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メイン 18 奥海昴


 それは俺にとって、とても心地の良いものだった。


 まるで冬場に厚手の毛布に包まって眠る様な、雪の降る中で温泉に浸かる様な、冷えた身体にホットコーヒーを流し込む様な、冬場の寒い時期に得られる、そういう暖かな心地良さ。


 まだ雨中にも関わらず、濡れていた髪の毛や制服からは水分が抜け切っている。纏わりつく感覚が一切なく、それ等は綺麗に乾き切っていた。


「……確かに、守ってたのは俺の方だけど、今回助けてもらったのも、俺の方みたいだね。……なんつーか、ありがとう。だな。この場合御礼が合ってる気がする。助けて貰って、ありがとう」


 例えばだ。ここで『どうやったの?』とか、『本当はやり方知ってたの?』とか、『何でこんな事出来んの?』とか、そう言う質問の類を安西さんにするのは無粋だと思った。


 だから、俺は素直な御礼の言葉を口にした。


「……ごめんなさい。私、まだ良く分からなくって……。でも、これでなんとかなる?」


「あぁ、これで十分だ。安西さん今最高にカッコ良いよ」


 そう言うと、安西さんはニッコリ笑って「そう、良かったわ」と答えてくれた。


 猛突進で力任せに俺をブッ飛ばそうと試みたアメタマの策は、この安西さんの引き起こしたとんでもない事象によって失敗に終わった。


 安西さんの引き起こしたその事象。


 俺の纏っていた少量の『夏』を瞬時に膨大な量へと増やしたのだろう。本来ならあり得る事ではないし起こり得る事でもないのだが、それが『夏』というものの本質だ。『あり得ない』とか、『起こり得ない』とか、そんなもん『夏』の前では小さすぎる。



『夏』は、そういう事には縛られちゃいない。



 いつだって『夏』は自由なんだ。



 急激に増加した『夏』はその勢いを利用して各方面へと飛散していき、その過程で突っ込んで来るアメタマをカウンターの要領で弾き返した。直接的な『夏』をもろに受けたアメタマは身体の二割程を蒸発させ、アスファルト面で水溜りを跳ねさせながらのた打ち回る。それでも『夏』の増加は止まる事を知らず、今も尚ここら一帯に尋常じゃない程の量を留まらせていた。


「そんじゃま、安西さんが最高にカッコ良いところ見せてくれた事だし――」


 強く握られていた手を離してもらい、俺は一足飛びでアスファルトに転がるアメタマに飛び掛かった。


「俺も遅ればせながら、安西さんにカッコ良いところを見せる事にすっかな。っと」






 ◆ ◆






 彼がそう言うと、奧海くんの両の手足が『夏』の影響によって変化していくのが、目に見えて分かった。


 両の手足の色が黒く変色し、一枚が三十センチ程もあろう黒い羽が、その両の手足、腕は肘部分まで、足は膝部分までを覆い尽くす。生身の部分は生身が変化し、制服のズボンを履いている両脚は制服のズボンが変化しているのを、私は目で見て理解した。


 さっき志弦さんに説明されて間も無く、私はそれをこの目で見て、ちゃんと頭で理解する事が出来た。



 これが『夏』。



 これが『特境省』。



 そして、これは私の純粋な感想。



 胸の内。


 第一に頭に浮かんだ言葉。


 そう、


 私はその両手の足を黒い羽で覆い、アメタマに向かって飛び出して行った奧海くんを見て、思う。


 それはもう純粋に。


 これでもかと言うくらい単純に。


 どうしようもないくらい簡単に。


 言い訳でも出来ないほどコロッと。


 私はその奧海くんを見て。



『あぁ、カッコ良いなぁ……』と。



 そう思った。






 ◆ ◆






 奧海昴は当初、自分のこの変化した腕と足に恐怖と嫌悪を感じていた。


 中学二年生の時分、初めて父親に連れて来られた『特境省』。そこは奧海昴にとって未知であり不安な場所ではあったが、決して不安定な場所では無かった。代々受け継がれてきた『夏』の力を自分も遺伝によって受け継ぎ、この場所で将来的に働くという事に少なからずの嬉しさを感じていた。父親がしている仕事。そして祖父のしていた仕事。その仕事を自分も出来るという事に誇らしさを感じていた。決して奧海昴にとって『特境省』での日々は楽しいばかりでは無かったが、幸いにして同世代の男の子が二人いる事にも助けられ、辛いながらも講義で知識を深め、実技で技術を高め、座学で『特境省』や『夏』の事を学んでいった。


