぁ、そう言うなら今のところはスバルくんの言う事を信じるわ。それじゃあ、また今日の後でで」


「はい、午後にそっちにお伺いしますよ」


「はいはーい、よろしくー」


 そういうと、電話は桃子さんの方から切られた。


 タメ息を一つ吐いて、携帯電話をポケットに仕舞う。


 結局、昨日アメタマが吐きだした仏さんは誰だか分からず仕舞いだった。


 アメタマを落とした後に残った脳髄と思われる物と共に、『特境省』の手回しで、もとい、桃子さんの手回しで、国の機関が回収したらしい。知らされてはいないけど、『特境省』の他にも、この国にはそういう『裏側で暗躍する機関』が存在しているという事だ。


 事が終わった後で寿司を食いに行き、安西さんと別れた後に黒腕から知らされた事実。


 実際に昨日のアメタマが言った訳ではないからそれは未だに志弦さんの仮説の域に過ぎないけど、それを考えるとあのアメタマ。そしてその中身だった人。それは、相当な覚悟をして、相当悩んだ末に掴んだ解答だったのだろう。


 アメタマの身体に自分の脳味噌、ねぇ……。


 仮説には過ぎないけれど、それもまた、十分に信憑性のある説としての一つだ。

『そう言う事』が『出来るかも知れない』という事が分かっただけで、今回の件の収穫は十分にあった筈。


 それに、俺の方も。


『特境省』に勤めて二年かそこらだけど、大分と貴重な体験だった事を認めよう。


 喋るアメタマに、アメタマになろうとした人間。


 常識は常に覆される可能性を秘めていると、改めて再認識させられた。今後喋るアメタマが出たとしても、俺は怯む事が無くなったし、躊躇う事も無くなった。と。


 ……全く、貴重にして稀有な体験だったよ……。


 そして、『特境省』とは別の、俺にとっての日常。


 通常の学生生活。


 昨日と同じ様に、教室内では安西さんと会話を交わしてはいなかった。


 朝登校して来て、自分の席に着いて、隣の席の彼女に『おはよう』と挨拶をされ、俺も一言それに返した程度。当然だ。入学して三カ月。校内での彼女の立ち位置も決まり掛けて来たところに、急に俺が横から入って行く事も躊躇われる。彼女自身が『特境省』に来ると決めたとしても、彼女の日常生活はきちんと確立されているから。だから、俺がそれにどうこう口出しする事も無いし、それに積極的に関わろうとも思っていない。


「? どうしたの? オウウミくん?」



 ……それなのに。



 あぁそれなのに、だ……。




「すっごい複雑そうな顔してるけど?」


 学食内で先程まで座っていた席に戻ると、俺の対面では先程同様、安西さんが唐揚げ定食に舌鼓を打っている。


 もう一度、深いタメ息。


「まぁまぁ、そうあからさまに嫌そうな顔してやんなよスバル」


「そうだよ。邪険にするのは可哀相だと思うね。ぼくは」


 ……黒腕もニコもうるさいよ。


「……えっと。私って、もしかしてお邪魔……?」


 そう言って安西さんは不安そうに首を傾げるが、俺はそれに「いや、大丈夫だよ。そういうんじゃないから」とそれなりの返事をしておいた。


「モモコさんからの電話だったんだけどね、何かまた面倒な感じの事が続く臭いんだよ……。詳細は追って説明だってさ」


 嘘は言っていない。


 安西さんのそれが面倒そうな事なのはきっと確かな事だし、桃子さんからも追ってちゃんと説明はされるだろう。


「へー、大変そうだねぇ」


「……人事みたいに言ってるけど、これから一番大変なのは多分アンザイさんだよ? 講習受けて実技受けて、そんで『特境省』と『夏』に関しての座学を受けて。高校の勉強と並行してやんだから結構きついと思うよ?」


 そう言うが、安西さんはそれを何でも無い風に「ま、自分で決めた事だから仕様が無いわよ」と、そう言って肩を竦めた。


 全く、頼りになる娘さんです事。


 安西さんが他勢力に狙われる可能性、ねぇ……。


 何にしても、今この場じゃあ話せない。


 安西さんにばれない場所で、黒腕とニコにはそれとなく伝えておく事にしよう。


 夏の序盤で人手も少ない中、昨日みたいな変異種やら企業やらを、俺と黒腕とニコの三人でどうにかしろってのは、そりゃあ些かどころじゃなく多忙だし、それ相応の苦労はするだろう……。


 経験の浅さを実力でカヴァーして、苦境は根性で跳ね返して、身体の負傷は愛で治すってか?


 その辺りの今後の労が目に見える様な現実として浮かんできそうだけれど、取り敢えず、そして兎にも角にも、昨日の事は一段落。


 夏も本格的に始まっちゃえばアメタマで荒れる事も殆ど無いし、職員の方もチラホラ返って来る。八月に入るくらいまで俺等三人で粘れればどうにかなるだろう。


 それに、安西さん。


 気が強くて肝が据わってるとかの内面的なものや、昨日の『夏』の事や、『特境省』がどうのって事。


 この際、それ等は一まずどうでも良い。


 重要なのは、昨日あれだけ色々あったにも関わらず、今日安西さんがちゃんと登校して来ている事だ。


 それだけで、俺は胸を撫で下ろす事が出来る。


 彼女の平和な日常が、見様によっては猟奇的でもある『夏』の魔の手に侵されない様にと、取り敢えずは、そう願う。


「? オウウミくんご飯食べないの?」


 目の前に置かれている野菜炒め定食。


『特境省』からの電話のタイミングが良かったので、未だにそれには手が付けられていなかった。


「食べるよ。ちゃんと食べます」


 そう言うと安西さんは、「うん、良かった」と、俺の野菜炒め定食を食べる姿を見て、ニッコリと笑った。


 安西さんにとって何が良かったのかは分からないけど、俺にとっては、昨日安西さんをちゃんと守れて良かった。


 彼女に助けられた部分が大半だったけど、それでも、彼女を守る事が出来て、本当に良かった。


 安西さんのニッコリと笑った表情を見て、俺は、彼女がニッコリと笑う事の出来る日常を守る事が出来て、本当に良かったと、心の底からそう思った。


「今日もミスタードーナツに寄るの?」


 安西さんにそう問われて肩を竦めると、黒腕とニコが横目でこちらを窺いながら、俺と安西さんのやり取りを聞いてニヤニヤといやらしい表情を浮かべているのを感じ取る。


 イラっとしたその半面、平和って素晴らしいと、そう感じた。








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