 ……しかし、その『特境省』での日々において、奧海昴にとって一つの壁が立ちはだかった。


 それが、学種四系。


 父親が『特境省』職員であり、その仕事内容、企業との抗争やアメタマの制圧等を行なっているという事は知っていた奧海昴だが、自分の家系が深層学種で分類された場合『文系』に当たる事や、学種四系という特殊な能力を持ち合わせているという事は知らされていなかった。


『特境省』に所属するようになって月日が立ち。中学も三年生へと進級した奧海昴。そこで待ち構えていたのが学種四系だった。


 新人教育で行動を共にする先輩職員や座学などで多少なりとも教えられていた学種四系の存在。


 十五歳を迎える中学三年という年に、その学種四系の実技講習は行なわれた。


 その第一回目の学種四系による実技講習。


 奧海昴は言葉を失い絶句した。


 文系、理系、文科系、体育会系、その四つに分類されている深層学種。装飾及び肉体変化、肉体強化、熱力変化、武具生成、その四つに分類されている学種四系。

適性検査で自分が文系に分類される事は分かっていた。


 文系が装飾及び肉体変化だという事も分かっていた。


 分かっていた筈なのに、奧海昴はその事を理解していなかった。


 自分の手足から突き出た黒い羽。


 鉤爪を彷彿とさせる先の鋭く尖った指。


 自分の変貌したその姿。


 それは、中学三年生のまだ幼い奧海昴の心には、ショックが大きかった。


 それ等の変化は見れば見るほど異様な感じに自分の目に映り、脳に記憶され、そしてその両方に、深く熱く、焼き付く。


 気分が悪いと言ってトイレへ向かい、大便器に二度嘔吐し、少し冷静になった頭で改めて記憶を呼び起こす。


 異様な変化。


 生身の変成。


 黒く変色した手足。


 突き出た羽。


 鋭く尖って見る影も無くなった指。


 そこまで思い出して、三度目の嘔吐。



『自分には無理だ……』



 奧海昴はそう思った。


 使わなければ大丈夫だ。学種四系を出さなければこれからもやって行ける。そう言う考えが頭の片隅を少しだけかすめたが、つい先日行なわれた座学での殻梨桃子の言いを思い出す。


『現地でアメタマを落とす時には基本的に用いらないけど、企業や団体、個人等の『人間』を相手にする場合、これが無ければきっと話にならないわ。現地に赴く『特境省』職員において最重要技能であり、絶対に欠かせないものね』


 奧海昴は頭を抱え、その結果として出した口上が、学種四系から逃げる為の受験勉強だった。


 最低限『特境省』の講習は受けていたけど、やはり学種四系にはトラウマが残る。


 このままフェードアウトしてしまいたい。


 そう思いもしたが、自分がこのまま離脱してしまったら、これまで『夏』を受け継いできた父親や祖父に顔向け出来ない。と、そういう考えも頭を過る。


 受験勉強にも身を入れられない。


 かと言って『特境省』の事もあまり考えたくない。


 奧海昴は中学三年の夏、そういうあまり良くない兆候に陥ってしまった。

考えても思考が回らず、考えるだけ深みに嵌る。


 奧海昴自身その事を分かっているのだが、どうしても自分にちゃんとした決着がつけられない。思春期特有の苦悩だと言えばそれまでだが、この場合はもう少し複雑だった。なにせ、対面しなければならないのは、世間や他人ではなく、自分自身なのだから。


 それでも転機というものは、誰にだって、そして何にだって訪れる。


 中学最後の夏休みも半分が過ぎた頃、奧海昴の携帯電話に『特境省』からのメールが届いた。



『明後日、新人研修として職員二名立ち会いの元、『奧海昴』『日夜和日郎』『森谷紅介』、異常三名の学種四系に関するディスカッション(話し合い)を行います。目的としては、より学種四系についての知識を深めてもらう事と共に、他者の意見を交えて自分の学種四系と向き合ってもらう為のものです。任意ではなく強制なので、体調不良や已むを得ず欠席する場合は御両親からの電話連絡でお願いします。  殻梨桃子❤』



「……いやいや、ハートって……」


 メールを読んでそう呟き、『以上』の誤変換の指摘をしてやろうとも思ったが、結局奧海昴はそうしなかった。『以上』も『異常』も、自分にとってはどちらでも変わらない。寧ろ『異常』の方が当てはまる漢字としては合ってるのかも知れないから。自虐的にそう思った奧海昴は携帯電話を畳んでベッドの上に放ろうとした時、再び携帯電話がメールの着信を知らせた。


 確認すると、それは『特境省』からではなく、『殻梨桃子』の携帯電話からのメールだった。



『あー、それとね、スバルくんに限っては御両親の連絡があったところでこっちが引っ張り出しに行くから。最近あんまし顔出してくれないからおねーさん寂しいんだよ。若いエネルギーを欲する私の為に明後日は必ず来なさい。絶対に。百パーセント。うえるかむとぅーざ特殊環境保全省よ! そんじゃ、明後日ヨロシクね❤』



「……いやいや、だからハートって……」


 中学三年に上がってから、というか、初めての学種四系の実技講習があってから、自分が先輩職員に心配を掛けているのは知っていたし、また、自分が先輩職員に心配されているのを、奧海昴は知っていた。今回の話し合いもきっと自分の為のものだろう。そう思うと、奧海昴は自分の頬を張った。自らへの憤懣やるかたない気持ち。自分への後を絶たない憤り。


 奧海昴は、何処かできちんとこの事に決着をつけなければいけないと、そう思っていた。


 二日後。


『特境省』四階、小会議室。


 そこに赴いたのは、奧海昴、日夜和日郎、森谷紅介の新人三名と、殻梨桃子、秋枝志弦の職員二名。計五名。


 その五人がそれぞれ割り当てられた自分の席に着くと、配られた資料を元に話し合いは進められた。始めは『特境省』に属してからの一年間はどの様に過ごせたかというものや、職員に関して、講義や実技講習などの感想、実際に『夏』に触れた感覚やアメタマについての考え方などが話し合われ、一時間程が経過した頃、奧海昴が『来るな来るな』と願っていた話題に差し掛かった。即ち、学種四系。「三人とも一度出してみましょう」という殻梨桃子の言いに、奧海昴は背中にびっしりと冷や汗を掻いた。心臓がバクバク言っている。自分一人が躊躇っているだけで、和日郎と紅介は躊躇っている様子も無い。当然だ。学種四系を嫌っているのは自分だけで、和日郎と紅介は別に嫌っている訳じゃない。


 学種四系に関しては合同で実技講習を受ける事も無かったので、お互い見るのは初めてだった。


 ――と、しかし、そこで奧海昴は考える。自分は最初の実技講習から学種四系に関するものは全て避けてきている。……という事は、俺が出ていなかっただけで、和日郎と紅介は互いに互いの学種四系を知っているんじゃないか? そう考えると、奧海昴は自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。


 学種四系の実技講習を受けた時、新人教育の職員の人は加差(かざし)さんの弟さんの方だった。という事は、この場にいる人は誰も俺の学種四系について知らない……。いや、桃子さんと志弦さんは加差弟さんから何かしら聞いてるかも知れないけど、和日郎と紅介は俺の学種四系について何も知らない……。


 思い出すと、再び吐き気が込み上げて来る……。


 ここで『あれ』を出したら、和日郎と紅介は自分の変容した手足を気味悪がるに違いない……。


 奧海昴は泣き出してしまいたい気持ちで一杯だった。


 そして、この場で良くなかったのはその並び順。


 右から順番にという殻梨桃子の言いに従うと、三人が並んで座り、一番左に位置する奧海昴が最後だったから。


 トリとなる自分のその位置が怨めしく思った。


 最初に日夜和日郎。


 彼の主とする肉体強化は然程身体に大きな変化を見せず、肘まで掛かる黒い手袋を装飾変化として生成する事で急激な頭髪の伸びを見せるが、結局はそれまで。


 次に森谷紅介。


 彼の変化は日夜和日郎のそれよりもっと少なく、寧ろ学種四系特有の、目の下に隈が出来る事でそれを示している程度に過ぎなかった。


 その二人の変化の少なさが、奧海昴の不安を更に掻き立てる。


 日夜和日郎と森谷紅介は奧海昴にとって『特境省』で出来た同い年の友達だ。同じ境遇で出来た掛け替えのない存在。だからこそ、奧海昴は躊躇う。


 気味悪がられるに決まってる……。


 気持ち悪がられるに決まってる……。


 そう思うものの、既に奧海昴に逃げ場は無かった。


 その場にいる四人の視線が奧海昴に向けられ、学種四系を迫られる。ここで出さなければ話が先に進まないし、今日ここに来た前提が崩れ去ってしまう……。


 奧海昴は意を決して目を瞑り、自らが嫌悪する学種四系へと、その姿を変えた。

あれ以来、一度も出した事はなかったな……。


 心の中でそう呟き、頭の中に記憶が甦る。


 願わくば、以前とは違う姿形で合ってくれ……。


 そう思いながら奧海昴は目を開けるも、その願いは届かず。姿も形も、それは以前のものと全く同じだった。



 異様な変化……。


 生身の変成……。


 黒く変色した手足……。


 突き出た羽……。


 鋭く尖って見る影も無くなった指……。


 以前と全く同じそれを見て、奧海昴は以前と全く同じ嫌悪感を抱いた。


 気持ち悪い。


 気味が悪い。


 恐ろしい。


 吐き気がする。



 吐き気が、する……。



 奧海昴は『終わった』と思った。


 これを見て日夜和日郎と森谷紅介は自分から一歩引き下がり、引き攣った表情をこちらに向ける。そして一言、『気持ち悪い』と、そう言うに違いない……。


 胃が激しく暴れ出し、体中がストレスと恐怖に震える。目には涙を溜め、直ぐにその場から逃げ出したい気持ちで一杯の奧海昴。


 ――しかし、その不安を押し殺す最中に聞こえて来た言葉は、奧海昴にとって意外なものだった。




「おっ、良いなスバル。カッケェじゃんそれ」



 と、そう言ったのは日夜和日郎。



「うん、ぼくも良いと思うよスバル。凄く綺麗だ」



 と、そう言ったのは森谷紅介。




 奧海昴は耳を疑った。



 何故ならば、それ等は奧海昴が全く予想だにしていなかった言葉だったからだ。


 これが?


 恰好良いって?


 これが?


 綺麗だって?



 奧海昴は、全くそうは思わなかった。


 こんなもの、


 気持ち悪くて、


 気味が悪くて、


 異様で、


 異端で、


 おぞましくて、




 醜いだけだ……。




 奧海昴自身は、自分のその姿をそう思っていた。


 ……しかし、日夜和日郎と森谷紅介は違った。


 日夜和日郎は奧海昴のその姿を見て『恰好良い』と言い、


 森谷紅介は奧海昴のその姿を見て『綺麗だ』と言った。


 思考が回らない。


 考えが及ばない。


 自分のこの姿は嫌いだ。


 腹の中が激しく暴れて吐き気が込み上げて来る。


 だけど、日夜和日郎と森谷紅介はそうは思っていない。


 自分のおぞましい姿を見て『恰好良い』と言ってくれて、自分の醜い姿を見て『綺麗だ』と言ってくれた。


 そう思うと、奧海昴の頬を一筋の涙が伝って流れ落ちた。


 それを皮切りとして、涙は後から後から流れ出てくる。


 それは、吐き気から来る嗚咽によるものではない。


 確実なる安堵と友人二人の言葉によるもの。


 奧海昴はそれが嬉しかった。


 口元を押さえ、表情をくしゃくしゃに歪め、その場にいる四人の目を気にする事無く、奧海昴は床に胃の中の物を全て吐き出すと、一切の不安を拭い去った様に、

大声で泣き出した。


 ――――それからというもの、奧海昴は自分の姿に嫌悪感を覚える事はなくなり、そう言ってくれた友人二人と、友人二人がそう言ってくれた自分のその姿を、誇らしくさえ思う様になった。


 友人二人が何気なく言った一言。


 それが、奧海昴の支えとなり、根底となり、基盤となっている。


 それからまだ一年の月日も経っていない、


 現在奧海昴は高校一年。


 時は七月の初日。


 未だ十五歳の、夏。







「おう、そこで転がって悶絶してる、ちょっとばっかし珍しい感じの喋るアメタマよぉ。なんつったっけなぁ? てめぇ今さっきなんつったよ? てめぇの勝ち確? 俺が? 若くて弱いって? んん? 若いのは認めてやるよ。若いのは――な。だけど何だ? 俺が『弱い』と? んん? てめぇがそう言ったのか? 確かにてめぇはそう言ったよな? んん? そうだろ? よくよくてめぇで思い出してみろよ。そのスッカスカの脳味噌でさぁ」


 奧海昴は口が悪い。


 しかしそれは、相対する物がアメタマの場合だけだ。


「くそっ! くそぉっ! こんな筈はねぇ! こんな筈じゃねぇ! 策は講じた! 計画も順調だった! 何もミスはしちゃいねぇ! 俺はあの女を取り込むんだ! 無限の『夏』を手に入れんだよ! 邪魔してんじゃねぇよ『特境省』がぁっ!」


 アメタマは突っ伏した状態だった身体を起こして体勢を整えたが、策の失敗に気が動転しているのか、それとも学種四系に身を変成させた奧海昴を目の前にしたからなのか、口は回っているものの、少しの冷静さも保てていなかった。慌て、ふためき、困惑する。元来博識で知識も豊富だった『元』彼は、自分の形成したシナリオの上では上手く己を演じる事が出来たものの、そこから少しでも算段が狂うと自分を律する事が出来ない、そんな弱いメンタルの持ち主だった。案外自分の『夏』の絶対量を見限られたのではなく、そういう打たれ弱さを理由に企業や団体を追い出されたのかも知れない。とは言っても、それは『元』彼が本当に秋枝志弦の仮説通りに解雇されていた場合の話ではあるのだが……。


 兎にも角にも、だ。


 冷静さを保てていないそのアメタマの言い。それを聞いて、奧海昴は「クスクス」と笑った。


「良く言うぜ。全く、とんだ茶番野郎だ。何が無限の『夏』だよバーカ。あの娘が本当に『無限の『夏』』を所有してたとしたら、そもそもてめぇの『ここら一帯の『夏』を全部取り込む』っつー策からして矛盾してんじゃねぇか。自分で講じた策に溺れやがって、みっともねぇったらありゃしねぇ」


 瞬間、アメタマはその奧海昴の語りを『隙』と捉えたのか、安西春真へと腕を伸ばす。


 ……が、当然の事として、その語りは奧海昴が隙を作るに値していない。


「あぁ? 何しようとしちゃってんだよタコ助が?」


 奧海昴はその学種四系によって変成させた腕と鉤爪を振るい、アメタマが安西春真へと伸ばした細腕を易々と切断する。


 切り落とされた腕は直ぐ様霧状となって中空に消え、アメタマは「――ぐっぎっぁあぁぁぁぁああああ!」という様な、そんな声にならない叫びを上げると、断面を覆う様にもう片方の腕で押さえて濡れたアスファルト面にのたうった。


「させねぇぞアメタマぁ。『夏』がありゃあそれだけでこっちのステージだ。残念ながらてめぇの見せ場は既に終わってんだよ。イカしたトーク御苦労さん。喋るアメタマっつーのはなかなかに稀有な野郎だったけど、それでもやっぱり『アメタマ』は『アメタマ』だな。あとはよぉ、てめぇん中に囚われてる『夏』を開放するだけだ。抵抗しなけりゃ楽に落してやんぜ? どうだ? 好条件だと思わねぇか?」


「クソがっ! クソがぁっっ! こんなのは違う! クソっ! 俺の油断んか! さっさと殺しておけば良かった! クソ餓鬼が! あの娘は俺のもんだ! 俺はあの娘を使って『夏』を支配するんだ! クソっ! ちくしょうっ! っケキャ! ケキャカキャキャカカカっ! クキャクキャっ! 運が良かったな餓鬼が! 俺が! 俺が油断さえしていなければっ! ケキャケキャケキャケキャっ!」


 アメタマは全く奧海昴の話を聞こうとしない。


 ただただ自分の理想と都合をつらつらと述べ並べ、負け惜しみの様に言葉を吐き立てる。それを見て、そのアメタマの無様な姿を見て、奧海昴は一つのタメ息を吐き、頬を掻いた。


「……はぁ。あのなぁ、確かに俺は運が良かったよ。安西さんがどうにかしてくれなきゃ、俺はてめぇの突進に吹っ飛ばされて殺られてたな……。だけどさ、てめぇは確かに勝ちを確信して油断してたのかもしんねぇけど、『特境省』はそれが勝ち確だったとしても、相手を軽んじて油断する事も、ましてや怠慢する事もねぇよ。悪いけど、俺等は常に必死だ。生き残んなきゃなんねぇし、ちゃんと守んなきゃいけねぇもんもある。だからさ、てめぇみてーのには、負けてらんねぇんだよ。」


 奧海昴は肩を竦める。


 それは、子供を窘めるような優しい言いだった。


 アメタマは「……ぐぅっ」と唸り、表情を引き攣らせ、口をわなわなと震わせた。それは怒りか、それとも遣る瀬無さか。どちらにしろ、アメタマはそれに言葉を返す事が出来ず、独り言の様に「俺が……、俺がぁぁぁぁああああああっっ!」

と叫びを上げ、そのぶつけどころが無くどうしようもない気持ちの矛先を奧海昴へと向けた。


 策も講じず、後先も考えず、アメタマは子供の様に腕を振るう。片腕だけとなってしまった己の武器。やたらめったらと感情に任せて適当に振るわれるその腕を避けるのは、奧海昴にとって雑作も無い事。上半身の動きと少ない足捌きで奧海昴はそれ等を華麗にかわし、「てめぇが何だよ?」と問い掛ける。



 勿論、アメタマからの返答はない。



 もう一度タメ息を一つ吐き、「……あぁ、それとな」と、聞いているかどうか分からないアメタマに向けて、奧海昴は言葉を吐いた。


「あの娘なぁ、てめぇとは釣り合わねぇよ。やっぱり『人間』と『アメタマ』とじゃあ釣り合わねぇ。てめぇがどういう理由であの娘を欲しがるかは分かんねぇけどさぁ」



 あの娘は、ちゃんと真っ当に『人間』に恋して、『人間』に好かれるんだっ!



 そう叫ぶと、奧海昴は鉤爪状に変成させた指を持ってして、そのアメタマの巨体の中腹部を、豪快に切り裂いた。


 言葉にならない声を喉から絞り出して叫ぶアメタマ。


 それは痛みか、それとも恐怖か。


 そして奧海昴。彼はその切り裂かれたアメタマの体内に、アメタマの活動原である『中核』が眩しく光っているを見逃さなかった。


 強引に腕を突っ込み、苦しみに悶えて暴れるアメタマの動きをものともせず、その『夏』で作られた『中核』を掴み、引きずり出す!



「はぁ……漸くだ。今日一日がスゲぇ長く思えたよ。全く……」


「ぐっ……がはっ! ……違う! それは――止めろっ! 駄目だ! それは違う! 絶対駄目だっ! 止めろぉぉぉおおおお!」


 奧海昴とアメタマ。


 そのどちらもがどちらとも、互いが互いに相手の話を一切聞いていない。


 奧海昴は安堵。


 アメタマは懇願。



「悪いとは思わねぇ。これが俺の仕事だからな。だから、てめぇも悪く思うなよ? 喋るアメタマ」



「やぁぁぁぁああめぇぇぇええええろぉぉおおおおおおお!」






 夏は、返してもらうぜっ!





 大きく振りかざされる黒い羽。


 鉤爪を思わせる細く鋭く尖った指。


 人知の及ぶ事の無い異様の異形。


 奧海昴が血筋として受け継いだのは、手足を醜くその様に変化させて相対者を撃退する為のものだった。


 奧海昴は当初、自分のこの変化した腕と足に、己のその姿に、尋常じゃないまでの恐怖と嫌悪を感じていた。


 その姿は奧海昴にストレスを与え、吐き気を与え、絶望と虚無を与えた。


 その姿が家系であり、血筋であり、遺伝である事を呪いもした。


 苦悩の末に現実からも逃避した。


 しかし、奧海昴をその不の思考から救い出したのは、友人二人の何気ない一言。


 何の気無しの一言。


 その友人二人の言葉は、奧海昴にとって自身を変えるに相応しいだけの言葉だった。


 自身を変えるに値する言葉。



 奧海昴はもう自分の姿に躊躇わない。



 恐怖はある。



 ストレスもある。



 しかし、その自分の姿に躊躇う事は、既にない。



 黒く染まった手足。



 黒く輝く羽。



 鋭く尖った鉤爪状の細い指。



 そして、目の下に黒く深く刻まれた隈。



 その、人知の及ぶ事の無い異様な姿から、



 加えて、遺伝し受け継がれた学種四系としての名称故に、



 奧海昴は、



 仲間内から『鴉』と、



 そう呼ばれている。








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